Way to be HAPPY

Life is a Journey

幼少期の傷3

そして、困ったことに、そこそこ可愛いルックスだった為に、私の要望は周りの大人達によってある程度満たされ、大人になってからは、その役割を寄ってくる男性陣が引き受け、なんとなく生きてこれてしまったのだった。

目も当てられないブスだったら、もうちょっと早く気づけていたのかもしれないのに。

もう、この歳になるまで気づかなかったからには、かなりの重症である。

しかし、計算高いからか、なんなのか、それはほんの親しい人にしか発揮されない癖なので、母親か、恋人(または一発以上かました相手)かにしか気づかれない。

それ以外の人には、本当にいい子に見えるように計算して生きてきてしまったのだ。

その為、ずっと心の内側になにかくすぶっている爆弾のようなものを抱えて生きてきたのだと思う。

ただの知人や友達や兄弟・親戚には発揮できないからこそ、不平不満というか、欲求不満が日々募っていく。

その発散先が、母親か、成人してからは付き合っている相手だったのだ。

彼らに関しては、もう被害者の会を結成されても仕方のないくらい悪事を働いてきたと思う。

それでも、その悪癖は、最後の夫で終了した。

もう、すべてに諦めることに慣れきっていた。

誰も私のことなんて理解できやしない、と結婚生活の中盤で諦めた。

そして、それが故に、私の摂食障害は日々悪化していっただのだった。

感情のはけ口を求めているにもかかわらず、感情のはけ口が見いだせない。

だから、私はそれを過食嘔吐することによって満たしていたのかもしれない。

相手を責めることをしなくなってからは、ずっとその責める相手を自分自信に向けてきたのだった。

誰も分かってくれない。

誰も私を愛してはくれない。

誰も私を守ってはくれない。

そうやって、いつの日にか私は拗ねて、捻くれだしたのだと思う。

そうやって出来上がったのが、今の私の人格だった。