Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 38日目

※ずっと載せられなかった過去の日記。

ちなみにここからはカミーノでもなく、巡礼ですらなく、ただのわたしの恋愛日記やもしれない。

 

今日は、朝7時に起きた。

サンティアゴには、目的地に着いたということで安堵する人々が多く、2泊も3泊もしていく巡礼者が多い。

その為か朝早くに出発する人は少ない。

そして、物音がないおかげで私は朝まで一回も目覚めずに10時間も寝てしまったのだった。

寝ても寝ても疲れは一向に取れない。

そして、顔はむくみまくり、ものすごく眠い。

もしかしたら、原因は3日後に控えている生理かも知れないけれど。

今日は、朝ごはんをパラドール(国営のホテル。多くは古くからある伝統的な建物を改装して造られていることが多い)にて食べることにした。

S子さんが、パラドールにて巡礼者に、朝・昼・晩のご飯を10人限定で無料で食べさせてくれるということを教えてくれ、私を誘ってくれたのだ。

朝ごはんは9時からなのだが、多くの人が殺到する可能性がある為、1時間前に行った方がいいということを他の巡礼者が教えてくれたので、8時に現地に向かうことにした。

予想は的中して、まだ1時間前だというのに、既に3人ほど集まっていた。

それから待つこと一時間。

その間に、巡礼者の誰かが、クレデンシャルにラストスタンプ(到着したよスタンプ。事務所で押してくれる)が必要だということで、焦って走って行った。

そして、ようやくスタンプを押してもらい、巡礼証明書を受け取ることができたのだった。

巡礼証明書には2種類ある。

例のごとく、無料のものと有料(3ユーロ)のものだ。

無料のものは通常の証明書であり、
有料のものは、歩いた距離をも書いてくれるというものであった。

ちなみに、800kmと書かれると思いきや、若干少なかった。

どうやらサンジャンピエドポーから正確に測ると800kmに若干満たないらしい。

ちっ。

それでも、ここまでに様々な費用、時間、ありとあらゆるものを費やしてきた私としては、もちろん有料のものもオーダーしたのであった。

すべては記念であり、思い出の為であった。

そして、1時間待ってようやくパラドールの中に入れてもらうことができた。

パラドールの中には、巡礼者用に食事をサーブする部屋が用意されていて、通常のレストランとは違う場所に連れて行かれる。

そして、部屋に通され待つこと10分、カフェコンレチェとチュロス、クロワッサン、パンが山盛りになって届けられた。

それだけである。笑

さすがはパラドール、何か特別なものをサーブしてくれるのかと思いきや、そんなことはなく、ただただパンとクロワッサンとチュロスだけであった。

まあ、巡礼者だしね。

まあ、タダだしね。

文句は言えない。

そして、すべて美味しかった。

S子さんのおかげで普通では経験出来ない、素晴らしい経験をさせてもらったのであった。

それから、広場で2人で記念撮影をして、彼女は地の果てであるフィステーラへ旅立っていった。

私は、ミンが待っていると連絡してきたので、ミンが待っているアルベルゲに戻ることにした。


ミンがとあるアーティスティックなガイを見つけ出してきた。

ややボサボサ気味のブロンドロングヘアーに、よく日焼けした肌。

そして、全身くまなく鍛えられていて、とても美しい体つきをしている。

無駄な脂肪はどこにもついていない。

そして、身体には無数の傷跡。

いったい何者だろうと思う風貌の彼は私たちのような大きな大きなバックパックを地面に置いて、彼も地面に座っていた。

私たちが朝ごはんを食べている間に、彼を見つけたという。

きっと彼は素晴らしいパフォーマーに違いないとミンは言う。

そして、私を紹介してくれ、お互いに挨拶した。

私にはまだわからなかった。

彼が、本当に素晴らしいパフォーマーなのか、その時は。

そして、2人で服をすべて変える為に、街へとショッピングに出かけた。

スペインは日本でも有名なZARAというブランド発祥の地である。

もちろんサンティアゴにもZARAは存在し、安いからその場しのぎの服にちょうどいいとミンが勧めてくれたので、そこですべての服を買うことにした。

私自身はといえば、1週間以上前に南京中にやられたきりで、それ以上の被害はなく、ミンがくれた痒み止めの薬で随分良くなっていた。

もう、身体中で赤く主張していた噛まれ跡たちは大人しくなり、もはや南京中は私のそばに居ないのは確実だった。

だがしかし、南京中は血を吸いまくってお腹がいっぱいになると産卵に入るという。

そして、その卵たちは、約1週間から10日程で孵り、その暁には再び身体中が真っ赤に腫れ上がることになる。

私はそれを恐れていた。

でも、すべての服とバッグからなにから捨てる勇気は持ち合わせていなかったので、現状維持を決め込んでいた。

が、ミンはずっとこれからも一緒に居たいので、確実性を増すために、すべてを捨てて買い換えた方がいいと主張。

私は、断りきれずに、すべての洋服を購入することになった。

 

