34日目
Tricastera to Portmarin
まさかの40km
(実際には、44km)
今日は痒みは私の安眠を妨げることはなかった。
だがしかし、4時に隣のおやじがごそごそと起き出して、支度を大騒音にて開始。
まったくもって寝られなくなった。
こちとら睡眠はかなりの死活問題である。
にも関わらずゴソゴソ&おやじのヘッドライトは容赦なく私を起こし続けた。
というわけで本日も睡眠不足にて出発する羽目になった。
それでも、何故か7時出発。
何故なんだろう…朝の空白の時間が意外と長いことに最近気づいた。
しかし、モチーラ(バックパック)を目的地であるポートマリンまで送りつけたので、歩くことに関しては余裕かと思えた。
が、しかし。
意外と辛かった。
何故なら、もう山は超えたであろう(=もうアップダウンはない)という認識で今回は35km計算コースを選択したため、まさかのひたすら上り坂、ひたすら下り坂にとても悩まされる羽目になった。
調査不足である。
しかも、よりによって砂利道。
しかも、高度が思ったよりも高かった&曇り空だったために、めちゃめちゃ寒い。
でも、バックパックがないので、今着ている衣服の他に着れるものがなく、ひたすら震えながら突き進む羽目に。
寝不足&極寒=風邪 という方程式が以前行ったペルーでの経験で成り立つことがわかっていたので、若干不安になりながらも、ひたすら日差しのまったく当たらない山道を進む。
荷物があろうと、無かろうと、かなり辛い道であった。
足元は砂利で滑るわ、寒いわ、霧で辺りが見えないわ、で悲惨な道のりとなった。
朝にバナナしか食べずに出発した為、9時くらいにかなりの空腹状態に戸惑う羽目に。
だがしかし、ガイドブック上では、街の名前が書かれているものの、実際には、街というか集落というか、バルなどという気の利いたものはどこにもなく、お腹はぐーぐー鳴ってるわ、寒いわ、で散々な目にあった。
途中で、ようやく道から少し外れたところにバルがあって、エンパナーダ(牛肉と玉ねぎを煮たものをパンみたいなヤツにはさんだもの)に出会って、ようやく食べ物にありつけることができた。
空腹状態で食べるエンパナーダは非常に、非常に!美味しかった。
やはり空腹は素晴らしいスパイスになるらしい。
お腹が落ち着いたので、ちょっと余裕をもって歩くことができた。
カミーノでは空腹は最大の敵である。
特にどこでバルに出会い食料にありつけるかわからないときは。
ひたすら山道のアップダウンが続き、正直辟易していた。
膝も若干痛くなってきた。
だがしかし、景色は最高に美しかった。
レオン州と違って、緑溢れる山々を見下ろすのは壮観であった。
色取り取りの花が咲き乱れ、ものすごく綺麗だった。
写真と動画を撮る為に立ちどまらなくてはならなかった。
今日は、牛の行進を見ることが出来た。
ガリシア州に入ってから、道に牛糞と思しき物体が所狭しと落ちていて、どうしたってかなり臭いまくってる牛糞の残骸を踏むことになっていたので、不思議に思っていた。
今日、その不思議な疑問への回答を得ることが出来た。
私たちが通るカミーノ(道)は、牛のカミーノ(道)でもあったのだ。
牧場から牛舎までの道のりと私たちの道のりは一緒であったのだ。
目の前を牛が行進しているのを見護りながら、ひたすら牛が通り過ぎるのを待つことになった。
何故なら、パンプローナで牛がすごい勢いで走りまくっているのを目の当たりにした私は、もしかしたら牛に突進されるんじゃないかという恐怖がすごかった。
しかし、雄と違って、行進しているのは雌であったので、意外とおっとりしていた。
ビビるまでもなかったのであった。
通る街、通る街、すべてが牛と牛糞の臭いで充満していた。
めちゃめちゃ臭かった。
そして、目的地のポルトマリンだと思しき街へ到着。
最後の方はかなりヘロヘロになりながらの到着であった。
が、しかし。
そこは、まったくもってポルトマリンなどではなかった。
そこは、ポルトマリンより10kmも手前のただのしがない街であったのだ。
どうしてそういう凡ミスをしでかしたのか見当もつかないが、何度ガイドブックを見返しても、どうやらそこはポルトマリンではなかった…
その時の絶望感といったらなかった。
まじか・・・
まじか。まじかー!!
