Way to be HAPPY

Life is a Journey

アガスティアの葉 全てを聞き終えて

今日、ようやく2年半もの月日を経て、
64回の寺周りを終えて、
アガスティアの葉1章、全てを聞き終えた。

今、感じていること、それは「無」である。

私は詰まるところ、ずっとこの2年半アガスティアの葉に逃げてきたのだと知った。

アガスティアの葉を開いて、全ての人生を知れば、
きっと私はこの人生というものに意味を見出し、
きっと私はこの人生にやる気を出すはずだ!とずっと思ってきたのだろう。

その反動が、「無」である。
後日、全文をさらにアップしようとは思っているけれど、
その前に今日の気持ちを書き記しておきたいと思う。

初めて、アガスティアの葉を大阪に開きに行ったのが、
2017年5月のことだった。

私の葉であることが特定されて、
先生は何やら紙に書き出していた。
私はそれを見ていた。
そして、その紙には、72才のことまで書かれていた。

ということは、だ。
今日までまるで気づいていなかったのだけれど、
その時点で私の人生は全て先生には読めていた、ということである。

それでも尚、全てのカルマ解消後でないと続きは教えない、
アガスティア聖者は書いていた。

何故なのか、今ならわかる。

私のこの性格のせいである。

もし、あの時全て私に話してしまっていたら、
カルマ解消で64週間土曜日に神聖なる場所(神社とか)でお祈りなんてこの私がしたであろうか。

答えは、否である。

ただでさえ飽きっぽい、気の変わりやすい私が、続けていたとは思えない。

先生でさえ、こんなパターンはほとんどない(普通は大体1回目で人生の大まかな全容を知らされるのだ)と言っていた。

それは単にこの私の性格をもちろんのことながらアガスティア聖者は知っているからだったのだろう。

そのおかげで、この長い苦行のようなお勤めも、未来を知りたい、その一心で無事に終えられたというわけである。

アッパレだよ、本当に。

そうして、大まかではあるが人生の全容を知った今。

何を思うかというと、結局は私は私を生きなければならない、という当たり前の事実であった。笑

私は、この自分の感情の起伏や、落ち込みやすさ、精神の弱さに辟易していて、
それらは葉を開くことでどうにかなるもんだと期待しまくっていたところがある。

なんだか、アガスティア聖者にこう言われたようだった。
「お前の人生なんだから、お前が全責任を追ってきちんと生きていけ」と。

まあ当たり前のことなんだけれど、今日、この日までの私は違った考えを持っていたのだと思う。

全て他人任せにして、自分の人生なのに、傍観者でしかなくて、
早くこの人生が終われば良い、それしか考えていなかったのだ。

何もやる気がでず、ただ、生きていくために生きている日々。
そんな日々を終わりにすることを心待ちにしていた。
それが、今日という日なのだとずっと勘違いをしていた。

だから、「無」なのである。

今日、ある意味、その現実を身を以て理解した今。
ある意味、生まれ変わったとでもいうべきだろうか、
結局は自分の人生のケツは自分でふかないといけないのである。

内容としては、なかなかどうして良いものだったように思う。
お金も得るし、裕福にもなるし、結婚もできるし、海外旅行もかなりいくようだし、
ある一定の年になれば、ずっとやりたかった自営業もできるし、
私が思い描いている未来、そのものに近かったように思う。

だから、ずっと英語に恋焦がれ、誰に勧められたわけでもなく、
良く分からない理由で英語を学んでいたのかと思うと、
まあきっと潜在意識は全て知っているんだろうなとも思う。

ちなみに将来やる自営業はスピ関係だそう。
将来の夫が協力的で、一緒にやるかも知れないと。

でも、嬉しくないのは何故なのだろうか。

グルにでもなりたかったのだろうか、私はw

子供については、産むチャンスはあるけれど、
あなたの体力と、精神的な弱さとを鑑みてしっかり決断しなさい、と言われている。

世の中にバンバン子供を産んで育てている人や、
若くて何も考えずに産んだ人、歳をとってようやく産めた人、
いろいろいるけれど、私はそういう人たちよりも劣っているのかも知れない。

産むことが全てでもないし、産めばすごいってわけでもないけれど、
そこに対してハードルが高い私の精神の弱さには再認識したけれど、ちょっと引いた。

でも、こればかりはそんな自分で選んだ弱い精神と一緒に生きていくしかないのだと思っている。

ちなみに間違いなく、今のこの精神の状態で子供を産めば、
きっと私は精神病院に行くか、子供が病院送りになるであろうことは、
その話を聞いた瞬間に未来を見るかのように、ありありと見えてきた。

何故こうも普通の人が普通にできることが私には難しいのだろう。

そして、アガスティアの葉のセッションでは、通常読んだ時から未来しか語られないが、
しっかり私の過去も書かれていることを初めて知った。

私が大学時代に薬をやっていたことも、キャバクラで働いていたことも、
子供を堕したことも、もっとやばいことをやっていたことも、
インドの先生は全て知っていた。

ごまかそうとしても、もはや無駄なくらい、書いてあるのだそう。笑

それでも、不思議なことに、夜のバイト(クラブとか)は週1とかなら、
精神に異常をきたなさいから、バランスさえとれば、やってみたら良いと言われた。

この年でそれをする選択ができるかどうかはかなり謎だけれど、
なんて現実的なアドバイスもするんだろう、アガスティア聖者よ、とちょっぴり思ったのであった。

そして、もう1つ、
ivarnaという人の西洋占星術ではあるが、ソウルメイトに関して受けたリーディング(これがすごい精度と量なのだ)
では、2020年の夏から2021年の夏の間に出会うと書いてあって、
インド占星術を元にしているアガスティアの葉(まあどっちが先って言ったらアガスティアだろうけど)と、
時期が一緒であったこと。それは、もう占星術を超えてリーディングされてるのだろうとは思うけれど。

その相手は日本人ではないことと、私が人生を通して海外を旅することと、なんとなく共通点があるものなんだなあと思った。

というわけで、結局未来を知ったって、生きていくのは私でしかないから、
明日からまた精一杯1日1日を生きるしかない、ってわけでございます。

ああ、もう寝よう。