Way to be HAPPY

Life is a Journey

沖縄という土地

わたしは、沖縄に来ると、必ず元気になる。

そりゃあ旅行しているのだから、そうだろうと思われるかもしれないけれど、

これが、大阪だったり、栃木だったり、ペルーだったりすると、

とたんに疲れ果ててしまうのだから、沖縄という土地に何かわたしに合うパワーがあるような気がしてならない。

そして、直観力が復活する。

(あれ?こんなにわたしって直感力あったっけ?)

というくらいに精度が上がる。

というよりも、自分の常に発されていたであろうシグナルをキャッチできるようになるという感覚の方が近いのかもしれない。

そして、自分の部屋に帰った瞬間、即、圏外になるという始末である。

かといって、ずっと沖縄にいればいいというものではなくて、

早く帰って行動に移したい!と思うので、帰りたくなるのだ。

ものすごい不思議な土地だと思う。

だからこそ、毎月沖縄に来なければならない講座を受講し、

金がない、金がなくなる・・・と文句を言いながらも毎月毎月沖縄に来ていたのだということに気づいた。

自分で受講を決めたのは確かだが、もはや断れないというところまで追い込まれての決心(無理やりというわけでは決してない)だったので、もはやこれは運命というか天に仕組まれていたとしか思えないから面白い。

 

「神は人をして事を成す」

 

と、いつも沖縄のお師匠様が言っているけれど、本当だと思う。

神は、そのままじゃ物理的に限界があるからこそ、人を使うのである。

それは、人は神の子ということにも繋がってくるのだろうと思う。

無意識に人に言われること、人にしてもらっていること、それはすべて神の意志でもあるのだろうと思う。

そして、わたしも誰かにふと何かをしたり、言ったりするときも、神の意志なのだと思う。

神、神、言っていると頭おかしくなったと思われそうだけれど。笑

 

神って便宜上表しているだけで、量子力学でも、数学でも、いろいろな学問の方面で、真理を突き詰めていくとちゃんと繋がるようになっている。

それが、「神」と表現されるものだと思っている。

 

エヴァンゲリオンあたり面白い表現方法だったなあと思う。

昔は、どうして、みんなを一緒くたに溶かしたいんだ?と思っていたけれど。

反撃のルルーシュ(だっけ?)というアニメでも同じように、みんなを一緒くたに溶かそうとしていたし。あのときは不思議で不思議でならなかったけれど。

そもそも、あのどろどろに溶け合った状態(アニメで表現するなれば)からスタートしたのよね。すべて。

それが、今、私たちという姿になっているというだけで。

いつかは、必ずああいう感じに戻っていくものだものね。

 

ああ、結局怪しい内容になっているけれど、まあ、いっか。

 

というわけで、わたしの素晴しき沖縄の旅は今日で終了!

 

沖縄の方々、沖縄の土地、沖縄の神様、

本当にありがとうございました。

沖縄の顛末

「で、ご質問は?」

タロットのシャッフルを終えて、ようやく聞いてくれた。

「どこかで働くか、自分で仕事を始めるか悩んでいます。」

とここ最近ずっと悩みの種であったことをわたしは聞いた。

「そうねえ・・・」

と、シャッフルしたカードを3つの山に分け、また1つにし、

そしてかなり慣れた手つきで、カードをテーブルの上に置いていった。

というよりも、手が自動的に動いているような錯覚を覚えるような手つきであった。

 

実は、12月にバリ島でウィリアムレーネンさんに聞いた時、彼は、

「スピリットたちがいずれ教えてくれるでしょう。あなたはそれについて考えてはいけません。考えれば考えるほど、答えは逃げていきます。そして、この2ヶ月のうちに、あなたは驚くようなことに出会うでしょう。そして、いずれはあなたは海外と縁があるので海外に行くようになるでしょう。」

と言っていたのを思い出した。

 

そして、彼女はこう答えたのであった。

「独立だね。自分でやるしかないよ、もう。」

とあっさり。笑

「どうせ誰かの下働いたって上手くいかない。

というよりも、あなたはこれから先もお金に困ることはないの。

なのに、あなたは、いつもビクビクお金の心配ばかりして、

お金の計算ばかりしているでしょう?(大当たりw)

あなたは、もう自分でやっていく準備ができているし、パワーだってある。

なのに、始めようとしない。

いろいろ理由をつけて始めるのを引き延ばしている。(これも当たり)

もう学びの期間は終わったのよ。それを実践する時が来ているの。

そして、あなたにはもう次の受け取るものが用意されているのに、

今、持っているものを手放さないから入ってこれなくなっているのよ。

水だって、流れているうちはいいけれど、堰止めれば腐ってしまう。

今、手放さないと、せっかくのチャンスを失うことになるの。

というより、あなたはきっと12月末までにほとんどの整理を終えるでしょうね。

あなたはいろいろなものを背負いすぎなのよ。

その背負ったものをすべて下ろしてしまいなさい。」

 

なぜ、そこまで分かるんだ・・・とわたしはほとんど絶句するか、

もはや笑うしかなかった。

そこで、わたしは気になって、

「背負いすぎなのは、ものですか?人間関係ですか?」

と聞いてみた。

 

「ものはもちろんのこと、人間関係もかなり背負っているわね。

いろいろな関係を引きずって、背負い続けているから疲れるのよ。

もう、潮時なのだから、すべて下ろしてしまいなさい。

特に、前の旦那さんね。あなた彼のこと引きずっているでしょう?」

 

わたし、どうやらここで顔を引きつらせたらしい。

すると、彼女は、

「好きとかそういう感情ではなくて、執着というか、そいういう手の感情ね。」

と言ってくれた。

そうなのだ。そこなのだ。

好きでもなんでもないけれど、なぜか引きずっていた、それは執着というものだ。

お金に関しての。

なぜ、わたしだけがこんな思いをしなければならないのか?

