アガスティアの葉の続編が12月にようやく明かされることとなる。
カルマを解消するまで、続きは教えられない。
と断言されてから、もうすぐ3年。
長かった。そして、今思えば早かった。
この感覚のようにこの人生を早く終えたいと思い続けることはいけないことだろうか。
毎週土曜に64回神聖なる場所でお祈りをすることがカルマ解消の方法だとアガスティア聖者は書いていた。
そして、それをようやく終えたのが今年の8月末。
それから、待ちに待って4ヶ月後に連絡が来た。
ようやく私の未来のお出まし、というわけである。
もうここまで来ると、長かったのか短かったのか私にはもう分からなくなっている。
実は、先月の健康診断のついでにオプションで子宮頸癌検診を受けてみた。
今なら3,000えん!みたいなセール制度がどうやらあるらしく、
うっかり受けてしまった。
どうせなんもないんだろうなと踏んでいたら、
見事に当選致しました。
かなりのレベルで子宮頸癌の疑いあり、再検査を要する、とのご判断を頂きました。笑
その当初はビビって、泣いて、あー私癌になるのかーーーなんて思っていたけれど、
あれから1ヶ月。
まじでどうでも良くなったよね。笑
その時思ったのは、子宮系の癌を治したとかで数十万のセミナーに行った私の無意味さ。笑
私は普段、肉は食べないし、豆や野菜や穀物を多く摂取している。
そもそもそのセミナーに行かずともそういう食生活だった。(吐く時は別な)
んで、この結果。笑
文字通り笑うしかなかった。
そこで私が思ったのは、多分食生活で癌になるのではないんだなということ。
糖質制限を世に広めている人、それで上手くいったような気がして数年そういう生活をしている人、
さらには数十年そういう食生活をしている人、それぞれいるけれど、
癌になっていない人の方が多いんじゃないかな。
そのセミナーで彼女が主張していたことはある意味正しくて、ある意味正しくなかったのかもしれない。
今回のことから、気づいたのは、
多分、癌もその他あらゆる病気も、本人の気の持ちようだな、と笑
当たり前すぎてみんなが見過ごしていること、それは、気という存在だと思う。
やる気もそう、元気もそう。
そして、病気もそう。
要は気分次第ということなんだろうと独りごちた。
鬱々とした気分でいれば、病気になる。
そうでなければ、どうにかなる。
ただ、それだけなのかもしれない。
人間というものはとてもシンプルに設計されているのかもしれない。
やれあの栄養成分を摂れだの、やれあれをやれだの、
そういう些末なことはきっとどうでもいいのかもしれない。
おそらく全てを総じているのは、気なのだろうと思う。
意思というべきか、生き方、生活、なんと称すべきかは分からないけれど。
まあ要はそういうことなんだろうな、と気づいたきっかけであった。
その健康診断の結果を受け取った日にがん保険に入ってみたから、
90日は病院に行かないようにしている。笑
その後の結果は、神と私の思し召し次第、ということなのだろうな。
癌なら癌でいい。
癌じゃなないなら、別にそれでもいい。
なんだかもう、そういう心境でしかない。
そんな前向きなのか、投げやりなのか分からない状態で来た、
アガスティアの葉、来日します報告はもはや吉報なのだろうと思う。
この投げやりで無頓着な自分への生の取り扱いをきっとどうにかするきっかけとなるであろうよ。
私は、早く死にたいし、いますぐ死にたい派。
でも、痛いのも辛いのも嫌だし、自殺はまず出来ない。
だからこそ、自分が死ねる時期を知りたかったのだ。
このどん底泥沼状態がどうなるのかを知りたかった。
このままなら、もう諦めがつく。
そして、そうじゃないなら私はようやく希望を抱ける。
ただ、その試験のボーダーラインを知りたかった、
それだけだったのに。
ここまでやりよったな、という感覚は拭えはしないだろう。
でも、やっぱり私はセミナー事業というか、ああいうのには相入れないことだけは特記したい。
本人は良かれと思ってやっていることは理解している。
それで良くなる人もいるだろう。
でも、それでも良くならない人に対する対応はどうしているのだろうという疑問はある。
私は捨て置かれているw
私が望んだことではあるけれど。
要は、ああいうビジネスは儲ければいい、という前提にあるだろうな、
と邪推する判断材料になってしまったということだろう。
先生という立場で慕ってくれる人の面倒は見るけれど、
そうでない人は、そのまま放置する、それがセオリーなんだろう。
そういうやり方に絶望している人には目もくれない。
私は、それがセミナービジネスであり、女子のキラキラ起業だと思っている。
だから、どうしてもやりたくなかったし、断った。
というか、私は何度こういう経験をしなければならないんだろう。
最初は相手を応援したくて、参加する。
でも、相手の底が見えてくると嫌になる。
人にもよるけれど、徹底的に干されることもしばしば。
でも、どうしてか、人を信じようとしてしまう癖が抜けない。
もうこの不毛な繰り返しは何度目だろう。
ということで、もう私は一切そういう物には関わらないようにしている。
気づかない人を顧客にすればいいだけなのだから、
私がそこに参加してあげようと思う理由さえ、もはやないのだろう。