しか言えなかった。
むしろ日本語で叫んでいた。
もう荷物は既にポルトマリンのアルベルゲに運ばれているので、残された道は、歩くしかない、それだけであった。
泣く泣く、途中のバルでビールをかっくらった挙句に再び歩き始めたのであった。
今日は7時コースか…まさかの7時到着である。
前代未聞の夜7時到着を覚悟し、ヤケになりつつも、半分諦めモードで、今までのスピードは落ち、ちんたら歩き始めた私。
内心かなり焦っていたけれども、半分以上諦めモードである。
焦りつつ、ちんたら歩いていると、とある雑貨屋兼アルベルゲの前でお店の人に呼び止められた。
「君、今日寝るところを探していない?」
と。
いや、次の街まで行くから。(急いでっから!)
と答えると、スタンプだけでもどうかと言われ、立ち止まる私。
クレデンシャル(巡礼者のスタンプラリー台紙のようなもの)は、あと3日でサンティアゴに着くというのにまだまだスタンプを押す余白があったのだ。
店内に足を踏み入れると、やたらと品物を勧められる。
まあ分かってはいたが、勧め方が激しい。笑
まあ良いか…と思い、勧められたパイナップルジュースと、カミーノワッペン(ちなみに2枚買えと勧められた…)を買うことに。
しめて、5.5ユーロ。
まったくもって押しに弱いのよね、私。
日本人の代表例みたいな性格な気がする。
だんだん断るのが面倒くさくなってきちゃうんだよね。
カミーノを歩きながら、他の巡礼者がバックパックに自分が訪れた様々な国のワッペンを付けているのを見て、なんか良いなーと思っていたので、ある意味ちょうど良かった。
ちなみに、もう1枚のワッペンは後々S子さんにあげたのだが、さほど嬉しそうでもなく受け取られていったのであった。笑
そして、お会計を済ましてさっさと出て行こうとしたところ、
「ARE YOU FROM KOREA?」
とお馴染みの質問を投げかけてきて、
いつもの通り、
「SOY DE JAPON!」(日本だよ)
と返した。
もはや定番のやり取りである。
したらば、ふいにお店のおっさんが、
「今、集めていて…」
とドル紙幣を例に取り出した。
どうやら日本円の何かが欲しいらしい。
が、しかし、コイン重いからなぁ…とすべて空港の募金箱に寄付してきてしまった私は、もう1000円札または10000円札しかない。
1000円札だって、ユーロにしてみれば、5杯くらいビールが飲めるのである。
黙ってくれてやる義理はない。
(だって、ワッペンとジュース買ったしね!)
しかし、おじさんは見せてくれと1000円札を手に取ったまま返そうとはしないw
こに店の品物と交換しようと言ってきかない。
「でもこれ、だいたい9ユーロくらいだから…(欲しいものないし)」
と答えると、次から次に商品を手に取り提案してくる。
しかも、5ユーロ前後のやつね(笑)
特に入り用でもなかったジュースとワッペン2枚を購入したことで、スタンプへの義理を果たしたと思っている私はことごとく拒否した。
私は、win-winの取引は好きだが、片方だけが得をするDEALは大嫌いなのだ。
例え私が得をする方だとしても、相手が損をするだけなら、そのDEALは受け付けない。
というモットーがあるにも関わらず、それを凌駕するほど親父の「押し」は強かった…
差し出される品々にNOと10回くらい言ったところで、とうとう例のごとく心が折れた。
面倒くさくなったので、おじさんが提案する5.5ユーロの特に欲しくも無かったロザリオで手を打つことにした。
親父の粘り勝ちである。
まあ彼はコレクションとして保持したいだけだし、その札を使わない限り、私が損するだけだし、もう良いやという心境であった。
それでも、売値で5.5ユーロだけども、仕入れ値で換算するとかなり嫌な気持ちになるけれどもね。
親父はあまりにも嬉しいらしく、ハグをしてきた挙句に、スペイン流のご挨拶(チークキスってやつかね)をしてきた。
フランスで、チークキスと思いきや唇をフランス人に奪われている私としてはかなり警戒したが、ギリギリ唇は免れる事が出来た。
もうどうでも良いから早く解放して欲しかった。
そして、不要なワッペン2枚とロザリオ(微妙に重たい)を首にかけて再び歩き出したのであった。
そこから更に8kmほどひーこらひーこら言いながら歩いて、ようやくポートマリンに着く事が出来た。
途中で日本人夫婦&子供達に出会った。
4歳くらいの子供が1人と夫婦、に見えたのだが、よくよく見てみると、親父のバックパックから左右にはみ出している小さい靴は、ぶら下げてるのではなくて、まさかの子供の足だった。(2歳の子供を背負って歩いていたのだ!)
