それから私たちは歩き続けた。
時には無言で、時には笑い合いながら。
日本でとある英会話スクールに1年間ほど、ものすごい金額を支払いながら(笑)通っていた甲斐があったのか、幼いころ英会話教室で発音を口に鉛筆をぶっこまれながらも習得したからか、まあ理由はよく分からないが、彼らは私の英語力をものすごく評価してくれた。
日本人にしては、素晴らしい発音だと。
そう、「日本人にしては」なのである。
その他大勢の、RとLを区別出来ないカタカナ英語を話す日本人の皆様のおかげで、私はずっと海外に留学をしていたと勝手に思われていたのだった。(行ってないけど)
そして、そのRとLはやはり、口に鉛筆を突っ込んでくれた(衝撃的だったよ)オーストラリア人講師のおかげなのかもしれなかった。
というか、私の英語を褒められるたびに、どうしてこんなにも日本人は英語を話せないのか、本当に悲しくなる一方であった。
だって、大学卒業している人間であれば、少なくとも10年間は「英語」を勉強しているはずなのである。
そして、英会話スクールに通う日本人も少なくない、ということは10年以上学んでるはずなのに。
留学すりゃあそれなりに、どうにかなるでしょうよ。(本人の努力次第だけど)
でも、1番重要なのは、基礎教育で英語の発音能力の底上げをすることだと切に感じた。
韓国では、ちゃんと義務教育の範囲内でスピーキングのテストがあるそうだ。
日本では、私が義務教育を受けていた時は少なくとも1回もなかった。
特に「発音」に関しては。
そして、英語の先生の発音だって怪しいもので、私たちの発音をテストしたところで、そこまでの判断が出来たかどうかも疑わしい。
ということで、褒められるたびになんだか悲しい気持ちで過ごす羽目になったのである。
海外に出てくると、新しい視点で日本という国を再発見できるから、それはとても面白いし、視野を広げるために必要だと思う。
そして、より多くの日本人が海外に来て、いろいろ再発見をして欲しいと願う。
少なくともカミーノには、日本人率は0.5割にも達していなかったように思う。
カミーノは世界中から人々がやってくるので、いろいろな人種や文化が垣間見えて、日本と比較するにはとても面白い経験ができる。
そういう意味も込めて、多くの日本人が、カミーノに来てくれることを願う。
そして、私たちは、お昼ご飯を食べるため、プルポ(タコ)で有名な町、Melide(メリデ)に立ち寄った。
というか、ジョンが腹減った〜と言い出し、どうしても食べると言い張り、立ち寄ったレストランが所在する町がたまたまプルポで有名な町、メリデだっただけだけれど。
それでも、プルポは非常に美味しくて、ジョンのわがままに感謝したのであった。
プルポという名前にふさわしく、非常にプルプルしていて、食べ応えがあった。
茹でたプルポがフレッシュなオリーブオイルにひたひたにされて出てくるのが、有名なプルポ料理だが、そのオリーブオイルを一緒にサーブされるパンにつけて食べると・・・これまたお口の中がハーモニーwでものすごく美味であった。
これまたビールが合うんだな。
ジョンは引き締まった細めの素晴らしいボディのくせに、大食漢の大酒飲みなのである。羨ましいことこのうえなし。そして、彼は一切drunk状態にならない。一体どんな肝臓をしているのか、、、羨ましい。
そして、ゆっくり昼食をとってしまったおかげで、午後の灼熱の太陽にプルポよろしく茹でられながら(むしろ焼かれてたか)歩く羽目になった。
ジョンは途中からむっつり黙り込み、ミンはそれでも気にせずに、ヘラヘラ話していた。
普段なら、自分が何かしでかしちゃったんじゃないか、、、と不安になる私だけれども、気にしないように努めた。
ジョンがむっつりから復活して話しかけてきた。
世界中に、チャイニーズタウンはあるというのに、どうしてあまりジャパニーズタウンは存在しないのかという話題だった。
