Way to be HAPPY

Life is a Journey

わたしの人生

ここに来て、わたしの人生とは一体なんぞやと考えてみた。

 

ある人から見れば、辛く悲しい人生かもしれない。

 

ある人から見れば、実は羨ましい人生かもしれない。

 

でも、客観的に見るわたしの人生は、それを見た人々が歩んできた人生や経験から判断されるのであり、正しいか間違っているかという判断はさておき、好みはその人による、としか言いようがない。

 

それでも、なぜかすべて書いてしまいたくなった。

 

いつかこの記事は消すかもしれないし、一生残すかもしれない。

 

それでも、書きたい、そう今思ったからとりあえず書いておく。

 

0歳 生まれた時のわたしは本当に天使のようだったとみんなは言った。

 

3歳 末っ子で、かつ賢かったわたしはとっっても兄弟からすれば生意気なクソガキだったようだ。しかも丸々と太ったデブであったようだ。

 

5歳 この時の写真のせいで、結婚式の当日まで「あのままじゃお嫁にも行けないだろうしどうしようかと思った」と告白された。

それくらい醜かったということであろう。

 

10歳 デブじゃだめなんだ。痩せていれば色々な人から愛されるのか、と思い始めたわたしはダイエットを決意。お腹が減ったら氷を食べる日々。

確かに、痩せた。そして、痩せたら、モテた。

その経験がその後のわたしの人生を左右するとはその時はまだ分かっていなかった。

 

14歳 初めてセックスをした。人よりも一足先にしたかっただけ。好きでもない相手と、ロマンチックさのかけらもない野外でした。

 

17歳 過食嘔吐がスタート。友達に勧められて。それから365日12年間、吐かない日はほとんどない。

 

それからは、坂を転げ落ちるように落ちていった。

 

素晴らしく偏差値の高い大学に一発合格し、一人暮らしがスタート。

それでも、わたしのヤワなマインドは一人暮らしということに耐え切れず、少しずつ精神がおかしくなっていった。

キャバクラで働き、そのお金で過食嘔吐、もちろん大学へは行かない。という日々が続いた。

それでも、わたしの素晴らしい頭脳(?)は、適当な一夜漬けですべての試験をくぐり抜け、無事に単位は取れていた。まあほとんどが、「良」止まりで、「可」だらけであったことは言うまでもなし。

 

その途中で、ヤクザの彼氏をゲットしてしまい、途中から、ヤク中に。

「幸せ」ってこういうものなのか、って生まれて初めて感じたほどの幸福感・自己充足感だった。自分でも不思議なくらいに。

それでも、変なところで自制心が働いてしまうので、ポンプでやっていたにも関わらず、誰にも気づかれないまま過ごす。たまに死にそうにはなっていたけれど。

それを2年ほど繰り返していたある日、おばさんに気づかれ、そのことには全く言及されはしなかったのだけれど、家に連行され、説教され、おばさんの家に住むことになった。

 

実は、あのまま誰にも気づかれず生きていたら、わたしは今この世には居なかった。

 

だから、神さまってきっといるんだと思う。

 

つづく

ブリジットジョーンズの日記 映画を見てきた話

今日は身重の姉とレディースデイということで、近くの映画館で「ブリジットジョーンズの日記を観てきた。

 

1作目・2作目を昨日、Huluでしっかり予習してきてしまった私としては、

20時間ぶりに見るブリジットの歳のとり方(ルックス)に慄いた。

 

10年後の設定だったので、43歳のはずのブリジットが恐ろしく老けているではないか。というか、もはや「中年」ではなく、「初老」という言葉がしっくりくるレベル。

 

どうした、やはりアメリカ人(イギリス人のふりしてるけど)の劣化具合はやはり激しいものだったのか・・・!!

それか、本当は50歳くらいの彼女を43歳に仕立て上げたのか!と思っていたら、グーグル先生によると、御年47歳でございました。あんまり大差なし。

ということは、結論「彼らは劣化スピードが速い」ということですね。

 

スペインでよくアメリカンやヨーロピアンの野郎たちに言われたのは、日本人(というかアジアン)は、美しさの絶頂期がない分、劣化スピードが遅い。だから、40代でも50代でも綺麗な人がいるんだ。

確かに、そうかもなと思ってしまった。

彼らは、10代〜20代の間は「こいつ妖精か!?」と思うくらい、日本人が逆立ちしようが腕立てしようが、整形しようが、追いつけないレベルの美しさを発揮する。

が、30代後半くらいから、過去の栄光にしがみついて生きているのかしら・・・というほどの劣化ぶりを発揮し、40代からは見てられない化け物へ進化(退化?)していく人が多い。(※あくまでマジョリティのお話ですので、異論・反論は受け付けません!)

