Way to be HAPPY

Life is a Journey

境界性人格障害について

わたしが境界例(境界性人格障害)という言葉を聞いたのは大学2年生の時だった。

マックで本を読んでいた時、同じくらいの男性に話しかけられた。

というか、ほとんどナンパであった。

「君、可愛いね〜。何してるの?」

「本、読んでるの。(見ればわかるでしょ)」

という差し障りのない普通のナンパと同じ会話をしていた最中に、ふと、

「君って、境界例じゃない?」と言われたのだった。

境界例って言葉も初めて聞いたし、頭の中では、「キョウカイレイ」としか認識できず、漢字変換をすることができなかった。

聞き返すと、ううん、なんでもない。気にしないで。と言われた。

そんなこんなで、わたしはその時人生で初めて「境界例」という言葉に出会ったのであった。(その男ではなく、ね)

そいつとどうなったのかは、実はもう覚えていないのだけれど、そのシーンだけやたらと鮮明に覚えている。

そのあと、キョウカイレイを検索して、境界例(境界性人格障害)という言葉を知った。

そして、そのグーグル先生が教えてくれるサイトたちは、恐ろしいほどにわたしについての説明が書いてあるようにしか見えなかった。

 

ということを今日思い出した。

 

引越しを控えているわたしは、ダンシャリ(断捨離)に励んでいて、恐ろしいほど膨大な量の本棚に手を出した時に、奥から見つかった本が原因である。

 

その名も、「ここは私の居場所じゃない」

サブテーマとしては、「〜境界性人格障害からの回復〜」笑

 

いつ買ったのか、どこで買ったのか、はたまたなんでここにあるのかも不明というほどの忘れようだった。

まあ、家にある本の量を鑑みてみれば、それも仕方ないとも言える。

今回は、引越し屋さんの腰を慮って、本も断捨離するかという気になったというわけだった。

まず、引越しやさんからもらうダンボールの最小のサイズにしたって、すべて詰め込むと、彼らの腰がやられること間違い無しだからね。

 

ということで、興味津々で読んでみた。(読むのも初めて)

 

あなたは、わたしですか?

というくらい、わたしの感情について記されていた。

わたしと違うところは、わたしはもう、暴れることも他人に罵詈雑言を浴びせることも、しないというところだけ。

でも、きっと昔のわたしだったらやっていたであろう。

行動は違えども、心理構造がそっくりなのである。

 

わたしの特技は、サイキッカーよりも、IQ200の人間よりも(これまじで)、

他人の感情や表情が読み取れることである。

そして、相手にどう言ったら相手がどう行動するかのほとんどが予測がつく。

だからこそ、自分の周りにいる人間をコントロールしてきたようだ。

実は、自分が他人様をコントロールしているだなんて露ほどにも思っていなくて、この本を読んで、ああ、、、、と反省した次第である。

言ってみれば、自分をも欺いて、人をコントロールしてきたのである。

 

ということが、今日判明した。

目から鱗どころか、龍そのもの(というか魚か?)が出てきちまったかのような衝撃である。

それでも、思い当たる節はある。多分にある。笑

 

まだ読み始めだけれど、実はこの本がわたしを変える最後のチャンスなのではないかとも思っている。

 

いつまでも、他人をコントロールしてはいられない。

それでは、自分の成長にはならないし、いつか痛い目をみる。

そして、もう痛い目は多分にみている。笑

他人はコントロールできても、わたしに降りかかってくる事象はコントロールの対象外のようで、わたしはどこにいても、何をしていても、必ず事件にあって、人生において、痛い目をみ続けているのであった。

別に、被害者アピールをしたいわけではないのだけれど、やたらと事件が多いのは、わたしの根性のせいなのだということが、ようやく腑に落ちた。

自分をコントロールできないくせに、他人様をコントロールしている場合ではないのである。

 

そろそろ、春分。

3月20日までに、わたしは自分を変革しないと、もう人生詰むことがわかりきっているので、あと、数日、本気で取り組まなければいけないテーマだったりする。

 

そして、その鍵は、わたしがほとんど思い出せない幼少期にあると思っている。

 

 