そして、ジョンは自説を私に説いて、合っているかと聞いてきた。
「中国人や多くの韓国人は、同じ部屋や同じ家をシェアしたりと、他人と一緒に長時間いることがあまり苦痛ではないけれども、日本人は、個人主義者(individualist)が多いから、おそらく、それが難しい。日本人の人たちは個人的な空間やスペースを必要とするのではないですか?だからこそ、そういう状況がある程度必要になるようなチャイニーズタウンの如き町を形成していくのが難しいのでは?」
というような内容だった。
英語で受け取る言葉の感覚と、今、日本語で再表現してみた感覚がちょっと異なるけれど、そこはニュアンスで受け取ってほしいと思う。
決して、ジョンは悪い意味では言っていなかったことを保証する。
そして、私は、それは半分合っているし、半分ちがうかもしれないと考えた。
(日本以外の国々の人々と比べて)個人主義者(individualist)であることは、ほとんど同意するけれども、日本人が海外に出て行こうとしないことにも原因はあるかと感じたからだ。
自分のスペースが必要だから、チャイニーズタウンのような町を形成しないのではなく、もともと日本人は海外に出て行く必要を感じていないか、又は、海外に出て行きたくない理由がある。私は知らないけど。というニュアンスで答えたら、ジョンは納得してくれた。
ジョンも、多くの韓国人の感覚と少し異なり、個人的なスペースが必要になるタイプの人間なのだと白状してくれた。そして、実は韓国人であるけれども、韓国人の中で生きるのは苦痛だと。だからこそ、ニューヨークで生きたいのだと。
だから、なんとなく日本人としての私が抱いている感覚がその点では理解できる、と。
そして、ジョンは気づいていないが、私は、トップオブ個人主義者AMONG JAPANESEであり、日本人の中でも、他人と一緒にいることが遥かに難しいタイプの人間なのである。
なので、カミーノにおいても、すぐアルベルゲの集団宿泊施設にうんざりしては、ホテルを泊まり歩くということをしてしまっているのであった。
他の人間の氣をうまくシャットアウトする術を知らない私は、氣疲れを起こすのである。
なので、すべて氣を吸い取られるか、すべて使い果たす前に、避難する必要があるのだ。
でも、そこまでは説明しなかった。
そして、私が思うに、ジョンも私と同じか、それ以上の個人主義者タイプである。
決して彼は氣疲れをしないタイプであるのは、知っているが。笑
一概に個人主義者といっても、様々種類があるのだろうと思う。
というか、私は、個人主義者というよりも、一人になる必要性に迫られているだけであって、individualistにあたる意味での個人主義者ではないのだと思う。
そうして、歩いては水を飲み、ビールを飲んでは歩いて・・・
もう歩けない、というところでようやく私の目的地である、Arzuaについた。
そこはあくまで私の「目的地」であり、当初に聞いた彼らの目的地はもう数キロ先であった。
(よし、これで撒ける・・・!)
と喜び勇んだのもつかの間で、なんと彼らもこの街にステイすると言い出した。
万事休す。
内心ちょっと舌打ちをしたいところであった。
彼らのことは嫌いではないし、好きだけれども、同じアルベルゲにステイしてこれからも一緒に居るというのはものすごく辛い。
久しぶりに他人様と朝から夕方まで一緒に歩いた私としては、早く一人になりたかった。
私の性格をほとんど理解し始めていたミンは、
「本当に君が嫌だったら、違うアルベルゲにするけど、、、」
と何回か言ってくれた。
こういう時、自分の他人の気持ちを(自動的に)読んでしまう性質がほとほと嫌になる。
そう、彼らは私と一緒のアルベルゲにステイしたいのだ。
3回目で、とうとう折れた私は、
「大丈夫。一緒のアルベルゲにしましょう。」
と言ったのであった。
案の定、2人とも心から喜んでくれた。
ええい!旅の恥と自分の時間はかき捨てだい!
