Way to be HAPPY

Life is a Journey

宮古島に行っちゃった 3日目 大神島

さて、神の島に行った話。

この日もちょっとバタバタ。

というのも、またしてもわたしの勘違いミステイクさ。

バスの駅で「平良」がなんと2カ所あったようで、
わたしはバスが来ない方の「平良」駅に、
ステイ先から約40分かけて歩いて間違えていくというミステイク。

到着した時にはもう、
もう1つの正しいバス停よりバスは発車しているという悲しい現実が。

タクシーで行くとけっこう距離があるので、バスを選んだというのに・・・!
沖縄でお金を落として行けという指示なのか?そうなのか?
思惑どおりタクシーを見つけて、タクシーで行ってやりました。
でも、2500円くらいで思ったより安かった。
これも40分自力で歩いたおかげかしら・・・切ない。

島尻漁港に着いて、お金を支払う際に、タクシーのおじーが、
「お姉ちゃんは、’かみのひと’?」
と聞いてくる。

なんだそれ?

わたしが???という顔をしていると、
「いやーあの島には神様に呼ばれてくるっていうからさー」
とおじーが。

久高島といい、大神島といい、神様動けないから、
呼ぶんだろうなーと思ったわたし。

そして、その5分後には、
いや・・・絶対呼ばれてないでしょ・・・
という確信に至った。

すっげーーうるせーー中国人観光客一家が一緒のフェリーで。
彼らのことも神様が読んだってこと?
いやいや、呼ばないでしょーーーと思ったわたしとしては、
あ、じゃあわたしも別に呼ばれてないだろな、と思うに至る。

別に人種差別的な意図でもないし、そういうのはないつもりだけど、
声がでかいひとが本当に嫌いなんだと思う。

写真撮りまくってて邪魔なのは、私たちだって海外でしてるし、
お互い様だと思ってる。
(あんなに三脚持って何百枚も何時間も撮らないとは思うけど)

でも、声がでっけーのだけは無理なんだよね。
誰かの怒鳴る声とか喧嘩してる声、ちょっと苛立った声さえも嫌い。
その3種類が混ざり合ったような音を出す彼らが無理なんだろうな。

まあ、なるべくそちらの方の国には行かないようにしてる。
そして、彼らを見つけたらなるべく距離を置くようにして逃げている。
それがお互いにとって心の安定でしょう。特にわたしの。

ということで、島にとうちゃーーーく!!

とっても小さい島のようで、1周3kmくらいだとおじーが教えてくれた。

まず、船場からまっすぐ上に上がっていく坂を登って、
見晴台まで連れて行ってくれるとのこと。

なんだかとっても気の良い島で、
まだ少し曇ってはいたのだけれど、島の南側ということもあって、
伊良部島で受けた強風からすればほとんど風がないと言っても良いほど。
そして、厚かった雲が少しずつ薄くなり、太陽が出始めていた。

と、その前に港について、右側に石に入っている神様にご挨拶。

なんとも、その小さな石の左側にはちょーでかい石があるんだけど、
その神様がいらっしゃる石ももともとは左のちょーでかい石よりもでかかったそう。
なにかを建設(忘れた)するときに、許可もなくもともとのでかい石を砕いてしまったせいで、
神様が怒って、その工事関係者数名が亡くなったことがあるとのこと。
その事件をうけて、砕いちゃった石を見つけてきて、ようやく見つかったのが、その神様の石なのだそう。
土地土地に神様がいるのだろうけれど、土地土地でいろんな事情があるのだなーと思う。

わたしもきちんとご挨拶して、いざ山へ!!

最初から最後まで、島で唯一の11歳のおばー犬がずっとついてきて、
とっても可愛いかった。。。
島の放送の音楽に合わせて歌ってるのがとってもキュート。

今回は、おじーの案内をお願いした。
島の人の案内なしに入るのが少し怖かった、ということもある。
そう考えるとわたしは世界中で神様がいる場所にどれだけずけずけ入っていったか・・・という。
よし、考えるはやめとこう。

スペインとか、カミーノ巡礼中にキリスト教会に巡礼者ちょーずけずけ入っていくわけだけれど、
そっちの神様は、意外とゆるいってこと?というか、神様いないのか、キリスト教の土地だから?
そこらへんについては、きっとどこかで誰かがいつか教えてくれであろう。(雑)

大神島の人口は30人を切って、現在26人とのこと。
その最年少はもう51歳なのだと・・・どれだけ高齢化・・・
少子高齢化どころのさわぎじゃない、子供がそもそもいない。

昔の学校の跡地の看板が寂しい感じで残っていた。

昔は、フェリーがなかったので、泳いで渡ることもあったのだそう。
外の街の学校に行って、お金がないときは泳ぐ、のだって。
ワイルドだ。でも、浅いから途中で足をついて休めるらしい。

昔は子供達が260人くらいいる学校だったのだけれど、
当時、1つの井戸の水で人口すべての水を賄っていたため、
どうも足りない。
そこで、島の半分の人を宮古島に移住させたらしい。
最終的にはほとんど移住することになり、
神様のことがあるので、関わるおばー達は残された、と少し悲しい顔で言ってた。