擬態する蝶

好きという感情を奪われて、そもそもそのような感情がなかったということに気づかされて、どうやって人生に楽しみを見出していったらいいだろう。

人間を見て、人間を知り、人間を学んできた。

私は一体どちら様なのだろうか。

人間の体に生まれてきて、人間としての感情を持ち合わせてはいなかった。

感情というものは、他人から学んだ。というよりも、学習してきた。

彼らが、本当はどういう感情を持っているのか、私は知らない。

そうであろうと、憶測することしかできなかったから。

私の感情が、私の感情であるのか確信が持てない。

喜びとは何であろうか。幸せとは何であろうか。

学ぶ以外に湧き出てくる感情というものは一体どういうものなのであろうか。

私には、人間であると感じる時と、人間ではないと感じる時、そのどちらかしかないようだ。

擬態する蝶。

私は擬態することによって、人間たり得ると判断されている存在でしかないのかもしれない。

 

人の表情によって、感情を読み取れる。

人の声の質、トーン、音量によって感情を推し量れる。

人の動作によって、人の感情を憶測できる。

 

しかし、それは、私が人間であるという証明になるのだろうか。

 

人という形をした入れ物に入れられた、何か他の存在、エイリアンのようなものなのではないか。

 

この問いへの答えは、まだ出ていない。

それどころか、一生かかったって、答えなど見つからないのかもしれない。

もっと言えば、もともとその疑問への答えなど存在していないのかもしれない。

 

映画「おくりびと」

「おくりびと」
この映画を見ているとき、わたしは涙が止まらなくなった。
人々がいかにその職業を蔑もうとも、配偶者が蔑もうとも、そこに生きがいややりがいを見出す限り、それは天職なのだと。
それを思い出したのだ。
わたしは大学時代、人には言えないような仕事をしていた。
文字通り、人に言ったことはあまりないし、ここにも書きたくはない。
それでも、わたしはその仕事をしていたことを後悔したことは一度もない。
反省は何度もしたことはあるけれど。
そして、そのとき、わたしはこう思っていたはずだった。
「職業に貴賎なし」
そこには、需要があり、必要があるからこそ、その職業は存在するのだと。
誰に蔑まれようとわたしは気にしてはいなかったはずだ。
それなのに、そんなこともすっかり忘れていた。
知らぬ間に、人を地位や収入で選別するようになっていた。
前の仕事のせいかもしれない。
26歳で、こんな年収の女はわたしくらいなんじゃないかという変なおごりが知らぬ間にわたしの心を侵食していたのだ。
そして、自分たちで会社をやっているという変な自負もそれらをこじらせた。
夫がバカにしていたサラリーマンなるものを、わたしもバカにし出していたのだ。
それが、どうだ。
今のわたしは、サラリーマン(ウーマン?)にさえなれない、ただの臆病者に成り下がっているではないか。
わたしは怖かったのだ。
前の職業と比べられて、年収と比べられて、情けないと思われることを。
だからこそ、働くことも出来ずに、起業することも出来ずに、ただお金と時間とエネルギーを浪費することにこの1年半を費やしてきてしまったのだ。
これは、夫のせいなどはなかった。
わたしがわたしにそう思い込ませていただけだったのだ。
そして、比べるのは、実は周りの人間じゃないということも。
わたしがわたしを勝手に比べていたのだ。
ただそれだけの妄想にずっと取り憑かれていたのだと思った。
何にもなれない自分。誰にも認められない自分。
ずっとそれを恐れて、行動すること、1歩踏み出すことを避けていた。
本当は、誰もわたしのことなんてそんなに見ていないし、気にしてもいないだろうに。
ものすごい自意識過剰である。
だからこそ、誰に蔑まれようとも誠心誠意仕事に取り組んでいる主人公を見て、涙が止まらなくなったのだと思う。
何をしていても、どんな職業についていても、自分が自分を認めてあげれさえすれば、毎日はもっと楽しいものになるだろうし、充実した人生になるだろうに。
どうして、そんなことにも気づかなかったのだろう。
でも、もう大丈夫。
気づきがあれば、きっと人は変わっていけるから。
わたしはもう過去に執着することをやめる。
過去は、過去。
未来は、未来。
見えない未来を憂いていると、自分が今、ここから消え去ってしまう。
そして、毎日の色が薄くなっていく。
生きている実感が消えていく。
もう十分味わった。
だからもう、大丈夫。

