Way to be HAPPY

Life is a Journey

生きる意味

私のこの経験はいつか誰かのためになることができるのだろうか。

摂食障害になった自分。
躁鬱と診断される自分。
覚醒剤に溺れた自分。
AVに出演した自分。
夫にDVされた自分。
幼児虐待されていたかもしれない自分。
家庭内暴力のある家庭に生まれた自分。
自分のコンプレックスで自分の体にメスを入れた自分。
アルコール中毒になった自分。
離婚した自分。
解離性同一障害である自分。

でも、自分はまだまともだと感じている今の自分。

いろいろな人がいろいろな局面で経験していることを一緒くたに経験した自分。

これらに何の意味があるのだろう。

その意味を知りたくて、まだ恥を晒して生きているようなものなのだと思う。

私のこの馬鹿みたいな経験が、いつか何かの役に立って昇華されることを願っている自分のために、
まだ私はこんな世界で生きながらえているよ。

死ぬ前に理由が見つかることを信じてる。

きっとどこかで私のような症状(一つでも)を抱えている人が
このブログを読んで、何かを得てくれたら良いな、何かのためになれば良いな。

ただ、それだけなのだと思う。

誰かに、届け。

誰かに、響け。

それだけで、きっと私はまだ生きていける。

処女は中2の時に捨てた。役所の駐車場で。

なんてことはなかった。

同級生の誰よりも先に済まして見たかった。

でも、私はその時処女ですらなかった。

とっくのとうに奪われていたのだから。

あれから何度もそのことを考えた。

私が最初だと思っていた相手から、本当に処女?って聞かれたことを思い出した。

まあ屋外で初女を相手にやっちゃうような相手だから、その時は正直気にもしてはいなかった。

その時、血は全く出てなかった。ただ、痛いことは覚えているだけで。

幼少期の頃のことを思い出してきた。

私はそのシーンを膀胱炎で病院に行った時のことだと思っていた。

知り合いの医者に最近聞いてみたら、通常、膀胱炎で局部を診察することはないらしい。

私の記憶に残っているのは、膀胱炎で局部を診察されたと言うことだけ。

それは5歳の時の記憶。

児童虐待対応ハンドブックには、尿路感染症性的虐待を疑うと書いてあるようだ。

私が性的におかしいのは、その時に、膀胱炎でしかないのに、局部を弄られたからだと思っていた。

でも、よく考えればそこには母親がいた。

母親の同意なしに、局部を弄るだなんて変態行為はできないはずなのに、私は最近までそう思っていた。

母親に聞けば、きっとはぐらかすかもしれない。

覚えていないというかもしれない。

実際に、この前のリーディングでそれが起こる前と起こった後のあなたの写真を見てみればわかるから、
ご両親に送ってもらったらどう?と言うアドバイスを受けて、母親に依頼したところ、
様々な理由をつけて送ってこなかった。

それが、私の幼児虐待の疑いを更に濃厚にした。

一体私はなにをされたのだろう。

リーディングでは、フェラチオや局部を触られたことには言及されたけれど、
実際にレイプされたかまでは言われていない。

それでも、現に私に処女膜はなかった。
そして、小学生の頃、アンネフランクの日記に感化されて、自分の局部を鏡で観察したことがある。
そして、そこにペンを10本入れた。
サイズ感で言えば、日本人男性の勃起時平均は優に超えている。

しかし、何も起こらなかった。

今思い出している事実が全てを物語っているのだろう。

でも、そんな過去を最近実感した私はどうしたら良いのだろう。

セックスに関する負の感覚を、その事実を知ったからとて払拭できるのか?

私のセックスに関する黒歴史をそれは自分が性的虐待にあっていたからだと開き直れるのか?

私の過去の異常な行動や多重人格を全てそれのせいにすれば私の問題は解決するのか?

