Way to be HAPPY

Life is a Journey

幼少期の傷5

周りからは、私は父にとても愛されていたと言われていた。

目の中に入れても痛くない子だと父は言っていたと。

それは、真実かもしれない。

それでも、幼少期の私の真実ではなかったのだ。

 

私がバーベキューで鉄板に手を突っ込み、火傷して大泣きしている時、

私が、父と遊んでいて、テーブルに顔を打ち付け、歯で唇を貫通した時、

私が、キャンプで蜂に刺されて大泣きした時、

果たして、父は何をしてくれただろう?

 

何もしなかったのだ。

ただ、不機嫌になり、怒って、母親に「泣き止ませろ」と言っていた。

 

それを、29歳になって思い出した。

 

何かあった時、泣きじゃくっていた時、そばに居てくれたのは母親だけだったのだ。

 

私はそのことさえ記憶から抹消していた。

 

直接、父に手を上げられたことはおそらく一度もないだろう。

 

それでも、当時の私は、どうして私を心配してくれないの?どうして怒っているの?と思っていたのだった。

 

正直、それがずっと尾を引いているのだと思う。

 

そして、その父の言動に対して、私は愛されてはいないのだと確信したのだと思う。

 

私はずっと、父を求めてきたのだ。

 

泣いている私をよしよしと慰めて欲しかったのだ。

 

鉄板に手を突っ込んだのも、触るなと言われて蜂に手を出したのも、

本当は父にかまって欲しかったからだ。

私が傷ついて泣けば、きっと父は助けてくれるだろう、と私は計算したのだ。

それでも、そこで失敗してしまった。

だからこそ、愛されていないと感じた。

そういうことだったのだろう。

 

私は常に父の愛情を欲し、父の愛情を試してきたのだ。

 

本当は、だからとて、父が私を愛していなかったということにはならないということも分かっている。

 

父の父(私の祖父)は、戦時中のPTSD(今ではそう病名があるが当時はなかった)で、お酒を飲むたびに暴れ、父に暴力を振るったそうだ。

 

心理学のセオリーでは、それは実は、子供に対して受け継がれていくことが非常に多い、とされている。

 

それでも、父は、お酒が好きなのにも関わらず、暴れることも、殴ることも一切なかった。

 

本当は父は、そこで家庭内暴力という悲しい連鎖を終わらせてくれていたのだ。

ということが、私が大人になってから理解した。

 

自分の中の抑えきれない感情との戦いだったのだろうと思う。

 

だからこそ、あれが父の最大限の愛情を示してくれていたのだと思える。

 

でも、幼少期の私には理解する術もなく、ただただ愛情に飢えてしまっていたのだと思う。

 

どちらも、悪いとは思わない。

そして、どちらも被害者であったのだ。

 

そう気づけた今なら、父を許せる。

 

父は最大限私を愛してくれたのだと思える。

 

あとは、私がこの未消化であった父への感情を、どうこれからの人生で消化していくかにかかっている。

 

そして、これが消化できるまで、私は誰も愛せないであろうと思う。

子供など産めないし、愛情を持って育てられる自信がない。

だからこそ、神様は猶予を与えてくれたのだと思っている。

 

あとは私の問題である。