という感じで半ばヤケクソである。
そうして、案の定シャワーを浴びてから、一緒にディナーに行く運びとなった。
それでも、人と一緒にワイワイ話しながら食べるディナーは美味しかった。
サラダ、ビール、魚withジャガイモ、ワインで締めて10.5ユーロ。
やはりスペインは安くて大容量、高カロリーメニューが豊富である。
それから、ようやく私は逃げ出すことに成功し、洗濯をすると言い2人から離れた。
そして、洗濯物が乾く間、日課になっていた日記をアルベルゲの庭で書いているとミンがやってきた。
そして、そこで2人でタバコを吸いながら話すことに。
ミンは相変わらず、ナンキン虫に噛まれていて、全身痒そうであった。
周りの人もそれを見ていた。
ミンは最初に私がカミーノに来た理由をカメラでインタビューさせてほしいと言っていた。それについて、私は快諾したので、話していた。
ところが、私の離婚話をそこで始めて知ったミンは、やっぱりインタビューはしない。だから、ここで、直接俺に話してくれないかと言い出した。
まあ原因はいろいろあるけれど、私たちは合わなかったし、そこにお金やDVも絡んでいたし、いろいろなことに私は疲れ果てていたのだと話した。
そして、結局のところ、愛がなんだかわからないし、相手を本当の意味で愛していたかどうかももはや分からないと、投げやりに伝えたのだった。
それを聞いたミンは、
「相手の理解できないところ、我慢できないところ、そういうところは、そのままにしておくんだ。それを変えようとしたら、あなたが疲れ果ててしまうだけだし、変えようとしたところで、変えられる保証はない。そして、そのまま様子を見るんだ。それは、愛が解決するかもしれないし、解決しないかもしれない。そして、そのままにしたところが気にならなくなったり、我慢できるようになればそのまま一緒にいればいい。そして、それが結局のところ我慢できなくなってしまうのであれば、その時はもう別れるしかないんだろうね。それでも、相手を変えることはできない。それは愛ではなく、エゴだからね。」
と言った。
確かに、私は相手を変えようと努力しすぎたのかもしれない。
自分を変えようとする前に、相手を変えようとしてしまった。
そして、もちろん相手は変わるはずもなく、私も変わらないので、結局破局を迎えてしまったのだった。
そして、そんな話をしながら、ディナー時に3人で「愛」について話しあったのを思い出した。こんな遠く離れた異国の地で、異国の国から来た人々と「愛」について語るなんて不思議だな、と思いながらもその「愛」論に私は夢中になって参加してしまっていた。
私は最初に、いつものごとく「愛なんて抽象的な概念は信じないし、知らない」と言い切った。
プリーストになるべく勉強と修行をし続けているジョンはかなり衝撃的だというふうな顔で私を見つめた。
「愛が分からないだって?」
とでも言いたげな顔であった。
そして、ジョンは私見だという前置きをして、彼の「愛」についての考察を話してくれた。
一言で言えば、「愛とは、見返りを期待せずに、相手のことを思いやること」だと。
ジョンは例えに、両親を出してきた。
「あなたの両親は、あなたに家を与え、教育を与え、食べるものを与え、様々なことを与えて来てくれたはず。そして、それらは全てあなたが彼ら両親に後々なにかしてくれるという期待など全くなしにやってきたことだと思う。そして、それが愛というものだ。」と。
そして、その点については、私は納得しているし、それは愛であると思う。
私は、両親や家族についての愛はわかっていると思う、と答えた。
分からないのは、「異性に対する愛」だけであると。
もし、「愛とは、見返りを期待せずに、相手のことを思いやること」だとすれば、私は見返りを一切期待せずに、毎月、貧しい国で学校に行けない子供2人に対して、学費を送金している。そして、彼らはそのお金で学校に行っている。それは愛なのだろうか?
