Way to be HAPPY

Life is a Journey

アガスティアの葉 1章全文

2017年5月某日 @大阪

アガスティア聖者が昔書いてくれた葉から○○さんの第一章を読んでいきます。
第一章というのは、今からあなたの人生に起きることを全般に大まかに教えてくるれるものです。
愛で溢れている神様シヴァ神の足元に跪いてアガスティア聖者はこの娘さんの第一章を読んでいきます。
アガスティア聖者がそれを教える前にこの娘さんが今の現世の現状である暗い部分である、
混乱、不安、心配、迷い、全てが消えてこれからの人生に光のような明るい人生、
楽しい人生、良い流れの人生・輝く人生を歩んで欲しいと祈りながらこれを教えていきます。
これを教える前に、この葉があなたのものであるという証拠を教えていきます。
シルキッティ(なんとかかんとか)これはあなたの左手の親指の名前です。
それは良い運をもたらしてくれるということがあります。
何故ここで、あなたの指紋の名前を教えるのかというと、この指紋によってあなたの葉を探し当てることができたからです。
これからあなたのタムル歴の誕生日を教えていきます。
あなたはプラヴァヴァアというタムル歴の年で、アーリーというタムル暦の月で、タムル暦の日にち 日に、金曜日に生まれました。
西暦に変ると、  年 月 日の金曜日に生まれました。
あなたが生まれた時に空に輝いていた星の名前は、プーラールンと言います。
だから、あなたの運命の星の名前はプーラールンと言います。
これからあなたが生まれた時の惑星の位置を教えていきます。
月が射手座に座っております。月が射手座に座っておりますので、あなたは射手座です。
ラーグは魚座に座っております。木星が羊座に座っております。
ケートゥは乙女座に座っております。土星蠍座に座っております。
太陽、火星、水星、金星、これらは蟹座に座っております。
このような惑星の配置で、伝統的に良い家族にあなたは最後の子供として生まれました。
あなたは良い実力と良い才能の持ち主であります。信教深い方であります。
あなたは物事をすぐ理解できる方で、飲み込みが早い方であります。
美的なセンス・芸術的なセンスもあなたにはあります。
優しい方で、気前の良い方であります。
愛する心、温かい心を持っている方であります。
楽観主義な方でもあります。
あとは情熱的なところもあって、ロマンティックなところもあって、恋に落ちる部分も度々あります。
人間関係を強く求める部分もあなたにはあります。
贅沢な暮らしを味わいたいという欲望もあります。
色んなことに興味と関心と野心的な部分があります。
社会のことに興味と社旗貢献したいという部分があります。
精神世界にもビジネス世界にも興味と関心がある方であります。
人たちに好まれるような、人たちを惹き寄せるような魅力的な部分があります。
こういう風にあなたには良い能力と良い実力と良い性格の持ち主なのですが、少し無責任な部分があなたにはあります。
自分の都合よく動く方であります。身勝手な部分があります。頑固な部分があります。
気が変わりやすい方でもあります。
そのように、その時にあった良い幸せな部分だけ取って、あなたは安楽に、楽観的に人生を歩みたいと思うことがありますが、
本当にその道が良いのかどうか、細かくあなたは理解しないので、そのせいであなたは問題に巻き込まれてしまうことがあります。
それによってあなたには自信とか、勇気とか湧いてこない部分があります。
そういう先入観もあるので、それによってあなたは精神面で弱くなってしまうことがあります。
あなたは愛があっても、その愛を表現できない・感じない部分があります。
愛を本当に自分に適している人に表現できないこともあって、そのような相手を判断できない部分があなたにはありますので、
間違った相手に自分の愛を伝えて、それによって悪い影響を受けてしまうようなこともあります。
これは、あなたの性格です。
あなたは相手の人たちの言いなりになって、先入観を持ってしまったりすることがあります。
これらの影響であなたの人生は不安定になってしまうことがあります。
怠惰な部分もたまに出てくることもあります。
やるべきことから逃げてしまうことがあります。
粘り強さとか、責任感が足りない部分があります。
このようにあなたの良い点よりも、あなたの人生を無駄にさせてしまうような欠点が多くありますので、
この欠点をあなたが理解して、見直すことによって、あなたには薔薇色の人生・成功する人生を歩むことがあります。
あなたは本当に幸福に恵まれた、幸運に恵まれた方なのですが、自分のこういうような欠点で、
人生をダメにしてしまうことがありますので、だからこそあなたは十分に気をつけなければなりません。
これはあなたの持って生まれた素質です。