 

まあ、そんなことは置いといて、今回3作目で感じたのは、女って生き物はつええ。

それだけである。

特に妊婦に関しては、異常な強さを発揮している。

妊婦たちが意図していようが意図していまいが、私には彼らの異常な強さを感じる、ことが多々有る。そして、それは、別に心地いいものでは、決してない。

それは、善悪の問題ではない。良し悪しではないのだ。

わたしがそう感じるのは、現状で私が子供を産むという決断を下さず、一度も子供を産んでいないからかもしれない。

でも、そうだと言い切れない何かを感じるのは確かである。

生臭く、力強く、意地汚い、しかし、それでいて美しい力である。

 

いつか、わたしがその選択をするかもしれない。

 

それでも今はひたすらに恐ろしい存在でしかない。

 

見苦しいほどに美しい。

 

なんだかそういう言葉がぴったりなのである。

 

 

マトリックス

久しぶりにマトリックスを観た。

最初に観たのは数年前。

SFの類かという認識で観たのを今でも覚えている。

今、再度観直していると、まったくもって感じる感覚が違うことに驚かされる。

これは、所謂SFではない。

否定できるだけの化学的材料が整っていないだけという理由でSFという分類にされているのだということがものすごく感じられた。

これが、真実ではないと、現実ではないと、誰が言えるであろうか。

そして、このストーリー内容としてはほとんど現実世界に近い。

というか、この現実世界で生きていく上で非常に役立つことが多いというべきだろうか。

ネオは、自覚によって覚醒する。

ということは、この映画をもしSFとしてとらえずに現実世界に置き換えて考えられる人がいるとすればこのストーリーは非常に有用ではないかということである。

心と体は一心同体なのである。

ネオが行った世界で、ネオが死ねば、それを送り込んでいる船内に居るネオも死ぬ。

これを私たちが今生きている世界で置き換えてみたらどうだろうか。

ネオがあの世界で死ねば、それを送り出しているネオ本体も死ぬのである。

ということは、私たちが生きている世界でも、同じことが起きる、その蓋然性を誰が否定できるであろうか。

心が(魂が)弱くなれば、病気になる。

これは、経験(というか実際に体験)した人であれば、100パーセント腑に落ちることであろうと思う。

それを、ただ映画というストーリーの中で表現しなおしているだけなのである。

これに気付ける人と、気づけない人の病気による死亡率は著しく違うであろう。

まあ、それの統計を取ろうとする物好きは居ないだろうから、「科学的に」実証だれないだけで。

豊かになるということ

今日、唐突に気づいたことがある。

わたしはずっと「豊かになること」を避けてきたということ。

元夫と一緒に会社を作り、その会社が軌道にのり、わたしの所有する投資物件は2棟になり、年収と貯蓄額は4桁になった。

そして、様々家庭内での問題はあったものの、唐突にこう思った。

(お金なんて、あったって幸せになんてなれない。

お金なんて、ない方がいいんだ。)

そして、紆余曲折あったものの、投資物件を売却し、住んでいたマンションを夫に譲り、本来の財産分与額の1/10以下を受け取ってさっさとしょぼいアパートに移り住んだのだ。

本来、理論的なわたしとしては、なぜそこで感情的になってしまったのかが、実はすごく不思議であった。

その答えが、ポンっと今日降ってきたのである。

わたしは「豊かになること」にものすごい罪悪感を抱いていたのだ。

だから、年収がだんだん増えていくたびに、スポンサーチャイルドを見つけては、支援し、3人まで増やしていたので、毎月の支払額は意外とそれなりの金額になっていた。

お世話になった両親にも多額の送金を毎月していた。

そこまでして、意味のわからない罪悪感を払拭したいと無意識に思っていたのだろうと思う。

そして、離婚して収入がなくなった後も、実はそれを続けている始末。

わたしは、ビンボーに戻りたいと常日頃思っていたのだと思う。

旅行に行っては散財し、怪しげなセミナーやスクールに行っては散財し、もはや、正直、散財するために散財しているという意味のわからない行動に走っていたのだった。

わたしにとっては、「豊かさ」とは「お金」であり、「豊かになりたくない」ということは、「お金を持っていたくない」ということと同意であった。

でも、よくよく考えてみれば、お金があろうとなかろうと、いろんな意味での「豊かさ」は存在するのだ。

それでも、なお、わたしはお金を持っていること、手に入れることを拒否し続けていた。

そして、その原因は意外なところにあった。

父である。

父はわたしが生まれる前から自営業をしていて、わたしの家は、昔はそれなりに裕福で税金対策だ!とかなんとか行って海外旅行をしてしまうような家であった。

ところが、わたしが高校生の時、不景気のあおりを受けて、とたんにビンボーになってしまったのだ。

わたしは、別に家にお金があろうと、なかろうと、幸せに暮らしていければそれでよかった。

だがしかし、そうは問屋がおろさないのである。

なかなか仕事が入らず、ということは収入もなく、貯蓄を切り崩して暮らしていく日々に、母も、父も、ピリピリしていた。

そして、父はとっても悲しそうだった。

国立の大学にしか行かない!(まあ正しくは行けない、だけど)と意気込んで夜中まで勉強しているわたしに、いつも「ごめんなぁ、お前にばかり苦労させてしまって。」と声をかけてくれた父のことを今でも覚えている。

