普通に生きる、それはどういうことだったかもう忘れた。
普通とは何をいうのか、普通とはだれがそう決めるものなのか、それさえももう私には分からなくなった。
仕事が終わる、家に帰る。
そして、過食嘔吐する。
もはや私にとってはそれが「普通」のようになってしまった。
もう過食嘔吐を始めて14年が経った。
こんなに長く過食嘔吐をしている人間もそうそういないのではないかと思うくらいのロングスパンである。
もはや過食嘔吐をしていなかったころの生活が思い出せない。
私はいったいなにがおかしいのだろう、ずっとそんなことばかり考えてきた。
そして、未だに答えさえ見つかっていない。
ひたすら食べて、ひたすら吐く人生。
それでも、働けば、仕事が出来ると認められ、重宝される。
世の中では綺麗だと褒められたりもする。
それでも、私は何も満たされない。
その満たされない感情を、食べ物で補おうとしては失敗し続けて14年。
ここまでくると、もはやそもそも規格外だったのではないかと思い始める。
生まれながらに私はおかしいのではないかと。
きっと死ぬまでおかしいままなのではないかと。
人と違うことがおかしいとは思ってはいなかった。
でも、今は、人と違うからおかしいのではなく、
根本的になにかが欠落している、またはそもそも狂っているのではないかと思い始める。
歯を失い、筋肉を失い、自信を失い、家族を失い、あと一体なにを失えばいいのだろう。
生きていることが辛い。
仕事が辛いのではない。
仕事をしていなくても、仕事をしていても、辛い。
生きている、そのことが辛いのだ。
この世の中で生きていく、それこそが一番辛いことなのだと思った。