「11分間」
この本の題名は非常に衝撃的だった。
一体何が衝撃的なのか?
この11分間とは、セックスの挿入から射精までの11分間を意味しているからだ。
人間は、皆、この11分間を求めて、この11分間のために全ての人生を回している、そう主人公のマリーアは最初に結論づける。
マリーアの気持ちがものすごくよく分かる。
魂と身体を切り離さなければ、やっていけない類のことをしていたからだ。
そこに意味を見出してもいけないし、そこに魂の問題を持ち出してもいけない。
物語の途中までのマリーアはその点で、ものすごくチグハグな生き方をしていくのだ。そして、それは、普通の人間にとってはものすごく簡単に生きるための隠れ蓑でもある。
自分の世界を罪によって、痛みによって、再構築するのだ。
再構築と言っても、既に、そのような概念で世界は彩られている。
それを再認識するという点で、再構築と言っただけだ。
そして、多くの人はその欺瞞にさえ気付かずに日々を過ごしている。
マリーアは売春婦という職業につくことで、人々が誤魔化して、人生を生きている、そのポイントに目をやることになったのかもしれない。
それか、もともとそのようなことを問題視出来る何らかの才能を持って生まれてきたからこそ、そのような生き方を選択し、そのようなことを考えるに至ったのかもしれない。
そんなことは分からない。
それでも、そういう考え方をする人間が、フィクション上でも存在してくれたことがとても嬉しいし、その作者という存在は確実にその欺瞞にきづいているからこそこの物語が成立しているのだと思う。
だからこそ、この「11分間」という物語が存在してくれることを嬉しく思う。
まあわたしの場合は「5分間」という題名で本が書けるとは思っているけれどね。
日本人の生き方は、きっとこの「5分間」に集約されるのかも知れない。