あなたの両親が2人とも今健在です。
両親が今2人とも働いております。
両親は2人とも良い関心と良い愛をあなたに対して持っている方達であります。
あなたの人生や生活を見て心配な材料になっています。
あなたには1人の男の兄弟、1人の女の姉妹がおります。
女の姉妹は結婚しています。あなたも結婚したことがあります。
今は離婚しています。子供はいません。
再婚したいという願望があります。でも、それに対して大きな努力をしていません。
あなたは大学を勉強された方であります。
あなたは今、雇われて仕事をしています。
人たちを楽しませるようなサービス業のようなところにあなたは勤めています。
仕事を変えたいという考えが今あなたにはあります。
将来に自営業をやりたいという願望もあなたにはあります。
仕事を変わりたいと思っていますが、それに向かって前向きに大きく努力しておりません。
このような情報を元にあなたの名前は○○です。

○○、これはあなたの父親の名前であります。
○○、これはあなたの母親の名前であります。
今まで教えてきた情報がこの葉があなたのものだということと、あなたがこの人生に生まれたということの証拠になります。
これを見る時にあなたは今30歳です。
日本から見ると29歳なのですが、インドから見ると30歳です。
この日に来てこの葉を開くということはあなたの運命です。
今の時期は良くありません。過去2〜3年前からはあまり良くありません。
今から32歳までもあまり良くありません。その点、あなたは本当に気をつけなければなりません。
何故なら、この時期に人生が不安定な状態になるからです。安定しない部分があります。
だからこの時期に安定した恋とか、安定した仕事とか、そういうものを見つけるには難しい部分があります。
何故ならこの時期に、何事にもはっきりした決断、判断というものはされないことがあるからです。
だから、この時期に混乱状態で動くようなことがあります。
今の仕事をそのまま続けるような運命があります。
職場を変えようとしても、仕事の内容が少し変わるようなことがあるとしても、このようなサービス業としてあなたはやるようなことがあります。
他の仕事をするためにたまに努力しますが、それも上手くいかず、再び同じようなサービス業にあなたは戻ってくるようなことがこの時期にあります。
この時期にこういう風な不安定なことがありますので、その点あなたは十分に理解しなければなりません。
自営業をするにはこの時期はあまりふさわしくありません。
自営業に集中するのはあまり良くありません。
仕事には気をつけること、職場にも気をつけること。これは大事なことです。
仕事の関係で健康的な問題が出てきたり、精神的に弱くなってしまうことがありますので、その点気をつけなければなりません。
だからあなたは、たまに仕事をして、たまにリラックスしたり、そういうことをした方がいいです。
そういうバランスをとるようなことをこの時期にした方がいいです。
あなたは精神面ではダメにならないように、弱くならないように、このようなことを従ってやると良いです。
この時期に結婚をするのもあまり良くありません。
このようなチャンスとか、出会いがあったとしても、結婚したらすぐ離婚するようなことになります。
このようなチャンスがこの時期にあったとしても、我慢、忍耐力というのは大切です。
恋が出来たとしても、安定した形で続かないようなことがあります。
本当に愛を持って、本当にあなたの良いことを思ってくる人はこの時期は、誰もいません。
誰がきても、あなたはすぐ落ちてしまうようなことがありますので、恋愛とかそのようなものに関わらない方が良いです。
夢中にならない方がいいです。
だからこの時期にお金を稼ぐことに集中すること。
あとは、健康の面でも気をつけることは大事です。
経済的に恵まれるようなことをやったり、体にダメージにならないようにすることは大事です。
あとは、精神面でも落ちないように、弱くならにようにすることも大事です。
あなたは精神世界にあなたが持っている関心を理解して、精神世界に関わることによって、精神状態が悪くならないようなことになるだろう。
周りに良い友達が支えになってくれるようなことがあります。
新しい友情関係も生まれるようなことがあります。
海外の旅をするようなことがあるとしても、あまりしない方がいいです。
もしどうしても行かなければならないことがあった場合は、気をつけて行った方が良い。
両親との関係をもっと深く持った方が良いです。
何故なら両親の愛と祝福はあなたには大きく支えになってくれるからです。
両親との関係を深めたり、兄弟との関係を深めたり、そういう風なことをすると良いです。
良く会ったりすることは大事です。
何故、この時期に良いことよりも悪いことばかり起こるのかというと、今の惑星の位置があなたの味方にはなっていないからです。
その他に、生まれた時に一番大事な位置の惑星が悪いところに座って悪い影響を与えています。
あとは、みんなにもあるようにあなたにも前世のカルマの影響があります。
この人生おいて、過去にいくつかの人々から、特に男性たちから悪いエネルギーを受け取っております。
そういうものが重なって、過去3年前からあなたの人生を弱くさせています。
今から3年もあなたの人生を弱くすることもあるだろう。

