Way to be HAPPY

Life is a Journey

私と石とハイヤーセルフ(エピローグ)

超絶何の気力も湧かない今日このごろ。

誰にも会いたくないし、何もしたくない。

あーやばいなーまたこれ来ちゃったよーと思っていた私。

そんな時に急にLさんからメッセージが来た。

元気?って。

いやーもう生きてたくないけど、頑張ってますよみたいなところから会話スタート。

Lさんとは、アメリカでは有名なサイキッカー(らしい)

とある日本のそういうスピ系チャネラー集めてます的な会社に多額の金を振り込んで、
バリ島にツアーに行った時に出会った。

その時に彼女の通訳をする事になったんだけど(通訳は居たんだけど、まったくやる気ないからやらされた)、
彼女の言葉ほどすっと入ってくるものはなかった。

というか、もはや英語を日本語に訳している、という感覚すらないくらいにすらすら訳せた。

きっとこれが波長が合う、というのだろうと感じた。

年はもう孫ほどに離れているけれども、なにかお互いに通ずるものを感じていた。

日本に帰って来てから、その会社を通さずに直接やりとりしたいので、彼女を繋ぎとめておくように、
と一緒に行っていた人に言われた。

その人とは、翻訳事件(後述、いつか)によってちょっと今微妙な感じなんだけれど、
私はそういう誰かを利用するような感じがすごくいやだった。
だから、断った。

ただ単純に連絡がくれば、返す、ただそれだけ、という関係が好きなのだ。

サイキッカーが友人だからとて、なんでもかんでも聞きたいわけでもない。

仕事としてやっている人にそれをするのは本当に失礼だと思っているし、
私からは一切連絡はしなかった。

というか、極限まで意地はって限界迎える癖がいつまでも抜けない。

いつでも連絡してね、っと言われてもできない。
きっと何かそこにあるのだとは思っている。

でも、突然連絡が来た。

ということは、きっと私の状態が不安定なことに気づいてくれちゃったんだろうなーと思った。

案の定、私のオーラはやたら厚くなっていて、とりあえずお前塩風呂に頭から浸かれ的な。

あとは、いろいろ励まされた。

なんかの会話の中で、あなたのその問題の原因は8〜12歳の間にある、と言われて、
なんとなくそんな気もしないでもなかったので、あーそうだよねーと思った。

でも、やっぱり知る必要はない、と言われた。

そこまで言っておいて、知る必要がないってwww

気になって仕方がない。

でも、思い出したらやばいから私は思い出さないようになっているのだと思うから、
まあ致し方ないところはある。

とりあえず塩風呂頭からつかっておいた。
2キロも塩ぶっこんでやりましたよ。

今はとにかくひたすら眠い。
お客さんを案内しているにも関わらず、立っていても寝そうになる始末。

ちょっとこれはやばめ。

過食嘔吐も全盛期。

今が過渡期だと言われれば納得はするけれども、ちょっともうこれはやばい。

立ったまま寝るよねそろそろw

そんなこんなで、最近サイキッカー離れをしていた私がなぜか、
いつもジュエリーを買っているサイトで、チャネリングというか、そういうカウンセリングをしているらしく、
誕生月は30%オフみたいのにのってしまい、申し込んだカウンセリング。

これが、超絶おもしろかった。

それを書くために今日このブログを始めたんだけど、エピローグ長めすぎてもう気力がないので、
また今度。

50分のセッションのはずが盛り上がっちゃって終わらないという。

もはや世間話していたように思う。

私っていったい・・・

生きてるということ

仕事は申し分なく楽しくなってきた。

あれだけ営業がやりたいと経営陣に直談判してようやくなれた、営業。

お客さんに会うのは楽しいし、思ったとおり、私はこういうのがひどく得意だ。

でも、それでも、生きてるという感覚は感じない。

ああ、わたし、生きてる!!!

