どちらが現実なのか分からなくなってきた。
どちらも現実なのだろうけど、私にはもうこれが夢物語としか思えなくなってきた。
カミーノの途中で、しかもサンティアゴに到着するまでの最後の3日間で、突然出会い、恋に落ちる、だなんてまるでどこかの小説によくある夢物語。
日本に帰りたくない。
一度帰ってしまえば、きっと今この瞬間の物語はすべて夢だったのだと思うであろうことはわかりきっている。
日常に埋もれ、日々の生活に急かされ生きるだけ。
以前の私に戻ってしまうことだろう。
日本で私に会いたいと待ち構えている人々の要求に応え、そして私は私の
意志をまた失っていくのだろう。
私を求める人々の思念に突き動かされて生きる日々。
それにどれだけの価値があるだろう。
今というこの瞬間が一生続いてくれたら。
そう願わずにはいられない。
そして、この幸せな日々が長く続けば続くほど、日本に戻ってからの生活は辛いものになるであろうことはわかっている。
どうせ、戻らなければならないのであれば、この幸せな瞬間が終わりを告げることがわかっているのであれば、さっさと終わらせて逃げ出したい自分がいる。
これ以上、この現実と夢の板挟みのような状態には耐えられない。
彼は気づいていないけれど、私は彼の知らない時にこっそり泣いている。
もはや、どうしたら良いのかさっぱり分からないのだ。
彼を追いかけてNYに留学する?
私の強い意志さえあれば、それは可能だ。
時間も、お金も、申し分ない程持て余している。
それでも、きっと私はそうすることは出来ないであろう。
すべてに恵まれた今の日本での環境を手放す勇気が私にはあるのかどうか、まったくもって分からない。
今日、カフェで彼とコーヒーを飲んでいる時に、たまたま隣の席で一緒になって話した巡礼者が私たちのことを知ると、言った言葉が耳から離れない。
TIME WILL TELL.
時が来れば分かるでしょう。
確かにその通りだ。逆を言えば、その時が来るまで私たちは私たちの未来について知りようがないのだ。
つまり、その時をただただ待つしかないということ。
そして、私はいつもいつもその時が来るのを待っていられない性質なのだ。
今すぐ答えが知りたい。
時が来てからでは遅いのだ。
神様は私がすべてを捨てる勇気があるのかを日々試してくる。
そして、私はその試練に耐えることは出来ないだろう。
もう既にすべての決断という行為から逃げ出そうとしているのだから。
どこにもきっと答えなどない。
それでも、私は未だにその答えを求め、考え続けているのだ。
我ながらとても愚かであろうと思う。