このような問題がこれから先の人生に大きな影響力を与えないためにも、これからの人生であなたは楽しい人生を、
明るい人生を歩むために、もっと勇気を持って、前向きな考えを持って、あなたが思う通りの輝く人生を歩むために、
この人生のカルマの影響や惑星の位置を治すために、アガスティア聖者はあなたには13章14章の2つの章を教えておりますので、
それを開いて、その教えているカルマ解消方法をきちんと実行することによって、あなたは13章14章の2つの章を開いて、
その教えているカルマ解消方法をきちんと終わるまで実行してから、その後、これからの続きを読むことができると伝えて、第1章を終わります。

アゲマンか揚げマンじゅうか議論

最近、私がアゲマンなのかサゲマンなのか揚げまんなのか議論が出てきているけれど、
まあ世に言う「アゲマン」ではないと思う。

ただ私と付き合った人たちが成功した、と言う結果が残っているだけ。

その理由1
見返してやりたい!
俺を捨てたあいつを見返してやりたい!パターン。

当時、私に見事に捨てられた彼は、
離婚して私と結婚する!と言い張っていた。
が、私はそんな他人の家族ぶっ壊します的なカルマしょいたくないし、タイプでもないから、
違う男を見つけ、結婚してしまった。
そんな私をずっと見返してやりたくて、頑張った。
それが、来年上場する会社の社長である。
もう見返したと認識しているのだろう、本人はそう私に語りながら満足そうだった。
そして、上からこう言い放った。
「困ったら、なんでも言えよ。」
誰がお前に頼むかって感じだよね。

その理由2
こいつを幸せにしてやりたい!

起業当初私の元夫はクリスマスをサイゼリアで過ごした時に、
泣きながら、
「こんなクリスマスでごめん。俺、もっと頑張るから。」
と言ってくれた。(今考えるとある意味いいやつだったな)
そして、今、(離婚はしたけど)上場会社の社長やっている。
私には一銭も入ってこないが、まあこれもよしとしよう。

その理由3
私がただできる奴と付き合っていただけパターン

そもそも私は自分がこいつなんかすげえ!と言うところがなければ、
絶対に一瞬でも好きになることはない。
その千里眼がゆくゆくその通りになっただけという。笑

客観的に見れば、私が「アゲマン」に見えるかもしれない。
そして、世の中はなんだか応援してくれる人が「アゲマン」とか、
男を手のひらで転がせる人が「アゲマン」であるとか、
そういう認識が多いことと思う。(実際そうなのかもしれないけれど)

でも、悔しさ、罪悪感、劣等感、それらで育てていくのも、
結果的に成功してれば「アゲマン」だろwww
と振り返って思ってしまった私であった。

別に私は確かに何もしていない。
でも、本人が努力せずに勝手に相手が努力していく、
それも「アゲマン」認定して欲しいw

結果的に相手が成功すればいいんだろ?
ついでに言えば、結果的に私には何もかえってくることはないけれど、
本人たちが成功して良い人生を送ってるんだから、
もう私は「アゲマン」だろ?と最近独言ている。