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不可思議な感情と人生について

どうしても、なにに対してもまったくやる気が出ない。
自分に不安感以外の感情はない。
でも、それは、良く良く振り返って考えてみれば、年齢が2ケタになった時からだったような気がする。
今日、カウンセラーである先生に、それを指摘され、私は泣いた。
原因がまったくもはや分からな無くなっているからだ。
私の感情は一体どこに行ってしまったのだろう。
良く考えて見るように。と言われて私なりに考えて見た。
確かに昔は我ながらびっくりするほどに優秀だった。
小学生の時、計算をすべて終えた人から先生のところへ持っていくという算数の授業があった。
異常な速さで終えるたびに、先生は驚き、毎回毎回「カンニングしたのか」と聞いて来た。
よく考えればわかることだけど、計算を皆終えていないのに、カンニングをすることは不可能なはずだ。
それでも、私は傷ついた。
それからは、みんなが席を立ち始める気配をひたすらに待って、先生のところに持っていくようになった。
私は田舎で育ったので、塾もなければ、今でいう通信教育もなかった。
高校に入る前に、全国で一斉の模試のようなテストがあった。
私はそのテストに全教科とも全国で10位以内に入っていた。
そして、よく分からない業者が訪れ、勉強について脳の開発をしないかと営業をしてきた。
今でも覚えている。
でも、そこで父は言った。
「うちの娘はそんなんじゃないですから。」
というあの言葉。
あれは、おまじないだったのかもしれない。
それから、私は学校をサボるようになり、男の部屋に入り浸り始め、成績は坂を転がり落ちるかのように落ちていった。
あれは、もしかしたら反抗期のなかった私の唯一の仕返しだったのかもしれない。
でも、それが原因なのだろうか?
私はいつからこんなにやる気を失ってしまったのだろうか。
なにをしても変わらない、やるだけ無駄だと、いつから思い始めたのだろうか。
子供は、親のそんな一言だけで、そうも変わってしまうものなのだろうか。
私の感情はいったいどこに落としてしまったのだろう。
私は優秀だ、私には価値がある。
そう思えなくなったのはいったいいつからだったのだろう。
そこからは酷かった。
大学に入り、即引きこもりになり、その後はひたすらポンプ(注射器)で打ち回して、ポン中になった。
転落人生の代表例みたいな人生だった。
お金が無くなると、夜仕事をした。
キャバクラで、日払いのバイト。
いい男がいると、うっかりやってしまって、枕だと言われたく無いので、店を辞める。
それの繰り返しだった。
人生って本当に不思議である。
何が今後の人生を左右するかだなんて分からないまま、いろいろな現象にもみくちゃにされて、それでも、生きていかなければならない。
人生って本当に残酷だと思う。
そして、一番残酷なのは、わたしなのだと思う。
わたしがわたしにしてきたこと…実はそれが一番残酷なことだったろう。f:id:xphantasmagoriax:20170120213136j:image

読書記録「精子戦争」 ペニスのサイズについて

未だにハマって読んでいる「精子戦争」ネタ、まだまだ行きますよ〜笑

 

今日のネタはペニスのサイズについて、なので、ペニスのサイズに劣等感(というか小さい人)のある方は読まないことをオススメいたします。

嫌われたくないので、ね。笑

 

昔から、いろんなペニスを見てきて、ものすごく不思議だったことがある。

なぜ、サイズは一律ではないのか?

(というか、なんであんな小さい奴とデカイ奴が存在するのか)

ということである。

 

まあ、人は身長も違えば、体重も違うし、そりゃあペニスのサイズの違うでしょ〜と言われてしまえば、それまでなのだけれど。

でも、ペニスは生殖器。

そして、女性の生殖器はさほどサイズは変わらないはずなのだ。

締まりがいいか悪いかは、女性の生殖器がデカイ小さい関係なく、ありゃ筋力とそこに意識をして締められるかという、そこで決まるものでね。

幼い頃から下痢癖があった私としては、そこを締めるのが得意。

だから、締まりが良いと言われるだけなのである。

こればかりは、まあ・・・うんこに感謝すべしかな。笑

ということで、どうしてこんなにも差が出来ちまってるんだペニスは!!

と思っていた。

そして、たぶんペニスのサイズは遺伝するとも思っている。

まあ、父子共にやってみたことはないけれど、そんな気がする。

と思って生きてきたし、ヤッてきたのだけれど。

 

今日、「精子戦争」にやたらスッキリする理由が書かれていたので、ご紹介しよう。

 

実は、あのペニスさんの形にはきちんとした理由があるのだ。

あの「亀頭」は、私たち女性(たまに男)を気持ち良くさせるためだけにある訳ではなく、もっと実質的な理由があったのだ。

 

それは、

他の男の精子を掻き出すため!!!!!