みたいなやつ。それって本当は幻なのかもしれない。

子供がいるとわかったとき、お母さんになるんじゃないかと思った時、
それも、そうは感じなかった。

生かされている、私よりなにか大きなものに。

そういう感覚しかない。

そうであれば、”なんのために”が必要になる。

意味もないのに生きている意味はない。

日本語としてどうかと思うけど。

でも、その”なんのために”が見つからない。

毎日毎日こういう意味のないような問答ばかりしていることに疲れた。

ただ生きていること、それを楽しみたいだけなのに。

自分より細い人にやっぱりまだ何かわだかまりを感じる、羨ましいと感じる。

やっぱり私は痩せたいと思う。

でも、その痩せた先に何もないのだと私は知っている。

そして、また堂々巡り。

私はただ単純に私を好きになりたいだけなのに。

どうしても、条件付けをしてしまう。今の自分を受け入れることを拒否してしまう。

こんなに必死になって頑張っている私の身体。

それに私は毎日罵詈雑言を心の中で浴びせ続けているというわけ。

胎盤のようなでっかいなにかが出てきたとき、自分は本当になにか他のものを育もうとしていたのだなあと感じた。

それも、もう流れ去っていったけど。

自分を育めないような人間が他の命を育めるわけもなく。

あれは38度という異常気象のせいではなく、結局は自己責任。

まだ準備ができて居なかったのでしょう。

すべては水泡に帰す

今日の早朝、経験したこともないような腹痛で起こされた。

下痢の時とは痛む場所が違った。

内臓を雑巾絞りされているような感覚と激痛に苛まれること数時間。

病院に行かなくてはと会社に休む連絡をし、シャワーを浴びた時にはもうすでに終わりの始まりだった。

ふっつーに血が出まくっていた。

ふっつーに。

あれ?なんじゃこりゃ?という間抜けな感想しかなかった。

病院に行き、血まみれの中診察を受けた。

どうやら流れてしまったそう。所謂流産というやつ。

産もう、と思った。

産んでやるとも思った。

でも、流れてきてしまったものについてはもはやどうしようもない。

結局私の決まっている未来は変更不可とのお達しかなと思った。

自分の決断で、決まっていることを変えてやりたかった。

アガスティアの葉に書かれていたことだって、私の意思ですべて変更可能だと証明したかった。

それでも、結局叶わなかった。

まあ炎天下の中1日の半分以上を汗だくで外回ってるような人間がきちんと妊娠状態を保てるとも思えなかったけど。

彼は会社を休んでついてきてくれた。

すべて終わった今、二人で話したことは、
この一週間の騒動はいったいなんだったんだろうね・・・ということ。

二人でつい、バカバカしくて笑ってしまったのは言うまでもない。

もうちょっとこの人と居てもいいかな、そう思えたこの1週間のトンデモエピソードでした。

ほんと、なんなのこれ。

(せっかくお祝いのメッセージをくれた方、藤田さん、、、オチがこんなですみません・・・)