そして、こうやって書いている今でも泣けてくる。

わたしは、別に大学なんて行かなくても、よかった。

それでも、上の兄弟は大学に行かせてやっているのに、お前だけ行かせないなんて申し訳ないと言われて、じゃあお金のかからない国立にするか、という感じで勉強を始めただけであった。

それでも、1校しか受けずに、落ちたら働こうと思っていた。

そしたら、うっかり受かってしまったので、結局さらに両親にお金の面で迷惑をかけることになったのだ。

 

という過去があるとして、普通なら、そこまでしてもらったのなら、お金を稼いで、立派になって恩返しするのが普通じゃない?と思われると思う。

それでも、その3年間の暗く、じめじめした雰囲気の家のわたしはやられてしまっていた。

その間中、聞かされ続けた、「金のある奴はロクなもんじゃねえ」が頭にこびりついて離れなかったのかもしれない。

それ以来、わたしはお金に対して、ものすごくマイナスのイメージが気づかないうちに形成されていたのだと思う。

 

そして、そう思っていたからか、金を持ち始めた夫はものすごく嫌な奴になっていったし、ロクなもんじゃねえ具合に拍車がかかっていった。

収入に比例して、ダメ夫・ダメ社長になっていったのだ。

 

潜在意識ってものすごいなあと感じる今日この頃である。

 

ただ、今日、こうやって自分の過去の問題に気づけ、そして、現在までの問題も浮かび上がってきたのだから、もうわたしは「豊かになること」への抵抗はなくなっていくことと思う。

 

というのも、一緒にビジネスをしようと誘ってくださる方がいて、ものすごい素晴らしい提案で、本来であれば、二つ返事で承諾するべきところを、わたしはあれこれ言い訳をして、逃げてきたからだ。

それでも、諦めずにわたしの才能を信じていてくれるその方には頭が下がる思いだ。

 

わたしは不思議だけれど、きっと将来豊かになるであろうことはわかっている。

ビッグマウスかどうかは、このブログを数年後に読み直したときにわかると思う。

それでも、それを避けてきた。

そして、それを今日からやめるのだ。

 

こんなに楽しいことはない。

 

 

 

ベーグルで失神しそうになった話

どこかのサイトで実しやかに書かれていたけど、ベーグルは低GI値食品では決してないぞ。

全粒粉ならいざ知らず、普通の真っ白強力粉から出来た物体がどうしたら低GI値になると思えるのか謎だ。

茹でてるから?んなわけないよね。

 

今日身をもって経験したので言える。

 

1時にベーグルを食べ、6時に手足の震えと冷や汗に苛まれた。

 

久しぶりの低血糖症状である。

 

朝から6時まで断食していた方がすこぶる調子が良いのも頷ける。

 

すべてはインスリンと、ノルアドレナリン、アドレナリンの仕業なんだよね…

 

明日から気をつけよう。

 

失神するかと思った。

 

本気で怖かった…

沖縄独り者旅行記 1日目 石垣島 竹富島

竹富島は本当に小さな町で、レンタサイクルを駆使しなくても実は歩いて回れてしまったのかもしれないと思うほどであった。

綺麗と噂のコンドイビーチと星の砂で有名な星砂の浜へチャリをこぎこぎ向かうことに。

適当に走って最初に着いたのは、コンドイビーチだった。
もう蒸し暑くて蒸し暑くて、汗ダラダラの状態で到着。
レンタサイクル利用者が非常に多いようで、自転車がやたらと停められていた。
そして、結構人も多かった。
ビーチを撮ろうとすると必ず誰かしらがカメラの画面に登場してくれちゃう感じね、うん。
それでも、短パンを捲り上げてギリギリまで海の中に入って行って誰も写り込んでいない写真を撮ってやったぜ。
砂浜は割と綺麗で、抜けるような青空とのマッチ具合が素晴らしかった。
そして、海水は御多分に洩れず、ひじょーに生暖かった。
人肌程度のぬるま湯って感じ。
水着を装着せずに来てしまったので、足だけ海水に浸けて泣く泣く退散。
というよりも、暑くてかなわなかった。
水着を着ていても、あのぬるま湯海水に浸かりたいとは思わなかったかもしれない。

それから、星砂の浜へ移動。
コンドイビーチから非常に近いようで、チャリで5分もすると到着。
浜では、家族たちがやたらと砂浜の上にしゃがみこんであーでもないこーでもないってやっていた。
一体なんだ?ということで、聞き耳を立ててみたら、星の砂を探しているようであった。
わたしもなんだかテンションが上がってしまって、家族たちにそっとまみれて汗をだくだく流しながら、星砂を見つけようと指を浜に押し付けては、その指をじーっと見る。という怪しい行動を繰り返すことに。
すべて星砂だと思っていたわたしは、なぜ彼らがあーでもないこーでもないと言い合っていたのか理由がよーくわかった。