 

彼は気づいているだろうか。

今この瞬間にも私は彼を裏切り続けているということに。

そして、私は元夫をも裏切り続けている。

いったい私はどうしたらいいのか、どうすべきなのか、まったくもってわからない。

カミーノを終えれば、無事サンティアゴに到着すれば、それだけで自動的にすべての答えが出るのではないかと、「期待」していたのかも知れない。

そして、やはりその「期待」は裏切られた。

答えなど出ないし、未だに悩み続ける羽目になった。

むしろカミーノに来る前よりも悩みは深刻なものになっている。

カミーノに来る前は、元夫のことについてしか考えていなかった。

ほとんどそれが主な悩みであった。

ところが、今では、新しい問題が浮上している。

私はいったいどちらを選びたいのか、又は、どちらも選びたくないのか。

そして、その答えはきっとこれ以上歩いても歩いても見つかるものではないということも分かっている。

それでも、歩いている時だけは忘れられる。

それが為だけに私は歩き続けることを選択するやもしれない。


ミドルを探せ

彼は市街地の人通りの多い道を選んだ。

何度か場所を変更したあとの試みだったので、きっと彼はその場所に何か感じるものがあったのだと思う。

そして、おもむろに膝立ちになって座り込むと、物乞いのするように、路上を進む人々に向かって手を差し出し、そのまま静止した。

そして、左腕に仕込んでいたカッターを手に取ると、胸に書かれた文字の上からそのカッターでなぞるように刻んでいった。

人々は見て見ないふりをしながら道を通り過ぎていく。

そして、とある人々は立ち止まって彼を凝視している。

レストランの隣でパフォーマンスを始めてしまったので、レストランのウィターにやめてくれと訴えられる。

それでも、彼はやめはしなかった。

ひたすらに胸をカットし続けている。

そして、半分ほどカットし終えたところで、カッターを床に置き、踊りだした。

バレエのステップのような、不思議なステップ。

適当に踊っているようにも見えるが、それでも目が離せなくなる。

人々は更に立ち止まり、彼を見ていく。

人だかりが更に増えたところで、レストランのスタッフにより呼ばれたポリスが数人来た。

そして、彼のダンスを数分困った顔で睨みつけていた。

彼のダンスが一通り終わると、彼は事情聴取を受けることとなった。

パスポートを求められる。

ポリスは更に増え、6人ものポリスに取り囲まれることに。

ミンはそれでも撮影し続けた。

スペインの法律は知らないが、日本の法律では、彼の行為はどの法律にも触れていなかった。

それでも、やはり困った人々は警察を頼るのであろう。

めんどくさくなったら警察を呼べばいいのである。

それは、どこの国にいっても同じなのであろう。

そうして、パフォーマンスは終了となった。

最後の方は、警察の人々も彼と一緒に笑っていたので、きっと呼ばれたから来ちゃったという感じなのだろうと思った。

そして、パフォーマンスは無事に?終了した。

ウィリアム(パフォーマンスしている人)は、血を流しながら嬉しそうに笑っていた。

そして、私とミンは血を流したままの彼と握手をし、ハグをし、別れた。

別れ際に、ミンはローラの耳元で「ユーアーゴージャス」と囁いていた。

囁いていたというか、聞こえた。

ちょっと「なぬっ?」ってなってしまった私であるが、別に彼は私のものでもなんでもないと、自分をなだめすかした。

そのあと、ミンは2人で歩いている時に、何故彼女にゴージャスだと言ったのか説明してくれた。

ウィリアムは55歳で、サンティアゴで路上生活をしているが、英語しか話せない。

もし、ローラが彼の元を去ったとしたら、彼は彼のパフォーマンスについてスペイン語で説明してくれたり、彼を守ってくれる人はいなくなるであろう、とミンは話した。

だから、それでも彼の元を去らずに、ずっと側にいるローラはゴージャスだと言ったのだそうだ。

説明してくれたということは、私に聞こえていたということに気づいたのだろう。

どこまでも、敏感な人である。

だからこそ、気になって仕方ない。

彼は私の気持ちの変化にすぐ気付く。

どんな小さな変化にも気づかないということはない。

それは、とても居心地が良いということでもあるし、時にとても恐ろしくもある。

それを、ランチの際に話した。