Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼5日目

今日は、5日目。
パンプローナ to プエンテ ラ レイナ

2日間過ごした酔いどれの街、パンプローナを後にし、
今日はプエンテ ラ レイナへ向かう。

プエンテ ラ レイナとは「橋の女王」という意味らしい。
てっきり、レイナ女王が建築した橋かと思い込んでいた。

パンプローナを出発して、都会的な風景と公園の緑とを交互にみやりながら進んでいく。

ちなみに今日も、荷物は重いから次の街に送りつけてやった。
まだ、股関節痛いしね。ついでに、今日はとうとう右足の足首まで痛み出したという延焼みたいな感じである。

最初から雲行きがどうも怪しい。

アルベルゲに荷物を持っていく必要があったので、ホテルをチェックアウトした後に、1度寄らなくてはならなかった。

ホテルを7時に出発し(すでに出遅れ気味)、アルベルゲに荷物を預けて再出発したのは、7時半…これが全ての災難の始まりだった…

2時間もすると、太陽は頭上に移動。
容赦なく照りつけてくる。日焼け止めを塗ってももはや怪しいくらいのひざしである。
普段はあまり水を持たない私だったが、1リットルにポカリの粉を溶かして来て正解というしかなかった。
最終的には、ホットレモンならぬホットポカリを楽しめた。(暑すぎだろ)

麦畑をひたすら進む。
私を影に入らせてくれる山も、木も、壁もない。
オンリー麦畑である。
風景は壮大であるが、私の暑さも増大した。
もはや、「暑さ」ではなく、「熱さ」という表現の方がしっくりくるくらいに暑かった。

2時間毎に日焼け止めを塗りたくっても、後にどうしても赤くなってしまったくらいだ。

恐るべし、スペイン。
ようやく理解した。
彼らのシエスタは、ただ木陰や室内でぐーすか寝ているわけではなくて、
あの太陽の元では何も出来やしないのだ。
熱中症で死ぬか、黒焦げになるか、頭がおかしくなるかの選択肢くらいしか残されていないだろう。
やはり永らく続いている伝統的な習慣というものは、絶対的に理にかなっているものなんだなあと身にしみて理解した。

いやあ、しっかし暑い。

木陰を見つけたらかならず木陰に入る。

ほんの小さな木陰にでさえも、砂漠のオアシスほどの存在になりうる。

それくらいひどい日差しなのだ。

日本のSPF50なんて軽く無効化するくらいのポテンシャルを秘めている。

でも、この国の人はそこまで黒人化した白人は少ない。
何故なんだ?シエスタのおかげか?

2時間歩いたところで、右足の足首の痛みがMAXに。
もはや、地面に着地するのさえ厭わしい。

途中の街のカフェでトイレついでにカフェコンレチェを飲みながら、足を休めることにした。ついでに、タバコも吸いたかった。
もはや、私の気持ちを和らげてくれる何かを非常に欲していた。

そんな中、とある I am from ITALY男に出会った。
奴も同じ目的でそのカフェにステイしていたらしく、声をかけてきた。
ど、同類だとばれた…か?
でも、彼はこの旅で初めて、「You are from... Korean?」を言わずにJapaneseを正解を1発で導き出した時点で、なんだか良い奴かもしれないという気になってきた。

From ITALY 「どうして君はこの旅に来ようと思ったんだい?」
私「ある本を読んで。あなたは?」
From ITALY 「俺?俺もなんだよ!その本てもしかして、星の巡礼?」
私「そうそう!それよそれ!」(他にも読んでたけど)

となってから、彼はいそいそと自分のバックをあさりだし、例の「星の巡礼 in Italy」を見せてきた。
よほど嬉しかったのだろうと思う。
この旅のバイブルなんだそうだ。
旅のシーンごとにその本を読んでは、Answer を見つけるのだという。

でもさ、それさ、、、重くね?

1gでさえ減らす対象するようになった今の私からすると非常に邪魔なもの;それは本である。

読んでは捨て、読んでは破り棄て、とうとう今から通る街のみのページのガイドブックを愛用している私としては信じられなかった。

でも、彼は笑顔で、良いんだ!これは俺のバイブルだからと言う。

そして、結局彼はヒッチハイクをして、プエンテ ラ レイナまで向かうのだった。

本末転倒とは正にこのこと…?

私はと言うと、カフェにの横に見つけた薬屋さんへ入ってみた。

そこには、ほとんど英語を話せない親切なおばさんがいた。
私に、やれこれを試せ、あれを試せ、といろいろ世話を焼いてくれた。
そういう親切心を無下にできない日本人な私は、言われるがままよくわからないインソールの上にプットオンするタイプの変なクッションのようなものをご購入。値段も見ずに決めたのがまずかった。
なんと20ユーロ。(要らねえよ!)

