アガスティアの葉を開いた時、
「良き両親の元に、良き関心を持って生まれ育った」
といわれた。
私はその時、反感しかなかった。
あれが良き両親?って。
今、この歳になって、
ボロボロになって実家に帰ると、
その意味をひしひしと理解した。
私のことを理解してくれて、
かつ、否定もせず認めてくれるのは、
きっと両親だけかもしれないと。
ここまで来るまでには、きっと両親も私に期待をしていただろうし、
私もその期待に答えようと必死になっていた時もあった。
結婚して、離婚した。
そして、今、なんとなく働いて生きている。
私は、両親に失望された、と思っていた。
でも、そんなことはなかった。
彼らは常に私を心配してくれているし、
離婚して、彼氏はいるし、同棲しているけれど、
結婚はしたくない、と言うと、
おお、そうかそうか。
と、フツーの対応。
でも、実家に帰れば、良く帰って来たな、
と美味しい料理を用意してくれて、
普段はお酒を飲まなくなったくせに、一緒にお酒を飲んでくれる父。
また、帰ってこいな、って送り出してくれる父、
私は、なんて良い両親のもとに生まれてきたんだろうと、
心からそう思っている。
第1室、アセンダントと一緒にいる逆行した土星が、
ほとんど全ての惑星にアスペクトしている私は、
自分に自信はもてないし、優柔不断だし、心は乱れがち。
だからこそ、この両親の元に生まれてきたのかもしれない、
とインド占星術をしれば知るほどそう思うようになってきた。
母親からは誰の悪口も聞いたことはないし、
父親は、人からの信頼がかなりあつい。
そして、何よりも私を愛してくれることがすごく伝わってくる。
思春期だったらわからないこと。
たまにそう言う両親のもとに生まれてきたくせに、
って人から批判されることもあった。
でも、これは、私が生きにくい人生を選んだからこそだと思っている。
人の人生についてとやかく言う人はナンセンス。
人と自分を比べて良いことなんて何もない。
でも、私は、本当に、この両親のもとに生まれたこと、
この両親を(私は覚えてないけれど)選んできたこと、
それだけは、感謝しようと思えるようになった。
そう言う両親だからこそ、
幸せにするためには、私が幸せにならないとならない。
私は、幸せになる義務がある、権利はもちろんのこと。
そういうことを考えてしまう、お盆。