自分は、使いたいだけ使って、億万長者になって・・・

それをマイナスの状態からそこまで大きくするのを死ぬ思いで手伝ったわたしはなぜ、今、こうしていなければならないのか。

ずっとわたしはそう思っていたのだ。

忘れたふりをして、気にしていないふりをして、ずっとごまかしてきただけだったのだ。

ついでに最後に強烈な〆をいただいた。

「あなたは、おばあちゃんに守られているよ。ものすごい強いパワーの神様にね。

だから、大丈夫。そして、おばあちゃんはあなたが離婚して良かったって喜んでいるよ。かなりね。笑 おばあちゃんって「◯」って漢字がつく方?(当たりだ)

その方は本当にあなたのことが大好きなのね〜。あ、あとね、26歳の時どん底だったでしょ?(結婚して2年目で、毎月入院していた時だ。過食嘔吐がひどすぎて。)

あれね〜あのまま続くと鬱になってしまっていただろうから、離婚して本当に良かったんだよ。っていうか、元旦那さん、そもそも女居たしね。」

さらっと最後に言われてしまった。

わたしは、奴に女は居ないと信じていた。

顔面偏差値的にも、性格的にも女などできようがないと思っていたのだ。

というより、そう思いたかった。

そして、奴の収入偏差値をすっかり除外して考えていたのだろうと気づいた。

あ〜女、いたのね。わたしと結婚している間も。

そう思うと無性に腹が立ってきた。

散々喧嘩をする度に、青あざが残るくらいの暴力を振るい、

家事をさせ、仕事も入院以外はさせ、わたしに収入は渡さず隠し、

それでいて、お前はダメだとか言い、

挙げ句の果てにわたしの浮気を疑い、

周囲には離婚理由は、わたしの浮気だと言いふらしている。

自分の暴力のことはいっさい言わない。ひた隠しである。

それでいて、自分はちゃっかり浮気をしていた、とな。

ラジオやTVコマーシャルに出ている奴の裏の顔を知っているのは、おそらくまだわたしだけだろう。

いつか、明るみに出てくれればいいのに、と心から願っていた。

今思い出しても、腹が立ってしょうがないからだ。

でも、その考え自体が執着を生み、わたしを前に進めないようにしていたのだということがようやくわかった。

もう、その恨みつらみも捨てる時がきたのかもしれない。

怒りも、恨みも、後悔も、執着の原因となるのだね。

もう、先に進まないとならないのね。

 

「で、今あなた30歳くらいでしょう?(ほとんど当たり)

もう、独立するのに、いい時なのよ。区切りもつくし。

今年の3月以降には、もう会社も作って起業しているだろうね。」

 

さっきから、起業だの独立だのという言葉が先行しすぎて、

(で、いったいなんの業種で?どうやって?)

とモヤモヤしていた。

それを聞いてみると、

「あなたは、何が好き?」

と聞き返された。

なかなかパッと答えられなかった。

なぜなら、ここ最近自分が何を好きなのかだなんて考えたことなどなかったからである。

そして、ようやく絞り出して出てきた言葉は、なんと

「石?」

だった。

(あ〜石とか言っちゃってるよ〜しかも、石を本業としている人に向かって)

と言ってから実は内心焦りまくっていた。

否定されたらどうしよう?とか考えていたのだと思う。

ところが、彼女は、

「だよね。あなた、本当に石が好きだものね。」

となぜか納得顔になっていたのであった。

なんというか、あなたがそれを言うの待っていました状態で。

「あなたには目に見えないパワーがあるの。それを使って人にパワーを与える仕事をしなくちゃだめなのよ。神様があなたに与えたパワーを使わなきゃならないの。」

わたしは、キョトン顔である。へ?って感じの顔をしていたことだろう。

なぜならば、何度そういう手の「潜在能力開発セミナー」笑 やら、「サイキック能力開花講座」笑 やら、受けまくってきたところで、

何にも目覚めやしないし、見えもしなきゃ、最終的に講座の教師にボロクソ言われるか、デートに誘われるか、破門になるか、とか最悪な結末を迎えた記憶しかなかったからである。

 

とある、マヤ暦の講座で、

「君と僕の相性はサイコーなんだ」とデートに誘われ、何回か行ったところで気づいた。

マヤ暦的に相性はサイコーかもしれないが、固体として無理だわ!って。笑

そして、わたしの態度にさっそく敏感な彼は気づき、去っていったのだった。

それと共に、その講座には一切参加しなくなったのは言うまでもない。

統計学的な考え方で、人々の固有のエネルギーや魂が合う合わないを決めることはできないとわたしは思う。

 

ということで、話は大幅に逸れたが、わたしにはサイキック能力など芽生えなかったし、未来永劫芽生えることはないと、もはや悟っていたのだ。

 

なのに、目の前のおばさんはわたしには目に見えないパワーがある、という。

一体どんなパワーなのか、さっぱりわからないし、わたしはそもそも、パワーストーンとして、石を扱う仕事の人は、ある程度サイキック能力を必要として然るべきだという考えがある。なので、わたしにはそのような力はないので、無理です。と言ってしまった。

 

「それは、逆だよ。やり始めたら、能力が開くのよ。

やらなければ、開かない。わたしもそうだったもの。」

 

その発想はなかった。

ある日突然、花開くものだと思っていたし、知っているサイキッカーの中でもほとんどがある日否応無く開いてしまった人々ばかりだったからだ。

それでも、わたしはそういうタイプなのかと思うと、なんだか面白くなってきたのであった。

そういうことは、始めてから考えれば良いか・・・と重く考えるのをやめた瞬間だった。

 

「あとは、ホームページを作るんだね。今じゃ、ホームページだけでも、いけるから。」

と、ニヤニヤしながら言っている。

わたしは、昨日、そんなことも知らずに、WEBデザインの本を買ったばかりだったので、それを話すと、

「知ってる。ここに見えてるからね。」

と、わたしの左側を指差す。

なんという・・・!!

わたしは知らず知らずのうちに、今日とこれからの準備をしていたというのだろうか。

真実は分からない。

だけれも、面白いことになってきたのは確かである。

 

そして、

「自分をもっと愛しなさいね。あなたは、いつも自分に自信がなくて、自分を責めているばかりだから。もっと、これからは自分を愛してあげなさい。

ピンク色の服を身につけるといいよ。」

これも、またヒットである。

なぜならば、わたしは昨日、アウトレットに行ったついでに、生まれて初めて自分にピンク色のセーターを買ったからである。

この順番が逆であったら、何も驚かなかったであろう。

買ったあとに、言われたということがものすごく衝撃的であった。

わたしの野生の勘であろうか?