あんまり、ない。

なので、お土産やさんで星の砂だけ純粋にかき集められたアレは、けっこうな手間暇がかかっているんじゃねえかと思ったのであった。

なら、高くても許すかも。
そう思ったのであった。要らないけど。
(でも、後々100円で売ってたから買ってしまったのだけどね)

それから、行くあてもなくさまよっていたら、以前竹富島にひとり旅に来たわたしと同じくらいの変人(というと怒るから本人には内緒)であるM子から、わたしが竹富島にいると誰かから聞いたようで、連絡があり、
「竹の子に行くといいよー」
と言われた。

なんだこいつなめてんのか?と思ったものの、なんだそりゃと聞いてみると、それは、どうやら美味しいお蕎麦やさんの店名らしい。
最初から言って欲しい。竹富島初心者に竹の子と言って分かるような女子ではないのだわたしは。(ガイドブックも見なきゃ、検索もしない)

ということで、行ってみました「竹の子」さん!

行ってびっくり、なんだこれは...アホみたいに混んでいる。
こんな小さい町でどうしたらここまで人が集まるというんだ?というほど、人がうじゃうじゃ、お店の外に溢れ出て並んでいた。
どうやら大人気のようだ。
というか、おそらくなんかのガイドブックかなんかに取り上げられたのだと思う。

ということで、来ちゃったし、興味もあるし、しょうがないから、おひとりさまで寂しく並んで待つことにした。
約25分ほど経過した時に名前を呼ばれた。
「お一人様でお待ちの○○さま〜!」
ってやつね。
本当に、そういう時やるせなくなるから、出来れば、わたしの珍しい名前なんてそうそう被ることはないのだから、「お一人様でお待ちの」あたりをカットして欲しいところである。
彼らは忙しいし、それがきっとマニュアルだろうから仕方ないのだろう。
まあいいさ。だって、どうせおひとりさまだもの。

店内はごく普通の沖縄そば屋という感じで、わたしはもちろん「おひとりさま」用のカウンターに通された。(まだ根に持ってる?)
そして、沖縄そばと耐えきれなくなって13時にオリオンビールを注入した。
喉がカラカラになっていたので、喉と胃に染み込むようなオリオンビールの刺激は非常に美味かった。
たまに思うのだが、わたしはビールの味が好きなのではなくって、空腹で、かつ、喉が渇いている時に飲むビールの感覚が好きなのかもしれない。
お〜胃に染み渡ってんな!みたいな感じ。
もしかしたら、それって胃が悲鳴をあげている声なのかもしれないけれど。
なんというマゾ気質なの、わたし。
そして、肝心の沖縄そばが来た。
食べた。
感想としては、普通。であった。
他の店とあんまし味の違いがわからなかった。
というよりも、沖縄そばというもので味の違いを出すのは至難の技なような気がする。
味の違いを出そうとすればするほど、沖縄そばからかけ離れてしまうようなシロモノだと思っている。
たまに国際通りで、どう考えてもこれは、ラーメンのスープなのではないだろうかという味のスープに沖縄そばのそばが投入されて出てくることがあるが、きっと脇道にそれるとああいう事態に陥るのだと思う。
ということは、味に大差なくても仕方ない、ということであろう。
そうなると、やはり店の混み具合というものは、マーケティングというか、広告というか、口コミというか、もうオーナーの経営方針によるんだろうかなーとか考えてしまったりする。
ああ、沖縄でもこんなことを考えているわたし...お疲れです。

そして、お腹はいっぱいになった。がしかし、気持ちがどうにもこうにも治らない...!状態に陥ったわたしは、フラフラチャリで彷徨って、ちょっと離れた茶屋に行き着いた。
そして、お腹も減っていないのに、かき氷を注文しだした。
イチゴのミルク乗せかき氷!
沖縄にひとりで来て、思い出したこと、それは「カキ氷が大好きや!」という心の奥底からこみ上げてくるカキ氷への愛情というか欲求というか、そういう類の感情であった。
思い出してみれば、幼い頃、わたしは家族でカキ氷を頼んだとき、まず自分のカキ氷(いつもイチゴ)を速攻で食べ終わり、姉が食べ残したカキ氷(いつもレモン)を頂戴し、おばあちゃんのほとんど残っているカキ氷(小豆練乳)でしめていたのを思い出した...
どんだけカキ氷食ってたんだろわたしって...
いろんな意味で背筋が凍りつきそうである。

そして、カキ氷を外のテラスで優雅に食べている最中に、バケツというか、もはやタライをひっくり返したような土砂降りに見舞われ、チャリで帰れないどころか、パラソルの下でさえもやばい状況に陥り、店の軒の下でひたすら凍えながら雨が止むのを待つという苦行を強いられることに。

