読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Way to be HAPPY

Life is a Journey

映画「おくりびと」

「おくりびと」
この映画を見ているとき、わたしは涙が止まらなくなった。
人々がいかにその職業を蔑もうとも、配偶者が蔑もうとも、そこに生きがいややりがいを見出す限り、それは天職なのだと。
それを思い出したのだ。
わたしは大学時代、人には言えないような仕事をしていた。
文字通り、人に言ったことはあまりないし、ここにも書きたくはない。
それでも、わたしはその仕事をしていたことを後悔したことは一度もない。
反省は何度もしたことはあるけれど。
そして、そのとき、わたしはこう思っていたはずだった。
「職業に貴賎なし」
そこには、需要があり、必要があるからこそ、その職業は存在するのだと。
誰に蔑まれようとわたしは気にしてはいなかったはずだ。
それなのに、そんなこともすっかり忘れていた。
知らぬ間に、人を地位や収入で選別するようになっていた。
前の仕事のせいかもしれない。
26歳で、こんな年収の女はわたしくらいなんじゃないかという変なおごりが知らぬ間にわたしの心を侵食していたのだ。
そして、自分たちで会社をやっているという変な自負もそれらをこじらせた。
夫がバカにしていたサラリーマンなるものを、わたしもバカにし出していたのだ。
それが、どうだ。
今のわたしは、サラリーマン(ウーマン?)にさえなれない、ただの臆病者に成り下がっているではないか。
わたしは怖かったのだ。
前の職業と比べられて、年収と比べられて、情けないと思われることを。
だからこそ、働くことも出来ずに、起業することも出来ずに、ただお金と時間とエネルギーを浪費することにこの1年半を費やしてきてしまったのだ。
これは、夫のせいなどはなかった。
わたしがわたしにそう思い込ませていただけだったのだ。
そして、比べるのは、実は周りの人間じゃないということも。
わたしがわたしを勝手に比べていたのだ。
ただそれだけの妄想にずっと取り憑かれていたのだと思った。
何にもなれない自分。誰にも認められない自分。
ずっとそれを恐れて、行動すること、1歩踏み出すことを避けていた。
本当は、誰もわたしのことなんてそんなに見ていないし、気にしてもいないだろうに。
ものすごい自意識過剰である。
だからこそ、誰に蔑まれようとも誠心誠意仕事に取り組んでいる主人公を見て、涙が止まらなくなったのだと思う。
何をしていても、どんな職業についていても、自分が自分を認めてあげれさえすれば、毎日はもっと楽しいものになるだろうし、充実した人生になるだろうに。
どうして、そんなことにも気づかなかったのだろう。
でも、もう大丈夫。
気づきがあれば、きっと人は変わっていけるから。
わたしはもう過去に執着することをやめる。
過去は、過去。
未来は、未来。
見えない未来を憂いていると、自分が今、ここから消え去ってしまう。
そして、毎日の色が薄くなっていく。
生きている実感が消えていく。
もう十分味わった。
だからもう、大丈夫。

f:id:xphantasmagoriax:20170122102211j:image