 

この野生の勘は不思議と家から出て、旅行をしている時に急に出てくる。

すべてがシンクロというか、すべてがうまく回るのは、旅行をしている時なのだ。

スペインでも、ハワイ島でも、ペルーでも、フランスでも、バリ島でも、沖縄でも、

すべてが面白いように回っていくのだ。

そして、帰国して自分の部屋についたときにズドーンと嫌なことばかり起こる。

それって、反動というか、しっぺ返しというか、そういうものだと思っていた。

のだが、どうやら違うようだ。

それを話すと、

「あなたの住んでいる部屋のこっち側(向きもあっている)に、誰かご病気の方住んでいるでしょう?あなたの部屋、それでとってもエネルギーが悪いわ。

引っ越してきてから、体調悪かったり、気持ち悪いことってあったでしょう?」

と。

その通りである。

隣の部屋には、車イスを共用部に放置しっぱなしで、ベランダがものすっごい汚い老夫婦が住んでいるし、実際、わたしはこの部屋に帰ってくると、とっても暗い気持ちになっていた。そして、その老夫婦の部屋に近い側の部屋に、実は入るのも嫌で、常に使用することのない、物置みたいな部屋と成り果てていたのであった。

そして、わたしは早く引っ越しをするよう勧められたのであった。

そもそも、勧められる前から引っ越しをしたいと思っていて、常に部屋を探していたし、引っ越しをする前提で、苦手な断捨離にも励んでいたのであった。

無意識にわたしは引っ越しを予知していたのだろうか?

そんなことはないとは思うのだけれど、今振り返って考えてみると、すべてがうまく回るように準備されるものなんだな〜と感嘆してしまう。

 

さあ、あとは金の問題だよね。

いったい、どこからわたしに飛びこんできてくれるのか、見ものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社畜と独立の狭間で 後編

そこは、朝まだ暗い時に通った時とは、まったく雰囲気が違い、最初は見逃してしまいそうなほどであった。

ひっそりと石を扱って商いをしている・・・そういう雰囲気があった。

そして、傘をさしたまま、店内を外から物色していると、沖縄っぽいおばさまが中からわたしを招き入れてくれた。

わたしは恐る恐る店内へ入った。

周りを見渡してみると、外から見た時に見えたショーケースに4〜5個、パワーストーンで作られたブレスレットが置いてあった。

どう見てもそのショーケース以外に売り物は見当たらなかった。

(いったいどうやって生計を立てているのだろうか・・・)

わたしは、勝手に彼女の生業を心配し始める始末。

そして、何個かそのブレスレットを勧められたが、わたしにはしっくりこなかった。

かわいいのだけれど、わたしはもうブレスレットは増やしたくなかったのかもしれない。

 

とは言いつつ、昨日、ネットでも有名な松山という場所にあるパワーストーンを取り扱っているお店に出向いてみたりした。

前々から行ってみたかったところである。

そこでは、予約をしていくと(なんともう年内は予約いっぱいな)、いわゆる視える方が予算内でブレスを組んでくれるという、自由が丘でも有名な「愛光堂」のようなシステム。というか、愛光堂の方も実は沖縄出身の方だっていうから、どっちが先かまったくわからない。どうも、やはり沖縄の人々は、本土の人々に比べて、格段に視える率が高いのは確かだろう。

クラスに一人は必ずユタ体質の人がいると、沖縄の人に聞いたことがある。

この風土や伝統がそうさせるのであろうか。

それとも、血統というものなのだろうか。

で、話は戻るが、どうもそのお店に入った時の雰囲気がダメだった。

そもそも予約を取っていないので、ブレスレットを組んでもらえる可能性はないのだが、それを加味しても、どうも・・・居心地が悪かった。

金の亡者的な匂いがプンプンしたのである。

わたしはそういうのにはやたらと敏感で、数年前から通っていたとある沖縄でこれまた有名なパワーストーン屋さんにも最近見切りをつけた。

彼が確かに何かの力を借りて、視えているのは間違いないとは思う。

だがしかし、問題はそこではなく、だんだん金儲けしか考えなくなってきてしまっているということだ。

力があるからといって、そこに人格が伴わなければただのやばいやつでしかない。

ということで、わたしはここには一切関わらなくなったが、元夫は今でも足繁く通いつめ、行くたびに出資しないかとか言われているらしい。波動がお似合いだわ。

 

ということで、本当はなんだかそういう精神的に頼りにできるような石をゲットしたかったのである。

なので、今回ここまで(再び)来たのであろう。

 

彼女は、おもむろに口を開くと、

「ああ、あなただったのね〜。昨日、(明日、県外から気のいい人がこの店に来る)っていうのがわかったから、お店を掃除して模様替えしたのよ〜。」

と言った。

その模様替えの前は確認しようがないけれど、確かに天井から来年の干支である鳥(というか鶴だったが)がぶらさがっているし、正月仕様に変更するとしたら、月末であろうし、そもそも、金になるかどうかもわからないわたしにリップサービスをする必要性が皆無であるので、おそらくそれは本当だったのだろうと思う。

 

しかし、売り物が何にもない。

そこで、朝から気になっていた「タロット」なるものに挑戦させてもらうことにした。

わたしの癖なのだが、こういう時、何分でいくらか、というミミっちいことは絶対に聞かない。どこかに書いてあれば、読む。だけれども、書いてないのであれば、聞くまでもない。支払える金額を財布にぶっこみ、「いざ、行かん!」という姿勢で挑む。

それこそが、なんだか本気度を表しているようで、わたしは変なこだわりを持っている。

そして、相手も別に料金をいうでもなく、説明するでもなく、ささっとわたしを椅子に座らせた。そのまま、おもむろにタロットを切り出す・・・

っていうか、そのタロット・・・年季めっちゃ入ってる!!!!

とびっくりしたのであった。

もはや、文字だか絵面だかがほとんど見えなくなっているレベル・・・

思いつきでタロットをお願いしたけれど、なんだかそれを見れただけで、やってよかったと思ってしまった。

ここまでタロットをボロボロにするまで一体何万回タロットを切ったことであろうよ。

もし、当たらなくとも、ここまでタロットを切りまくってきた人に見てもらうのは、素晴らしい経験になると思った。

 

・・・・のだが、そんなもんでは済まされなかったのだ。

伊達にタロットがボロボロになっているわけではない、というべきか。

そこまでタロットをボロボロにさせる必要があったのか、というべきか。

 

めちゃめちゃ的確であったのだ。

 

今まで、そういう系のセッションにもはや数百万?以上つぎ込んでいたわたしとしては、今までで一番、と言えるほどの的確さであった。

 

スピリチュアルヒーラーの当たってはいるのだろうけど、抽象的過ぎて何言ってるのかわからん&で、一体わたしはどうしたらいいねん!みたいになる要素がまったくなかったのである。

 