それもこれも、先日、今付き合っている彼に、
あなたはアゲマンじゃないよね、と言われたことが発端である。
以前の会社では彼と一緒に働いていて、
周りから勝手にアゲマン認定されていた私に対して放った、
報復の言葉であった。

きっと彼は、アゲマンとは男に尽くし、褒め、上げていく女を言っているのだと思う。
だがしかし、残念ながらお前ら男は尽くしても、褒めても、別に成功しないだろ、って思うのは私だけではないだろうよ。

できない奴は、正直何をしても、できないままだと思う。

要は、そこで、何くそ!という気持ちが沸かないような人間は何をしてもらっても、
何が起こっても、きっと成功しないのだと思う。

そこで思ったこと。

お前が梲が上がらない理由を私に求めるんじゃねえよ、ということ。
私が褒めそやして、育てて上げていないから、あなたができないままなんじゃない。
お前にその気概がないからだ、と私は思う。

でも、彼はきっと将来成功するのだと思っている。
そのきっかけが私が居なくなるからか、私に粗末に扱われているからか、
それは定かではないけれど、彼は数年後にまあまあの年収になっていると思う。

社長で成功することはないと思うけれどね。

そして、その時に私は居ない。

次の女にそんなものは差し上げます。

そう思って今一緒にいるのだけれど、たまに本音が漏れちゃって、
彼は私が将来そばに居ないと決めていることを知っている。

それでも、なぜか仕事を頑張っちゃう男のサガよ。
私との将来のために頑張ってるんだって言葉を聞くたびにゾッとする。

私は最初から付き合う時から、あなたと結婚はしないと言っている。
それを聞いていて何故今頑張っているのか、私には全く理解できない。

でも、この私にはよく分からない彼の頑張りが彼をある程度裕福にすると思う。

ということで、私はアゲマンだってことで、良いかしら?(彼には内緒)

いいかげん

普通の人間からすると、私はとても奇異な存在に見えるらしい。

私の現在付き合っている人がそうで、
至極もっともな教科書的なアドバイスを頂くけれど
申し訳ないけれど、私が言いたいのはそういうことではない
という気持ちににしかなってない。

そうじゃないことは残念ながら1度もない。

だからこそ、私は私のような人間を欲してやまない。

同じ感覚を共有できる人が一人でもいたならば、
と日々思っている。

むしろ、その一縷の希望のために生きながらえている。

でも、残念ながらそんな人は一人もいなかった。

説教もアドバイスもいらない、
私の想定問答集に既に入っていることしか言わないから。

その問答集を超える人を熱望しているというのに、
天は私によこさない。

由々しき事態としか言いようがない。

こんな世界に落として置いて、放置ですか。

という気落ちが常に離れない。

だからこそ、私はその反撃として、
自分を傷つけることを自ら選択している。

何が言いたいかと言うと、
いい加減にせえや、と言うことだけなのである。

アガスティアの葉 ようやく編

アガスティアの葉の続編が12月にようやく明かされることとなる。

カルマを解消するまで、続きは教えられない。
と断言されてから、もうすぐ3年。

長かった。そして、今思えば早かった。
この感覚のようにこの人生を早く終えたいと思い続けることはいけないことだろうか。

毎週土曜に64回神聖なる場所でお祈りをすることがカルマ解消の方法だとアガスティア聖者は書いていた。

そして、それをようやく終えたのが今年の8月末。

それから、待ちに待って4ヶ月後に連絡が来た。

ようやく私の未来のお出まし、というわけである。

もうここまで来ると、長かったのか短かったのか私にはもう分からなくなっている。

実は、先月の健康診断のついでにオプションで子宮頸癌検診を受けてみた。

今なら3,000えん!みたいなセール制度がどうやらあるらしく、
うっかり受けてしまった。

どうせなんもないんだろうなと踏んでいたら、
見事に当選致しました。

かなりのレベルで子宮頸癌の疑いあり、再検査を要する、とのご判断を頂きました。笑

その当初はビビって、泣いて、あー私癌になるのかーーーなんて思っていたけれど、
あれから1ヶ月。

まじでどうでも良くなったよね。笑

その時思ったのは、子宮系の癌を治したとかで数十万のセミナーに行った私の無意味さ。笑

私は普段、肉は食べないし、豆や野菜や穀物を多く摂取している。

そもそもそのセミナーに行かずともそういう食生活だった。(吐く時は別な)

