Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 40日目

今日は、9時に起床。

それからダラダラと支度をして、11時までごろごろしていた。


夜になって、さあ寝ようかという時に、ミンは、

「今まで言ってなかったけど、これが俺のストーリーだよ。」

と話し始めた。

ミンには、大好きなおばあさんがいる。

今では重度の痴呆症らしく、もはやミンが会いに行ってもミンだと判別がつかないらしい。

そして、3年前に、ちょうどおばあさんが病院に入院し始めたということで、NYから韓国におばあさんに会いに行ったそうだ。

そして、ついでだからと健康診断を受けた。

その際に、ステージ1の肝臓癌が見つかったそうだ。

そして、早期に発見出来た為、無事にすべての癌を摘出することができたという。

ミンは、おばあちゃんが俺を救ってくれたんだと言っていた。

そして、運命とは不思議なもので、悪いこともあれば、良いこともある。

すべては、円になっていて、人生においてそれは何度も繰り返されるのだと言う。

そのミンの大好きなおばあちゃんは本当の血の繋がったおばあさんではなかったそうだ。

話を聞いているうちに判明したのだが、ミンは7歳の時に日本人の母親に捨てられ、父親と一緒に韓国で過ごしていたと前に私に言っていた。

ということは、おそらくミンの父親はそれから韓国の女性と再婚をしたということだ。

そして、血の繋がっていないその継母の母親であるおばあちゃんだけは、みんながミンのことを嫌う中で、本当の孫のようにひたすらミンを愛してきてくれたという。

そんな愛するおばあちゃんが、痴呆症で入院したと聞き、ミンはひどくショックだったであろう。

それでも、そのおばあちゃんの入院という悲しい事実のおかげで自分は癌を発見することができた。だから、結果的には良かったのだとミンは結論付けた。

私は、話を聞いているうちに、どうしても涙をこらえきれなくて、泣き出してしまった。

まず、ミンが癌を患っていたという事実がショックであった。

そして、その癌は私の大好きな叔母の命を奪っていった。

だからこそ、ついつい重ね合わせてしまったのかもしれない。

そして、幼い頃に母親に去られ、そのあともおばあさんを除く多くの親類から嫌われて育ったというミンの心境を思うと、涙が止まらなくなった。

だからだったのか。

だから、ミンは癌になるまで、誰にも負けない、自分のベストを常に尽くし、いつも気を緩めることなく生きてきてしまったのか、と納得がいった。

ミンは癌が見つかってから、生き方を180度変えたという。

癌が見つかった時に、「人は明日死に得る」ということを鮮烈に感じたという。

そして、その明日死に得るという感覚はミンの生き方をを変えた。

明日死んでも悔いのないように、毎日をハッピーに、精一杯生きることにしたという。

私はきっとミンの癌は、身体からのメッセージだったのだと思った。

いろいろなものを犠牲にして、ベストを尽くさなければという強迫観念に突き動かされて生きている日々は、きっと身体を酷使することとなっていたのだと思ったからだ。

それからは、ミンは身体のことを第一に考え、水を毎日最低でも3リットルは飲み、消化器官を休める為に、月に1回は必ず断食をするようにしているという。

そして、お酒は楽しい時にしか飲まない。

辛い時、悲しい時には絶対に飲まないようにしているのだそうだ。

それだけ心がけているからか、ミンの身体はどこから見てもクリーンそのものだった。

南京中被害にあった跡を除いてだけれど。

そもそも、南京虫にミンだけあれだけ散々狙われたのも、もしかしたらミンの体がクリーンで、血が美味しかったからかもしれないなとこっそり思った私であった。

けれど、南京虫の話を持ち出すとミンはものすごい嫌な顔をするので、言わずにおいた。

少しだけミンのストーリーが分かって嬉しかった。