である。笑

 

あの亀頭にひっかけて、精子を掻き出す役割が本当のお役目だそう。

だとすると、チリ人のペニス(調べてみてね)は世界中で勝ち目がないようにも思えてくるのだけど・・・

 

まあ、それは置いといて。

他の男の精子を掻き出して、自らの精子の生き残る率をアップさせようという目的を持って、亀頭は亀頭たり得ているそうな。

ということは、だよ。

デカイほうが、掻き出す精子の量は格段にアップするのである!!

 

ということで、普通に考えれば、デカイちんこの方が優秀なのである。

(精子の量と、質を同一だと設定するなれば)

 

なので、さらに普通に考えれば、ちんこが小さい人は淘汰されて然るべきなはずなのだ。

(小さければ、なかなか他人の精子はかき出せない→精子戦争ででかい奴より不利→故に子孫は残せない→世の中はちんこがでかい子孫ばかり・・・という論理)

でも、、、実際にはそんなことは起こっていない。

一定の確率で、小さい奴は未だに生き残っているのである。

そして、その確率は、昔と大差ないであろう。

 

なんでなんだ!!

(結局わたしの疑問は解消されてなかったりする。笑)

 

そこで、仮定してみた。

 

1、そもそも、他人の精子とこんにちはする可能性がそんなにない。

 何故なら、(一応)一夫一妻制度を取っている国が多いし、乱交パーティーをするか、または、相手とやった24時間以内くらいにまた他人に射精されない限り、そもそも精子戦争は起こらないから。

 

2、進化の仮定で、ちんこが小さい奴の方が、精子力(女子力みたい。笑)が強くなっている。

 実はこれ、結構信じている。何故なら、ちんこが小さい人は意外とタマがご立派な方が多かったように思うからだ。タマがでかいということは、精子の製造量もそれに比例して多くなるということ。

 

本当に何が起こっているかは不明だけれど、1も2も、意外と蓋然性があるように思えてきてしまうのでありました。

 

わたしとしては、もっとみんな乱交やら不倫やらしてくれていたら、今頃ちんこ大きいひとばかりだったんじゃないか(仮定1の立場)と思うと、悔しくて悔しくて・・・笑

 

かなり昔は、農村やらなんやらで盛大な乱交パーティーが行われていたのだけどね。

ヒジョーに残念である。

 

だからと言って、現代で、父親が誰か分からない!状態は非常に危険なので、わたしはそれはしないけれどもね。笑

 

ということで、結局謎は解けませんでしたね!ごめんなさい!

 

 

 

 

瞑想の思わぬ収穫

巷でよく聞く瞑想について、ちょっと挑戦してみたものの、

(なんだか、効果がよう分からんなあ・・・)と途中で放り投げた過去のあるわたし。

やはり、目に見えて効果が出ないと続かないような性格なのだろうと思う。

ところが、だ。

この前、ふと思い立って、寝る前に、そのまま寝ちまっても良いように、寝たまんま「瞑想」なるものをしてみた。

常に寝る時は、睡眠の質を測るために、脈拍計をつけているのだけれど、これがなかなか優秀で、脈拍数でレム睡眠かノンレム睡眠かをしっかり測ってくれるのだ。

 

www.epson.jp

いつもは、レム睡眠ばかりで、ノンレム睡眠がめちゃ少ないわたし。

なんと、1分とか(笑)

 

脳の眠り ノンレム睡眠

脳が眠っている状態と考えられています。眠りの深さによって4段階に分けられます。
浅い眠りから深い眠りへと進み、深さのピークを過ぎると今度は逆に深い眠りから浅い眠りとなり、そのあとレム睡眠へと移行します。
居眠りはほとんどがノンレム睡眠で、空いた時間にほんの少し居眠りするだけでも脳の休息になります。

  • ・入眠直後にあらわれる
  • ・夢はほとんどみない
  • ・身体を支える筋肉は働いている
  • ・眠りが深くなるにしたがって、呼吸回数・脈拍が少なくなる

身体の眠り レム睡眠

身体は深く眠っているのに、脳が起きているような状態の浅い眠り。
目覚めの準備状態でもあり、この時に目覚めると気分がすっきりします。

 だがしかし!

そのなんちゃって「瞑想」をしてから、そのまま眠りにつくことによって、ものすごくノンレム睡眠の時間がアップしたのであった!