そして、本来の目的であった足首サポーターをそれ要らなくね?とおばちゃんに言われながらも、ガッツで買った。(19ユーロ)
そこは意見を通して正解だった。
何故なら、結果的にプットオンするクッションは痛くなって捨て(笑)、今手元に残っているのはサポーターのみだからだ。
おお、買ってよかった。

最初は、弱っている私の足首をガッツリサポートしてくれて良かったのだが、サポートされすぎて、今度は足の裏側が痛み出した。
外すと、足首が痛い。
つければ、足裏が痛い。
どうしようもない感じになって、結局、足首が痛くない方を選んだ。
足裏が痛いまま、そこから、22キロ歩ききった。
まあ、それもまずかったんだけどね…

それから、またひたすら歩き続けた。

が、容赦なく太陽は私を攻撃し続け、
ヒーハー言いながら地獄としか言いようがない砂利道の坂を滑りながら登っていく。辛すぎでしょこれ。

結局そんな状態な私は、休んでは歩き、歩いては休み、を続け、
もはや、あと2キロ…!というところまで到達。

あと2キロなのに、まったく頑張れる気がしない。

あと2キロなのに…くそー!と思いながら、木陰のベンチでタバコをふかしていると、さっきから追い越し、追い越され、タバコを吸い、というのを繰り返していたマリオみたいなおじさんが、追いついてきた。

そこで初めて、「ブエンカミーノ」以外の言葉を交わした。

おじさんは、2度目のカミーノらしく、もはやプロのような出で立ちだ。

荷物のことを話すと、またしても体重の10%以内規定について熱弁をふるわれる。おじさんの荷物は8キロ前後だそう。
そして、おじさんの体重はきっと軽く見積もっても、80キロくらいはあるだろう。おお、すげえ。ぴったりじゃん。
私の荷物は、12キロ。そして私の体重は、52キロ(日本出発時点)。
もはや、かるーくアウトである。
でも、そんなこと知ってるわいな!なのである。
何度も何度もすべて荷物を出しては並べ、並べては考え、で、結局またしまう…という儀式を毎日のように繰り返している私としてはもはやどうしもならない領域なのである。

だがしかし、だ。
その日は荷物を送りつけたため、私の荷物は軽いザックだけ。
それを見たおじさんは、
「You are FAKE PERIGURINO!」
と叫んだのであった。

2人で大爆笑。
もはや笑うしかない。
なんてったって私は偽物巡礼者認定されたのだから!

おじさんに言わせれば、分割型巡礼(休みごとに一定の区間を歩いて、合計でサンティアゴまで行く巡礼のこと)もアウトだそう。
めっちゃ厳しいやん、おじさん!

まあ彼らもアウトなら、私の中ではセーフだな、とおじさんには内緒で独り言ちたのだった。

そして、おじさんが友情の印(?)として、タバコを1本差し出してきた。
一緒に吸って、一緒にカミーノについて語り合い、友情を形成した挙句に、残り2キロを一緒にあるくこととなった。

でもさ、私からすれば、サンティアゴまでの体力温存の為であっても、こんな灼熱タイムまで歩いている時点で、去年本当に歩いた?って感じではある。

賢いペリグリーノは例外なく早朝に出発し、もう到着しているだろうよ。

でも、巡礼を修行と捉えるシステムなら、灼熱の中をひたすら歩くのもアリかもしれないけれど。

私はごめんだね!

そして、おじさんといろいろ話しているうちに、とうとうプエンテ ラ レイナへご到着〜

最後の辛い道のりを一緒に越えてくれたおじさんには感謝である。

おじさんは、到着してすぐのアルベルゲへ颯爽と入っていったのであった。

おじさんにブエンカミーノ!である。

そして、私はバックパックを迎えに、もう少し先のアルベルゲへ。

そこは、比較的安くて4ユーロという宿泊費だった。

シャワーも、ベッドもそこまで問題はなく、満足だった。

洗濯物を干す、広い庭が素敵だった。

そこには、韓国人がたくさんステイしていた。

そして、とうとう韓国人に韓国人と認められる事件が起きた。

なんと、入ってすぐに思いっきり韓国語でおじさんに話しかけられた…!

もはや、みんなが私を開口一番、君は韓国人?と聞いてくるのも仕方がないことなのだと悟った。

本物の韓国人が間違えちゃうくらい韓国人らしいんだから、そりゃ仕方がない話よね。諦めたわ。