その疑問を口にすると、まず、私のような年齢で、そういうことをしていることにジョンは驚き、素晴らしいと言ってくれた。そして、それは愛と言える、とも。
それでも、私は頭を縦に振らず、
「でも、私は、もしかしたら期待をしているかもしれない。彼らが毎月送ってくれる手紙をね。」
と意地悪くも言ってみると、ジョンは苦笑いをしながらも、「それでも、それは愛だと思うよ」と言ってくれた。
そうなれば、私の問題は、やはり1点だけなのだ。
「異性に対する愛」
それについては、そのディナー時の討論では解決しなかった。
「いつかわかるようになる」
そう、ジョンは言った。
ミンはずっとカメラを回し続けていた。
そして、その時の答えについて、 アルベルゲの中庭で私たちは再び話すこととなった。
私は意固地にも異性間に芽生える愛情については、信じない、と繰り返した。
ミンは、ただひたすらに、「いつかわかるようになる」と繰り返した。
私も、そう信じたい、と返しておいた。
それから、ミンはジョンを探しにいなくなり、私は再び日記に取り組んだ。
午後9時になり、未だに引き続きナンキン虫のかゆみが続いていたミンと私は、街の薬屋さんに、強烈な塗り薬を買いに行こうと約束をしていた。
アルベルゲの入り口でミンに再会したとき、どうにもこうにも、元気がない様子だった。
一体この1時間で何があったのか、よく分からないが、ただただ痒いだけだろうと踏んでいた。
ところが、2人で一緒に歩いている際に、ミンはポツリポツリと事情を話し始めた。
あの後、部屋にジョンを探しに戻ったミンは、イタリア人女性に捕まって、大声で罵られた挙句(それも下手くそなイタリア語訛りのイングリッシュで)に、
「このアルベルゲから出ていけ!」
と言われたらしい。
何故なら、ナンキン虫に噛まれているやつは、ナンキン虫を保有しているかもしれないから!(よくある話ね)
それでも、ミンは、それまでの間に、バッグは全て処分し、服もほとんど処分するか殺菌処理をしたと丁寧に説明したらしい。英語で。
だがしかし、英語をそこまで理解できない彼女は、ひたすらに出ていけ!とまくしたてたのだそうだ。
だから、こんなに打ちひしがれていたのね・・・ということを私は理解した。
そして、彼女に対して猛烈な怒りが湧いてきた。
確かに、同室にナンキン虫に噛まれた人間がいたら、不安にはなる。
がしかし、だからとて、出ていけ!という資格はないはずなのだ。
私も、ナンキン虫のおかげでアルベルゲのオーナーに宿泊を拒否されたり、なんだか自分が病原体のような扱いを長らく受けてきたから、ミンの気持ちがものすごく良く分かった。
すべてのナンキン虫被害者はおそらくこの屈辱的な気持ちを理解してくれると思う。
だがしかし、被害に遭うまではまったくもって理解出来ない領域の話なのだ。
恐ろしい痒みで夜も寝れない。明日もまた噛まれるんじゃないか、明日もまた痒みがぶり返すんじゃないか、みんなに白い目で見られるんじゃないか、という発狂したくなるような悩みに少なくとも1週間は費やさなければならないのだ。
その上で、みんながいる前で「出てけ!」と怒鳴られたミンの気持ちを思うと、可哀想で仕方なかった。
まるで自分が言われたかのように感じた。(なぜなら私もバレていないだけで、未だに噛まれた跡が全身に満遍なく赤く残っているので)
その言葉を伝えると、ミンは泣きそうな 顔になった。
そして、私に抱きついてきた。
少しびっくりしたが、なんだかヨシヨシとしてあげたい気持ちになっていたので、そのまま私は、ミンの頭を撫でてあげた。
180cmの大男の頭を撫でるだなんて少し奇妙な感じもしたが、その時はただただ可哀想で仕方がなかった。
それから私たちは、薬局で塗り薬を手に入れて、一緒にサンセットを道路に座り込んで見て、アルベルゲに帰った。
サンセットを見ながら、話してくれた彼の犬の話についつい泣いてしまった。
私たちは何故か、アルベルゲに帰るまで肩を組んで歩いていた。
なんだか不思議な感じがした。