Way to be HAPPY

Life is a Journey

かなり久しぶりの投稿。

思うところがなかったわけじゃない。

でも、言葉に表すという手段に訴えなかっただけ。

過食嘔吐と同じで、言葉を吐き出す必要性に今、迫られているのかもしれない。

今日、39才の姉が第2子を授かったとの報告があった。

昔から私にとっては憧れであり、目の上のたんこぶのような存在だった姉。

いつもいつもずっと妬んで来たのかもしれない。

でも、嫌いじゃないんだ。

この運命を呪っているだけ、と言うか、この役割を呪っていると言うか。

私に妬まれると言う役割を買って出てくれている姉。

そして、姉の劣等感によってきっと私の人生は何か彩というか、
必要なものがあぶり出される設定になっているのだろう。

どうして、こういう設定になっているのかは今の私にはやはり皆目見当つかない。

それでも、憎んでいるわけでは決してない。

私のことを彼女なりに考えてくれて、心配してくれて、気を遣ってくれているのがわかるから、
やっぱりこれは設定だと感じる。

彼女は決して太ることもなく、身長は高く、顔は小さく、美しかった。
もしかしたら、39才の今でもそうかもしれない。

私はずっと彼女がコンプレックスだったのだ。

私が彼女の妹でなかったら、こんなに容姿に悩まされることも、
苦しむこともなかった。

もっと言えば、過食嘔吐になるきっかけさえなかっただろう。

でも、それは彼女のせいじゃないことはわかっている。

そういう設定にしたかっただけなのだから。

でも、そういうことがわかった上で、
私はやはり苦しむ羽目になる。

私は今は31才。

普通なら結婚して、子供がいてもおかしくない。

でも、離婚という道を選んだのは私だ。

そして、子供を産みたくないと必死に願っているのも私だ。

それらをことごとく拒否しているくせに、
今日の彼女のご懐妊報告に動揺してしまった私がいた。

何もない私。
お金もない。
仕事はあるけど、給料は初任給より低い始末。
まあ、何もないに等しい。

そして、彼女は立派なマンションに住み、
可愛い男の子を既に授かり、
専業主婦にしてくれる旦那がいる。

比べると、歴然の差である。

自分でこの自分の生活に追い込んで来たことは重々理解している。

それでも、辛い。

自分が社会不適応者になったような気分になった。

それは、この日本という社会がそうさせているのか、
自分で自分を追い込んでいるのか、
はたまた両方なのかは分からない。

歳をとっても結婚しない人はいる。
結婚したくてもできない人がいる。

その事実を理解した上で、私は今苦しい。

とっても苦しい。

この気持ちはどこから来るのだろう。

世の中のマジョリティの人々と比べることからくるのだろうか。

自分の設定している未来との乖離からくるものであろうか。

今はまだわからない。

なぜ私が女という性別に生まれてきたのか、
このような気持ちを抱えながら生きるのか、
きっといつか理解できる日がくるのかもしれない。