全て、答えは、否である。

私は、最近ずっと、何故この経験が私に必要だったのだろうか、
何故、このようなことが私に起きたのか、ということばかり考えている。

そこに意味がないだとしたら、
きっと私の人生にも、今までも、これからも、何の意味もないであろうと私が思うであろうことはわかり切っているからこそ、
私は、その意味を見出すことに躍起になっているのだろうと思う。

あなたは悪くない

一日かけて書き起こしたよ。
1時間のリーディングを書き起こすのにこんなに時間がかかるものだとは思ってもみなかった。
でも、英語→日本語にする作業も入ってるから、こんなものなのかもしれない。私の実力では。

私は解離性同一性障害のようだ。
他にも2つ人格がある。飲酒している時の人格と過食している時の人格。
そして、加えて幼いまま取り残されたインナーチャイルド
正直、別人格だなんて自分がそうだと言われるまで信じてもなかった。
そんなことってあり得るの?と思っていた。
あり得るのだ。
記憶がプッツリ途切れている時、それは私という人格が誰かに入れ替わっている時だ。
記憶がないなんて、忘れやすいだけ、飲み過ぎただけ。
そう思っていた。

朝起きて、真っ裸で、でも記憶がなくて、隣にいる男に「ねえ、私たちってやった?」
と聞いたことさえある。
今思えば、その時、そんなにお酒は飲んでいなかった。
泥酔しても覚えている時と、覚えていない時の理由は別人格が出てくるか否か。

私はセックスなんてどうでも良いと思っていたし、やることは自分の存在意義になっていた。
誰かに求められていなければならない。女性として。
そう思っていた。常に。だから誰でも良かった。気持ちよくなくても、例え痛くても。
そうやっていろいろな人とやってきた。
本当は嫌だったのだろう。だから、別人格が処理してくれていたのかもしれない。

セックスを本当の意味で楽しんだこと、それは一度もない。
こういうものだと思ってきた。ただの摩擦運動。
そして人にはセックス好きの女だと思われてきた。

そういう考え方でさえ、途中で会得したモノだったとは思いもよらなかった。

ただ、幼い私はチンコ見せられて、無理やりフェラさせられただけで、
こうもおかしくなってしまうのだろうか?
薬に溺れ、過食に溺れ、セックスに溺れ、酒に溺れ、タバコに溺れる・・・
そこまで人の人生を破壊してしまうトリガーになり得るのだろうか?

だとしたら、その変態の軽はずみな行為のせいで私は25年もずっと気付かぬまま苦しみ続けてきたことになる。
自分でも理由は分からず、ただ生きていることへの、存在することへの罪悪感を抱えたまま生きてきた。

原因を知っていれば、対処のしようがあるかもしれない。
それは、レイプされた記憶があればまだまし、って言っているんじゃない。
記憶があることはきっともっと辛いことなのだと思う。
何故なら、私は忘却を選択したのだから。その辛さに蓋をしようとしたのだから。
覚えていると言うことはとても残酷なことだから、私はその記憶を消したのだ。

それでも、その蓋はぴったり閉じられることはなく、
少しずつ漏れ出してくる感情で心も体も数十年かけてボロボロにしてきた。

生きていることは、こんなにも辛いのかとずっと思ってきた。

人に話せば、辛いのはあなただけじゃない、あなたは幸せなくせにそんなことを言う、とか。
もっと辛い人はたくさんいるのに、とずっとそう言う目で見られてきた。
過食症は甘えだと心ない人に何度も言われた。
今思えば、よく人にそんなことが言えたものだと感心さえする。
そしてそう言う人ほど、人のことを思いやっているようなフリをする。
そう言う偽善者に幾度となく傷つけられてきた。

でも、私は何も知らなかったんだ。
どうしたら良いか、全く分からなかった。
原因も分からない。解決法も分からない。
ただ、日々をもがき苦しんで、そんな自分を責めて生きてきた。

こんなんじゃだめだ。だめだ。だめだ。
私はなんてだめな人間なのだろうって何十年もずっと自分を責め続けてきた。

自分を責め続けることさえ、パートナーに責められた。
もう、ただの生き地獄だった。
だから、私はお酒を飲み、泥酔することでそれらを考えられないようにした。
脳さえ麻痺させてしまえば、こっちのものだから。
それでも、嫌でも朝はくる。アルコールが抜けて、またいつもの私が始まるのだ。

そんな日々を過ごしていた私をようやく救い出してくれた人がいる。
彼女は私が何を言おうと、常に愛を持って接してくれた。
「あなたが悪いんじゃない」
そう生まれて初めて私に言ってくれた人だった。
25年間ずっと言われたかった言葉を25年間で初めて。

何故人は人をジャッジしたがるのだろう。
何故人は人が自分の思い通りにならないと傷つけようとするのだろう。
そう言う人ばかりにしか出会ってなかったのだと、本物に出会って初めて知った。

