Way to be HAPPY

Life is a Journey

バリでの話

私は先月、バリでムルカットtをしてきた。

頭から聖水を数種類ぶっかけられて、
ビッショビショの拷問かというほどだった。

聖水が湧き出る泉に地元民と並び、
浸かり、水を頭から浴び、
寒過ぎて唇紫になるという苦行も行ってきた。

そんな中、私が学んだことはとても大きかった。

ムルカットがどうとか、を超えて、
バリの人たちの生き方を身を以て学ばせてもらった。

彼らは日本人のように将来を憂うことは、ほぼない。
もはや断言できるレベルで、本当に、ない。笑

そして、私はそれが日本人が失った美徳であると感じている。

バリの人たちは本当の意味で、「今」を生きている。
「今」感じること、「今」の幸せを享受している。

だから、日本人では過労死しないレベルの事件で数百人過労死する。笑
大統領選挙だかの集計で、連日就業時間が16時間ということが3日続いたことで、
数百人過労死したとの報道があった。

日本人である私としては、ギャグでしかないと思ってしまって、
地元民に確認したところ、
「ああ、そりゃあ死んじまうよ」
と皆口を揃えて回答してきた。

日本の常識、バリの非常識である。

恐らく思うに日本人は、兵隊戦略が知らず知らずのうちになされていて、
ストレス体制がMAXなのだと思う。
普通、バリ人が過労死してしまうことに対して、
(え、なんでそんなことで死ねるの?)
という疑問がわくのであるから、その方針は国として成功しているとしか言いようがない。

クスリだってそうであるが、耐性ができるので、
そのうち通常の人であれば死に至る致死量を血管に打ち込んでも死ねない日がくる。
私がそうだった。そのおかげで生きているとも言えるけれど。

そういう耐性は脳内のストレスホルモンに対しても同じことが言えるのだろう。

それを如実に表しているのが
バリ人はその労働時間で過労死するが、
日本人は死ねない。
という事実なのだと思う。

そして、私たち日本人の生き方がいかに自然から引き離されているかを考えさせられた。

工業化された社会。
そして、その後には、人々に気づかれないような奴隷社会が築かれているのだろう。
私たちがそうとは容易に気づけないような奴隷制度がある。

私たちは、もっとバリの人から学ぶことがある。
そう思った。

というよりも、私たちはそろそろ原点回帰する時期がきているようにも思う。

祈りは日本の要だったはずだ。

バリ人は毎朝、毎昼、ちゃんとお祈りをしている。
どんな人も、だ。

日本人は祈りをいつからか忘れてしまったのだろう。

世界中に祈る場所があることからも明白なように、
きっと我々は祈ることが生活の一部だったはずだ。

それを失った私たちは、ある意味片手落ち、
というよりも、欠落した日々を送っているのではないかと思う。

困った時の神頼み、だけではまかり通せない。
そういう時期がもうきているのかもしれない。