自分を大切にするということ

この前、ボディートークで言われて心に引っかかっていた言葉を思い出した。

自分を大切にすること、それは、避妊するということも含まれます、という言葉。

セッション中はかなりの言葉の量だから本当はほとんどどこか記憶が抜け落ちてしまっていることもしばしば。

普通の会話であれば覚えていられるはずなのに、あの抜け落ちようは奇跡だと最近思っていたところ、

どうやらその言葉だけずっと私の心に止まっていたようで。

もはやどっちが予言者なんだか分からなくなっているけれど、
どうやら私は妊娠したようだ。

ここ10年何をどうしても(想像はお任せ)できなかったのに、こっちももはや奇跡レベル。

もうアラサーですよ。

本人が一番びっくりしている。

すげーな、合うはずもないタイミング、体が勝手に合わせてきたとしか思えない。

それでも、どうしても産むのはいやだ。

自分の人生がすべて制限されてしまうように感じるから。

もしかしたら、それは刷り込みで、本当は違うかもしれない。

でも、本当に恐怖。

タバコは吸えないわ、酒は飲めないわ、腹は出てくるわ、、、これ、なんか意味あるのかね。

って思っていた。

産んでほしいと言われた。

嬉しかった。

なぜなら前の夫にお前の子供なんていらないと、喧嘩の時だとしても言われたから。

でも、私の予期していた人生と違う。

これは一体どうしたらいいのか。

本当にもうよくわからない。

仕事だってようやく営業として、うまくいき出したところだったのに。

どうしてこのタイミングかね。

この猛暑で外回りしているだけで、死にそうになる。

どうしてこのタイミングかね。

人生って、本当に謎。

答えは決まっているくせに、人生は私に答えを決して見せることはない。

酔ったついでに

昔のブログを読み返していた。

スペイン放浪記の。

今思えば超絶忘れていたけれど、私はずっと英語を聞き、英語で話していたのだなあと。

そんな自分を忘れ、なぜかまたECC英会話学校に通うことを決意。

ENVISIONというやつね。

で、一番上のクラスに配置。

で、この前初めて参加したのだけれど、そもそもout of orderの意味を知らない人のせいでその説明がスタート。

いったいどうなっちゃってるんだ?と疑問だった。

そのあと帰ってきた入学時のTOEIC みたいなテストの点数が満点の90%の点数。
リスニングもリーディングも。

数十万支払ってはみたけれど、意味がないことにようやく気づく。

結局彼らは私をどうしてくれるんだろうか。

アルコールの方が私に英語をしゃべらせてくれるだろうよ。

もうお金がそろそろ尽きてしまうというのに、尽きるような行動を常にしたがる私はいったいどこを目指しているのだろうか。

この前また歯が2本お亡くなりになりまして、数十万の出費。

お願いだから、これ以上私の歯よ、消えないで・・・

Amazing Grace

つづき

その日、藤田さんは私にグレイスという言葉をくれた。
正しくは、教えてくれた。

もちろんGraceという言葉自体は知っていたけれど、
本当の意味で、知ったというか、感じたのはきっと初めてだったと思う。

そして、なにかその言葉にまつわる自分の気持ちを持ち上げるテーマソングを
探してくださいと言った。

いろいろ調べてみたけれど、単純な私はそのままこの歌を採用した。笑

Amazing Grace, How sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now am found
T'was blind but now I see
T'was Grace that taught my heart to fear
And Grace, my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
We have already come.
T'was grace that brought us safe thus far
And grace will lead us home,
And grace will lead us home
Amazing grace, Howe Sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now am found
T'was blind but now I see
Was blind, but now I see.

単純すぎる私。
でも、この歌はいつも夜中に大声で歌い出す時に歌っていた曲だった。

その時は発音だけで、そこまで意味を深く考えたことはなかった。

今日改めて歌詞を読んでみた。

勝手だけれども、まさに私の為の曲である。

Was blind, but now I see.

さっきの「抜け感」で伏線をはっていたのがお分りいただけるであろう。笑

We have already come.