彼らは通常は良い人の顔をして近づいてくる。
だから気付かない。
でも、私の精神は摩耗していく。それだけがわかる。
そして、いつも私はこう思っていた。
こんなことで摩耗していく私の精神が悪い。

そして、限界が来て離れても、知らないところでいろいろなことを言われている。
それは、感じることもあるし、巡り巡って誰かがご親切に教えてくれることもある。
その誰かも、残念ながら同じ穴のムジナなのである。笑

でも、もう大丈夫。
私は私で選択できる。
もう誰かの言いなりにはならない。
そして、本当の愛とは何かを知ったような気がする。

だから、きっともう大丈夫。

禁酒生活7日目

今日で先週の衝撃的なリーディングから1WEEK。
そして、禁酒1WEEKでもある。

あのリーディングの夜から、私は全くアルコールを摂取していない。
それどころか、昨日までは、すごいヘルシーな食べ物しか食べていなかった。
もはやアルコールについては、別になくても平気になってきたし、
そもそもなんで飲んでたのかってほどに遠い存在となった。
我慢はしていない。ただ、あの感覚が私に訪れないことを祈っているだけだ。
大丈夫、手も震えてないwww

365日朝起きると顔がパンパンだったのと、
夜になるとパンパンに膨れていたふくらはぎが、膨れるのをやめたようだ。
アルコールは利尿作用があるから浮腫まないとどうして思っていたんだろうかというほどに、
毎日体がすっきりしている。浮腫むことがない。
浮腫まない自分が意外とスリムだったということに気づいたのも禁酒してからだった。
体脂肪率23%なら全然太ってないじゃないって感じ。痩せてるわけではないが。
筋肉も増えて、除脂肪体重が40KGまで増えた。20代前半の筋肉量に戻った。
それは在宅ワーク中筋トレしていたからだけどw

そんな中なりを潜めていた過食嘔吐が昨日不意に戻ってきた。
私は過食嘔吐の人格をJOYちゃんと名付けているのだけれど、JOYちゃんが暴走し始めた。
1日に3回やらかした。
あれ?先週、性的虐待の過去を知って、すっきりしたんじゃないの???
という疑問が出てくる。
でも、その疑問の答えは知っていた。

そのまま放置していたからだ。
あー知ってすっきりーーーーーーー!
で、放置。

それをしてはいけない、きちんと向き合え、そう私の心が言っているのを無視していたら、
結果、こうなった。

ずっと逃げていたけれど、7日目にようやく許可をもらって録画したリーディングのビデオを書き起こし始めた。
私は、耳より、目で理解するタイプなので、文章で書き起こさないと忘れる。
動画や音源を聞いているより、視界から入ってきた情報の処理スピードが格段に早いので、
動画を見るくらいなら、さっさと本を読んで終わらせたい人。

今、ようやく半分終わって、このブログに避難してきたけど、
すっごい苦痛だわ。
何度も何度も罰食らってる気分になる。
いや、傷口に自ら進んで塩を塗っている、という表現の方がしっくりくる。

でもきっと、良薬口に苦し。
そして、塩を塗って殺菌した後にはきっと、膿は全て出ていくものだと信じている。

さあて、苦行の残りを終わらしましょうか。

性的虐待2

最近はとても便利な世の中になったと思う。
リーディングも会社の会議だって、家にいながらPC覗くだけでできちゃうんだもんね。
飲み会だって家でPCと睨めっこでやっている人もいるらしい。
(WEB飲み会にはちょっと嫌疑的な私w)

PCの画面を通して久しぶりに会う彼女はちっとも変わってなかった。
3年ぶりくらいにお互いの顔を見たのだと思う。
彼女からすると私は、あの時よりもっと若く見えるらしく、
若くなったね!でも、より賢く見えるわ!と言ってくれて嬉しかった。
やっぱり何歳になっても若く見えるって言われるのは嬉しいものだ。
特に同性からだとより一層。

最初はまずオーラを見てもらった。
3年前もピンクと言われたけれど、今回もピンクだった。
そして、今は紫と濃い紫(赤紫?)も強く出ているとのこと。
私を助けてくれる存在がたくさんいるから、もっと彼らに話しかけて!
サポートを求めたら良いと教えてくれた。