そんなおばーももう90近くになっていて、
後継はいない。前はいたけれど、神様に拒否されたらしい。
(血が繋がっている人でも、神様に拒否されるとがあるのだそう)
逆に血が繋がっていなくても、そのお役目を授かる人もいるとのこと。
神様に選ばれる基準はいったいなんなんだろ?という興味がある。

でも、選ばれちゃった人は、
この島から一生出られないかと思うと、
今の若い人には酷だろうなーとかいろいろ考えてしまった。
たぶん、とっても大きなお世話よね。笑

しかし、すごい階段が辛い。
めちゃめちゃ長い。
途中でみんな息切れ。

こんな山の階段を毎年、4ヶ月間4回もご高齢のおばーが登っていると思うと、
本当に神様のことというのは、大変なことだし、最も重要なことなのだな、と感じた。

途中で自給自足に使っている畑がチラホラ見えた。
結構採れるようで、島の人たちだけでは食べきれないので、
家族に送ったり、宮古で売ったりしているとのこと。
とても綺麗でおだやかな畑だった。
昔の大量生産なんて考えてなかったころの畑はこうやって穏やかな顔をしていたんだろうな、って思った。

途中の畑は草だらけになってしまっていたのだけれど、
そこの畑をやっていたおばーが骨を折ってしまったのだそう。
もう1週間くらいここにいて、わたしがすべての雑草を抜いてまわりたい気持ちに駆られた。
でも、歩いていても島の人に会うこともなく、なんだかひっそりとした雰囲気だった。
きっと受け入れてはもらえないんだろうなーと思うとちょっと寂しくなった。

そして、とうとう頂上近くに、
御嶽があった。
おばーたちはここで4ヶ月間のうち数日間を4回ほど断食してお祈りをするのだそう。
お賽銭としてお金が積み上がっている入れ物があったけれど、
なんだか足を踏み入れられなくて、
入り口の前でご挨拶をするだけにしておいた。

そのお祈りをする場所の岩がこれまた超でかくて、
その岩の後ろが、すべての島を見渡せる展望台になっていた。
その展望台から見る景色はとっても綺麗だった。

中国人一家が陣取っていつまでも記念撮影をしているのには少々閉口した。

「撮るよりも、感じろ!!」
という言葉を彼らにプレゼントしたい。

それから、山を降りて、
有名なそろそろ折れそうになっている、「奇石(ノッチ)」という石を見に行った。
そろそろ折れそうだわ、たしかにw
でも、なんとタイミング悪く満潮wのため、折れそうなところがほとんど見えない。笑
どうか次来るときまで、折れないでいてくれ・・・!!

この島には、伝説で海賊が宝を隠したとか。
実際に海賊が島に上陸して、島人を殺して焼いてしまったという洞窟が残っているのだそう。
まだ骨残ってるけど、見る?っておじーが聞いてくるけれど、お断りしました。
行ったら・・・あかんやつや。

あとは、道路を建設しようとすると、いろいろな災害や障害があって、
それ以上は進まないという話も。
実際に、道路のはじっこを見てきたけれど、
コンクリの重たい道路が台風でけちょんけちょんにやられていたよ。笑
バリッバリに板チョコみたいに割れてるの。
自然の力ってすごすぎる・・・!!偉大だ。

フェリーは冬の間は、4便ほど往復で出てる。
わたしは第2便で来たので、第3便の復路で帰ろうとしていた。
でも、島唯一のおぷゆう食堂の大神名物カーキダコ丼がどうしても食べたくて、
残り20分だったけれど、間に合うな!と思って食堂に。

したらば、後ろから例の中国人ファミリーの日本語の話せる女性がやってきて、
そのままカウンターで注文し出し、ファミリー全員分の注文と、
やれさんぴん茶を湯せんで暖めろだの、違うメニューはないのかだの、
まくし立てているうちにたぶん10分が経過し、第3便を諦めることに。

気にしない、気にしない。

そんなこんなで約20分後にようやく飯にありつけた私は大満足。
すっごく美味しかった。タコと鰹節のハーモニーってやつ。

それから、かなり時間がありあまっていたので、
もう1日静かなパターンで山頂まで登ることにした。

一人で静かに登るのも、アリでした。
海を守っているもう1人の神様にも遠くからご挨拶して、
もう1度山の方にいらっしゃる神様にきちんとご挨拶して、
お、なんかここにいるんじゃね?っていう場所でもご挨拶して、
途中で、あれ?なんでわたしこんなに挨拶ばっかしてんねん!って自分に突っ込み入れて。笑

大浄化、といえば聞こえはいいけれど、
すっごいう⚪︎こでたのは内緒。

正直、漏れるかと思った。
間一髪でした。

そんな素敵な大神島の思い出を胸に抱いて・・・
ということで、帰りのフェリーでも中国人一家の大声に悩まされたのでした。
どうして喧嘩しているように聞こえるのだろう?誰か教えて。