Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 12日目

 

今日は12日目。

Najera → St.Domingo de la Calzada 21km

今日は非常に寝不足である。

まずは昨日の夜の愚痴から書かせてもらいたい。
これを書かない事には、昨日の事件を消化出来ず、先に進めないと思う。

昨日は合計32km近く歩いたこともあって心も身体もヘトヘトであった。
アルベルゲに到着したのは午後2時半といつもに比べるとかなり遅め。
なので、シエスタ(昼寝)をカットして、夜9時に寝てしまおうと踏んでいたのだ。

だがしかし。

後で知ったのだが、昨日は、ナヘラの街でブタ祭り(ここは韓国人のおじちゃんに又聞きで知ったので曖昧)があったらしい。

知らなかったのだが、スペインの祭りはかなり盛り上がる。

盛り上がる限界を知らないほどに、彼らは盛り上がるのである。

街にみんな集まっては、夜中まで(いやむしろ朝まで)飲んで、飲んで、歌って、叫んで、大声で盛り上がる。

小学生だって、中学生だって、大体12時くらいまでみんなで一緒に歌っていたよ。(早く帰れよ)

しかも、バルが閉まらないのか、夜中まで外でどんちゃん騒ぎをしているのだ。

そして、何故かヤン車みたいな爆音を発生させる車がやたらと通る。

昨日のアルベルゲは、なんとそのバルのすぐ近く、かつ、大通り沿いであった。

であるので、窓を開けていると、ものすごい騒音なのである。

夜9時を過ぎても、誰も窓を閉めない。
きっと、ベランダに干してある洗濯物を取りに来る人がいるからであろうと、10時までは騒音の中、じっと我慢していた。

10時に寝れば、まだ大丈夫だと踏んでいた。

ところが、10時になっても誰も窓を閉めようとしない。

依然、騒音はものすごいままだ。
むしろ、更に外では盛り上がり始めちゃってる。

私は、窓のすぐ横の2段ベッドの上段なので、騒音直撃なのである。

これはもう無理や!と思った私は、窓を閉めようとした。

その時、向かいの2段ベッドの男に止められたのだ。

「I NEED FRESH AIR. SO PLEASE OPEN THE DOOR.」

とな!

でも、私もこのまま安眠を妨害されるわけにはいかなかったので、食い下がった。

「BUT I THINK THAT'S SO NOISY.」

でも、その男は頑として譲らなかった。

ちょっとだけでも開けておいてくれないか、と。

そして、その「ちょっと」がものすごくうるさい原因なのだ。

ああそうかい。YOUはフレッシュエアーが必要なんですね!

部屋にいる誰も加勢してくれないし、私は諦めた。

きっとみんなその会話を黙って聞いていたのだろう。

その後、誰も窓を閉めようとはしなかった。

でも、みんな全く寝られないようだった。

誰かこのバカに言ってくれよ…もはやそう願うことしか私には出来なかった。

耳栓をすればマシかと思った私は、耳栓をごそごそとバックパックからとりだして装着。

・・・いや無理だって!
耳栓の効力を軽く無効化してくるよこの騒音!!!

という状況の中、もはや11時を経過。

どんどん私の大事な身体修復タイムが減っていく。

もう1人、ドイツ人のおっさんもどうやら寝れないようで、超イライラしている。

5分に1回はでかいため息をつく。
そして、ごそごそと寝返りを打つ。

そして、彼はとうとうブチ切れて12時に部屋から寝袋を持って出て行ったのであった。

いやいや!そこじゃなくて、あいつに言ってくれってば!

という感じであった。

もはやアメリカ人のわがままに完敗状態。

結局1時を過ぎても、スペイン人のどんちゃん騒ぎは収まらず、車の行き来も全くもって収まらずじまい。

イライラが最骨頂になった私は、頭にきて、私も寝袋を持って部屋を出てみた。

が、唯一寝れる可能性のあったソファーは例のブチ切れドイツ人によって占領されていたのである。

もはや万事休す。

諦めて部屋に戻って寝ようと覚悟をしたのであった。

そして、おそらく2時くらいに眠りにつくことができたと思う。
(ようやくな!)