まだつづく

社畜と独立の狭間で 中編

そんな時、ある一人の男性と出会った。

彼は、所謂普通のサラリーマンだった。

そして、自信満々なその態度に私は最初、かなりの悪印象を持っていた。

(なんでこいつ、こんな自信満々なわけ?)って。

私は、それまできっとサラリーマンという職業をバカにしていたのだろうと思う。

周りを見れば、起業家や、事業を自分でしている人たちばかりだったし、私自身、サラリーウーマンという立場で働いていた時の自分を呪っていたからかもしれない。

特に、元旦那の思考が影響していたのもある。

 

でも、彼に出会って、何かが変わった。

彼は、真剣に、サラリーマンという職業を極めようとしているのが分かったからだ。

私が今まで目にしてきたサラリーマンというのは、会社の言われた通りに働いて、上司のいうことをしおらしく聞き、部下にはちょっと傲慢、みたいなイメージの人々だけだったからかもしれない。

ついでに言えば、わたしたちの会社に不動産投資がしたいと言ってくるやつらは、あわよくば楽して副収入、みたいな考えの人々ばかりだったし、そういうイメージがこびりついていた。

 

だからこそ、彼にものすごく新鮮味を感じた。

結局、付き合うことになったのだけれど、今までだったら、結婚さえしていなければ、同時並行も厭わないタイプの私であったのだけれど、なんだかすべてに嫌気がさしてきていた。

だから、付き合ったタイミングで、例の方々には、その事実を告げ、もうあなたとはお会いできません、とぶった切ってしまったのであった。

 

いつも、行動はノリとタイミングである私としては、その後内心焦ったのは言うまでもないことかもしれない。

それでも、切っちまったもんはしょうがねえと、私はそろそろ正社員として就職しようかと思っていた。

とある会社1本に絞って、ここが受かったら働く、受からなければ派遣かな〜なんて軽く考えていた。

そして、昨日の夜、思い立って、応募しようと思ってサイトを開いたら・・・・

昨日で募集を締め切っていた!!のであった。

なんというバッドタイミング・・・私はかなり凹んだ。

どうして、わたしが乗り気になるまで待っていてくれなかったのだ、と。笑

 

そして、なかなか眠れなくなり、気づけばベッドに入って2時間が経過していた。

2時間も悶々としていたようである。

そして、このままじゃ朝が来てしまう!と焦った私は、何を思い立ったか、ナレーション付きの瞑想アプリをダウンロードして、瞑想をし出す始末。

そして、初アプリ瞑想にもかかわらず、(ナレーションの姉ちゃんの声が売れないアイドルみたいな甘ったるいいやらしい声なのにも関わらずな!)瞑想状態に陥って、そのまま意識が飛んだ。

そして、約2時間半後、リアルで鮮明で不可思議すぎる夢を見た私は、はっ!と目を覚ましたのであった。

よく寝れたような気もしていたにも関わらず、時計は、4時をさしていた。

そして、そこから2度と眠気は来なかったのだ。困ったことに。

一体なにが起こったんだ?と不思議に思った私は常につけている脈拍計兼睡眠ウォッチャー的な役割をしている腕時計を見てみることに。

なんと、いつも8時間も9時間も寝ても絶対に出て来ない数値がはじき出されていた。

いつもは0〜30分程度のノンレム睡眠が2.5時間中なんと1時間もあったのだ!

瞑想って、巷であれだけ噂になっているけれど、なんだか理由がよく分かるかも、と思った瞬間であった。

絶対に、今日から瞑想して寝ようと決心した私であった。

 

が、それから全く眠れなくなってしまったのもかなり困ったもので、先日、初めて行った本屋さんで一目惚れして買った本「人生を変える習慣のつくり方」を読むことに。

 

 

そして、ちょうど読んだ章に、「思い立ったら今やるんだ!明日の自分もない、過去の自分もない、あるのは今の自分だけなんだ!」みたいな文章があって、やけに納得した私は、今日こそ、あのランニング習慣を蘇らせる!!と張り切り始めた挙句に、結局朝日が昇る前の午前6時に街へとランニングをしに繰り出したのであった。

しかも、2.5時間睡眠で。笑

しかも、ちゃんと走る前の筋トレをもこなして。笑

 

そして、街中を走っていると今まで行ったことのなかったような場所へ導かれていった。

最初、本降りになりそうな気配を醸し出していた雨粒たちは、急速に消えていった。

上でひたすらにどんよりとした雲たちがスタンバイしているだけであった。

30分は走ると決めていたので、かなり遠くまで足を伸ばせた。

途中で、気になるお店を見つけたのだった。

そこはただの普通の、沖縄でよく見かけるような店構えで、パワーストーンを扱っているようだった。そして、何十年か経ったのか・・・というくらいの古びた看板に「タロット」と書いてあった。それが何故か気になって仕方なかった。

そして、走っている最中で、止まるたびにナイキのアプリが作動して「トレーニングを中断しています」とか誇らしげに言うもんだから、店の名前だけ暗記して立ち去ることにした。

もし、時間があったら開店したら来ようかな〜などと思いながら。

 

そして、ホテルに帰り、シャワーを浴び、10時きっかりにチェックアウトをした。

 

その足で、次の滞在先にバックパックだけ預かってもらい、もはや沖縄の定番となっていたアウトレットモール「あしびなー」に行くことにした。

クリスマスに急に私の予定に合わせてくると言いだした、例のダーリンのプレゼントを用意するためであった。(なんて可愛いの、わたしったら!笑)

しかし、今までは、ずっと車の移動だったので、今回は初めてのバス・・・

かなり不安だし、不便であった。

まず、旭橋バス停から乗車するようにとHPにあるが、うっかり旭橋駅前というバス停でひたすらまってしまい、気づいたことには時すでに・・・パターンを経験。

そこから、迷いに迷って、旭橋バス停までたどり着いた。

そして、10分後バスが来たのはいいが、あしびなーにたどり着くまでに30分、そして、410円かかった。

ああ、車っていいなぁ・・・としみじみ思ってしまったのは内緒である。

 

そして、降り立ったすぐ前に、大好きな「戸田ブックス」さんがありまして、彼のプレゼントより何より先に、本屋に行きたい欲求が勝り、本屋へ直行。

この「戸田ブックス」のなにが良いかって、本の選び方が秀逸だということ。

本土やかのアマゾンでも販売できなくなっているような本たちがここには実はごろごろある。アマゾンで値段が倍以上に釣りあがっているような本を、定価で変える喜びを味わえるのは、「戸田ブックス」さんならではである。すばらしい!

