Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 25日目

25日目。

Leon to パンプローナ

今日は、パンプローナへスペイン高速鉄道AVEに乗って戻るのである。

1日目に出会った青年の友達が日本より、牛追い祭りで走りに来ているとのことで、私も誘ってくれたので、喜んで行くことにした。

今は、AVEの車内でブログを書いているのだけれど、
今まで苦労して毎日毎日欠かさず歩いてきた道を一瞬で戻っていくというのもなんだか感慨深いものがある。

私は旅が好きだ。旅行が好きだ。

そして、一番好きなのは「移動している時」。

何故だか理由は分からない。

それでも、飛行機にすれ、鉄道にすれ、徒歩にすれ、
移動している時というのはとてもわくわくするものである。

目的地に着いてしまって、その興奮から醒める、ということも今まで多々あった。

テンションが高い時というのは、常に「移動中」なのだ。

ここ最近考えていることがある。

カミーノについてだ。

カミーノとは一体私にどのような意味をもたらしてくれるのだろうかとずっと考えてきたけれど、

ここに来て、少しずつ分かってきたことがある。

カミーノは特別なものではないということだ。

誰でも経験する人生というものを、カミーノは再現しているようなものだと思う。

再現というと語弊がある。

その再現の範囲は未来も含まれるからだ。

人生とは、カミーノで、
カミーノとは、人生なのだ。

私は、自分の人生に喜びを見出すことが出来ずに、
ただただ死ぬその日を待って生きている、そういう人生の過ごし方をしてきた。

人生を謳歌している人を見ては、羨ましいと思い、妬み、そして、ずっとそういう生き方に憧れてきた。

私は、どう生きれば良いのか、どう人生を歩んでいくべきなのか、まったくわかっていなかったのだ。

そして、自分の人生の生き方を教えてくれる人はどこにもいない。

人生について、何かを語ってくれる人というのは、自分の生きてきた人生において、自らが学んだこと、知りえたこと、そういうことのエッセンスを話してくれはする。

だがしかし、それは、彼らの人生であって、私の人生ではないのだ。

私の人生の生き方、個人の各々の人生の生き方、それらに関しては、カンニングが出来ないように出来ているのだろう。

つまりは、自分で見出すしかない、そういうことなのだ。

それでも、私はずっとカンニングをしたいと思っていた。

そうでなければ、私にとって人生とは歩むことさえ怖くてかなわない存在だったのだ。

未来が見たい、自分の生の理由が欲しい、そうして色々なものに手を出しては、必ず痛い目にあってきた。

占いで見てもらった未来は、果たして本当の意味で私の未来なのか?

ヒプノセラピーで見た過去生は、果たして本当に私の過去生だったろうか?

そんなことになんの意味もなかったのだ。

人生において、そんなものはcheatingであり、答えなんてものは存在しないのだ。

それが分からなかったから、ずっと生きているのが辛かった。

そして、自分のこれからの人生で待ち受けていることを知ることによって、その辛さはなくなるものだと信じてきた。

そんなことはなかったのだ。

人生は、先が見えないから、生きる意味があるのだ。

人生は、次に何が起こるか分からないから、楽しめるのだ。

人生は、この体が生の終わりを告げるその時に、初めて意味を付けることができるのだ。

人生は、過去のことではなく、未来のことでもなく、今の一瞬一瞬のことを指すのだ。

そして、そこには現在しかなく、過去も未来も含まれない。

人生は、線ではなく、点なのだ。

そういうことが、このカミーノを500km歩いて分かってきた。

まだ300kmほど残っているが、これから先の道も面白い事実を理解する助けとなってくれるであろうと思う。

カミーノには、険しい山も登れば、平坦で何もなく退屈な道もある。

カミーノでは、体調や身体のどこかの部位が痛んだりして、とても辛い時もあれば、体調が万全で、走るように歩ける日もある。

カミーノでは、他人と上手くコミュニケーションが取れずに、寂しく思う日もあれば、多くの友達が出来て、とても楽しいと思える日もある。

カミーノでは、朝は非常に寒いし、昼間は非常に暑い。

カミーノでは、朝の景色も、夜の星空も、とても美しい。

これって、

私の日本での人生と何も変わらないんじゃないの?って。

国や気候が違うだけで、やってることや感じていることはすべて一緒なのだ。

良い日もあれば、良くない日もある。

前に進む日もあれば、後戻りする日もある。

道に迷う日もある。

誰かが道を教えてくれる日もある。

人を憎む日もある。

人を愛す日もある。

これが、カミーノは人生で、人生はカミーノだと言った所以である。

800kmなんて歩けるはずもないと思った初日。

そして、毎日少しずつでも進むことによって、800km先のサンティアゴデコンポステーラが近づいてくるように感じるようになる。

これも人生と同じ。

私はそれが分からなかったから、自分探しと称して、カミーノに来た。

人生において、人生の生き方が分からなかったから、
特設ステージで、それを学ぶ必要があったのだと思う。

カミーノに来なくても、人生を理解出来る人はいる。

そして、来ても来なくても、分からない人もいる。

でも、私は私なりに理解することができた。

人生に意味を求めるのではなく、人生そのものが意味を持つのだと。

誰と比べる必要もない、私だけの人生の意味を。

その為に、必死になって毎日を生きたくなった。

もう歩けない、そこまで歩いた日はとても気持ちが良かったから。

人生だって同じ。

もう頑張れない、そこまで頑張って1日1日を生きること、それはとてつもなく幸せなことであり、とてつもなく素晴らしいことなんだと初めて実感を伴って「知った」。

そして、1日も早く日本に戻りたくなった。

日本の生活から逃げてきた私だけれど、もう逃げる必要はなくなったのだ。

早く、1日も早く、日本で必死に生きてみたいと思うようになった。

そうして、1分1秒を無駄にすることなく生きていく、それが幸せへの道しるべとなるだろうと思った。

未来に怯える必要はもうない。

今を、一所懸命に生きれば良いだけなのだから。

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