外の騒音が治ると、向かいの2段ベッドのわがままじゃない方のアメリカ人おやじがものすごい地響きのようないびきをかき始める。

なんという二重苦・・・!!

ほとほとアルベルゲという共同生活が嫌になった夜だった。

まじでさ、他人の迷惑考えて欲しいのよ。

そして、朝4時半に通りを歩く酔っ払いオヤジのオペラで起こされたのであった…

耳栓してたのに!耳栓しっかりしてたのに!

なんというオヤジオペラの破壊力…凄まじいわ。

ということで、今日は憤りを覚えながら、することがないので、朝の5時半にアルベルゲを出発。

みんなもオペラオヤジに起こされたらしく、だいたい同時刻に起き、同時刻に出発していた。

アルベルゲは昨日の文句で持ちきりだった。
みんなものすごい寝不足な顔をしていた。
私ももちろん寝不足不機嫌フェイスである。

そして、当のフレッシュエアーは、未だに寝ているのだった。

まじで、死ねばいいのに、こいつ。
と、久しぶりに他人を呪った。

そして、御多分に洩れず、そのままBooking.comにて、4つ星ホテルであるパラドールを予約したのであった。

105ユーロ。
昨日のクソアルベルゲ事件を思えば安いものである。

まじでふざけんなよファッキンアメリカン!!(そいつだけね)


前置きが長くてすみません。

いやースッキリした。


ということで、今日が始まった。

今日は、なんと荷物を次の街に送らず、きちんと21キロを歩いた。

それも、サンダルではなくて、トレッキングシューズ着用のもと。

結果的に、狭い幅のトレッキングシューズさんのおかげで、又しても足が痛くなった。

サンダルで歩けば、バッグにトレッキングシューズを取り付けて歩かなくてはならないため、非常に重たくなってしまう。

履いていた方が荷物は軽くて済むのだ。

にしても、やはり足は痛い…にっちもさっちもいかないのである。

それでも、誤魔化し誤魔化し歩いていくしかない。

不思議なことに、大体足を引きずって2時間ほど歩いていると、ふっと痛くなくなる瞬間がくる。

身体が私の歩くという意思に順応するために、痛覚を若干麻痺させているのかもしれない。

そして、その感覚はだいたい次の目的地の5キロ前くらいで消失する。

あと、5キロ…という安堵が、痛覚を麻痺状態から通常運行へ戻すような感覚である。

すごく不思議なことだけれど、人間の身体って本当に良く出来ているなと思う。

今日は、途中で、昨日アルベルゲで仲良くなった韓国人のおじいさんと一緒に少しだけ歩いていた。

彼の方が大分歳上なのにも関わらず、私の1.5倍速で歩くのだ。

普段から山が好きで、韓国の山を良く登っているという。

途中で、今の高度を腕時計を見ながら教えてくれた。

カミーノに来るまで、登山用の腕時計をさまざま物色していた私はやけに登山用の腕時計に詳しくなっていた。

もしや…!!

と思い、その腕時計って日本製?

と聞いてみると、答えはイエス。

なんとCASIOの登山用に作られた腕時計だったのだ。

おじいさんは、ちょっと恥ずかしそうにしていた。

韓国人だけど、やっぱり韓国製のものより、日本製のCASIOは良いねえと言っていた(笑)

私もそれと今しているEPSONの腕時計、最後の最後まで悩んだんだよなぁ…

EPSONの腕時計は、脈拍を随時測って、精度の高い消費カロリー計算をしてくれるので、普段はほとんどランニングしかしない私にはピッタリだと思って、選んだものだった。

でも、高度計…良いなあ…とここに来て、隣の芝生は青い状態になったのであった(笑)