んで、この結果。笑

文字通り笑うしかなかった。

そこで私が思ったのは、多分食生活で癌になるのではないんだなということ。

糖質制限を世に広めている人、それで上手くいったような気がして数年そういう生活をしている人、
さらには数十年そういう食生活をしている人、それぞれいるけれど、
癌になっていない人の方が多いんじゃないかな。

そのセミナーで彼女が主張していたことはある意味正しくて、ある意味正しくなかったのかもしれない。

今回のことから、気づいたのは、
多分、癌もその他あらゆる病気も、本人の気の持ちようだな、と笑

当たり前すぎてみんなが見過ごしていること、それは、気という存在だと思う。

やる気もそう、元気もそう。
そして、病気もそう。

要は気分次第ということなんだろうと独りごちた。

鬱々とした気分でいれば、病気になる。

そうでなければ、どうにかなる。

ただ、それだけなのかもしれない。

人間というものはとてもシンプルに設計されているのかもしれない。

やれあの栄養成分を摂れだの、やれあれをやれだの、
そういう些末なことはきっとどうでもいいのかもしれない。

おそらく全てを総じているのは、気なのだろうと思う。
意思というべきか、生き方、生活、なんと称すべきかは分からないけれど。

まあ要はそういうことなんだろうな、と気づいたきっかけであった。

その健康診断の結果を受け取った日にがん保険に入ってみたから、
90日は病院に行かないようにしている。笑

その後の結果は、神と私の思し召し次第、ということなのだろうな。

癌なら癌でいい。
癌じゃなないなら、別にそれでもいい。

なんだかもう、そういう心境でしかない。

そんな前向きなのか、投げやりなのか分からない状態で来た、
アガスティアの葉、来日します報告はもはや吉報なのだろうと思う。

この投げやりで無頓着な自分への生の取り扱いをきっとどうにかするきっかけとなるであろうよ。

私は、早く死にたいし、いますぐ死にたい派。
でも、痛いのも辛いのも嫌だし、自殺はまず出来ない。

だからこそ、自分が死ねる時期を知りたかったのだ。

このどん底泥沼状態がどうなるのかを知りたかった。

このままなら、もう諦めがつく。

そして、そうじゃないなら私はようやく希望を抱ける。

ただ、その試験のボーダーラインを知りたかった、
それだけだったのに。

ここまでやりよったな、という感覚は拭えはしないだろう。

でも、やっぱり私はセミナー事業というか、ああいうのには相入れないことだけは特記したい。

本人は良かれと思ってやっていることは理解している。

それで良くなる人もいるだろう。

でも、それでも良くならない人に対する対応はどうしているのだろうという疑問はある。

私は捨て置かれているw

私が望んだことではあるけれど。

要は、ああいうビジネスは儲ければいい、という前提にあるだろうな、
と邪推する判断材料になってしまったということだろう。

先生という立場で慕ってくれる人の面倒は見るけれど、
そうでない人は、そのまま放置する、それがセオリーなんだろう。

そういうやり方に絶望している人には目もくれない。

私は、それがセミナービジネスであり、女子のキラキラ起業だと思っている。

だから、どうしてもやりたくなかったし、断った。

というか、私は何度こういう経験をしなければならないんだろう。

最初は相手を応援したくて、参加する。

でも、相手の底が見えてくると嫌になる。

人にもよるけれど、徹底的に干されることもしばしば。

でも、どうしてか、人を信じようとしてしまう癖が抜けない。

もうこの不毛な繰り返しは何度目だろう。

ということで、もう私は一切そういう物には関わらないようにしている。

