私は幼い頃からぽっちゃりしていた。
幼いころはそれはぽっちゃりしているこの方がガリガリな子よりも可愛く見えるものである。
私はたいそう可愛がられていた。
しかし、小学校に入ってからは、ぽっちゃりという言葉の代わりに、
デブという言葉がしばしば使われるようになっていった。
小学校3年生にもなってくると、太っていることは、悪口に「デブ」と使われるものなのだと認識し始めた。
そして、デブとは醜いということなのだということも認識せざるを得なくなっていた。
姉はもともと食が細く、生まれながらに細い。
朝食の時などは、姉が食べきれなかったごはんやパンまでも私が喜んで食べていた。
今、考えてみれば、あれは小学生の食べる量ではなかったようにも思う。
すでに過食症が始まっていたのかもしれない。
それに嘔吐が付いていないだけで、病気とはみなされずに。
もしかしたら、私は昔から何か足りないものを埋めるために、食べていたのかも知れなかった。
今でも覚えているのは、親が私が食べ得るものを手の届かない戸棚や、見えない場所に隠していたということ。
もはや、病的に食べるようになっていたのは、ずいぶん昔からだったのかも知れないと私は思っていた。
家族で焼肉を食べに行く。
最後のクッパまで誰よりも食べ、そして家に帰る。
それでも、私はまだ食べたくて、食べたくて、お菓子を求めていたことを今思い出した。
私には昔から、食べるのを終わる、ということはあっても、
満腹でもう食べられない、などということは一切なかった。
そして、満腹という感覚を味わったことなど、人生で一度もなかった。
お腹がはちきれそうになるまで、物理的に入らなくなるまで、
私は実際に食べようとしていたのだった。
そう考えると、もはや、過食とは、「思春期につきものの、あれ」などではなく、
生まれながらに、何か、ずっと飢え求め続けたのだと感じた。
姉が「お腹いっぱい。もう食べられない」と言うたびに、何言ってんだこいつ、と不思議に思っていたのだ。
私はもはや大昔から何かが壊れていたのかも知れない。