Way to be HAPPY

Life is a Journey

飛んで湯に入る夏の虫

今でも覚えている。
私は毎晩風呂に入った。
湯船に浸かっていた。
そして、湯船に墜落してしまった虫たちをすくい上げては、羽を乾かし、また窓から逃がしてあげた。
私は、人に対しても、ある時まではそうしていた。
それでも、途中で、人を利用するような浅はかさに辟易して、溺れ死んでしまえばいいと思う時がある。
虫たちの、ただ、ひたすらに生を求める感覚とは全く異なることに、いつしか気づいていたからであろう。
計算に基づく、生への執着という擬態に。
果たして、私は善なのか、果たして悪なのか。
助けられる相手を助けないと判断することは、そこまでの悪なのであろうか?
不作為は悪に値するのか。

私はそこまでして彼らを救いたくはない。

救う義務さえもはやかんじていない。
善を期待して何もしない人々が、私の行為をただ期待するだけの不作為者が、私による善の作為を、救済を求めることは、果たして許されるのか。それは悪ではなく、善なのか。
そして、それにただ応えないことをもってして、私は悪だと判断され得るのか。