まあ、ここが特に品揃えがいいのは、ジャンルに偏りがあるのも事実。

沖縄の歴史や文化系、と、スピリチュアルというか、宗教系というか、古代XXの歴史系の本が異常に充実しているのがなんとも言えないくらい素敵なのである。

 

そこで、わたしはまずアマゾンで取り扱っていない、(マーケットプレイスはあるが、値段が釣りあがっていた)

 

これを定価で購入!!

わたし自身はヒプノセラピーにまったくかからないので、だからこそ興味がある分野だったりする。

 

そして、

も、つい買ってしまった。

WEBプログラミングは前々から興味のあった分野で、もし、元夫がわたしに雇用保険をかけていてくれて(だって、取締役にしなかったし)いたら、わたしは間違いなく教育訓練で、この授業をとっていたことだろう・・・

 

そもそも、昨日よんだ、「7日間企業」という本の影響ではある。

 

どうしたって、彼の本に習うとすれば、ある程度のWEBプログラミングの知識は必要になるであろうとしか思えなかったので。

 

そして、彼へのプレゼント(ネクタイ)を買い、あとは、何故か気になったいつもは着ないピンクのセーターを買い、買い漁った本は、宅配便で家に送りつけ、無事買い物を終了した次第である。

 

そして、帰り道に、とある宝くじやで、宝くじを買った。

わたしの沖縄の師匠が、「これって、宝くじにも使えるのかな?」という疑問を口にしていたので、わたしが身を呈して実験してみようというわけだ。

これに関しては、きっとこれからわたしは年末に大騒ぎするであろう。笑

 

それから、チェックイン時間を過ぎているにもかかわらず、良い買い物ができたことでテンションが上がり、早朝に見かけたタロットのお店に歩いて向かうこととしたのであった。

 

つづく

社畜と独立との狭間で 前編

今日はちょっとスピリチュアルなかなり衝撃なことが起こった。

そして、びっくりしたことよりも何よりも、超スッキリした。

 

実は、2016年がもうそろそろ終わろうとしている時にかる〜く計算をしてみたことろ、今年だけで、ざっと見積もって600万以上は使い果たした計算になった。

 

通帳の残高を足して、元より引き算して計算しただけなので、本当は家賃収入もそれ以外で入っていたはずだし、なんやらで一体実際にいくら使ったのかは不明である。

そして、突き詰めたくは、ない。

 

そして、問題なのは「何に」使ったのかであるが、そこらへんももう、終わったこととして闇に葬り去りたいところである。

 

そして、とうとう私の貯金がそろそろ100万円を切ろうとしていたのであった。

 

私は、恐ろしいほど焦った。

結婚中の、AEONの英会話に30万を支払うかどうかで悩んでいたころの可愛い私はもう離婚という事件を経て、跡形もなく消え去っていたのであった・・・

そういえば、昔から親にこう言われていたのを思い出した。

「あんたは、あればあるだけ使っちゃうからね!」

そう、その通りになりましたよお母さん。。。

 

そして、ここ数ヶ月は、ずっとお金の心配ばかりをしていた。

だからこそ、「いつか頼れる(はずの)有力候補たち」を残しておきたかったのだろうと今更ながら思う。

食いたくない飯を一緒に食べ、笑いたくない時に笑い、やりたくもないときにやってみたり、そういえば私は本当に必死だったんだと思う。

 

何も援助してもらっていないから、私はクリーンなのだと思っていた。

いや、むしろそう思いたかった。

 

しかし、実際は私は掛け捨ての「保険」をかけていただけだったのだろう。

掛け金の代わりにわたしの時間と、作り笑いと、たまに下の穴(笑)

 

金をもらってなければ、愛人でも売春でもないなんて、とんでもない嘘だった。

絶対に、その瞬間に私は魂を売っていただろうから。

しかも、満期の永遠にこない「保険」のために、ね。

そして、何より問題なのは、私が私自身にその嘘をついて、無理やり納得させてきてしまったということだった。

 

心というか、精神というか、そこらへんはもうズタボロの有様で、

変なプライドだけがかろうじて私を生きながらえさせているとしか思えなかった。

 

好きでもない男からの、「愛している」だの「君といるとホッとする」だのというまやかしの言葉を私は自分自身の評価基準にしてきてしまっていたのだ。

私は、他者の評価によってしか自分を評価できないようになっていたのだということに気づいたのは、かなり今更というタイミングだったように思う。

 

女は見た目だけじゃない、中身も大事だ。頭は特に。

なんて考えているくせに、結局見た目で自分を判断させて、一喜一憂。

本当に、情けないことをしてきたと思う。

 

昔、付き合っていた塾の先生(英語)にラブレターをせがんで、英語で書いてもらったことがある。

彼は、無理やり書かされた割に、しっかり書いてきてくれて、そこには、

「もし、君が事故にあって顔がぐちゃぐちゃになったとしても、私は君を愛すよ。」

と書いてあったのを不意に思い出した。

その時は、内心、(何言ってるんだろうこの人。私が事故にあって顔がぐちゃぐちゃになるわけないじゃない)って思っていた。

でも、それこそが愛だったのかな〜と今更になって気づく。

もはや、15年以上経っているし、先生はさっさと若い時に病気で亡くなってしまったのだけれど。

今なら分かる。

そして、2度と現れるかどうかもわからないそいういう相手を待ってみたい気もする。

 

時、既に遅しとはこのことをいうのだろうか。

 

ということで、私は、残りの残高が2桁になることを極端に恐れていたのだ。

しかも、現在絶賛無職謳歌中である身だし。

 

そして、ここ数ヶ月、残り少ない残高で起業をするか、起業したら支援するという殿方たちの餌に釣られ続けるか、それとも、派遣で腰掛けを泣きながらするか、更には、もはやがっつり営業職で正社員として働くか、という選択肢を日々堂々巡りする羽目になっていた。

そもそも、仕事はできるし、ゼロから億単位の収益を出す会社を作ってきたノウハウはあるし、正社員として働くべきだったのかもしれない。

それでも、どうしても、誰かに雇われるという、土日祝お休みです!みたいなシステムに組み込まれることが恐怖で恐怖で仕方なくて、結局のところ、いつも立ち往生みたいな感じになっていた。

 

じゃあ起業するかと言われたら、ネタや案はボロボロ思いつくのだけれども、じゃあイニシャルコストはどうするんだ?私、もはやこれ払えなくね?くらいになっているので、二進も三進もいかない。

でも、殿方たちには、頭を下げるなんてごめんだね状態で、常に膠着状態であった。

 

つづく

 

 

 

 

 