そして、本題。
というかここまで来て、私は本当にその質問をしようかどうか迷っていた。
「私は本当に性的虐待を受けたことがあるのですか?」という質問だ。
その質問をするってことは、私の今までの行動や言動、全ての言い訳を探してるように自分には感じられるからだ。

私の過食嘔吐は、性的虐待のトラウマによるものです。(だから私は悪くありませんよ)
私の飲酒の問題は、性的虐待のトラウマによるものです。(だから私は悪くありませんよ)
そういう風に自分で言っているのではないかと思えるからだ。

でも、今思えばだけれど、それのどこが悪いというのだろう。
ずっと自分を責め続けるために、聞きたくなかっただけなのだと思った。
自分が悪くない、と言うことのどこが悪いのだろう?とリーディングを終えた今なら思える。

私の飲酒の問題、過食嘔吐の問題には、昔のトラウマが関係している。
と言われた時、ようやく聞くことができた。
「私は本当に性的虐待を受けたことがあるのですか?」

答えは、イエス
その状況や、何歳の時にされたのか、誰がしたのか、どうされたのか。
まで全て詳しく教えてくれた。

お父さんじゃなかった。本当に良かった。
身内でもなかった。本当に良かった。

お兄ちゃんの友達だった。私が当時6歳だったとしたら、14歳だろう。
背が高く、筋肉がある。そして、すごく性格が悪い人だと。
ちょうど誰の目にも届かないところで、それは起こったと。
身体を(個人的な部分まで)触られ、さらには自分のモノを出し、
フェラを強要した。

ってそれを説明するのも嫌だったと思うけど、とても詳しく話してくれた。
何故なら、それを知ることが感情の開放に必要なことだから。

本当にそこまでか?
と言うことまではちょっと聞けなかった。
その疑問に思った理由は、物心ついた時には私には処女膜はなかったから。
でも、言わないと言うことはきっとそこまでだったのだろう。
それ以上の行為を14歳がするとしたら、それは本当に犯罪行為だ。
(いや、フェラも犯罪行為なんだけど)

「彼に対して怒っても良い、恨んでも良いんだよ」と言ってくれた。
思い出せない相手を恨むのはとても難しいことなのだなと思った。
もう起きてしまったことを変えることはできないし、
もし起こらなかったら、と考えることももう無意味に思える。

その事件が起こるまでの私はとってもハッピーで面白くて、
常に人を笑顔にさせる存在だったのだそう。
その事件が起こってからはその幸せな部分を封印してしまったのだと。

それが起こる前と起こった後のあなたの写真を見てみると良い。
すごく良くわかるくらい表情が変わっているはずだから、と言われた。

そして何度も何度も繰り返し言ってくれた。
それはあなたのせいじゃない。あなたが悪かったんじゃない。
あなたにはなんの責任もない。
自分を責め続ける必要はない。
と。それを聞いて涙が止まらなかった。

私は自覚していなかった。
それでも、ずっと自分を理由も分からずに責め続けていた。
私なんていなくなってしまえば良い。
私は恥ずかしい存在だ。
これって生まれながらの性格だと思っていた。
でも、途中から植え付けられたものだった。

確かに、そこから私の過食が始まった。
そこから親が止めるまで食べ続け、親がお菓子を隠すようになった。
そこから私は太り出したのだ。
可愛くてはいけない。
醜くなければならない。
だから、太っていれば安心だ。
そう思っていたのかもしれない。

もう思い出せないけれど、昔の私は、天使のようだったと良く言われていた。
親の欲目、かと思っていたけれど、確かに私はどこに行っても、可愛がられていた。
知らない人が良くお菓子やおもちゃをくれた。(親が居るところでね)
私は自分が可愛いのを知っていたのだと思う。

だからこそ、それが原因でそうなったと思い、太れば(醜くなれば)もう同じことは起こらない。
と思っていたのかもしれない。

それが続き、小学6年になった頃に、モデル体系の姉に
「恥ずかしいから、街中で話しかけないで」
と言われ、デブはいけないことなんだと認識を書き換え、ダイエットに励む。
でも、潜在意識では痩せてはいけないと思っているから、なかなか痩せない。

そして、高校生の時に吐けば痩せると友達から聞いて、吐いたら痩せた。
経験が認識を強化し、そこから十数年吐き続けることになった。
そして、それでも自分の中で治りきらない感情が、24歳の時からの飲酒。
それが年々酷くなって今に至る。
ほとんどアルコール依存症だ。