 

ということで、寝る前にオナニーしている場合ではなくて、瞑想をする必要性を重々感じたのでございました。笑

 

みなさんも、ぜひ、寝る前の「瞑想」をお試しくださいませ〜

 

BEFORE

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AFTER

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早起き習慣化キャンペーン 8日目

たまに、お寝坊をすることもあるものの、基本的には5時には起きれるようになってきた 麗でございます。

 

やはり早起きは素晴らしい!(また言っていますが)

でも、早起き出来なかった時のあの1日をまるまるダメにしてしまいたくなる衝動は、かなり命取りですな・・・

私の性格上、ゼロ・100なもので、これは仕方のない副作用か。

 

そして、ラインのグループで早起きキャンペーンをやっているというのも効果的に起きれる理由かもしれません。

なぜなら、朝の5時に「おはようございます」しないと、(あ、こいつお寝坊さんやな・・・)と思われる!という変な恐怖感が私を早起きさせてくれていると言っても過言ではございやせん!笑

 

みなさんも、もし1人で起きれなそうだったら、グループでやってみるのもおすすめです!

そして、誘ったあなたが最後にみんなに心から感謝されるでしょう。笑

口とペニスだけの男たち

私の会社で働いて欲しい。

としつこく言ってくる人がいる。

わたしはそろそろ仕事がしたいと思っていたし、待遇も良いから働こうかと思った。

でも。

それとはまったく別の話になるんだけど、と付け足して、

どうしてもわたしとヤりたいのだという。

2ヶ月に1度でいい、それでもいいから泊まってはくれないかと。

それを断ったとしても、仕事において何か待遇を変えるということはないという前置きをして。

彼氏ができたのでごめんなさい、と言って、おめでとう!応援するね、と言った舌の根も乾かないうちにどうしてそんなことが言えるのか不思議である。

 

そして、もう1人。

愛している、愛している、愛している攻撃がラインで毎晩。

そして、毎回毎回、支えます、生活の面倒をみます、となんども言われる。

成功する前からの知り合いであるから、そこが良いのだと。

そして、こんなに長くわたしを愛し続けてる(一方的にな)のは俺くらいだろう、と。

まあ確かに6年も愛してる攻撃を受け続けたことはないわな。

確かに、それだけの金は有り余っているであろう。

わたしを囲っても、金銭的に痛くもかゆくもないだろう。

でもさ、それ、いったいいつ実行してくれるっていうの?

結局口だけ。ヤりたいだけ。わたしを所有したいだけ。

 

さらに、もう1人。

わたしと結婚している時にさんざんキャバ嬢と遊びまくっていたくせに、すべて惨敗すると毎度毎度、お前にみじめな思いはさせたくないんだ、なんでもするよ、だから戻ってきてくれないか。という電話攻撃をしてくる。

結局、奴隷が再び欲しいだけ。

っていうか、すでにもうみじめな思いはしてるっちゅーねんな。

金はあるくせにどけちだから、慰謝料をまさかの36回分割にした挙句に、個人でなく会社から振り込んでくる不届きものである。

そして、毎度毎度2〜3ヶ月遅れる。

結局、口だけ。

 

本当に男って口とペニスだけだよね。

 

自分の口に自分のペニスでも突っ込んでたらええねん。

早朝5時起き習慣化 3日目

おはようございます。

今日も5時起き完遂でございます。

実は昨日は2度寝して8時に起きたけれど、まあ生理中だしご愛嬌な。

早起きは三文の徳と言われておりますが、本当にそうだと感じつつあります。

朝から読書しながら、半身浴できるし、洗濯なんてさっさと終えちゃうし、さらに掃除までしたくなってしまう早朝。ムイビエン、なんと素晴らしきことよ。

ここ数十年間ほど、自分は夜型だと信じて疑わなかったわたくしでしたけれども、そんなことはなかった!と断言できるほど清々しい。

まあ夜10時に寝ていれば、それも可能というものである。笑

しかも、夜10時に寝るとなると、深酒はしないし(できないし)、早めにご飯を食べようという気にもなるし、一石二鳥どころの話ではなくなってくるのである。

まあ、無職だからこそできるといえばそれまでなのだけれど。

このまま、いい調子で早朝5時起き、習慣化させたいな〜!!