カミーノ巡礼 最終日

今は飛行機の中。

夢が終わってしまった。

私の心の休暇はもう終わりなのだ。

神様は最後に私に特別な素晴らしいプレゼントをくれた。

ミンと過ごした20日間は何にも変えられない特別な時間となった。

人生で初めて、人を愛したと感じた。

そして、その愛情は永くは続かなかった。

友人は、「愛は育むものだ」と言った。

本当にその通りだと思う。

20日間では、育めなかったのかもしれない。

それか、愛を育む気が私にはなかったのかもしれない。

そのどちらかなのかは今はまだ正直分からないけれど、

いつか、きっとわかる日が来るのだと思う。

私は日本へ帰る。

そして、日本に帰れば、この2ヶ月間のカミーノも、ミンのこともすべて夢であったように感じることであろう。

ヨーロッパで起きたすべてのことは、日本に帰れば、すべて現実味を失うのだ。

そんなことは正直分かりきっていた。

それが私の生き方であるから。

過ぎ去ったことはすべて、現実である今と切り離される。

思考の中でまた夢の世界を訪れることは出来る。

でも、夢の世界を現実に訪れない限り、それは一生夢でしかないのだ。

他の人の感じ方は知らないし、知りようがない。

その人に取って代わることはできないから。

それでも、私は私の感覚、感じ方を少なくとも今は愛している。

これでいいんだ。

これでいいんだ。

そう思っている。


今日は、朝方5時にミンに起こされて、バックパックの分別をして支度をしようと言われた。

私は、歯が痛くて痛くて、ペインキラーを2つも飲んだ。

そして、ミンはお腹が空いたと言った私に、韓国製の炸醤麺を即席ラーメンで器用に作って食べさせてくれた。

いつもいつもミンは私のために何かを作って用意してくれている。

私は、ミンと過ごし始めてから、食べ物に関しては何もしていない。

ただ、ミンが作ってくれる食べ物を食べさせてもらっている。

日本にいるときと反対である。

いや、正しくは、私の結婚生活の時と全く反対である。

離婚以降の男性たちはいつも私に蕎麦だのパスタだの何だかんだ作ってくれていた。

ミンは私のことをlazy(怠惰)girlだといつも言うけれど、まったくもってその通りだと思う。

相手がやらなければ、しょうがないので自分でやるけれども、相手が自ら進んでやってくれるとなると、私はまったくもって何かする気にはならない。

怠惰というよりも、相手次第なのである。

相手が私よりも怠惰だと判断すれば、私は怠惰をやめて、動き出すのだ。

相手が私よりもマメな人間だと判断するからこそ、怠惰になれる。

私はやっぱりそこでも、相手に合わせようとしてしまっているのかもしれない。

怠惰であることが特に私を心地よくさせることはない。

申し訳なさが増すだけだ。

なんだか、負債が日々溜まっていくような気がするので、あまり好きではない状態である。

それでも、相手が怠惰すぎて私が何かしてあげたとすると、それはそれで、相手がその負債を返さないことにイライラしてしまうので、どちらにせよ心理状態的にはまったくもってよろしくはない。

どちらにせよ内心イライラしてしまう私の考え方に問題があるのだと思う。

コミュニケーションは目下私の課題であるが、本当に難しい。

勉強よりも難しい。

習うより慣れろパターンはなかなかどうして、私にとっては難易度が高いのかもしれない。

そんなこんなで、炸醤麺を食べさせてもらって、私はシャワーを浴びて、支度をした。

そして、7時に出発した。

近くのマクドナルドに立ち寄って、カフェオレを2人で飲んだ。

1杯2.3ユーロ。

さすがパリである。日本よりも価格設定が高い。

そして、あまり美味しくはない。笑


それから40分ほどかけて、モンパルナス駅から空港まで電車で向かった。

空港に行くまでの片道切符を10ユーロで購入した。

ミンは、私を送った後、ホテルまで戻ってこなくてはならないので、ミンの帰りの分の切符も合わせて購入した。

合計30ユーロをカードで購入。

いつも思うのだけれど、どうしてもこういう時に気前良くしてしまうじぶんが恨めしい。

相手がお金に困っていると知るとついつい出してしまう癖が未だに抜けない。

私だって、もう社長夫人ではないし、お金持ちでもないのに、ね。

また稼げばいいやーとか訳の分からない将来への自信がそうさせるのか、只の浪費家なのか、もはやよくわからなくなってきている。

恐らく思いっきり後者であろうことは確かではあるけれど。

そして、お金を使えば使うほど、不安になってくる。

まさかの負のスパイラルである。

使えば使うほど、私は日本へと引き寄せられていく感覚を覚えるのであった。

私は、果たして日本以外の海外で、ヨーロッパで、スペインで、しかも地の果てと言われているフィニステーレで、生きていくことは出来るのであろうか。

そして、無事に空港に到着した。

二人で最後の1本のタバコを分け合って吸った。

きっとこれが私の最後のタバコとなるであろう。

ミンの最後のタバコになるかどうかは知らないけれど。

少なくとも、朝、マクドナルドでミンに言われたことは守ろうと思っている。

Don't be sick.
病気にならないこと。健康でいること。

Don't smoke.
タバコを吸わないこと。

Do exersize.
運動をすること。

Study English harder.
英語を勉強すること。

以上4つである。

ミンは思い出したように言い始めた。

それでも、私の心にはしっかり刻まれているし、忘れることはないと思う。

そして、しっかりそれらを守ろうと思っている。

私のために。


最後にミンと別れる時、ミンは意外とあっさりしていた。

私だけが、泣けないと思っていたのに、最後の最後で泣いた。

そして、バイバイ、とお別れをした。

ミンがどう感じているかは、私にはまったくもって読めなかった。

私は、ようやく一人になれて少しホッとしたのと、もうミンと会うことはないかもしれないという思いから、悲しくて、寂しくて、ミンの不在を非常に心細く思った。

出発まで、1時間ほどあったので、持ってきたパンを食べることにした。

ミンが私の為にスーパーで見つけ出してくれた「おばあさんブレッド」は、ミンが隣にいないと少しも美味しくなかった。

そして、私は定刻通り飛行機に乗り込み、飛行機は定刻通り出発した。

 