すごいな。全てつながった。
自分が理解できていなかった部分がつながって、
今の自分に至ることが理解できた。

わかる(I see)ということがどれだけの感情の開放をもたらすのかということを体験した。
わかる(I understand) との違いをこの前アメリカ人に聞いていたけれど、
本当にこれは I see ! だった。

余談だけれど、アバターでも I see の意味のくだりがあったけど、
それと全く一緒なんだと思った。

性的虐待

心理学の本が昔から好きだった。
高校生くらいから心理学と名前のつく本は片っ端から読んでいた。
何故心理学が好きだったのかは、自分でも分からなかった。

幼少期の性的虐待がトラウマとなり、本人の人格形成に影響をもたらすことや、
それが過食症摂食障害)に繋がること、そして、多重人格を形成する恐れがあること、
そういうことが書いてあった。

私は数十年来の過食症だったけれど、その箇所を読んだとき、
自分は多分違う理由で過食症になったんだよな。だとしたらなんでだろ?
とずっと疑問に思ってきた。

だからこそ、この自分の過食嘔吐を治そうとスピリチュアルなものに、
お金を注ぎ込んで、時間も注ぎ込んできたのだ。

手相を読むサイキックの人に「過去に性的虐待を受けたことがある」とリーディングしてもらったとき、
え?まさか私が?そんなことない。だって覚えてないし、そんなことする人に出会った記憶もないし。
と思っていた。

この自分の中の感想は、かなり自分ででっち上げた言い訳なのが今ならわかる。
心理学を散々勉強していれば(していなくても)、その衝撃的な経験故に記憶を失くす、
または思い出せないようにするであろうことくらいわかるはずなのに。

いやー認めたくなかったんだろうなと今ならわかる。

そうやって自分の感情やら記憶やらに蓋をして、
その問題は放置し、数年が経っていた。

タバコの本数は増え、酒の量も増えた。
治っていた過食も数週間に1度のペースで帰ってくる始末。

朝は毎日二日酔い。
毎朝、だ。そろそろヤバイとは思っていた。
でも、お酒が止められない。

そんな日々が続いていたある日、
お父さんにいやらしいことをされる夢を見た。生々しかった。
私は良くお父さんとやってる夢、お兄ちゃんとやってる夢を見る。
起きた時の気持ちの悪さは想像を絶するものである。
お母さんが実家の犬を包丁で料理している夢を見た時よりも気分が悪い。

そこで思った。
もしかして、私に性的虐待をしたのは父なんじゃないかと。
あんなに大好きなお父さんにそんなことされていたとしたら、
それこそ多分私の精神は崩壊する。
お父さんのためなら私の命をちょっと(ケチw)だけなら
あげても良いって本当に思ってたから。幼い頃から。
お母さんのためにもあげられる。

そう思っていた相手に虐待を受けていたら?

それこそ怖くなって、のたうちまわっていた。
知るまでは、それは真実にはならない。
そういう考え方が私にはあるので、今回もスルーしよう。
そう思っていた。

それでも、ずっと頭から離れない。
このままじゃお父さんの目を見ることもできなくなる。
どうしよう。

もう真実を知るしかない。

そう覚悟を決めた時に、頭に浮かんだ人がいた。
いつも暖かく、愛に溢れ、私を心配してくれている人。
もう3年以上も会っていないし、そもそも2回会ったくらいなのに、
それでもたまーにメッセンジャーを送ってくれて、元気かどうか聞いてくれていた。
その人は、サイキッカーである。

