私のおばあちゃんはもう94だ。
それでも、ボケることなく、頭はしっかりしている。
神経症で、手が震えるのと、耳が最近遠くなった以外は。
私のお母さんは、そんなおばあちゃんの家に嫁にきた。
おばあちゃんの夫は、戦後今でいうPTSDにやられて、
飲みすぎて、死んだ。
それまでは、とても良い人だったと言う町民の証言がある。
戦争は人を変える。
そして、さっさと飲みまくて暴れまくった挙句におじいちゃんは死んだ。
そんな中、おばあちゃんは必死に働いてお父さんを育てた。
そして、結婚した相手のお母さんをいびりたおした。
同居していた私は、それを全て見ていた。
いつも気丈なお母さんが夜になると寝室で泣いているのを見ていた。
お母さんは隠れて泣いていたつもりかもしれないけど、
私は、そんなお母さんを見ていた。
お父さんは、仕事で忙しいとそれを黙殺していた。
お兄ちゃんはそんな家庭に堪えきれなかったのか、
思春期になると、お母さんに暴力を振るっていた。
私には何もできなかった。
ただ、お母さんのお手伝いをすることしかできなかった。
お兄ちゃんを止めることは私にはできなかった。
お父さんは私には暴力を振るうことはなかったし、
お姉ちゃんにもなかった。
でも、お兄ちゃんを背負い投げして、
玄関の分厚いガラスがバリバリに割れたのを私は知っている。
私はお兄ちゃんが結婚しないのも、
家に寄り付かないのも、
全て理由は理解しているつもりだ。
私は、両親に愛されていたこと、今でも愛されていることを理解しているつもりだ。
でも、そう思えないお兄ちゃんの心情もすごくよくわかる。
私の家も、他の家と引けを取らないくらい異常だった。
私は人一倍、空気を読む癖があったから、
本当にあの時の家の空気は耐え難かったものはある。
でも、それでも、お母さんは誰の悪口を私に吹きこむこともなく、
気丈に育ててくれた。
あんな素晴らしい母親はまあいないくらいな感じがしている。
私の家は本当は異常だった。
でも、お母さんのおかげでそこまでは思わなくても良いようにしてもらっていたのかもしれない。
私は恵まれた家で育った訳ではない。
でも、恵まれていたともわせてくれたのは、母が、私の母であったからかもしれない。
まあ、私だったら、ソッコードロンしているような家だった。