14日目。
もうあのピレネーを越えてから、2週間も経つのか…
と思うと、時が過ぎるのって本当に早いと思わざるをえない。
光陰矢の如し、だね。
今日は、朝ごはんをアルベルゲが出してくれて、美味しいカフェコンレチェ(コーヒー牛乳)と、マフィンとパンを1片食べてから出発した。
なんだか昨日からホームシックというか、晴れない心を引きずっている。
あのアジア人に見える英語がやたら上手い人が気になって仕方がない。
きっと同じアジア人でも、英語がほとんど話せない私を馬鹿にしているんだろうな…
とか思っていて、昨日もなかなか寝付けなかった。
寝付けずに、2回くらい階段を降りてトイレに行ったのだけど、
階下でまだ起きて携帯をいじっていたジョン(何度かアルベルゲが一緒で顔見知りだったのだが、昨日始めて自己紹介して名前を知るに至った)が、毎回携帯のライトで通るたびに足下を照らしてくれて、
なんて優しいのだろう…とほっこりさせてもらった。
ありがとう、ジョン。
ジョンは黒人で、やたらとボディがでかい。
でも、いつも本を読んでいて、静かで、なんだか、お腹いっぱいのライオンみたいな静かなんだけど風格がある、そんなイメージが彼にある。
そんなジョンだが、今日は、ジョンよりも早く出発を果たした(てか出発の時にはまだ寝てた)のだが、余裕で途中で追い抜かされた。
その際に、また「名前なんでしたっけ?」と聞かれ、答えることに。
そしたら、ジョンの隣に居た例のアジア人風英語上手スピーカー(ジョンがデカすぎて見えなかった)に、
「レイって言うんだって。じゃああとはよろしく!」
と言って、格好良く去っていった。
しかも、後ろ向きにピースを残して…
いったいどういう意味なのだろう。
と思いながらも、彼と話すことに。
話をしていくと、アジア人だと思っていたけれど、
どうやらベトナム系アメリカ人らしい。
・・・・・。
そりゃあ英語上手い訳だよね!!
ネイティブスピーカーっぽい話し方すると思っていたけれど、
ネイティブスピーカーそのものだったんかい!
ということで、ここ2日間続いていた羨望にも近い彼の英語力への嫉妬は氷解したのでありました。
なんというくだらないことで、心をわずらわせていたのかと、すごく恥ずかしくなった。
やはり私の思い込みは世界一である。
英語があなたみたいにうまく話せなくて…とか言ってみたら、
そりゃそうだよ!俺だって、ベトナム語学んでるけど、全然喋れないし!
って笑い飛ばしてくれた。
勝手に嫉妬心燃やしちゃってごめんなさい。
と心の中で土下座した。
やっぱり何事も確かめるまで、思い込みって非常に精神的によろしくないよね。
ということを学ばせてくれた事件であった。
その後、彼は私の目的地の更に先の街まで行くということで、別れた。
でも、みんなにはすごいフレンドリーなのに、なんだか私には微妙に冷たい気がするんだよね。
それがまだ引っかかってるけど、ま、いっか。
気にしない気にしない。
そんなこんなで、再び元気を取り戻して、今日は21キロ歩いた。
足にギチギチにテーピングを施したのが吉と出た。
サポーターより、薄くて、素晴らしいねテーピング。
そして、アルベルゲで、シャワーを浴び、酒を飲み、気持ち良くなっているところに、悲しいニュースが舞い込んできた。
半同棲していた友達が、彼氏と同棲するから出て行くというのだ。
しかも、私がまだスペインにいる7月中に…
ということは帰ったら居ない、ということだ。
ものすごく寂しい感情に苛まれている。
帰っても、彼女は居ない。
そしたら、私の帰る場所っていったいどこにあるのだろう…
なんだか、すごく心許ない。
スペインにあと1ヶ月以上も滞在しなければならないという状況が更に私を落ち込ませる。
来たくて来たカミーノに、うんざりしている自分がいる。
彼女とのもう二度と味わえない短かった同棲生活を振り返っていると、もっと一緒にいる時間を作ったり、もっと親切にしたり、もっと楽しく過ごせたんじゃないかという可能性ばかり考えてしまって、後悔ばかりが募っていく。
アルベルゲのバルの中庭で私は1人泣いていた。
