Way to be HAPPY

Life is a Journey

恋愛と「第五の山」

パウロ・コエーリョの読み逃していた最後?の1冊
「第五の山」より

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他の人々の意見を気にせずに、自分の心が望むことを感じる、それこそが自由だった。
彼女は近所の人々や友達と、異邦人を家に泊めることについて、けんかをしてきた。
でも自分自身と戦う必要はなかった。

女は自由だった。
なぜなら、愛が彼女を解き放ったからだった。

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恐れは避けられないことが始まるまでしか、続かない。
それから先は、恐れはその意味を失ってしまう。
そして、我々に残っているものは、正しい決心をしているという望みだけなのです。

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人間は誰でもその人生で悲劇に見舞われることがある。
その時、神は自分の質問に答えるよう、人間に挑戦するのだ。
「なぜ、お前はそんなにも短く、苦しみに満ちた一生にしがいついているのだ?
お前の苦闘の意味はなんなのだ?」
この質問にどう答えるかわからない者は諦めてしまう。
一方、神は公正ではないと感じて、存在の意味を求める者は、自分の運命に挑戦する。
天から火が降りてくるのはその時である。
それは、人を殺す火ではなく、古い壁を引き倒して真の可能性をそれぞれの人に知らせる火なのだ。
臆病者は絶対に、この火が自分の胸を焼くのを許そうとはしない。
彼からが望むのは、変わってしまった状況がすぐにまた、元どおりにになって、それまでどおりの考え方や
生き方で生きていくことだけなのだ。
しかし、勇敢な者は、古くなったものに火をつけ、たとえ、どんなにつらくとも、神をも含めてすべてを捨てて、
前進し続けるのだ。

「勇敢な者は常に頑固である」

天界では神が満面の笑みを浮かべている。
なぜならば、神が望んでいるのは、一人ひとりの人間が、自分の人生の責任を自らの手に握ることだからだ。
主は自分の子供たちに、最高の贈り物を与えているのだ。
それは、自らの行動を選択し、決定する能力である。

心に聖なる炎を持つ男や女だけが、神と対決する勇気を持っている。
そして彼らだけが、神の愛に戻る道を知っている。
なぜならば、悲劇は罰でなくて挑戦であることを、彼らは理解しているからである。

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すっごい内容書いてあるけど、これを読んでようやくもう1度恋愛なるものに挑戦するかという気になれた1冊。

また失敗するかもしれないし、相手の婚期を延長させてしまうだけかもしれない。

それでも、まあ、飛び込んでみれば自ずと答えは見つかるんだろうな、というゆるーい気持ちになれた。

本当は、まだこの世の中の「俺ら付き合っちゃう?」的なシステムに疑問を隠しえないけれど。