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Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 16日目

今日は、16日目。

Atapuerca to Burgous
16.6km (のはずだったのだけれど、結果的に奇跡の30kmへ)

今日は、例のスイス人おじいさんに誘われるがまま、一緒にブルゴスまで歩くことになった。

最初は、1人で歩くよりマシだと割り切って誘いを受けてみた。

ものの、3km時点で既に嫌気がさして来ていた。

荷物を次の街まで送ってしまった私は、身軽なので、「足が痛いから先に行ってくれ」技は使えないなと悟る。

もうニッチにもさっちもいかなくなってきた。

あと、13kmも一緒に歩くということは、あと、最低でも5時間はおじいさんの非常に鈍って聞きとにりくい、どもりが混ざった英語とお付き合いしなければならないのだ。

そう思うと、泣きたくなってくる。

そして、一瞬も黙らせてもらえない。

というよりも、一瞬も黙って歩いてくれはしない。

ひたすら、聞いて、聞いて、予測して、行間を読んで、適切な相槌とてきせつな返事と適切な文法を考えて歩かなくてはならないのだ。

も、もう嫌・・・

そう思ったところで、サミュエルが登場。

彼は、スペイン語が母国語で、第二言語としての英語も申し分ない超腹の出ている髭もじゃの可愛らしい顔をした…どっかの国の人である。(忘れた)


そんなサミュエルの登場を心から嬉しく思った。

せめて、もう1人この訛り英語の犠牲者が増えるだけで、私の負担は軽くなる…!!

と期待をしたのだが、やはりその期待は5分で裏切られた。

彼は、昨日の地響きのようなイビキでおじいさんの睡眠を妨げたことを散々謝罪した挙句に、

「じゃ!ブエンカミーノ!!」

と言って、その超出たお腹に似つかわしくないスピードをもって、去っていったのでった。

…まじか。

お前もか!

お前もなんだな!

そう思わずにはいられなかった。

何故なら、例外なくすべての巡礼者が、このおじいさんのマシンガン訛りトークに恐れをなして、即刻逃げていくのだ。

毎回、毎回、同じ。

それをずっと一緒に歩きながら見てきた私は、またしてもウンザリしたのであった。

みんなさーもうちょっとさー忍耐力をもって付き合ってくれてもよくね!?

自分が犠牲になっているという感情が前提にあると、なんだか彼らのせいで自分がこういう状況に苦しんでいるような気さえしてきてしまって、なんだかやるせなくなってきてしまう。

そして、逃げられずにいる自分が悪いのだと気付き、更に自己嫌悪。

誰でもいい、何でも良いから、どうにかして…

そういう祈りと共に、ひたすらおじいさんと歩く私であった。

途中で、大きな十字架が丘に突き刺さっている場所に着いた。

おじいさんも私も、そこが例の「持ってきた石と共に自分にとって不要な感情や習慣を捨てていく場所」だと勘違いし、2人で石を十字架に向かって投げていた。

挙げ句の果てに、記念撮影までした。

ところで、他の巡礼者に、

「いや、そこ違うから。もっと先のところが本物だから。」

と突っ込まれ、「えっ…」ってなった私たちであった。

ある意味、良いコンビなのかも知れない、そう思った私なのであった…

そして、3度目の休憩で、バルに立ち寄ってオレンジジュースを飲んでいると、ジェーンと同じ出身地のオーストラリア人男性が一緒に休憩していた。

私たちの登場(というか主におじいさんの例のマシンガントーク)に、すごく嫌そうな顔を一瞬したのを私は見逃さなかった。

ジェーンは35歳くらいのインターナショナルスクールの先生をしている女性である。

すごく良い人そうな感じの動きをするのであるが、たまになんだか怖いと思うことがあって、何故だろうと思っていたけれど、その顔を見た瞬間合点がいった。

ああ、そういうタイプの人間ね。

ということである。

なので、めんどくさくなった私はなるべく、おじいさんをジェーンから遠ざけ、そして、私もジェーンと挨拶はするけれども、もはや近づかないというスタイルを保つことにした。