カミーノ巡礼 43日目

残すところあと1日。

ミンと過ごした日々は長いようで短かった。

出会ってから今日で20日目。

同じ血を分けた兄弟でも、両親でも、スッピンを見せれる親友でも、朝から晩まで24時間20日間も一緒に過ごすことはなかった。

そして、言葉の通じない海外に旅行というかなりストレスフルな環境での20日間を無事に2人で乗り切れたことを嬉しく思う。

最初は恋人、途中から兄弟、最後にはなんだか同志のような感じがする。

最初の恋人ラブラブシーズンが終わってしまったのを感じ取って、途中ではものすごく寂しかったけれど、今となってはそんな感情の変化もいい思い出へと変わった。

今日は、朝5時に起きて、5時半にアルベルゲを出発。

そして15分かけてサンジャンピエドポーの駅に着いた。

単純計算すればわかるのだけれど、5時45分には駅に着いてしまう。

電車が来るのは6時10分だ。

駅の屋舎は施錠されていて、中で待つことはできなかったので、小雨が降る寒い中25分ほど待つはめになった。

そして、5分経った時にようやくミンは認めた。

「オーケー。あのオーナーは正しかった。」

とボソッとこぼしたのであった。

昨日アルベルゲのオーナーに、「15分あれば駅につくんだからそんなに早く出なくてもいいんじゃないかい?」と言われていたにも関わらず、THE心配性のミンはまさかの5時半出発を決行したのだ。

そのとばっちりがこれである。

私も予定の時間より早めに行かないと落ち着かない性格ではあるが、ここまで強迫観念かのように早め早めに行こうとする人は初めて見た。

そして、結局現地で時間が来るのをひたすら待つ羽目になるのである。

おかげで電車等に乗り遅れることはないが、バスや電車が予定の時刻より遅れると目くじらを立てて怒りだす為、(え、だったらギリギリに来ればよくね?)と思ってしまう私なのであった。

そんなこんなで、サンジャンピエドポーを出発し、1時間ほど経過した後に、バイヨンヌ駅でパリ行きの電車へ乗り換えた。

寝不足だった私たちは即眠りに落ちたのであった。

ミンは腰が痛い痛いと一昨日から訴えていて、痛み止めを飲みまくっては、痛い痛いと唸っている。

さすがに腰となると、一体どうしたら良くなるのか全くもって分からない。

これだけ筋トレをして、いい体をしている人間が腰痛に悩まされるとは、なんだか不思議な感じであった。

てっきり筋トレをしっかりして、素晴らしい筋肉を持っているような人間は腰痛など無縁だと思っていたからだ。

筋肉があろうと無かろうと腰痛になる、ということが分かった。

いい勉強である。

にしても、私もインプラントを埋めた奥歯の部分がジンジンと痛み始めてきてしまって、2人ともここ数日痛みとの戦いが続いている。

神様がもしいるのだとしたら、非常に意地悪よね。

最後くらい楽しく終わらせてくれても良いものを。

と思ってしまう、心の狭い私でありました。

 

 

