Way to be HAPPY

Life is a Journey

クソダメ離婚調停委員の件

この2日間私が頭に来ていること、それは、偏見だ。

 
女だからって働いていなかったわけじゃない。
私は会社を作る前からずっとアイツと一緒に働かされてきた。
それがあったからこそ、今の会社があるのだとそう思ってきた。
でも、世間が感じている印象はそうじゃない。そうであっちゃいけないんだ。
私は、会社で成功した夫のお金目当てで、今、離婚調停をしている・・・
 そうやって世間はどうしても私を色眼鏡を通してみたいんだろう。
こんな金髪のバカみたいな女が会社設立に貢献した?いやいや違うでしょ。
そういう心の声が聞こえてくるんだ。
だから、ものすごく苦しくなる。切なくなる。
人は皆、自分の見たいようにしか世界を見ない。
自分に最適なフィルターで世界を濾しているんだ。
だから、その目につまってしまうような因子はすべて否定する。
昨日の例でいくと、あの70歳近い調停委員のじじいは、こんな小娘が会社に貢献しただなんて露ほども感じてないわけで、
そもそも、そうだったとしても認めたくないわけで。
だって、そうじゃないと自分の男としての70年間近く生きてきたというアイデンティティーが失われてしまうから。
私という存在は、彼の世代観にはそぐわないのよね。
そりゃあ1999年までは良かったと思いますよ、それで。
でも、今は2015年なんですよ。もう、その価値観じゃあ生きていけない時代が来ちゃったのよ。
その頑固オヤジ精神は今まで生きてくるのに必要だっただろうし、否定はしない。
でも、だからこそ、私を否定するのもやめてほしい。
自分の人生を肯定するための否定なんて、そんな無駄で何も生み出さない悲しいものはないと思う。
そして、一番何が言いたいかって言うと、家でテレビ見ながら「近頃の若いもんは」とか言ってそれをするのは良い。
だが、人の人生を左右する調停という場所で、それと同じことをされたら困るわけだよ。
そんなん家でやってろやってなるわけですよ。
自分の立場を利用して、自分の劣等感をそこで癒そうなんて一番汚らしい行為だと思うの。
オナニー以下ですよ。オナニーには必ず健全(?)な罪悪感が付きまとうし、それがその行為を良い塩梅にしてくれてるものだと信じているけれど、そのオッさんがしていたのは違うこと。
オッさんのそれには、全く罪悪感がない。
むしろ、罪悪感を植え付けることを使命としてしまっているところさえある。
自分の心の奥深くに宿る闇に目もくれず、他人の闇に光をさし込ませてやったぞ!とかアホみたいな神経でいるような気がしてならない。
まあ、そのようななかなか日の目をみない仕事はきっとそれで十分なのでしょうが。
しっかし、本当に傷ついたぞ私は。