Way to be HAPPY

Life is a Journey

冷静とセックスの間

冷静と情熱の間をもじってみたかったけど、どうも納得のいかない出来になった。

11分間の前と後にすればよかったかな、でもこれ、パウロコエーリョ好きにしか伝わらないよな、
とか考えていたらすごい時間が経過していた。

そろそろ寝ないと。でも、これを書かないと今日は悶絶して寝れない。

今年の元旦からとある人と付き合ってみた。

最初は本当に付き合ってみた、レベルだったけど、
途中からとても楽しかったし、幸せな時間だった。

どれだけ話していても、話が尽きないし、
一緒に居て苦痛じゃない、神様からのプレセントかこれは、と思っていた。

やるまでは。

私の人生において、99%付き合う前に事をなしていることしかなかったので、
それはもう新鮮で新鮮で仕方がなかった。

生まれて初めての青春っていうものをひたすらに味わっていた。

やるまでは。

やって2日目。

気づいてしまった。
ああ、いつもこうやって終わりが来るんだな、というパターンに。

あの11分間にいったい何が起きているのだろうかと不思議でたまらない。

たった11分間(比喩ですよ)に、絶対的に何かが変化しているということに今日確信を得た。

別に、早漏だったとか短小だったとかそういう問題ではなく(違うよと相手のために言っておく:575)、
絶対になにかが起きているとしかいいようがない。

ただの摩擦運動としか思っていなかったそれにそんなに重きをおいていなかった。

にも関わらず、私はこの1ヶ月以上それを断固拒否していたのだ。

純粋ぶってとかそういうものではなく、ああ、これはやったらまずいやつだ、と感じていた。

やったら、終わるなにかがあるなと。

そして、それがなにか今日なんとなく分かった。

その行為を通して、相手との境界線が曖昧になるのだと分かった。

私の場合でしかないけれど、やるまでは、他人として尊重していたなにかが、
やった瞬間から知らないうちに消えていく。

推測でしかないけれど、私は相手を自分の一部だとみなし始めるのだと思う。

だから、傷つけてもいい。そう思っている自分に今日気づいてしまって驚愕した。

相手の粗探しを無意識にスタートさせていることに今日気づいた。

そして、自分から遠ざけようとする癖があることにも。

これは、思春期の時、私が母親にしていたことと似ている。

今となっては申し訳ないけれど、どんなに傷つけても平気な存在。

それでも、私のそばに居てくれる存在。

それが母親だった。

そして、それを今相手にしている。母親と混同しているのかもしれない。

私は昔に遡れば母親の一部だったからそう思っていたのかもしれない。

そう考えると、やるという行為は一時でも、私の一部と化すからなのか?とか考えてしまう。

自分と相手との境が見えなくなる。

それが怖くなった。

だから距離をおこうとしてしまうのか。だから、相手を傷つけようとしてしまうのか。

私は実は付き合う前から言っていたことがある。

やったら、いつか好きではなかったと気づく日が必ずくるから、やりたくないのだと。

その予言がすでに実現しようとしているのか、はたまたこれは思い込みなのか。

私の悶絶は結局これを書いてもつづくことに、今、気づく。

どうして、相手を傷つけたいという衝動にかられるのだろう。

そこになんの意味があるのだろう。

そんなことをしている自分に今日ももれなく自己嫌悪。

いったい私は何から自分を守ろうとしているのだろう。

自分をも傷つけるその行為を通して。