「不満」それは満たされていないということ。
でも、「何が」満たされてないのだろうか。
ちょっと最近それについて考えている。
苫米地さんの洗脳についての本を読み漁っている。
私は良くも悪くも洗脳されやすい性質だと思っている。
染まりやすいというか、あーそれもそうかも、って思う閾値が人より低いのかも。
今日、彼を散々傷つけるような討論をしていて気づいたことがある。
間違いなく直近に会った人の意見に左右されている、ということに。
かなり久しぶりに彼は物置状態になっていた自分の部屋にすごすごと帰っていって寝ているわけだが、
そう、私はそれだけ彼をやり込めちまったというわけである。
例えば。
AさんとBさんがいるとしよう。
2人とも私の彼を知っている。
そして、2人ともに彼の話をしたとしよう。
Aさんと会って帰った後は、彼のことが嫌じゃなくなる、
というか、人として暖かい目で見られる。愛おしく思うことさえある。
ところが。
Bさんと会って帰った後は、彼のことが嫌で嫌で仕方なくなる。
なんでこの人なんかと一緒にいるんだろう私、って思う。
そして、今日、かなり傷つけてしまった。
ついでに言えば、Bさんと会ってからこの瞬間まで、
別れたくて仕方なくなっていた。
それは、Bさんの彼と比べてしまっているからかもしれないし、
昔の殿方を私が勝手に比べてしまっているのかもしれない。
でも、タイミングが良すぎて、彼が寝てしまった今考えていた。
私はやっぱり人に影響されるところが多分にありすぎるのであろう。
別にAさんが良い、Bさんが悪い、とか、そのまた逆のお話ではなく、
私は、人のいっている事に影響されすぎ(自分から突っ込んでいくようなイメージ)なのだと思う。
透明人間になるすべを祝里さんは教えてくれたけれど、
結局大事な場面ではすっかり忘れていたりする。笑
でも、この静かな場面で自分に問いただしたい事、それは、
本当に私は彼が好きなのか、ということだけだろう。
好きなら、誰の言葉にも右往左往させられることはあるまいよ。
愛が分からないと、彼には言ってあるけれど、
本当は。
私は、好きという感情も分からないんだよね。
それは、男性だけじゃなく、誰に対してもかもしれないけれど。