こういうとき、旅のお供にばななちゃんの本を持ってきて良かった、と思うのであった。
ひたすらアムリタ(下)を読みながらやり過ごすこと40分。
ようやく雨雲が過ぎ去ってくれたので、びちゃびちゃの道をべちゃべちゃなわたしがチャリをこいで行くというシュールな感じでレンタサイクル屋へ戻ったのであった。
こういう急な土砂降りで、このレンタサイクル屋はあぶく銭を稼いでいるのかしら、とか失礼なことを考えながら。笑

それから、疲れ果て、港まで車で送って頂き、ちょうどきたフェリーに飛び乗ってさっさと竹富島を後にしたわたしであった。

寝不足な上に、炎天下の中チャリまで漕いで、土砂降りに晒され、よく頑張ったと思う。

そして、宿にたどり着き、ぐちょぐちょな身体を綺麗にすべく、風呂をためて入り、全身くまなく洗って、髪を乾かし、さあ夜の街に繰り出すぞ!というところで、ベッドに倒れこんで1時間ほど気を失っていた。
限界はもうとうに来ているのにもかかわらず、食への欲求と酒への欲求が止まらないわたし。
6時にむくっと起きだして、ささっと宿を出て、繁華街へふらふらしながら繰り出したのであった。

そして、アムリタというカレー屋兼カフェのような場所に行った方が良いと、石垣島在住の我が兄弟の友人から又聞きしていたので、向かってみた…が、まだやっていなかった。
諦めきれず周りを3周うろついて、そろそろ怪しいよなと苦笑しながら(もっと怪しい)、結局あきらめて、普通の沖縄そば屋に入った。
そして、沖縄の地ビール(500円)をかっくらい、八重山そばなるものを食べ、疲れ果て、さっさと7時過ぎには宿に戻り、8時には寝ていた…

という我ながらしっちゃかめっちゃかな1日であった。

すごく充実していた。というか、すっげー疲れた。

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沖縄独り者旅行記 4日目 那覇2日目

そして、(いつもの通り)話は飛び、今日はすでに4日目突入していたりする。

最近の超絶眠たい病のお陰で昨日9時には記憶を失っていたわたしは、今日は8時に起きることができた。
というよりも、よくも11時間も寝たな…という感じである。
それでも、勇気を出して起きないとまた寝てしまえるくらいの眠気なので、我ながら恐ろしいと思う。

睡眠は大事だと巷では実しやかに言われているが、寝すぎというのはどうなのだろう…いや、明らかにダメな気がする。
でも、眠いんだ!だからしょうがない。
ということで、ここ最近眠たいままに寝ている。
無職のなせる技である。ムイビエン(素晴らしい)。

そして、履いていないパンティーが底をついたので、水着を着込んで、ホテルのコインランドリーへ。
というか、びっくりしたのだけれど、コインランドリーと書かれている場所に行ったら、不思議な扉があった。
そして、その扉を開けたら、荷物置き場みたいな狭い場所に洗濯機と乾燥機が縦になった状態でボンっと置かれていた、だけだった。
一体これを誰がコインランドリーだと思うだろうか。
ただの押入れに洗濯機ぶっこんだだけじゃあねえか!
いや、でも、言葉的には合っている。
いや、でも、わたしはこれをコインランドリーだとは認めたくはない…!
という葛藤が数秒あったけれど、ま、いっか。ということで、洗濯と乾燥をおとなしくしたのであった。

そして、おニュー(というか清潔な)のパンティーを履いて、東京で出会った霊能者さんのお師匠様だという方のいるお宅へ向かった。
沖縄といえば、ユタである。
ユタとは沖縄の霊能者の呼び名である。(と思ってるけど合ってる?)
調べてみたら、ホテルから9分で到着する立地にお宅があるので、この素晴らしい環境にびっくりした。
(むしろ調べてからホテルを取るのが普通かもしれないが)

そして、ピンポーンとお宅のベルを鳴らすと、優しそうなお姉さんが。
この方は、お師匠様の弟さんのお嫁さんらしい。
霊能者かと思った。
わたしはビビリなので、(みんなわたしの今考えていることがわかってしまうんじゃないか)病にかかって、ニコニコしている心の奥底では内心ビクついていたりする。
常に臨戦態勢、というか、いつ見られても大丈夫なような心持ちで居ようとする癖がある。
そして、すっっごーく疲れる。
それでも、その変な機能をオフに出来なくて苦しかったりする。
360度どこから見られても平気なわたしを装うのは予想以上に大変なのである。(まあ見る人から見たら抜けだらけだろうけどね。)
なんて可愛いのわたし。
というか、ただの被害妄想気味のやばいやつである。

お宅に上がらせて頂いて、美味しい冷えたわらび餅とアツアツのお抹茶を頂く。
昔、作法を習ったような記憶が何故かあるが、もはやそのままグビッと飲んでしまったので、もう忘れたことにした。
しかし、冷えたわらび餅と熱いお抹茶がこの上なく美味かった。

