Way to be HAPPY

Life is a Journey

豊かになるということ

今日、唐突に気づいたことがある。

わたしはずっと「豊かになること」を避けてきたということ。

元夫と一緒に会社を作り、その会社が軌道にのり、わたしの所有する投資物件は2棟になり、年収と貯蓄額は4桁になった。

そして、様々家庭内での問題はあったものの、唐突にこう思った。

(お金なんて、あったって幸せになんてなれない。

お金なんて、ない方がいいんだ。)

そして、紆余曲折あったものの、投資物件を売却し、住んでいたマンションを夫に譲り、本来の財産分与額の1/10以下を受け取ってさっさとしょぼいアパートに移り住んだのだ。

本来、理論的なわたしとしては、なぜそこで感情的になってしまったのかが、実はすごく不思議であった。

その答えが、ポンっと今日降ってきたのである。

わたしは「豊かになること」にものすごい罪悪感を抱いていたのだ。

だから、年収がだんだん増えていくたびに、スポンサーチャイルドを見つけては、支援し、3人まで増やしていたので、毎月の支払額は意外とそれなりの金額になっていた。

お世話になった両親にも多額の送金を毎月していた。

そこまでして、意味のわからない罪悪感を払拭したいと無意識に思っていたのだろうと思う。

そして、離婚して収入がなくなった後も、実はそれを続けている始末。

わたしは、ビンボーに戻りたいと常日頃思っていたのだと思う。

旅行に行っては散財し、怪しげなセミナーやスクールに行っては散財し、もはや、正直、散財するために散財しているという意味のわからない行動に走っていたのだった。

わたしにとっては、「豊かさ」とは「お金」であり、「豊かになりたくない」ということは、「お金を持っていたくない」ということと同意であった。

でも、よくよく考えてみれば、お金があろうとなかろうと、いろんな意味での「豊かさ」は存在するのだ。

それでも、なお、わたしはお金を持っていること、手に入れることを拒否し続けていた。

そして、その原因は意外なところにあった。

父である。

父はわたしが生まれる前から自営業をしていて、わたしの家は、昔はそれなりに裕福で税金対策だ!とかなんとか行って海外旅行をしてしまうような家であった。

ところが、わたしが高校生の時、不景気のあおりを受けて、とたんにビンボーになってしまったのだ。

わたしは、別に家にお金があろうと、なかろうと、幸せに暮らしていければそれでよかった。

だがしかし、そうは問屋がおろさないのである。

なかなか仕事が入らず、ということは収入もなく、貯蓄を切り崩して暮らしていく日々に、母も、父も、ピリピリしていた。

そして、父はとっても悲しそうだった。

国立の大学にしか行かない!(まあ正しくは行けない、だけど)と意気込んで夜中まで勉強しているわたしに、いつも「ごめんなぁ、お前にばかり苦労させてしまって。」と声をかけてくれた父のことを今でも覚えている。

そして、こうやって書いている今でも泣けてくる。

わたしは、別に大学なんて行かなくても、よかった。

それでも、上の兄弟は大学に行かせてやっているのに、お前だけ行かせないなんて申し訳ないと言われて、じゃあお金のかからない国立にするか、という感じで勉強を始めただけであった。

それでも、1校しか受けずに、落ちたら働こうと思っていた。

そしたら、うっかり受かってしまったので、結局さらに両親にお金の面で迷惑をかけることになったのだ。

 

という過去があるとして、普通なら、そこまでしてもらったのなら、お金を稼いで、立派になって恩返しするのが普通じゃない?と思われると思う。

それでも、その3年間の暗く、じめじめした雰囲気の家のわたしはやられてしまっていた。

その間中、聞かされ続けた、「金のある奴はロクなもんじゃねえ」が頭にこびりついて離れなかったのかもしれない。

それ以来、わたしはお金に対して、ものすごくマイナスのイメージが気づかないうちに形成されていたのだと思う。

 

そして、そう思っていたからか、金を持ち始めた夫はものすごく嫌な奴になっていったし、ロクなもんじゃねえ具合に拍車がかかっていった。

収入に比例して、ダメ夫・ダメ社長になっていったのだ。

 

潜在意識ってものすごいなあと感じる今日この頃である。

 

ただ、今日、こうやって自分の過去の問題に気づけ、そして、現在までの問題も浮かび上がってきたのだから、もうわたしは「豊かになること」への抵抗はなくなっていくことと思う。

 

というのも、一緒にビジネスをしようと誘ってくださる方がいて、ものすごい素晴らしい提案で、本来であれば、二つ返事で承諾するべきところを、わたしはあれこれ言い訳をして、逃げてきたからだ。

それでも、諦めずにわたしの才能を信じていてくれるその方には頭が下がる思いだ。

 

わたしは不思議だけれど、きっと将来豊かになるであろうことはわかっている。

ビッグマウスかどうかは、このブログを数年後に読み直したときにわかると思う。

それでも、それを避けてきた。

そして、それを今日からやめるのだ。

 

こんなに楽しいことはない。