韓国人のおじいさんは、本当はアメリカのPCTを歩きたかったのだが、歳も歳だし、超ハードだからカミーノを選んだと言っていた。

そして、韓国の国土の70%は山、山、山、なため、スペインの真っ平らなスケールのでかい麦畑や自然を見るのが好きなんだそうだ。

とってもビューティフルだと称賛しまくっていた。

そのおじいさんは、やけに英語が話せるので、不思議に思ってどこで学んだのか聞いてみると、

「仕事だよ。貿易関係の仕事をしていて、生き残るために必要だったのさ!」

と言っていた。

「あなたはサバイバーってわけですね!」

って言ってみたら、

「今のところはね(笑)」

だって。なんて面白いおじいさん。

このおじいさんは、世界中から高性能な旅道具を買い集めていて、
今回の目玉商品(自慢の目玉)は、日傘だった。

ブルゴス以降、全く木陰のないところで太陽に照りつけられる予定となっているわたしたちからすると素晴らしい商品だ。

意外と軽い、そのくせ、日本製の日傘とは違って、まるで木陰にいるような環境を作ってくれる素晴らしいシロモノなのだった。

(ちょっと欲しいな…)

と本気で思った私であった。

おじいさんは、これまた高性能な軽量テントも持参していて、昨日は、湖のほとりでキャンプをしたそうだ。

キャンプをする前にベンチで寝ていたら、ホームレスを間違われたよ。はっはっはーと笑っていた。

た、確かにホームレスに見えなくもない(笑)

それは言うのはやめておいた。賢明な判断である。

そうこうしていると、坂の途中で、私の足を引きずっている歩き方を見たフランス人女性が、「大丈夫?」と近寄ってきてくれた。

足を引きずっている原因がマメだと思っていたらしい、そのフランス人女性は、マメに貼る高性能な絆創膏を出してくれた。

が、私が痛いのは足首だったので、ちょっと残念そうだった。

せっかくだしてもらったので、足首に貼ってもらうことにした。

わざわざ、私の足首に貼ってくれた。

なんて優しいんだろう…

あとで、聞けば、私と同じくらいの26歳の娘さんがいるのだそう。

自分の娘を見ているようで、(ダメ具合が似ているとのこと)放っておけなかったのだと言っていた。

そして、母親みたいに、ショートソックスを履いていた私が、長いソックスに履き替えるまでずっと、「ショートソックスはダメよ。長いのにしなさいな。」と言い続けたのであった。

根負けして履き替えました(笑)

そのフランス人女性は、ある中国の有名な画家の男性と一緒に旅をしているのだそう。

前回は、パリからサンジャンピエドポーまで800キロ(だっけか)歩いて、それを描いた絵の個展をこの前フランスで開いたと言っていた。

そして、今回は、サンジャンピエドポーからサンティアゴまで800キロ歩いて、また個展も開くのだと言っていた。

フランスで開き、中国で開き、その後に日本でも開く予定だと言う。

一緒に歩いているところで、前を歩いていたその中国人画家に、まさかの中国語で話しかけられたのであった。

私…いったい何人に見えるんだろう…

って本気で考え込んでしまった瞬間であった。

化粧をしていないと、かなり多国籍な顔なのかもしれない。

日本人だと思われない確率が90%くらいというまさかの高確率である。

そして、例の韓国人おじいさんと、中国人画家と、日本人に見られない私のアジア3国、「平和について語る会」を開こうとか、韓国人おじいさんがふざけて言い出して、
その坂を登りきった先にある公園のようなところで、韓国人おじいさんが持ってきたチェリーを食べながら、休憩することに。

結果としては、その中国人画家は中国語しか話せず、助手のフランス人女性はカタコトの英語と完璧な中国語とフランス語しか話せず、4人で写真撮影大会をして、タバコをそれぞれ2本ずつ吸って、お開きとなったのであった(笑)

でも、その中国人画家にやたら気に入られて、「君、かわいいねーいくつ?」というのを、そのフランス人助手に訳せ訳せ、とせっついて、そのフランス人女性が下手くそな英語で聞いてくる…

みたいなパターンだった。
28歳だと答えたら、20歳くらいかと思ったと本気で驚いてくれたので、
もはやもうそれだけで私は満足なのであった。

そこから、6キロほど歩いて、目的地である、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダに到着した。11時30分着。