そんなこんなで、集まった4人の方々とお茶会という名の座談会が始まった。
各自の悩みをお師匠様(もうこれで表記を統一することにした)に聞いてもらって、魂からの回答を聞く、という方式で行われた。

魂からの回答と言うと、かなり怪しいspiritualな匂いがすると思うだろうが、回答はほとんど超実際的な感じであった。
当たり前と言えば、当たり前のこと。
でも、当たり前だと人々がないがしろにして日々を過ごしてしまっていることを思い出させてくれるような内容だった。

他人の悩みへの答えが、自分の悩みへの解決方法だったりするから、人とのご縁というものは面白いと思う。

4人いて、4番目だったのだが、実は、3人目の人々への回答で、(あ、もう聞くことないや〜)みたいな気持ちになっていた。
何故か、個々人に回答しているのだが、自分へのメッセージとしてとっても当てはまってしまうから不思議である。

当たり前のようで衝撃的だった回答を、1つだけ書いておこうと思う。
将来をくよくよ悩んでいる人への回答である。

「人は将来について、悩んだり不安に思ってしまうと、魂は過去や未来へ行ってしまうのね。でも、あなたの身体は今にしかいないのさ。だから、魂が過去や未来に行ったとしても、何も解決しやしないのね。だからこそ、今あなたが出来る最善のことをコツコツとやりなさい。」

と。その言われてる方は、ポカーンという感じであったが、わたしにはすごく響いた言葉だった。
そりゃあそうだ。なんだけど、そのそりゃあそうだを蔑ろにして日々を生きてきてしまったなあと思ったのであった。

「不安に思うことがあったら、書き出してみるといい。何が、不安で、どうして不安に思っているのかを。そして、期限を決めて、その不安に対して今行動できることをひとつひとつコツコツとこなしていきなさい。そのうちにその不安は消え、自信に変わっていることでしょう。今、を一生懸命に生きないで、未来にばかり目を向けていると、結局何ひとつできないまま人生が終わってしまうからね。」

これってすごく当たり前のことでしょ?
でも、その当たり前のことを当たり前にできていない人がたくさんいるんだな〜と思った。わたしも含めて。
そして、それってすっごく勿体無いことだなあと感じたのだった。

最後にこの例えがすごく面白くて腑に落ちたからご紹介しよう。

「例えば、今日の昼にあなたがタコライスを食べたとする。でも、本当はステーキが食べたかったとする。それで、あ〜ステーキが食べたかったなあと昼飯について後悔しても、もうどうしようもないでしょ?そこで、今3時だけど、あなたが、次にその後悔を晴らす為にどういう行動をするか、しか、その後悔に対してできることって何もないのよ。過去を悔やんだって、あなたの昼食がステーキに変わることは絶対にないでしょ?だったら、夕飯にステーキを食べるとか、今からステーキを食べちゃうとか、明日ステーキを食べようとか、自分に約束してあげて、その後悔を終わらせることしか出来ないのよ。過去については考えるだけ無駄ね。今からできることを考えなさいね。」

というくだりである。

参った、としか言いようがなかった。

全くもってその通りなのである。
馬鹿か、ってくらいの内容だけれど、その馬鹿かって行動を1日に何十回も私たちは無意識にしてしまっているのだろうなと思うと、背筋が凍るような気持ちになった。
なんという非生産的な思考を毎日してきていたのだろう、と。

だからといって、はいそうですか。って今日から変えられるほど私たちの頭というか心は合理的に出来ていないと思う。
だからこそ、自分の思考を観察して、あ〜またやっちまったわい!とか突っ込みながらも、少しずつ気づいていくことが大事なんだなと思う。

という素晴らしいお茶会も終わり、内地からわざわざ来たわたしを気遣ってくれたお師匠様のご好意で今日は今からお宅で夕飯をご馳走になる予定。
ドキドキするけれど、すごく楽しみである。
図々しくも行ってしまうあたり、わたしらしい。笑
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沖縄独り者旅行記 1日目 石垣島

というわけで、私は沖縄に来ている。
どういうわけだか、自分でもよく分からない。

たまたまANAのマイルが30000マイルほど溜まっていて、
羽田→石垣→那覇→羽田 が、28000マイルでまかなえてしまったからやもしれない。
たまたま(というかほとんどいつもだけど)人生というものに疲れ果ててしまったからかもしれない。
たまたま行ったことのない石垣島という未踏の地に行ってみたくなってしまったからかもしれない。

