Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 36日目 その2

36日目 (その2)

 

Palas de Rei to Arzua 28.7km

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そしてカメラを向けられて変に緊張し始めた私は、

何故か私がインタビューをジョンにし出した。笑

「え?君がインタビューするの?」

と驚かれたのであった。

何故カミーノに来たか、それを聞いてみたかったのだ。

彼は、現在ニューヨークの大学で学んでいるのだという。

そして、彼はプリーストのセミナリストなのだそうだ。

プリーストまではわかった。

だがしかし、セミナリストまではわからなかった。

それでも、しれっと聞き流してインタビューを続ける私。

最後の旅になるかもしれないから、どうしても、カミーノに来たかったのだとジョンは言った。

もはや全くもってよくわからなくなっていた。

どうして、プリーストのセミナリストだとこれが最後の旅行になるのか。

と思って、もはや定番化してきたグーグル先生に聞いてみた。

まずは、プリーストから。

priest. [しばしば P〜] 聖職者, 司祭, 牧師;僧侶, 神官(【略】 p, p., pr.). (初期キリスト教の)長老(elder, presbyter);(監督教会の)司祭《bishop より下, deacon より上位》

そして、セミナリスト。

Seminarist 神学校(特にローマカトリック教会の神学校)の学生(a student at a seminary (especially a Roman Catholic seminary))

なるほどね。

神学校だなんて、ヘルマンヘッセの車輪の下くらいでしか聞いたことなかったあるよ。

しかも、最後辛くて死んじゃうし。

あんまり良いイメージがなかった私だけれど、熱心に夢を語るジョンを見ていると、きっと素晴らしい職業なんだろうなと感じた。

私に勘違いさせたヘルマンヘッセと、先日の教会でミサが終わるや否や、ソッコー着替え始めて、赤いTシャツに包まれた巨大なお腹を披露してきた神父が悪い。

アルバイトでもできるんじゃねえかって本気で思ってたよ。

面白いことに、私は、生理が来る前は、神社で巫女さんをやっていた。

お祭りになると、昔から伝わる方法で舞い、結婚式では儀式を執り行う。

ま、でもアルバイトだったけど。

お金もらっちゃったらアルバイトだよね。本職ではなかったし。

そして、そんな厳粛な場で舞っていた私が、後々他の誰よりもビッチになるだなんて神様はご存知だったのだろうかね…

いやあ人生って不思議過ぎて面白いね。

ということで、話は戻って、どうやら調べてみるに、同じキリスト教でも、カソリックはプロテスタントよりも厳しいようで、もしかしたら、彼はもう本当に長期的な旅行には来れないのかもしれないなとようやく理解した。

それでも、人々のためにプリーストになるのだと彼は言った。

なんかもう、、、素晴らしすぎてなんとも形容しがたい感じだ。

ジョンの英語は、ほとんど完璧で、ノンネイティブスピーカーである私と話しているのに、一切に手加減なしにまくし立ててくる。

それでも、聞き取れてしまったのは連日聞いていた、あのエロオーディオブック「Fifty Shads of Gray」のおかげだと思う。

私の英語力は日々上がっていっているよ。

そして、何故NYなのかということも気になったので聞いてみた。

何故なら彼は韓国で生まれ育っているからだ。

それなのに、どうしてわざわざNYでプリーストになりたいのかと思ったのだ。

ジョン曰く、ニューヨークには様々な文化(食文化やアート、文学、その他もろもろ)や様々な人種、様々な宗教、様々なな言語が入り乱れている。

そして、それはとても彼にとって刺激的で魅力的なのだと言う。

この世界がすべてニューヨークに凝縮されていると言っても過言ではない、くらい言っていた。

確かに、ニューヨークに住んでいれば、世界中の料理が楽しめる、世界中の言語だってきっと経験できるだろう(該当者を見つけて引っ張り出してくれば)。

それでも、自国から遠く離れた土地に永住するという決断はすごい。

ニューヨークには親戚などもいるそうだけど、それでも、日本国で生まれ育ち、数年前までは英語だってろくに話せず、ようやく最近世界に目を向けて旅行し始めた私としては、地球がひっくり返っても(毎日ひっくり返っているといえばひっくり返ってるけどさ)、他国に住むだなんて無理なお話だ。

恐ろしくて、恐ろしくて。

それでも、そういう選択肢が存在するのだということを知れて、すごく刺激的だった。

そんなこんなでインタビューは終わり、ミンはカメラをしまい、少しホッとした。

それから、もはや逃げ出す気も全くなくなった私は、彼らと一緒に歩くことにした。

逃げ出す気がなくなるほどに、彼らに好感を持ち始めていたのだ。

人種差別的な意識は無い方だとは思っていたが、それでも、テレビのニュースや討論番組などを見ていると、韓国人は皆んな日本人のことを忌み嫌っているのではないかと心の奥底では思っていた。