あたりも「抜け感」に通ずるものがある。

そして、今日も真夜中に大声で歌い出す私。

RCで良かった。

メイクも人生も「抜け感」が大事

最近気づいたけれど、このブログはどっぷり浸かっている時にしか書かないので、
どうやらいつも人生どん底人生お披露目ブログと化していたなあと気づいた今日この頃。

まあ、その傾向はいつになっても終わらない可能性大だけれども。

ということは人生が上向く時、それは、ブログの更新頻度が減る時なのだということなのかもしれない。

そんなことはちょっと寂しいので、元気になった私が今日ブログを書くよ。

ここ最近のブログのとおり、どっぶり悲壮感にひたってどん底人生に浸っていた私。

2日前、ボディートークに行くまでは。

行くまでは! ←これな

私は、私の人生のテーマを「引き受けた」と思い込んでいただけで、
本当は上辺しか引き受けていなかったこと。
でも、この説明って、一番最初にされていたら、絶対に、

そんなことないもん!!私、頑張って生きてきたんだもん!!ムキーーーーーー

ってなっていたと思う。笑

そのテーマを引き受けること。

そして、自分の美しさを受け入れること。
自分は美しいのだと心から思えること。

これを藤田さんから言われたとき、ちょっとビクついてしまった。

でも、ちやほやされて生きてきただけで、それをやってしまうとただの「傲慢」になってしまうけど、
私の人生の経験があるから、きっとそうはならないはずだと言ってくれた。

だから、自分の美しさを受け入れていいのだと。

自分は美しい、自分は醜い、自分はかわいい、自分はみっともない。
自分の外見について考えるたびに、
いつも光と影のように真逆の概念が思い浮かんでいた。

自分を美しいと思う時、同時にそんな風に思う自分を醜いと思っていた。
自分を醜いと思う時、そんな自分を美しいのだと思う自分がいた。

まったく相反する概念が頭の中に浮かんで、いつもぐっちゃぐちゃのカオス状態。

それを、もう終わらせていいということなのだなと思った。

そのまま、自分を美しいと思ってもいいのだな、と。

美しいって、
外面の美醜だけではなく、もちろん内面やその人がもつオーラ的なものも全てひっくるめて形容されるときに使われる言葉なのだと思う。

そうでありたいし、そうなれるように努力していける自分でありたいと思った。
(今日はあと1時間というところで過食嘔吐してしまったけど、なんか心境にすごい変化はあったし、きっと大丈夫でしょ!)

ということで、今日は気持ちよく寝ます。

題名まったく関係なくなってるけどw

つまりは、トンネルを抜けて初めてあー私今トンネルというものの中に入っていたんだったー
とわかるような感覚、それを「抜け感」と名付けました。

暴発危機迫る

最近めっきり生きる気力がございません。
会社に行くまでは自己充足感ってやつ?満杯なのだけれど、
出社して数時間後、気づくと途中で叫びだしたくなってるよね。笑
満足はしていない。
でも、人ってたいていこうやって生きてるんでしょ?
こうやって自分を騙してごまかして生きてるんでしょ?
でも、そう思っても、もうちょっと限界がきている。
もはや、叫びたい。
叫びだしたい衝動との戦いの日々。
自分の中の暴発しそうなエネルギーとの戦い。
で、帰宅後過食嘔吐してそこらへんを回避。
こんな人生でいいのか私。
そういう感情が日に日に強くなっている。
かといって、さしてやりたいこともない。
どういう罰ゲームなんですかね、これは。
もはや喜劇からの、悲劇モード入っちゃいますがな。
自分をごまかしていると言ってしまえばそれまで。
でも、どうなにをごまかしているのかが分からない限り、それは回避不能な訳で。
辞めてしまえばいい、という問題でもなく。
辞めなければいいという問題でもなく。
いったい何が私のしたかったことなのかがもはや不明。
こんなんじゃどうしようもない。
生活もお金も身分も地位も保証されていた人間が、
そういう保証がなくなったら更にやれなくなるんじゃないか説出てきちゃうよね。
でも、そろそろ暴発間近。
どうにかこうにかして、どうにかこうにかせねばならぬ時が近づいているのはわかる。
で、私、一体なにをしたらええの。

洗脳

こんばんは。

心の遮音等級1級のレイでございます。

 

人生嫌すぎて現実逃避に横浜に行ってみたら、

山下公園で「あのーレンさんですか?」と話しかけられた私です。

惜しい・・・だが違った。

というか、レンって誰だよw

 

そんなこんなで、ただ今絶賛現実逃避中でございます。

たまには必要よね。

 

3日前。

かなり久しぶりにクレアボヤントのヨーコさんに会いに行った。

私は現状の人生になんの問題も感じていなくて、

1年以上もう行っていなかった。

 

というのが実は錯覚だったんじゃないか疑惑浮上。

ふいに仕事中彼女のことを思いだして、ブログをチェックしてみたら、

どうやら浅草のフェアに出展することが発覚。

いつも満員御礼だから、きっと今回もそうだろうなーと思ったけれど、

一応連絡してみた。

 

で、返ってきた返事がこれ。

あー来ると思ったんで、空けてありましたよー。

数時間前に思いついて連絡しただけなのに、いったいこの人何者?