裏表のある人間は怖いのだ。

その前の休憩場所であるバルでジェーンは、美味しい地元料理のラムの丸焼きのレストランがあるから、行ってみない?とみんなに話していた。

そこに、私とおじいさん登場。

すかさず、おじいさんも行きたいと言い出し、ジェーンはしぶしぶレストランの場所と名前をおじいさんに渡していた。

そして、後で連絡が取れなくなると困るから、と私にはフェイスブックでの名前を教えてくれたのであった。

結果から言うと、Wi-Fi環境下に入ってすぐにジェーンにフェイスブックの友達申請をし、レストランの場所をメッセンジャーで聞いてみたのだが、約束の時間になっても、次の日になっても、友達承認されることはおろか、メッセージの返信もなかった。

まあ、そういうことだよね。

しょうがない、しょうがない。

2度と会いたくないな…と思った私であった。

おじいさんと常に一緒にいた私が嫌だったのか、おじいさんが嫌だったのか、今となってはもはや分からないが、だったらフェイスブックで友達になろうとか言わないで欲しいところである。

そして、途中で道を間違え、そのまま行ってもブルゴスに到着するのであるが、そこは国道沿いで美しい景色はない道だった。

おじいさんは、どうせ歩くならもっと自然のある道が良い、と言い出し、結果的に1.5km来た道をひたすら戻り、本来の道よりも3kmほど長い道を行くことになった。

私に拒否権はなかった。

だんだん太陽が真上に上がってきて暑くなってくる12時近くに、その決断をされた。

もはや、どうとでもなれ、である。

そして、ものすごい長い長い道と、ものすごくでかいでかい公園を抜け、ようやくブルゴスの市街地に着いたのは午後2時45分。

本来であれば、12時には着いていたはずだと思うとやるせない。

そして、多くても18kmの道だったはずの予定が、結果的に歩いた距離は30kmまで膨れ上がっていた。

一体どういう奇跡が起こればそうなるんだ!?という憤りを通り越して、もはや不思議でしかなかった。

それにしても、精神的にも、肉体的にもものすごい疲れたカミーノとなったのは間違いなかった。

そして、おじいさんがアルベルゲにチェックインをすませるのを見届けて、私は逃げるように、ちょっと離れたホテルにチェックインしたのであった。

もう2度と会うまい…!という決意と共に。

足首は重い荷物を背負わずに歩いていたので、今日は痛みを訴えて来なかった。

それはいい。

ところが、今度は、歩くペースをおじいさんのスピード(いつもの私よりも速い)に合わせ続けていたせいで、ふくらはぎの筋肉がおかしなことになって非常に痛いのである。

泣き面に蜂とはこのことか。

それでも、ホテルにチェックインして、自分だけの部屋、自分だけの空間ができたことで、かなり気持ちは落ち着いた。

久しぶりにお風呂をためて、湯船に浸かれる瞬間は至福の時であった。

部屋も一泊48ユーロとは思えない広さで、(特にバスルームが広くてすばらしい)心から満足できた。

もう1泊この部屋で過ごすことを決めたのであった。

そして、結局みんなで行こうと言っていたラムの丸焼きレストランには前述の通り、行くことは叶わなかったので、前日から誘われていた日本人のおじさん(50)とバル巡りをすることとなった。

不思議なご縁である。

そして、夜8時よりバル巡りがスタートした。

ちなみに、パンプローナや他の街では、シエスタタイムはほとんどが13時〜17時(バルはずっとオープンしている)だったのに対して、
ブルゴスはどのバルもレストランも17時に何故か容赦なく一旦クローズする。

そして、だいたい7時過ぎくらいからまた開きだし、22時〜24時の間にまたクローズするのだ。

地方によって多少時間の前後があるということが分かった。

到着して、シャワー後に腹ペコ状態で街をさまよってみたのだが、17時だったので、どこのバルも店も閉まっていて実は発狂しそうになっていたところであった。

そして、とうとう念願のバル巡りでビールにありつけるという訳である。

おじさん(50)は、今年の頭に27年勤めた会社を辞め、心機一転、カミーノに来たらしい。

とても気さくな人で、とても人懐こい性格のおじさんである。

日本から400枚ほど折り紙を持ってきており、鶴を折っては、出会った人すべてに渡し、写真を撮らせてもらい、仲良くなって、名前と顔を覚えてもらう…という素晴らしい方法でコミュニケーションをとっているツワモノである。