まあ、どういう理由をこじつけるにせよ、私は沖縄に来てしまった。
それも、1人で。

私はスペインもハワイ島もほとんど1人(何故か途中で仲間ができてしまうくせがある)で旅をしてきたし、今回もひとり旅であることに、なんの憂慮なく感じていたのだった。

だがしかし、憧れの、念願であった石垣島に降り立って、すぐに後悔し始めた。
なんという・・・カップルとファミリーの多いことよ。
確かにスペインはともかく、ハワイ島は幸せオーラ満開の新婚さんだらけであったし、同じ状況であると言えなくもない。
だがしかし、なんというか、空気感が違うのだ。
ハワイ島の新婚さんの出すオーラというか雰囲気はとても気の良いもので、一緒にいても何も辛くなかった。そして、優しい気持ちで羨ましいという淡い感情を抱くことができていた。
だがしかし、リゾート地かつ、日本という状況におけるカップル(新婚さんではない)たちの出すオーラはなんとなく辟易するものを感じるのだった。健全ではない、というか不純というか…最初はこれは独り者のわたしのヤキモチというか、嫉妬なのではないかと考えた。
でも、過ごせば過ごすほど何かが違う…!という気持ちがフツフツと湧き上がってくるのであった。
ファミリータイプ(なんだかマンションの間取りみたいね)のグループについても同じことが言える。
これは、石垣島という島が出す雰囲気なのか、それに引き寄せられてきた人々が出す雰囲気はなのか、もはやどちらか判別不可能なくらいに合体しているというか癒着しているというか、モヤモヤ感は増すばかりなのであった。
早くも上陸して数時間で、東京に帰りたくなった。
どちらの土地でもモヤモヤするのであれば、せめて住み慣れた土地でモヤモヤしたほうがマシだと思った。
その島にいる人間のオーラはほとんど感じ取れず、ほとんどがその島に来た人々のオーラで押しつぶされてしまっているように感じた。
それか、本来持っていたその良きオーラが、石垣島の繁華街で商売に明け暮れているうちに、変質してしまったのかもしれない。
とにかく、島の人々の無垢な綺麗な心に囲まれて幸せな気分をあわよくば感じたいと期待してきてしまっただけに、最初から面食らったのであった。
ここでも、わたしの問題が出てきた。
「期待する」という行為についてである。
期待するから、その期待に現実が反した時に、裏切られた気分になるのだということは嫌という程わかっているのに、またやってしまったのであった。わたしが悪い。

と書いていてなんとなく理解出来てきた。
モヤモヤの正体が。
ハワイ島のそれは、心の奥底からくる幸せオーラだった。
主観によるもの、というか、他者の目線を一切計算に入れていないような幸せ具合である。
だがしかし、この島におけるそれは、なんとも嘘くさい幸せオーラなのだ。胡散臭い家族の幸せオーラや、ションベンくさいカップルのラブラブオーラとでも言うべきか。なんか、偽物っぽさがにじみ出ているのだ。
客観的に幸せであることを意識しているというか、他者の目線ありきの幸せを視野に入れているような態度、行動、その他もろもろ…
(もちろんそうじゃない人々もいるとは思うけれど、これはもはや多数決の問題のようなものだと思う。多い種類の人々がその場所の雰囲気を形作ってしまう。)
そして、何度も言うが、これはけっっっっっっして嫉妬によるものではない(はずだ)。

というわけで、さっさとずらかりたい気持ちを抑えて、こじんまりとした繁華街のすぐ近く&フェリーターミナルのすぐ近くという立地だけは素晴らしいホテルに向かい、荷物だけ置かせてもらった。
おそらく、彼女が独り又は家族か旦那とでこじんまりとやっているらしく、掃除中のオーナーのような女性が出てきた。
すごくいい感じの人だと思った。が、恐らく、人が怖いのだろう(それかわたしが怖かったのだろうか)、すごくおどおどとしていた。
そして、喋るたびに手で口元を隠すくせがある。
昔のわたしもそうだったが、心理学的には(?)その行為は、幼少期から親に抑圧されて育つとそうなるらしい。
(わたしはそうであった記憶が欠落しているからなんともいえない。)
にしても、よーく分かった。これは、商売をしている人間はやってはいけない仕草であるということが。
わたしもほとんど治りかけているが、気をつけようと心に誓った。
ありがとう、オーナーよ。

ということで、朝6時10分というアホみたいに早い飛行機で出発して石垣島まできてしまっただけにわたしは、眠いし、でもチェックイン出来ないし、どうしたものか、と思案にくれた。そのとき、朝の11時である。

しょうがないので、暇だし、石垣島についてそうそう隣にの島までフェリーで向かうことにした。
なんだっけ、名前…ほら、、、そうそう竹富島。
竹富島〜で会いましょう〜
みたいな歌が確かあったはず。
その島に行くことにした。

フェリーに乗って20分ほどで、島に到着。
素晴らしい天気で、空と海の写真をどれだけ撮っても取り足りないと感じるほど美しかった。
エメラルド(という言葉が一番しっくりくる)の海と、すかーんと抜けた青い空。ムイビエン(素晴らしい)。