読書記録「精子戦争」

おはようございます。

今日も朝から「精子戦争」を読んでテンションマックスの麗でございます。

 

わたし、前々から疑問に思っていたことがありまして。

セックス中に、「子宮に当たってるよ。」とか言う殿方がヒジョーに多くいらっしゃるようで、毎回、(ん?それ子宮じゃないような気がする・・・)と思っていた。

というか、ペニスが子宮に腰を振るたびに当たっていたら、子宮に多大なるダメージなんじゃね!?と密かに心配していたわたし。

 

今回、そんなこたあねえ!ということが、この「精子戦争」を読んで分かったのでご報告でございます。(ああ良かった)

 

彼らがことごとく「子宮」だと思っていたそれは・・・

 

なんと、ドンツキ! だったのである。

 

要は行き止まり。笑

まあ、何かに当たっていたというところだけはあっていたが。

膣の中は袋小路になっていて、ご立派なものをお持ちの方はきっと当たるであろう。

たまに当たらない悲しい人もいるけれど、それはわたしが緩いとかそういう問題ではございません。(だって、縦の長さの問題だからな!)

 

では、どうやって精子を子宮に送り込んだらええねん?

と思ったそこのあなた。というかわたし。笑

 

実は、そこのドンツキスペースの上部にイソギンチャクのような器官がありまして、何度かピストン運動をしていると、イソギンチャクから管のように形を変えて(!)、そこのスペースににゅーっと降りてくるのだそう。

そして、勢い良く出された精子を吸い上げる(というか正しくは勝手に精子が泳いでいくのだけれど)のだそう。

そうして、ようやく例の子宮の方へ辿り着けるのだと。

しかも、実は、その先にも精子にはいろいろ難があって、まずそこのスペースで管にたどり着けず死ぬ精子は約半数。4億出されたら、2億そこで死に絶える。

そして、死に絶えた2億は、いわゆるフローバックという現象にて、膣内から排出される。女性ならわかるであろう、あの例のドローってしたやつである。

 

そして、頑張って管に入ることができた精子さんたちは、精子さんたちと同じ数ほどの白血球が実はスタンバイされていて、ほとんどが白血球に生きながらに食われます。笑

そうして、約5日間壁づたいに進んでサバイバルした勇者のみが、「待機所」なる場所へ進むことが出来るのである。

そして、そこでひたすら卵子のご登場を待つことになるそう。

しかし、卵子が登場しなければ、彼らはそこで死に絶え、再び膣に戻されるか、他の排出器官にて排出されてしまう運命にある。

なんて厳しいんだ、精子戦争・・・

 

妊娠させるためには、そこの待機所に常に精子がいる必要があるのだそう。

特に排卵日周辺の日程において。

だがしかし、だ。ほとんどの精子の寿命は最長でも7日間。

ということは、その待機所に行くまでに、5日の道のりなのであるから、待機していられるのは、残り、長くても2日しかないという計算になる。

なんだかとってもサバイバルであることよ。

 

ということで、実は、毎日一定の量をその待機所に保持している必要があるのだ。

毎日やったとしても、なかなか難しい現実が待っている。

 

実は、殿方の脳内ではとっても面白いことが行われていて、

精子量を実は自動計算しているようなのである。

例えば、前日に4億の精子を射精したとする。

すると、その数倍のポテンシャルを精巣内に保持しているにもかかわらず、

総量を調整する働きがあるようで、1度目の射精の時から計算して時が経つ度に精子の量が増えていくのである。

当たり前のように思えるのだが、これは無駄な精子を排出しないための計算らしく、なんとも「適量」を計算しているらしい。

相手を効率良く妊娠させるために、な!

 

まあ、でもここである疑問が浮かぶことになる。

1、オナニーした場合は?

2、他の女ともしまくっていた場合は?

という2点であるが、本書ではそれについては触れられていない。

 

だって、パートナーが一定であれば、相手に出した精子の量を鑑みて次回の精子の量を決めるということはとっても理にかなっているけれど、脳はそれ以外のバターンも計算できているのだろうか?

まあ、上記を仮定してみると、とんでもないことになっちまうけどね。

 

〜オナニーしまくっている場合、かつ、脳がそれを加味して計算できない場合〜

精子量がオナニーをするたびに、減っていく(または元の精子量に到達するまでの時間が稼げない)ので、妊娠の確率は格段に下がる。

→「子供ができないのは、あなたのオナニーのせいよ!」と罵られますね。

 

〜他の女としている場合、かつ、脳がそれを加味して計算できない場合〜

他の女とやるごとに、精子の量は再計算され、減っていく(または元の精子量に到達するまでの時間が稼げない)ので、これまた妊娠の確率は格段に下がる。

→「子供ができないのは、あなたの浮気のせいよ!」と罵られますね。(バレないか)

 

〜どちらにせよ、脳が相手や行為によって計算できる場合〜

これならモウマンタイですね。そして、きっとそうであってほしい。

脳よ、ポテンシャルを発揮しておくれ!と願うばかりである。

 

 

つづく