最後の方は、久しぶりのトレッキングシューズに6時間擦り付けられた足首さんが悲鳴をあげていた。

足をまたしても引きずりながらのご到着である。

そして、とうとう夢だったパラドールにご宿泊!なのであった。

でも、実際に到着してみると、
(あ、あれ?意外と地味じゃね?ってか小さくね?本当にこれ?)
という感想が一発目。

中に入ってみると、ちょっと雰囲気が変わる。

やはり歴史的な建物なのだなあということが伝わってくる調度品や設えが所狭しと飾り立てられている。

星4つのホテルのパラドールと言えども、105ユーロで泊まることができる。

日本のホテルの価格基準からすると、非常に安いと思う。

まあ日本には国営のホテルは無いし(あるっけ?)、国で星の数(ホテルの基準)を設定していないし、比較対象になるホテルがどれかは指定出来ないので、私の思いっきり主観で判断させてもらうけれども。

でもさ、星4ついってみたら、次は星5つ行ってしまいたくなるよね〜

確か、レオンとサンティアゴにあったと思う。

どちらかか、両方に泊まりたいな。

旅の恥はかきすてられないままだが、旅の金はかき捨てや!

それでも巡礼者かと言われそうだけれども、
そうです私はFAKE巡礼者なんです。笑

でも、歩くことには意味がある。それは疑わないし、信じている。

一歩一歩がグラウンディングであり、巡礼なのだ。

でも、こういうホテルも、美味しいごはんも、全て他者が居て、分かち合えることに意味があるのだと思った。

1人でやっていても全くもって面白くないのだ。

一体いつになったら私は、カミーノフレンドができるのだろうかね。

ガイドブックに、地元のコース料理が楽しめるから行ってみろと書いてあったこのパラドールのレストランに行ってみた。

所謂日本でも高級フランス料理店みたいないでたちだったので少々緊張した。

そして、やはりレストランに1人で来ているボッチは私だけ(笑)

なんだかもう、全て嫌になっちゃうよね。

自分の選択の積み重ねがこういう状況を作り出している、にも関わらず、その状況をうまく受け入れられずにいる。

すごくもどかしい。

仲良くなりたいのに、仲良くなりたくない。
仲良くなりたくないのに、仲良くなりたくなる。

すっごい我ながらめんどくさい性格だなと思う。

今思えば、このめんどくさい感覚はものごごろついてからずっとである。

このジレンマはいつ解決されるのだろう。

それも、このカミーノで解決したいと言ったら望みすぎだろうか。

ちなみに、非常に美味しそうに見えるこの料理は、2人以上じゃなきゃコース料理は出せないと言われ、ふてくされた後に頼んだ料理である。

ツナのソテーに至っては、頼んだにも関わらず、来たものがステーキにしかみえず、更にふてくされて食べた。

本当にツナだったと気付いたのは、まさかの最後の一口の時。

あれ?マグロじゃねこれ?って(笑)

ということは、かなりジューシーで素晴らしいツナであったということだ。

にも関わらず、途中から気持ち悪くなって、断れずにオーダーしたデザートのシャーベットも含めて部屋ですべて吐いた。

そもそも、お腹が全く減っていない状態で、地元料理をレストランで経験したいがために、無理して食べた結果がこれである。

それでも、ワインとペリエと前菜とメインとデザートをすべて頼んで36ユーロはすごく安かったと思う。

だからとて、吐いていいことにはならないがな。

この旅で初めて吐いた。

約12日ぶりであった。

でも、通常の食べまくって吐くパターンと違ったのは、非常に気持ち悪かったというところである。

昨日のオペラ事件も合間って寝不足だったのが祟ったのかも知れない。

もう、無理に食べない。
もう、吐かない。

そう誓った、記念すべきパラドールの夜であった。

しっかし、1人というのは非常に寂しい。

エヴァンゲリオンのヤマアラシのジレンマを思い出した夜であった。

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