Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 41日目

何故だか分からないけれど、私たちは同じ手の形、同じ指の形、ほとんど同じ爪の形をしている。

遠く離れた国で生まれ育ち、言語もまったく違う環境で、血統もまったく違うというのに、ものすごく不思議なことだけれど、これは事実である。

そのことが何を意味しているのか、私にはまったく分からないけれど、もし運命論者がここに居て、私たちを見ていたとしたならば、
これを運命と言うのだろうと思う。

言ってみれば、私たちのこの一瞬一瞬の生は人生であり、運命である。

良い意味だけを指すのではなく、悪い意味をも併せ持つ運命。

それを一瞬一瞬私たちは生きているのだ。

結局、私は飛行機の旅程を延期することができなかった。

期日を延ばすには少しばかり遅すぎたのである。

もし、先月のうちに、彼と出会う前に飛行機を延期していたら。

そう思うとやるせなくなる。

だがしかし、それも運命なのだ。

すべては運命で、私たちは、自分の力だけでどうにか運命を動かせるのではないかと思いがちだけれど、それは大きな間違いで、それは不可能なことなのだ。

もし、運命を動かせたと思う時があるとすれば、それは運命が私たちを動かしている、それを私たちはかんちがいしているだけなのだ。

運命は動かせない。

ただ人はその間をひたすらもがき、足掻くことしか出来ない。

私たちは、ただひたすら運命の中で、日々を精一杯生き切ることしか出来ないのだ。

そして、それこそが人生なのだ。

運命に従い、それを全力で生きることこそ、私たちに唯一残された、幸せになる方法なのだと思う。

飛行機を延期出来ないと知った時、私は、この残りの4日間を精一杯彼と楽しもうと心に決めた。

本来予定していたはずの予算については忘れることにした。

いくらでもいい。いくらかかっても良いから、最高の瞬間を、最高の思い出を作ろうと決めた。

そして、同時に、私は彼と同じ左手の手首にタトゥーを入れることを決意した。

彼は、無理してそんなことしなくていいと言ったけれど、それはもはや無理なのではなくて、私の意志になっていた。

日本に帰ってからも、この瞬間をずっと忘れない為に、私にはどうしてもそれが必要だったのだ。

これを書いている今も、何故だか涙が止まらなくなってしまった。

泣いてなんかいられない。

だって、最後まで精一杯楽しもうと決めたんだから。

だから、もう最後の日までもう泣くのはやめる。

感傷的になることも、私たちの未来を考えることも、やめる。

Time will tell.

もう、待つことしか私には出来ない。

何がこれから起こるなんて今の時点では分かりようがないのだから。

心配したって、不安になったって、それはまったく意味のないことなのだ。

そして、人は何かを心配する瞬間、時を無駄使いしている。

何かを心配すること、憂いること、それは、人生を無駄に消費していることに他ならないのだ。

彼は、クロスのタトゥーを、私は彼が勧めてくれたスターのタトゥーを同じ場所に入れる。

そして、そのタトゥーはいかに遠く離れた場所に住もうと、きっと私たちをつないでくれることだろうと思う。

期待はしない。

でも、願いだけ込めて。

一生忘れ得ない思い出を象ったスターを。

もし、何か問題が起きて、もう2度と会えなくなったとしても、絶対に忘れたくはないから、このタトゥーは私にとっての北極星のようなものになるであろう。

人生で道を幾度見失っても、空を見上げれば導いてくれるポラリスのように、私は左手首を見るたびに思い出すであろう。

私だけの北極星。

それを私はカミーノで見つけたのだ。


カミーノに来る人々には必ずストーリーがある、と彼は言った。

そして、私もそのストーリーを持つ人間の1人だ。

そして、カミーノで自分のストーリーを見つけた。

人には必ずストーリーがある。

そして、そのストーリーは1つだけとは限らない。

木々の枝のように、幾つにも枝分かれして、枝が分かれれば分かれるほど、人は大きく成長していくのだと思う。

多くのストーリーは、多くの経験値を人々に与える。

そして、多くのストーリーを持つ人は、大木のような人間へと育っていくことだろう。