親父、アッパレである。
カミーノに子供を連れてくるのは、子供の人生にかなり良い影響を与えるであろうとは常々歩きながら思っていたが、まさか背負ってくるとは思いもしなかった。
親父、アッパレである。(再)
そして、アルベルゲにチェックインした。
今回滞在するアルベルゲは公営(S子さんのご希望により)で、他のアルベルゲより4ユーロ安い為、ベッドは残り3つだった。(ギリギリセーフ)
S子さんが面倒くさいことに、先に着いたら彼女の分もチェックインしてくれと言っていたので、ちょっと粘ってみたものの、やはり答えはNOだった。
民営ならいざ知らず、公営じゃあね・・・
そして、シャワーを早速浴びようと思い、シャワールームに行くと…
なんとまさかのドア無しである。
女性用と男性用は分かれていたので、まだましではあるが、もし他の人がシャワーを浴びようとしたならば、私の裸は丸見えなのである。
オスティア!(英語ではオーマイガー)
さすが、公営。としか言いようが無かった。
もう4ユーロ払っても私のケツの穴は他人に見せたくはないと思う私であった。
幸いその時間には誰ももうシャワーを浴びようとはしなかった。
にしても、調理器具もないし(キッチンはしっかりあるのにね)、なんだかなーという感じである。
肝心のS子さんは、到着時間が大幅に遅れた為、残り3つのベッドは他の方々がステイするこになり、彼女はこのアルベルゲに泊まる事は叶わなかった。
むしろ、譲ってあげたいくらいだった。
バルで優雅にビールを飲み、このブログを書いている最中に彼女は到着したのだが、(もはや夜の9時)まさかのバックパックが届いていなかったのだ。
私が自分のバックパックを回収した際に1つしか無かったのでまさかとは思っていたが、そのまさかなのであった。
彼女がバックパックが届いていないと言い始めたので、彼女に付き合ってバッグを探すことになった。(9時半)
公営アルベルゲのオスピタレに問い合わせたところ、彼女は知らないと言ったきり、もう閉める時間だからと足早に去っていったそうだ。(オスティア!)
しょうがないので、近くのオステルの受付の人に聞いてみることに。
そのオステルの管理人は素晴らしく優しい人で、わざわざ運送会社に電話をかけ調べてくれた。
数分後、運送会社より電話があり、どうやら彼らのミステイクでバッグは数十キロ前の街であるサリアに置き去りにされていることが分かった。
もちろん彼らのミステイクなので、すぐに回収し、持ってきてくれることになった。(当たり前だよね)
私も1度バックパック行方不明事件があったので、彼女の不安感はすごく理解出来るので、一緒に待つことにした。
私の場合は、送り先のアルベルゲの名前を親切なオスピタレによって変えられていたことが原因だったのであるが…
でも、結局公営アルベルゲの門限である10時を迎えてしまうので、私だけアルベルゲに戻ることに。
その後、彼女から「バッグゲットしましたー!」という連絡が入っていたので、一件落着である。
バックパックを送るというチート技は疲れた人々にかなり有効な手段ではあるが、運送会社も人間がやっているので、たまにこういうミステイクがある。
正に、一長一短である。
それでも、バックパックを持っていたら今日のように45km(死ぬよね)を歩ききることはできなかったと思うので、素晴らしいサービスだとは思っている。
そんなこんなで、てんやわんやになりながらも、1日が終了した。
やたらと長い1日だった…
しかし、有意義な1日であった。
その後、たまたま同室になった例の子供連れ日本人夫婦のお子さんが夜中に激しい咳をしだしぐずり出し、全くもって眠れず寝不足になったのには、閉口した。
次の日は、安眠を確保するために絶対ホテルに泊まる。
そう決意した私であった。