プロに個人的なメッセージを自分から送ることに何故か罪悪感を感じるため、
自分から個人的に連絡したことは一度もない。

でも、この緊急時ときた。
「私をクライアントとしてみてもらえませんか?」
と一発目から直球勝負に出たのであった。笑

彼女は快諾してくれ、それから3日目の今日、
ようやく私の過去が明らかになった。

自分であって自分でない自分

私は自分のブログをたまーに書いた時に読み返す癖がある。

大体は酔っ払ってるからなんなのか書いたことさえ覚えていない。

読み返すときの心境は他人が書いたブログを読んでいるような感覚である。

でも、ああなるほど。と思う。毎回。

ああ、こいつ良いこと書いてるなーと思うw

自分が書いたもののなのだけれど、毎回自分に気づきを与えてくれる。

自分であって自分でない自分からの今の自分へのメッセージなんだろうな。

運動と精神

寄付って素晴らしいことだよね。このコロナで寄付すると世間がもてはやしてくれる。

私も寄付したいけど、とりあえずマイナスこいているのをどうにかしないと寄付さえできないよね。

と、これはお金の話だけど、きっと全ての事象にあてはまることなんだよね。

エネルギーとか愛とかまあ言い方はたくさんあるけれど、突き詰めてみればお金もエネルギーだし。

溢れてないと、有り余るくらい無いと、あげられないのだよ。

枯渇しているような人間はあげることさえ敵わないんです。

それが、今の私。

あれば、寄付するよ、していたし。

でも、無いのよw

その現実を作ったのももちろん私。

このタイミングでまた神との対話を読み始めた私。

25才で読むのと32才で読むのとちょっと違ったなーと感じた。

一度読んだ内容はほとんど忘れないんだけど、

こういうスピっぽいやつと漫画の内容はほとんど忘れるようにできているらしい。

初めて読んだ!くらいの感動があるからやっぱりすごい。

ナルトもすごい。

何度見ても感動する、それは忘却という機能と追加された経験のコンビネーションによる仕業かね?

人間ってすっごく上手く造られている。

最近はSTAY HOMEということで在宅だし、飲みにも行けないし、
いろいろ自分の時間ができている。残念なことに、自分を省みる時間もできてしまった。

神との対話をもう一度!読もう!
だなんて思いつく前に、
想像は創造なんだなーとふと日課になってきたランニングの間に頭に浮かんでいた。

それを再確認させてもらったのは、やはり神との対話という本であった。

ランニングの話をさせて貰えば、広くなりすぎた肋骨を狭くしようと整骨院に行ってみた。
ざっくり言えばくびれをこの間に作ってしまおうという浅はかな考えにより。

そこの先生がまたすごくて。
あーコリャー手からなんか出てるな感半端ない。
男なんだけど、多分ストレートではあるんだけど、でも、そういう感じの人。

まあそれは良いとして。
骨の位置がある程度正しくなった私は自分の肉体改造を始めた。
ついでに言えば、過食嘔吐が治った。

何がトリガーになるかは分からない。
でも、面白いことに、あ、ここが良くなったらもっと良くしてみようかなと思えるようにできているらしい。

それから私の謎な筋トレとランニングが始まった。

スピスピして精神だけどうにかしていくのももちろんいいとは思う。
肌をサスサスしてなんか良くなった気になるのもいいと思う。

でも、最近一番ああそうなんだなーと感じたことは、
誰かに良くしてもらう、そして、自分でも未来に対して働きかける、それってすごい組み合わせじゃない!?
今まではやってもらって、あー良くなったーって終わってたから、今、すごくそれを感じている。

骨格を直してもらった、あー良かったーじゃなくて。
自分でも自分の体に働きかけるの。
ストレッチをしたり、筋トレをしたり、走ってみたり。

体と心は繋がっていると良く言うけれど、
体を良くすれば少しは心も良くなる。
心を良くすれば少しは体も良くなる。
そして、心と体を一緒に動かすとスッゲー良くなるんだ!!
と言うことを理解はしていたけれど、体験できたのはきっとコロナのおかげかも知れない。

どっちかだけじゃ結局片手落ちになる。
どっちもやれば、何倍どころじゃなく何乗で返ってくるんだよね。

筋トレに溺れていても、
スピに溺れていても解決できなかった問題が
今までのスピードと桁違いに解決していく。

結局は行動によるものなんだけれど、
スピードが違うなーと気づいた。

お腹タルタルで健康です、何故ならスピ的な●●してますから。
みたいなのとはちょっと違う、健康的でスピ的な何かを経験できた気がする。

もちろんたまに落ち込むこともあるし、自暴自棄になる癖はゼロにはならない。
でも、運動ってそういう時のためにあるんじゃないかってくらい気分が変わる。
文字通り180度変わる。

