好きという感情を奪われて、そもそもそのような感情がなかったということに気づかされて、どうやって人生に楽しみを見出していったらいいだろう。
人間を見て、人間を知り、人間を学んできた。
私は一体どちら様なのだろうか。
人間の体に生まれてきて、人間としての感情を持ち合わせてはいなかった。
感情というものは、他人から学んだ。というよりも、学習してきた。
彼らが、本当はどういう感情を持っているのか、私は知らない。
そうであろうと、憶測することしかできなかったから。
私の感情が、私の感情であるのか確信が持てない。
喜びとは何であろうか。幸せとは何であろうか。
学ぶ以外に湧き出てくる感情というものは一体どういうものなのであろうか。
私には、人間であると感じる時と、人間ではないと感じる時、そのどちらかしかないようだ。
擬態する蝶。
私は擬態することによって、人間たり得ると判断されている存在でしかないのかもしれない。
人の表情によって、感情を読み取れる。
人の声の質、トーン、音量によって感情を推し量れる。
人の動作によって、人の感情を憶測できる。
しかし、それは、私が人間であるという証明になるのだろうか。
人という形をした入れ物に入れられた、何か他の存在、エイリアンのようなものなのではないか。
この問いへの答えは、まだ出ていない。
それどころか、一生かかったって、答えなど見つからないのかもしれない。
もっと言えば、もともとその疑問への答えなど存在していないのかもしれない。