気づかない人を顧客にすればいいだけなのだから、
私がそこに参加してあげようと思う理由さえ、もはやないのだろう。

他人という人生

私の幼い頃からの願い。

どうか他人になってみたい。ということ。

昔はその願いの理由は、他人になることで自分を客観的に見ること、
そこに主眼が置かれていた。

他人の目を恐れていたからだ。

今は、違う意味で他人になってみたい。

正しくは、他人になることで自分以外の感覚を感じてみたいということだ。

私はこの自分とうまく相入れなくて、自分の人生とも全然相入れなくて、
自分は苦しんでいるという認識がある。

でも、それはあなたの思い込みだという人がいる。

もし、本当に私の思い込みであって、みんなも同じような感覚に苦しんでいるのなら、
ぜひ、一瞬でも良い、お互いを交換して確認させて欲しい、それだけなのだ。

それで、きっと私は納得する。

どちらが正しいにせよ、理解できる。

でも、今は判然としない。

そして、全く納得がいかない。

私に偉そうにアドバイスする人々が私よりも辛い人生を歩んでくれていますように。

そうじゃなければ、私に与えてきた数々のアドバイスたちはゴミ同然だったということになってしまうし、
そもそも、それを一瞬でも信じて従おうとした自分が救われないじゃない。

そしてもう一つ。

どうか人にアドバイスするのであれば、
どうかどうか、まず最初に自分を省みて頂きたい。

長く生きてるからとて、理由にはならないし、
それが相手にどう影響を与えてしまうのかまでをも考えて発言はするべきなんじゃないかと思う。

私は結果的にそれらに一切従わないということになってしまった。

それを判断するのは私だし、アドバイス(だと思ってる)は、
あなたの人生における経験に基づくものでしかないという単純な事実を受け入れて欲しい。

せめて前置きに、自分の今までの人生経験によると、
という認識を持って欲しい。

判断しているのは、あなたであって、
私ではないということ。

だからこそ、この私の認識を改める必要があるのであれば、
一瞬でいい、他人に成り代わってみたいと思う。

ラッキーな人生はラッキーなのか疑惑

人は皆、努力をすれば報われるとは信じてはいないだろう。

その逆で、無意識で、成功した人は努力をしている(なずなのだ)ろうと思っている節がある。

私は、借金地獄の人も、ヤクザも、政界の重鎮も、所謂上場企業の社長も、中小企業の社長も、
平社員も、いろいろな人をずっと見てきたけれど(全員とはやってないよ)、

今言えること、別に結果は努力に比例していない、ということ。

だからいつも彼には言っているのだけれど、
別に努力すれば良いってわけでもないからね、って。

私は最近思うのだけれど、それはその人の人生の中、そしてもっと大きく言えば、
この世界の中で決められた運命であって、それが必要ならその努力をするし、
それが必要じゃないからその努力をしないか、その努力がよく分からない方向に向けられているような気がしている。

きっと、大枠で見れば、全て決まっている、言い換えれば、全て自分で決めている人生なのだと思う。

きっと多くの人がそれを認めることはなし、認めたくもないだろうけれど、
人には役割分担があって、きっと人生の中でも、あるドラマを演じている女優俳優と変わらない動きをしているのだと思う。

本人が気付こうと、気づかまいと、認めようと、認めまいと。
ドラマを演じるのに、見た目もなにもない。

みんながみんな演じているのだから。

そう思うと、ただひたすらに流されていくのが人生で、
その流れ方をたやすくするのか、難しくするのか、それをしているのが「私」と私が思っている存在であり、
人生なのだろうと思う。