そういう風に人間を作った存在って本当にすごいなーとひしひしと感じる今日この頃。

っていうか何書きたかったか忘れたし、もう満足www

愛を知らぬ人の行き着く先

他人を愛することはできる。

困っている人を助けることはできる。

家族のためなら死ねる。

でも、男性を愛することができない。

それが、私の問題だと思う。

性愛が関与するもの、それを無意識か意識的か排除しようとする自分がいる。

そういう意味で、異性である男性を疎ましいと感じる。

自分に不必要な存在であると感じてしまう。

私は私で完結してしまうから、異性を必要とする意味を見出せない。

これは、私の生まれ持ったか、記憶のない時期に刷り込まれてしまったかは、
分かりようがないが、今私が感じていることである。

何故男と女が引き寄せ合うのか。

私にはよくわからない。

社会では、そういうものだと教えられてきた、またはそういう風潮の中で生きてきたから、
私はきっと男性に魅かれなければならないのだとは理解している。

それでも、なお。

私にとっての異性とは私の存在価値を確認する術でしか無いのだ。

だからこそ、釣った魚に餌をやらないタイプの人と居ると急速に自分の自信をなくし、
自分の存在意義を見失う。

私は私であることに、誇りを持つべきなのに。

そういう考え方がどこで刷り込まれたかは判らない。
それでも、その考え方を自分から取り除くことができずに居る。

自分が認めていない人に認めてもらえないことに悶え苦しんでいる。

そして、同時に私は誰も認めていないのであとうことに気づく。

そうなると世界は地獄と化す。

自分を責め続け、何故自分は他人に認められないのだろうと思い悩む。

たった一人の判断基準に右往左往するハメになるのだ。

これはどういうことなのか、全く私には理解し得ない。

だからこそ、苦しい。

自分が認められていないと日々感じながら、生きていくことは至上の苦しみである。

ただ、それさえも、私の判断なのであろうことは理解しているつもりだ。

ただ、その思考回路をまだ私は排除し得ていない、ということなのだろうとは思っている。

本当の愛とは、何を指すのだろう。

そして、愛を語る人々がそれを本当に理解しているとも信じてはいないけれども。

Stay Hungry Stay Foolish 2

私は家事にも疲れ、仕事にも疲れてきた。

誰にも感謝されず、自分の存在意義を見出せなくなっていた。

当たり前にやっている人。

社内でも、家の中でさえもそんな感じになってきたからだ。

当たり前のことを当たり前にやらない人がいる中で、
当たり前のことを当たり前にやっている人たちが埋もれていく。

そんな環境になってきてしまったのだ。

そういう環境でどう人は自分の存在価値を見出せばいいのだろう。

私はドツボに嵌っていたのかもしれない。

私は何故ここでこのようなことをしているのだろう。
私はここで存在している意味があるのだろうか。

他人が楽をするために、私は身を粉にしているだけじゃないのか。

そういう疑問が頭をもたぐ。

なら、私なんて消えてしまえばいいと思った。

誰かが楽をして、成長から遠ざかるために自分が壊されていくのならば、
こんな世界なくなって仕舞えばいいと思った。

そんな中で、再び出会った動画がある。

ティーブジョブスの大学卒業生へ向けたスピーチである。

Connecting dots の件。

現時点では、その点が将来どうなるかはわからない。
でも、将来その時になって過去を見返せばそれが点ではなかったということが分かる。

というものだ。

今現時点の過去の私からしたら将来である私からみて全ての点は線となってつながっている。

そういうことを言っているのだ。

私があの時、あんな過ちを犯さなかったら今の私は存在してない。
そして、その過ちでさえも今の私から見れば必要な過ちであったことが今なら分かる。

そういうことなのだと思う。

そういう発見を再び認識すると、今、このよくわからない辛い、理不尽だという感情も、状況でさえも、
きっと未来の私からすれば、必要な苦労であり、辛さであり、忍耐であるのだろうなと思った。

そう感じた瞬間、今の私の蟠りがスッと消えていった。

そして、ずっと泣き続けていた今日。

必要なことは、辛いことでさえも、起こる。
そしてそれはきっと、未来の自分の糧になる。
更に言えば、未来の自分をより良く形作る糧になるであろう。

そう感じた。

今は、もう大丈夫。

私は、もう大丈夫。

この苦しみはきっと未来の自分をより良いものにするのであろう。

その周りにいる人々が今私の周りにいる人々でないにしろ。

だから、最後に特記したい。

Stay Hungry Stay Foolish

そうだよ、私はずっとハングリーなんだ。