前のセッションでその話を祝里さん(藤田さん)から聞いて、
ずっと気になってしまっている。
きっと私は被害者ぶりたいがために、
今回、エネルギー持ってかれちゃう役をやってみているだけなのかもしれないけれど、
でも、どういう理論でどうなっちゃってるのかが今無性に気になっている。
祝里さんは、私から奪おうとしないどころか、
エネルギーを送ってくれている(というかずっとおくってくれていた)
ということもその時に知った。
だから、行くまでは病院に行くのが嫌で仕方ない子供みたいに、
すごく行きたくない衝動に狩られるのだけれど、(エゴのなせる技ね)
行って祝里さんに会って、その部屋のドアをでてからはものすごく気分がいいの。
それから、他の人に会うまでは。笑
私は、すごく内弁慶なところがあって、
自分から誰かを誘うということは人生においてほぼ皆無。
誰かを自分から好きだからとて誘うこともなく、
友達を遊びに誘う事は小学生の頃からほとんどない。
誘われても、気が乗らなきゃ断ってた。
すごく傲慢な子供で、
自分の感情でみんなを支配していたように思う。
みんなを私の顔色を窺うように仕向けていた。
本来、私にはそういうところがあったのだと今感じる。
ところがいつからか、今の性格に変わってた。
それも、とても不思議。
でも、最近誰かのブログで、自分が一緒に居て、
わくわくする人のそばにしか居ない方がいいって読んだ。
そうなると・・・誰も居ないという事実に驚愕した。
対等な友達、エネルギーを食ったり食われたりしない、という範囲で考えるのであれば、
正直、誰も居ないに等しいのだ。
彼氏であっても例外ではない。
でも、今更気にすることもない。
ずっとそうだったのだから。
一緒にいて、わくわくする人、
それを探す旅だと思えばいい。
私のエネルギーを奪わず、
マウントもせず、
でも、私が一緒に居たいと思うひとを探すのだ。
自分がお客として出会った人々であれば、
居るけれど、それとこれは別にしなくてはならない。
訳も分からず、メールをしたり、
親しくするのを私はしたくない。
垣根が見えなくなるから。
でも、きっと2019年!!
大丈夫でしょ。きっと、きっと。
もう、食い合いはごめん。