Way to be HAPPY

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幼少期の傷

思春期から成人してからの精神的な問題は幼少期に何かしらの問題があったという考えが心理学ではセオリーである。

 

私は、本当に今の今まで、何も問題のない幸せな家庭に育ったはずだと信じて疑わなかった。むしろ、幼少期に何かしらの問題があったと私が考えるということに罪の意識を感じていた。だからこそ、どこのカウンセリングに行こうが、精神科の先生に問われようが、「全く何も問題はありませんでした」と答えてきた。

むしろ、そこに着眼点を置かれることに憤ってさえいた。心理学だなんてたいそうな学問のように聞こえるけれど、結局犯人探ししているだけじゃないの、と思っていた。

 

本当は、そう思いたかっただけだったのだ。

 

幼少期の心理的なアプローチに関する質問に過剰反応したり、何もなかったという主張をすることに固執すること自体が問題であることに全く気付いていなかったのだった。

幼少期の記憶がほとんど抜け落ちているにも関わらず、そのような主張をし続けていることがすでに問題はそこにあるということを示していたはずなのに。

 

私は、何不自由なく中流の幸せな家庭で、両親に愛されて育った。

だからこそ、私が現状で摂食障害や、感情に関する問題を抱えていることは、罪である。という思想が私を牛耳ってきたのだと思う。

 

本当は、そんなことはなかったのだ。

 

最近になって、様々な幼少期のエピソードを思い出し始めている。

何がトリガーになったのかは、正直私もわからない。

瞑想だったのか、その瞑想ワークショップの講師の方の愛情に触れたことにより触発されたのかは、わからない。

 

客観的に見れば、幸せな家庭で、年の離れた末っ子で、一番可愛がられた。(と言われている)

でも、幼少期の私の感情はそうではなかったのだ。

そう思わなければいけない、と思って生きて来た結果がこれである。

 

だからとて、両親の私への愛情が足りなかったとか、虐待をされた、というのでもない。

幼少期に私は、愛に対して欲求不満を感じていた、ということなのだ。

両親が最大限の愛情を注いでくれたのかもしれない。

それでも、私の感じた愛情の量は私の求める愛情よりも少なかったということ。

誰が悪いというのではなく、事実がそうであったということなのだった。

 

私は、確かに、愛情をずっと欲していた。

最近思い出した記憶だけれど、私は2階の部屋で寝起きしていて、毎晩寝た振りをしては、階段のところで、両親に見えないところに位置しては両親の会話を盗み聞きしていたのだ。それは何を意味するかというと、私のことを愛しているのか、私の悪口を影で言われていないかの確認作業であった。また、私の今日の行動は正しかったのかどうかの確認も併せてしていたのだと思う。

それは、幼稚園の時から始まった習慣だったので、重度といえば重度である。

たまに、見つかっては、夢遊病だと言われたことも最近思い出した。

私は、寝てなどいなかったのだ。夢遊病ではなく、寝たふりをしては、両親の会話を偵察していたのであった。

 

そう考えると、今の私の問題の根は本当はかなり深いように思える。

もうすぐ29歳である。アラサーというものになっているのにも関わらず、自己の未消化の感情と日々戦っているのである。

 

私の中にはものごごろついた時から、大人の私と、子供の私が同居していた。

ものすごく大人びた発言をしたり、世の中をこんなもんかと冷めた目で見ている反面、泣きじゃくりたくなったり、癇癪をおこしたくなったりしていた自分がいた。

誰かに100パーセントべったりと甘えたい欲求が常にあった。

それでも、その甘えるということをしたことがなかったので、一体どうしたらいいのかわからずに生きてきた。

自分のことを愛してくれているかどうかの尺度を、甘えることができないために、わがままを言いまくり、相手を傷つけるような言動をし、それでもそばに居てくれるかどうかで、ずっと推し量って生きてきたのだ。

母親にそうしてきた。そして、付き合った相手にそうしてきた。

夫にももしかしたら、そうしてきたのかもしれない。

 

それが、私の人生における人間関係をややこしくしてきたのだろうと今ではわかる。

でも、少し前までは、全くわからずに、ただただ人を傷つけ、自分への愛情を確認して生きてきてしまったのだ。