それでも、I love you!!って迫ってくる韓国人は居たけれど、彼らはもはや国から離れてるから、なのかなーとか。

でも、ジョンとミンと話していると、そんなものは勘違いだったのではないかという気持ちがした。

彼らは、国という括りから見るのではなく、私、という人間単体でみてくれているように感じたからだ。

日本という文化背景を持ってはいるが、私は私という1人の人間なんだという扱いをしてくれるのだった。

なので、フェアな扱いをしてくれる彼らに報いるべく、私も彼らの国については忘れることにした。

彼らは、彼らなのである。

そもそも、英語で会話しているので、あまり韓国人という感じはしなくなっていた。

時たま2人で韓国語で話し出すと、ああそうだった、と思うくらいであった。

くだらないニュースやテレビ番組で、潜在的にそういう差別的というか排他的な考え方をしてしまっている自分を始めて認識した。

私たちは、自分だけはリベラルだと信じて疑わないけれど、気づかないうちに思考は侵食されているのかも知れない。

マスメディアやインターネットの情報によって。

時々、立ち止まって考える必要があるのかも。

(あれ?これって私の思想?それとも、他人の思想から来たもの?)
って。

そもそも、まっさらな状態でこの世に生まれてくる私たちはとしては、すべてはもしかしたら他人の思想から来たものかもしれない。

それでも、途中途中で、取捨選択をしてきたはずだ。

でなければ、皆同じ思想の人間が量産されてしかるべきだろうから。

その取捨選択をしている存在が、自分であり、自分の思想とも言えるのかもしれないと思う。

私が何を選択し、何を選択肢ないか、それを決めるのは私の意志である。

それでも、「情報」というものは、媒体は何であれ私たちの選択を翻弄しているのだ。

そして、私も知らず知らずのうちに、その「情報」に侵されていたというわけだ。

ああ、おそろしや、情報地獄。

それでも、無ければ生きていけないような気がするから不思議だ。


そして、情報に踊らされた例がもう1つ。

不意に、お互いを歴史的な人物に例えようという話になった。

それも、日本の。

彼らは驚くことに日本の歴史をも知っていた。

ちなみに私は韓国の歴史は全くもって知らない。

チュモンくらいである。笑

そこで、織田信長は?とか豊臣秀吉は?とか言い合っていると、

ふと、

「伊藤博文は絶対に嫌だ。」

と言われた。

「え?」ってなる私。

え?なんで、伊藤博文は嫌なの?心から不思議に思ったのだ。

何故?と聞くと、

「伊藤博文は、韓国人を虐殺したんだ。学校で習わなかったのか?あいつは悪魔だよ。」

と憎々しい感じで言い放った。

悪魔…よっぽど憎んでいなければ悪魔だなんて言わないだろう。

そして、プリーストになる人間の口から出てくる「悪魔」は、なんだか本当に本当に「悪魔」っていう感じがした。

日本語変だけど、本当に「悪魔」っぽかったのだ。

それにしても、私たち日本人は、その悪魔について本当に学校で習ってなかったのだろうか?

少なくとも私の記憶にはない。

グーグル先生に聞いてみても、日本語の情報じゃそこまでの情報にたどり着けなかった。

一体何が真実なのか、私には分からなかった。

だから、「真実がわかれば良いのにね。」とだけ答えておいた。

国の教育なんて自国の都合の良いようになされてるだけなのだ。

都合の悪い事実は隠すかもしれない。

都合の良いことをでっち上げるかもしれない。

教育も、情報も、洗脳の一種のようなものだ。

韓国の教育が正しいのか、日本の教育が正しいのか、
または両方とも正しくないのか、私には分からない。

わかりようがない。だって、その時代に生きて、事実を見ていないのだから。

そして、その時代に生きて、事実を見ることはもう不可能なのだから。

私たちができる唯一のことは、調べて調べて、そして、得た知識を自分の「心」で判断する、それしかないのだ。

だから、何人たりとも、過去の歴史については100%言い切ることはできないと私は常々思っている。

言い切ることが出来る人を私は信じない。

資料から100%を導き出すのは不可能だと思う。

99%と言われた方が信ぴょう性があるように思えるから不思議だ。

みんな過去ばかりに気を取られているから、目の前のことがおそろかになる。

伊藤博文が何をしたにしろ、彼らが伊藤博文を憎んでいるにしろ、

私は目の前の韓国人である彼らのことを人として好きだと思っている。

それで、良いじゃないか。

何を言い争うことがある?

ということで、テキトーに話を変えて、悪魔議論は終了した。

つづく
(ここからも長いのよ…)