沖縄とは、とても私にとって意味のある場所であった。
なぜなら、元旦那と毎年3回以上訪れていた場所であったから。
高いリゾートホテルに泊まって、飲んで食って寝て、、、
結婚式も沖縄で挙げた。
素晴らしい結婚式だった。
だからこそ、本当は沖縄に行くということは、私にとって苦痛だった。
彼との思い出がある場所。
そして、自分が最大限恵まれた環境だった時に来ていた場所だったから。
高級ホテルで一流のおもてなし、というものに慣れすぎていたということに気づいたのは、何もない離婚後の私だった。
泊まるのは、安いビジネスホテル、又はひどい時にはカプセルホテル。
本来の私にとっては、屁でもない場所だったのだけれど、感覚が麻痺していたのでしょう。
自分は、セレブなのだと勘違いしていた。
それを、体現していたのがまさに沖縄だったのかもしれない。
そんな沖縄に、毎月ご縁があって行く羽目になった。
行くたびに、何か心の中でわだかまりを感じていた。
社長の奥様であった私、と本来の何もない私とのせめぎ合い。
変なプライドが私をいつも苦しませていた。
私は一体、どっちなの?とも思っていた。
どっちもこっちも離婚しちまったんだから、決まっているであろうに、
くよくよくよくよ考えていた。
離婚を切り出し、突っ切っていた私なのに、結局、そこに囚われていたのだろう。
お金があるとは、どういうことか、よくよく考える必要があったのかもしれない。
私が人生において、見てきた金持ちというものは、悲惨な精神状態に置かれている人ばかりだった。
私の叔母がそうであった。
都内でも一等地の大地主と結婚をしたものの、旦那の浮気や、相続の問題、家族の問題に苛まれて、結局癌で亡くなってしまった。
私がその叔母が大好きであったし、聡明な彼女を尊敬していた。
でも、その有様を見ていたからこそ、金持ちはごめんだと思っていた。
しかし、たまたま私が知らずに結婚した相手も、実は大地主の息子だった。
民法を知っていれば、誰でも理解できるとは思うのだが、例えば、資産家に嫁いだとする。
そこで、私にその資産が入ってくるのは、両親が死んで、かつ、夫が死んだ時である。
ということは、結局、資産家に嫁いだところで、私にはなんのメリットもないのだ。
私の場合は歳も近かったから。
それを理解して嫁いだことは理解してもらえなかった。
いつもすごく警戒されていた。
というか、そのご両親が民法を知らなかったのかもしれない疑惑もある。笑
金持ちはごめんだと思っている私が、嫁いだ先が、大地主というミステイク。
結局、離婚しちまったけれど、それはそれで良かったと思っている。
子供ができなくて良かった。
ということで、そういう感情を未完了にしたまま、毎月沖縄に行っていた私。
行くたびにやはり、いろいろな感情との戦いになる。
私は離婚して良かったのか?
離婚しなければ、もっと良いホテルに泊まれたのではないか?
とか。
そんなくだらないことをいちいち思い出しては、ナーバスになっていた。
つまるところ、私は、離婚後1年半も経とうとしているのに、過去の栄光にすがっていたのだということである。
情けない。
でも、その考えを手放すことも、怖くてできなかった。
何にもない私。
そこに、何の価値があろうか。
それを払拭できたのが今回の瞑想のワークであった。