私には、折って渡してみたら?と160枚ほど可愛い折り紙をくれた。

とてもいいおじさんなのである。

だがしかし、1度も未だに渡していないし、折ってもないのは内緒である。

私には、必要ないのだ。

他人様に、無理に名前を覚えてもらいたくもないし、なんだかとてもそういうのは面倒なのである。

そういうことを言っているから、友人が出来ないんだろ!と突っ込まれそうだが、まあ、その通りですって感じです。

おじさんと歩いていると、いろいろな人から声をかけられている。

羨ましくもあり、いちいち立ち話をしなくてはならないことに、煩わしさも感じる。

本当に我ながら面倒くさいやつである。

おじさんは、いろいろなバルを巡ることを非常に楽しみにしているらしく、散々2人でバルを巡った。

4件ハシゴして、だいたいビール4杯とピンチョス(つまみ)4種類くらいをつまんだ。

そして、おじさんの滞在しているアルベルゲの門限である22時が近づいてきたので、アルベルゲの目の前のバルで飲むことにした。

ギリギリまで飲んでやろう精神である。

やはり思った通り、アルベルゲの前のバルだけに、そこは路上まで巡礼者が溢れ出していた。

みんな酔っ払い大盛り上がりである。

やはりそこでも、おじさんは人気者であった。

ただ、彼の悩みは、英語が話せないこと。なのであった。

みんなとても楽しく話しているのに、理解出来ないことがとても悔しいとこぼしていた。

そして、そんなおじさんを見ていて私は悟った。

私に友人が出来ないのは、決して英語能力が足りないからではなく、私にコミュニケーション能力が多分に不足しているからであるということを。

だって、おじさんはほとんど全く英語が話せないにも関わらず、ちゃんと仲間と言える友達を作っているのだもの。

そりゃあ気づかざるを得ないよね。

ということで、自分のコミュニケーション能力と、自分のコミュニケーション欲求が非常に足りていない事実にようやく気付いたのでありました。

そんなこんなで、結局酔っ払ってきた私たちは、そんなことどうでも良くなってきて、みんなで大声で路上で歌い、笑い、意外と楽しんだのであった(笑)

私の素晴らしく不思議なことは、酔っ払ってくるとフレンドリーになり、英語もペラペラと話し出し、歌まで人前で歌うことが出来るというところである。

やはり、大脳の制限がひどく厳しいのだろうなと感じた。

だいたい大脳で理性を厳しく制限して生きている人間は、酔っ払うとマジかよってほどに、陽気になり、人が変わったようになるものである。

私も御多分に洩れずそうなのかもしれない。

そんなことにも気づいてしまった夜であった。

その瞬間だけは、仲間って良いなあ〜と心から感じていたのであった。

そして、みんなが門限で帰ってしまった後、飲み足りなかった私はまた街へと繰り出し、飲むだけ飲んで、食べるだけ食べて、ホテルまで帰ってきたのであった。

というか、気づいたら夜中で、ちゃんとホテルのベッドで寝ていたというのが正しい。

外国でも、日本と同じように酔っ払うなんて…なんて危ないことをしたのだろうとちょっと反省したのでありました。

きっと途中で知らない巡礼者からもらったテキーラのショットのせいだと思われる。

常々、思っていることなのだが、
テキーラ makes me CRAZY なのである。

おじさんはとても面白いことを言っていた。

おじさんの知り合いのサイキックが、
「9月5日に世界はもっと自由な形態で動くようにシフトする」
と言っていたというのだ。

まず、サイキックが知り合いにいると言ってしまう人間と、その話に興味を持って乗ってしまう私(一時期どっぷりハマってた)が、スペインという土地で出会ってしまうことに驚きを隠せなかった。

まあ、シフト系のトンデモ話は巷に溢れているので、もはや聞いても何とも思わないのだけれども。

それにしても、旅先の縁って不思議だなあと感じた1日であった。

以後、飲み過ぎには注意しようと固く誓った私でありました。

 

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