カミーノ巡礼 42日目

日に日に私たちの関係は悪化していった。

まるで恋愛小説の中の物語を早送りしているかのように。

すべての物事がものすごいスピードで次から次へと起こって行ったのだった。

私はもう正直日本に帰りたかった。

それでも、既に帰りの便を変更してしまっているので、それは難しい相談であった。

彼もNYに帰りたいとこぼすようになった。

一体私たちは何をしているんだろう…そのような感情が私を常に襲い続けた。

明日は大丈夫だろう。明日こそはもっと素晴らしい1日になるであろう。

そう願いながら一刻一刻を過ごしていた。

彼もきっと同じ気持ちだったはずである。

それでも、日に日に起きる事件は悪化していき、私たちはしばしば険悪なムードで一緒に過ごさなくてはならなくなった。

そして、二人とも二人で過ごす意義を見出せなくなっていった。
あも
まだ2人とも若すぎたのだと思う。

それは、年齢ではなく、精神的な問題であった。

私たちの抱えている問題はとても類似していて、議論の論点になるポイントも同じであった。

どう自分の中の感情と闘っていくのかということ。

私は、日々の我慢の積み重ねで疲れ果てていて、限界が来るともはや明るいムードを保てなくなる。

それどころか、ほとんど感情が顔や表現に出てしまう。

もはや隠せない限界値まで我慢の限界が達しているということである。

彼は彼で、自分の心の中にあるらいですが怒りと闘っていた。

感情を抑えることにストレスを感じているのであろう。

私が、怒りを見せる彼を見て悲しい気持ちになると言ってしまったせいで、彼は私の前では極力怒りを出さないように非常に努力していたからだ。

そして、その努力が彼のストレスとなっていた。

私たちはもはや一緒に過ごすことにある種の限界を感じていたのだと思う。

そして、お互いに二人の関係を長引かせたいが為に、ひたすらに隠そうと努力し続けていた。

この関係は永くは続かないと二人とも分かっていたのだと思う。

だからこそ、二人で叶いそうもない夢の話をひたすらにし続けていたのだ。

永くは続かない私たちの関係についてだ。

私だって、こんなこと思ってもみなかった。

ずっと一緒に生きていきたいと一度は思った相手だったからだ。

それでも、運命は私たちのの行く手、を阻み続けた。

これでもかという程に私たちを蹂躙し続けたのだ。
ちか
毎日起こる同じような種類の問題に私たちはもう耐えられなくなっていた。

カミーノ巡礼 41日目

何故だか分からないけれど、私たちは同じ手の形、同じ指の形、ほとんど同じ爪の形をしている。

遠く離れた国で生まれ育ち、言語もまったく違う環境で、血統もまったく違うというのに、ものすごく不思議なことだけれど、これは事実である。

そのことが何を意味しているのか、私にはまったく分からないけれど、もし運命論者がここに居て、私たちを見ていたとしたならば、
これを運命と言うのだろうと思う。

言ってみれば、私たちのこの一瞬一瞬の生は人生であり、運命である。

良い意味だけを指すのではなく、悪い意味をも併せ持つ運命。

それを一瞬一瞬私たちは生きているのだ。

結局、私は飛行機の旅程を延期することができなかった。

期日を延ばすには少しばかり遅すぎたのである。

もし、先月のうちに、彼と出会う前に飛行機を延期していたら。

そう思うとやるせなくなる。

だがしかし、それも運命なのだ。

すべては運命で、私たちは、自分の力だけでどうにか運命を動かせるのではないかと思いがちだけれど、それは大きな間違いで、それは不可能なことなのだ。

もし、運命を動かせたと思う時があるとすれば、それは運命が私たちを動かしている、それを私たちはかんちがいしているだけなのだ。

運命は動かせない。

ただ人はその間をひたすらもがき、足掻くことしか出来ない。

私たちは、ただひたすら運命の中で、日々を精一杯生き切ることしか出来ないのだ。

そして、それこそが人生なのだ。

運命に従い、それを全力で生きることこそ、私たちに唯一残された、幸せになる方法なのだと思う。

飛行機を延期出来ないと知った時、私は、この残りの4日間を精一杯彼と楽しもうと心に決めた。

本来予定していたはずの予算については忘れることにした。

いくらでもいい。いくらかかっても良いから、最高の瞬間を、最高の思い出を作ろうと決めた。

そして、同時に、私は彼と同じ左手の手首にタトゥーを入れることを決意した。

彼は、無理してそんなことしなくていいと言ったけれど、それはもはや無理なのではなくて、私の意志になっていた。

日本に帰ってからも、この瞬間をずっと忘れない為に、私にはどうしてもそれが必要だったのだ。

これを書いている今も、何故だか涙が止まらなくなってしまった。

泣いてなんかいられない。

だって、最後まで精一杯楽しもうと決めたんだから。

だから、もう最後の日までもう泣くのはやめる。

感傷的になることも、私たちの未来を考えることも、やめる。

Time will tell.

もう、待つことしか私には出来ない。

何がこれから起こるなんて今の時点では分かりようがないのだから。

心配したって、不安になったって、それはまったく意味のないことなのだ。

そして、人は何かを心配する瞬間、時を無駄使いしている。

何かを心配すること、憂いること、それは、人生を無駄に消費していることに他ならないのだ。

彼は、クロスのタトゥーを、私は彼が勧めてくれたスターのタトゥーを同じ場所に入れる。

そして、そのタトゥーはいかに遠く離れた場所に住もうと、きっと私たちをつないでくれることだろうと思う。

期待はしない。

でも、願いだけ込めて。

一生忘れ得ない思い出を象ったスターを。

もし、何か問題が起きて、もう2度と会えなくなったとしても、絶対に忘れたくはないから、このタトゥーは私にとっての北極星のようなものになるであろう。

人生で道を幾度見失っても、空を見上げれば導いてくれるポラリスのように、私は左手首を見るたびに思い出すであろう。

私だけの北極星。

それを私はカミーノで見つけたのだ。


カミーノに来る人々には必ずストーリーがある、と彼は言った。

そして、私もそのストーリーを持つ人間の1人だ。

そして、カミーノで自分のストーリーを見つけた。

人には必ずストーリーがある。

そして、そのストーリーは1つだけとは限らない。

木々の枝のように、幾つにも枝分かれして、枝が分かれれば分かれるほど、人は大きく成長していくのだと思う。

多くのストーリーは、多くの経験値を人々に与える。

そして、多くのストーリーを持つ人は、大木のような人間へと育っていくことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カミーノ巡礼 40日目

今日は、9時に起床。

それからダラダラと支度をして、11時までごろごろしていた。


夜になって、さあ寝ようかという時に、ミンは、

「今まで言ってなかったけど、これが俺のストーリーだよ。」

と話し始めた。

ミンには、大好きなおばあさんがいる。

今では重度の痴呆症らしく、もはやミンが会いに行ってもミンだと判別がつかないらしい。

そして、3年前に、ちょうどおばあさんが病院に入院し始めたということで、NYから韓国におばあさんに会いに行ったそうだ。

そして、ついでだからと健康診断を受けた。

その際に、ステージ1の肝臓癌が見つかったそうだ。

そして、早期に発見出来た為、無事にすべての癌を摘出することができたという。

ミンは、おばあちゃんが俺を救ってくれたんだと言っていた。

そして、運命とは不思議なもので、悪いこともあれば、良いこともある。

すべては、円になっていて、人生においてそれは何度も繰り返されるのだと言う。

そのミンの大好きなおばあちゃんは本当の血の繋がったおばあさんではなかったそうだ。

話を聞いているうちに判明したのだが、ミンは7歳の時に日本人の母親に捨てられ、父親と一緒に韓国で過ごしていたと前に私に言っていた。

ということは、おそらくミンの父親はそれから韓国の女性と再婚をしたということだ。

そして、血の繋がっていないその継母の母親であるおばあちゃんだけは、みんながミンのことを嫌う中で、本当の孫のようにひたすらミンを愛してきてくれたという。

そんな愛するおばあちゃんが、痴呆症で入院したと聞き、ミンはひどくショックだったであろう。

それでも、そのおばあちゃんの入院という悲しい事実のおかげで自分は癌を発見することができた。だから、結果的には良かったのだとミンは結論付けた。

私は、話を聞いているうちに、どうしても涙をこらえきれなくて、泣き出してしまった。

まず、ミンが癌を患っていたという事実がショックであった。

そして、その癌は私の大好きな叔母の命を奪っていった。

だからこそ、ついつい重ね合わせてしまったのかもしれない。

そして、幼い頃に母親に去られ、そのあともおばあさんを除く多くの親類から嫌われて育ったというミンの心境を思うと、涙が止まらなくなった。

だからだったのか。

だから、ミンは癌になるまで、誰にも負けない、自分のベストを常に尽くし、いつも気を緩めることなく生きてきてしまったのか、と納得がいった。

ミンは癌が見つかってから、生き方を180度変えたという。

癌が見つかった時に、「人は明日死に得る」ということを鮮烈に感じたという。

そして、その明日死に得るという感覚はミンの生き方をを変えた。

明日死んでも悔いのないように、毎日をハッピーに、精一杯生きることにしたという。

私はきっとミンの癌は、身体からのメッセージだったのだと思った。

いろいろなものを犠牲にして、ベストを尽くさなければという強迫観念に突き動かされて生きている日々は、きっと身体を酷使することとなっていたのだと思ったからだ。

それからは、ミンは身体のことを第一に考え、水を毎日最低でも3リットルは飲み、消化器官を休める為に、月に1回は必ず断食をするようにしているという。

そして、お酒は楽しい時にしか飲まない。

辛い時、悲しい時には絶対に飲まないようにしているのだそうだ。

それだけ心がけているからか、ミンの身体はどこから見てもクリーンそのものだった。

南京中被害にあった跡を除いてだけれど。

そもそも、南京虫にミンだけあれだけ散々狙われたのも、もしかしたらミンの体がクリーンで、血が美味しかったからかもしれないなとこっそり思った私であった。

けれど、南京虫の話を持ち出すとミンはものすごい嫌な顔をするので、言わずにおいた。

少しだけミンのストーリーが分かって嬉しかった。