しかし、暑い。蒸し暑い。
スペインのカラッとした空気と正反対のギリッギリまで水分を含んだ重たい風にさらされて、汗がダラダラと止まらない。
不快指数マックスである。
そして、太陽が容赦なく照りつける。
だがしかし、太陽は汗を蒸発させてはくれない。
空気中に既に水がたくさん含まれているからなのか。
暑い。蒸し暑くてたまらない。

島に降り立ってすぐ、何も予定していなかったわたしはポカーンとアホみたいに口を開けて、惚けていた。
な、何してすごそう…!
チェックイン時間まで優に4時間はある。
暇である。
そして、左側を見ると、フェリーで来た観光客を迎えにきたワゴン車が数台キチンと整列して待っていた。
看板を読んでみると、レンタサイクルだとか、ホテルの名前だとか書いてある。
どうやらレンタサイクルを借りるのであれば、反対側のビーチの方へ車で連れて行ってくれるそうだ。
ということで、わたしはそのレンタサイクル屋で自転車を借りることにした。
意外と利用者は多いようで、意外と礼儀正しい若いギャル2名と、歯並びが残念な美人風の女子1名&ヤンキー2名みたいな3人組と、ずっとグラサンしていて国籍不明だが、きっと韓国人に違いないルックスをしている男子1名という意味の分からない集団でワゴン車に乗り込んだのであった。

超どうでもいい私見だけれど、韓国で安く(プチ)整形してくる日本人女子に言いたい。
まず、歯を直そう。
どんなに美人でも、歯が黄色かったり、すぐそこに銀歯が見えてしまったり、前歯だけ曲がっていたり、そいういうのはとても残念だ。
まあ、整形より高いからなんとも言えないけどね。
プロテーゼより、セラミックや!
と、歯に数百万使ってしまったわたしは悔しいから言ってみる。笑

ということで、レンタサイクル屋につき、ギア付き(400円/時間)を借りて、竹富島の散策に繰り出したのであった。
ちなみに、ママチャリの方は、300円/時間だった。
そして、最終的によくよく考えてみれば、ギアチェンジを一度もしなかったのは内緒である。

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結婚と山と井戸

ある男女は、結婚とは夫婦で山を作っていくことだと言った。

毎日、二人の手で、時にはシャベルを使い、時にはスコップを使い、汗水垂らしながら、少しずつ少しずつ土を集めて山にしていくのだと。

昨日と今日の差は見られないかもしれない。

それでも、何年、何十年と時を経た後にはきっと大きな誰にも動かせないほどの、どうどうとした山になるだろうと。

 そして、彼らは黙々と土を盛り、山を作り続けた。

雨で山の土がさらわれてしまっても、土砂崩れが起きても、それでもめげずに土を運び続けた。

日を追うごとに山は少しずつ少しずつ大きくなっていった。

彼らはそのことに喜びを感じ、お互いを祝福しあった。

彼らは日ごとに、より幸せを感じるようになっていった。彼らはお互いが手を携えて作り上げてきた山を見るだけで幸せなのであった。

そして、その山はついには彼らの墓場となった。

彼らは幸せに生き、幸せに死んでいった。

 その山には、春には緑が萌え、花が咲き乱れ、不思議と見る者のこころを暖かくする何かがあると村の人々は言う。

 

 

 ある男女は、結婚とは夫婦で井戸を掘り当てることだと言った。

毎日、二人の手で、時にはシャベルを使い、時にはスコップを使い、少しずつ少しずつ土を掘って、いつか水脈にたどり着くことだと。

そうすれば、潤沢な水に恵まれ、私たちは幸せになるであろうと言った。

 彼らが掘り出した土は、その井戸になるべく穴の周りに少しずつ蓄積され、数十年後には山になっているかもしれない。

それでも、井戸を掘ることを目的にした彼らからは決してその山は見えることはなかった。

彼らは薄暗い穴の底で、水脈のことしか考えていないからだ。

上を見上げることもないだろう。

そして、とうとう彼らは水脈をあてることができずに、何年も掘っているうちにその掘っている場所の先に水が流れているかどうかさえ信じられなくなっていった。

そのうちに、とうとう最後まで信じることができずに掘るのを諦めてしまった。

もしかしたら、彼らが諦めた場所の数センチ下には水が流れていたかもしれない。

でも、それは誰にもわからないままだ。

彼らは穴から出てきた。

穴の周囲に作り上げられた山には目をくれずに、その山を取り崩し穴を埋めた。

そして、そこは、結婚というものの墓場となったのであった。

それ以来、彼らを見たものはいなかった。

 結局、その墓場以外、最後にはなにひとつ残らなかったと村の人々は言う。

利用されることについて

「あなた、利用されているわよ」

と言ってくる人間でさえも自分を利用しようとしている哀しい事実にわたしは早く気づくべきだった。

 

見えていたけど、見たくなかった。

 

人間って本当にいやらしい生き物だと思う。

 

そのいやらしさが人間たる所以かもしれないけれど。

 

これはわたしがペシミストだからではなく、本当に本当に哀しいことに真実なんだと思う。