他の巡礼者たちも近くに座っているので、出来れば泣きたくなどなかった。
それでも、一度出始めた涙は止まらなかった。
なにやってるんだろう私…
そう思うことしかもはや出来なくなっていた。
そんな時、前日のアルベルゲで話しかけてくれたジェーンが、同じアルベルゲにステイしていたらしく、話しかけてくれた。
「今からディナーにしようと思っているのだけれど、あなたも来ない?」
と誘ってくれたのだ。
もしかして、1人ぼっちで寂しくて泣いていると思われたのかなと少し心配になったが、仲間に入れてもらうことにした。
全然お腹は減っていなかったけれども。
もう、1人は嫌だった。
バルの中に入るとジェーンと、スペイン人のアントニオと、スイス人のフレットが居た。
そして、4人でディナーという運びになった。
英語のネイティブスピーカーはジェーンだけ。
なので、自然とジェーンが話を繋ぐ役目を果たすことになる。
フレットは70歳くらいのおじいさんなのだが、英語はスイスという土地柄どうしても話す必要があったらしく、文法としては申し分なく話せる。
のだが、めちゃめちゃ訛ってる!
ネイティブスピーカーであるジェーンでさえ、かなりの頻度で、「ん?」ってなっているほどだ。
そして、フレットは話し始めたら誰にも止められない。
若干みんなうんざりしていた。
そして、アントニオはスペイン語と英語は少し話せる。
彼は、高校の教師だそう。
所謂インテリ気取りな性格が前面に出ているタイプである。
大工であったフレットを若干わからないようにバカにしている。
バカにしているのがわかっちゃう時点でわからないようにバカにできていないのだけれど。
そんなこんなで、ものすごくギクシャクしながら食事スタート。
私はお腹が減ってもいないのに、何故か考えるのがめんどくさくて、みんなと同じメニューのチキンセットを頼み、ものすごい量にウンザリしていた。
それでも、みんなお酒が入ると少しずつ緊張が解け、ギクシャク具合も2/3程度に落ち着いた。
いつも思うのだが、初めて会った他人と何を話せばいいというのだろう。
興味が持てる相手なら、会話もつなぎようがあるが、私の悪い癖なのだが、全く興味を持てない人間と一緒に時間を過ごすのはものすごく苦痛だ。
間が持たない感じが嫌なので、適当によくある質問をしてみるが、帰ってきた答えに対してなんの感情も湧いてこない。
そして、ほとんど忘れる。
そのうちに、早くこの場から去りたいという強い感情に襲われる。
息苦しくなってくるのだ。
このどうしようもない根性は未だに改善されない。
というか、もはや改善の余地なし、やもしれない。
時間の無駄とさえ思ってしまう、そんな自分を𠮟咤するのが常である。
これぞ、コミュニケーション障害者の愚の骨頂というやつか。
カミーノに来る目的は人それぞれである。
私みたいに自分を変えたいだとか、ダイエット目的だとか、そういう人もいる。
そして、いろいろな人と知り合いたいという人もかなりの数存在する。
でも、私のカミーノに来た理由は後者ではないのだ。
時折非常に寂しくなるけれど、人と一緒に居すぎると、ものすごくウンザリするし、とても疲れる。
そういう人間は、やはり無理に人とコミュニケーションを取ろうとすべきではないのかも知れない。
人とコミュニケーションを上手く取れない自分はもちろん変えられる。
その場その場で、コミュニケーション上手な人を装うことは、決して難しいことではない。
だけれども、それによって疲れてしまう、というこの自分の本質を努力でどうにか出来るとはもはや思わない。
28年間の私の人生が物語っている。
性善説にたっているが、もとより人間という生き物があまり好きではないのだ。
ということが良く分かった夜であった。
やっぱり1人が好き。
自分のタイミングでご飯を食べたいし、自分の好きな店で、自分の好きなものを、人の目を気にせずに食べたいのだ。
そんな自分を受け入れてあげたいと切に思ったのであった。
他人に合わせるなんて、糞食らえである。
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