ということを再確認。

 

ということで行ってきましたセッションに。

 

結果としては、まあここ最近私は感情も落ち着いてきたし、

もう大丈夫!と思っていた、それは錯覚でした。

というか、洗脳に近い状態で何も感じなくなっていたということのよう。

 

確かに、ありえないミスはするし、

現実味がまったくなかった。生きている感覚さえなかった。

でも、それが人生じゃん?って思ってた。

でも、それは大間違いだった。

ということに気づくのは、指摘されて初めて気づくんだよね。

 

ほとんど私という核はもはや残っていない状態。

エネルギー的に見たら、の話だそうなのだけれど。

とうことは、私がここ最近私だと思って生きてきた、その私はほとんど私ではない誰かだったということ。こんな恐ろしいことはないよね。

まさか自分がそうであると夢にも思わなかった。

 

でも、人間って気づいてからの反応は早いようで、

気づくまでが危なかったように思う。

一旦夢から覚めると、あーあれも、これも、それも、夢だったのねーと気づく感覚と似てる。

あーそれは、私の判断ではなかったのね、とか。

あーその感覚は違ったのね、とか。

最近直感がまったく働かなかったのも、それかーーとかね。

 

普通、一個の体には一個の人格というかエネルギーがあって、

本来ならそれは身体にあうた魂というかエネルギーが配置されているそうなのだけど、

最近の私はもはやキメラ状態で、1/4は本来の私なのだけど、残りは違うものひっつけちゃってる状態だったらしい。

 

温熱でも言われていたことを思い出した。

あんた、また変なの引っ付けてきたねーと。

2人いるうちの1人は敏感過ぎるからか、そういう人に会うと咳が止まらなくなってその場から瞬殺で居なくなるクセがある人で、そういうえばその時私に触れた直後咳き込んで二度と私には近づかなかったなーとか思い出した。

その別のもう1人の人が払ってくれたのかとばかり思っていたのだけど、どうもそうでもなかったらしい。

 

話は過去に戻る。

昔書いたブログに私がエイリアンと契約をしているから私のリーディングはもうしたくないと突き放した人がいる。

あれは彼女の勘違いと思っていたのだけれど、ここに来てどうやらつじつまが合ってきたのだと気づく。

私のエネルギーは私由来のものとそうでない何かが最初からくっついていて、それで一つのように生きてきた節がある。

所謂エネルギー的な二重人格のようなもの。

それが最近では、手に負えなくなって3/4にまで膨れ上がってる説が浮上。

だからこそ、ここ最近の私は、常々

わたしって誰なんだろう

という疑問が毎日湧いていた。

気力もなさすぎて普通の人にいつも大丈夫かと聞かれまくっていた。

でも、本人は何言ってんのこの人、と気付いて居なかった。

それを洗脳なのだと指摘されて、なんとなく腑に落ちた。

気づけば、わかる。教えてくれれば、わかる。

でも、それでも気づけない状態でいるときには何の疑問も湧かない。

それをきっと洗脳されている、というのだと思った。

 

さて、どうしようかね。

 

 

 

 

 

なんで明日は来るんだろう

朝起きてがっかりする

 

また同じような日々が始まるのかと

 

朝が来て喜びをもって迎えていたわたしはどこに消えちゃったのだろう

 

幼いころのわたし

 

今の私といつ入れ替わってしまったのかな