夢の話

私はここ20年ほどずっと津波の夢を見続けている。

今まではずっと津波にのまれ続けていた。

でも、必ず死んでいない自分を確認して起きていた。

昨日、津波は起こるけれども、それに全くのまれない夢を見た。

波打ち際で、津波の残りを浴びた程度の夢だった。

そして、もう一つ。

同じくらいのスパンで、鳥を飼っていてずっと餌を与えてなくて、
鳥が餓死していく夢をずっと断続的に見ていた。

そして、昨日の夢の中で飼っていた鳥は、普通に元気で、
なんの問題もなかった。

その鶏小屋に同じく入れられていたウサギ(初登場)の意味は
まだ分からないけれど。

でも、これってある程度はコントロールできるようになってきたことを
表しているのではないのかと思った。

いつも汗ビッショで飼い鳥をネグレクトして殺してしまったという
焦りと心拍数の激しい上昇によって目を覚ましていたから。

少しは私、成長できているのかもしれない。

夢って不思議だ。

他の人の夢は知らないけれど、私の夢は常に明晰夢
それ以外はない。

いつも私は私が夢の中にいることを知っている。

少しずつ前進できているのかと思うと、
それはそれでありがたく思う。

アガスティアの葉

まあ何が言いたいかって、そういうことですよ。

そういうことなんだよ。

って言って通じる奇跡みたいな親友がいることに感謝している。

なんでこんなに分かり合える人間を1人は確保してくれたんだろう、
という事実にもはや感謝しかないわ。

話は変わるけれども、とうとう私の未来がわかる時がきた。

3年もの苦行を終えて、カルマを解消した私。

解消してから半年ほどシヴァ神に放って置かれたようで、
ようやくインドから連絡がきた。

来たる12月、私の人生の全てが明らかになる(はずだ)。

ようやく来たかというこの感じ。

ワクワクではない。
ひたすらに安堵である。

まず、いつ死ねるか分かることはとても大事。

試験日が明らかにされない試験勉強をさせられている感じだったから。

まず、逆算ができない。
そして、そのうちにその試験に受かりたかったのかどうかさえわからなくなるやつな。笑

最近そういう傾向が顕著で、本当に唯の傀儡のように生きていたように思う。

最近の検査で癌の疑いありと出た。

でも、もうどっちでもいいからずっと放置していたし、
生活を改める気もなかった。

もうこれで死ぬなら仕方ない。

こんな世界に生まれておいて、何も言ってこなかった方が悪いよねって正直どうでもよくなっていた。

そんな中ようやく連絡が来た。

12月にようやく私の人生が分かる。

長かったなーーーー

私は、別にこれから自分の人生が上向く、とか。
金持ちになります、とか、
あなたの前世は●●でした、とかが聞きたい訳じゃない。

この人生で私がやるべきことがあるのか、ないのか。

それをずっと知りたかっただけなのだ。

ないなら、今すぐ癌で死んでもいいと思っている。

絶対に癌の治療は病院で受けないと決めているから。

あるなら、その通り200%生きてやると思っている。

それを聞きたいだけだったのに、こんなに待たせやがって私の人生。

でも、自分でも最近勉強し出したインド占星術によると、
この連絡が来た時期がこれまたドンピシャで、
やっぱすげーなインド占星術、と思わされたオチでございました。笑

私はずっと自分が生きる意味を探していた。

ただそれだけなのに、こんなに拗らせてしまったのだ。

欲はない。というよりも欲はなくなった。
自己顕示欲も承認欲求ももう影を潜め始めた。

朝起きて、起きた自分に後悔する日々。

そんな日々を良い意味でも悪い意味でも、もうどちらでも良いから終わりにしたいだけなんだよ。

できるからって辛くない訳ではないだろうよ

私は出来る。

自分でも謎なのだけれど、やろうと思えば基本的になんでも出来る。

この前夢で見たけれど、所謂ドラマの中の女優みたいなものだ。

本当に出来る訳ではない。

その枠組みの中でできる、または出来るように見えるようにするだけだ。

でも、逆に言えば、喩えそれが嫌でもやるしかなくなっているということだ。

今はそれが超ストレスである。

というか、すごい腹が立っている。

同じ会社に2歳上の精神胃腸弱い系男子(てかもうおっさんやけどな)がいる。

みっともないことに、すぐ弱音を吐くし、すぐ軽ーーい喘息風男子になる。

だからみんな彼には腫れ物に触るような扱いだし、まあ要は甘い。

そこで、最近その会社に入った私。

みんなに出来ると言われ、実際にできちゃうものだから、

できて当たり前になってきた。

私のキャラ設定の問題かもしれないけれど、
出来るのに、やらない・できないなんて言えないしありえない。
むしろ、出来なかったら出来るようにするだけだと思っている。

でも、ここにきて、疑問に思う。

なんでこんなクズで安楽に生きている奴が私より給料高いんだ?

というまあ普通は疑問に抱くだろいうであろう疑問である。

給料の金額について、昔は4桁であったからか、
3桁になると、自分がどれだけなら生活が出来るのかわからずに実はこの会社にオファーを受けて適当に快諾した。

あいつがいなかったら正直、この安いと思われる給料でも安楽に暮らしていたと思う。
別に物欲はないから、お金は食費に当てればいいだけであるし。

だがしかし、比較対象が出てくると確実に自分の立ち位置が把握できてしまうものであり、
かつ、クソな奴より給料が低い、というただそれだけの事実が非常に腹立たしいのである。

最近、本当に目障りになってきた。

しかも、何が問題かというと、そいつは別に悪い奴ではないのである。
ただ、生まれつき努力のできない弱い心を持った人間というだけなのである。
彼は悪くない。

だがしかし、気にしないことはもうできない。

不平等は仕方ない。
しかし、私は不公平は許せない。

自分が努力する人間であるだけに、
努力しない人間と私におこる不公平には目をつぶれないのである。

社長及び役員たちは私を認めているし、
逆を言えば、小さい会社だから私以外はダメな社員だと認識している。
というかずっとそうこぼしている。

でも、それを悪用することはできない。

でも、でも、それでもこの境遇は納得がいかないんだ。

事務の給与で、営業もし、ついでに言えば夜の営業(エロい意味ではない)もし、
企画もし、広告も作り、プロモーションもし、全国に飛んでプレゼンもし、
カスタマーサービスもし、もっと言えばそのできない男の仕事もし、
英語で海外との会社とのやりとりもし、海外出張もして、

それら全てをしていないクズより給料が低いだなんて信じられない。

でも、それをいうことは恥ずかしいと思っている自分がいて、

今日もイライラともんもんが続く日々。

ああ、そいつが鬱でやめてくれればいいと何度思ったか。

でも、私は知っている。

努力しない人間は鬱にはならない。絶対に。

鬱とは、努力して絶望した人間に訪れる恩寵である。
(仮面鬱は除く。結構多いけれどな)

ということで、みんな消えていなくなれと思う今日この頃。

仕事をしてることが全てだと思うなよ

昨日、彼と久しぶりに飲みにいった。

彼は話も面白くないし、反応のほとんど1分後くらいに帰ってくる始末だから、
最近はあまり一緒に飲みにいくことさえなくなっていた。
仕事の帰りも遅いし。

私がいつも彼に憤ること、それは、
「今日は早く帰るよ!」とか、「今日は●時に帰るよ」とか、
いってくるわりに、毎回仕事が終わらず、帰ってこないこと、
それだけである。

私がいつも言っていること、それは、
「約束を守れないなら、いちいち連絡してくるな」
それだけなのである。

多分馬鹿なんだと思う。
毎回毎回同じことをしてくる。
そして、私がイライラしていることを指摘してくる。

とうとう今日は謝りもせず開き直った。

できないことを宣言することは、すごくみっともないことだと私は思っている。
恥ずかしいと思わないのが不思議だ。

言わなきゃ、私は憤ることもないのに、
毎回同じことを繰り返す。

挙げ句の果てに付き合っているだけの私のために働いている(頑張っている)とか言い出した。

私はあなたとは結婚しない。ずっと前からそう言っているのに理解する頭がないのか、分かっていない。

守れない約束(発言)はするべきじゃない、という当たり前のことを理解できていない。

もう馬鹿としか言いようがない。

最近は、本当に顔を見るのも嫌になってきた。

早くこの生活から脱出しなければ、と思っている。