Way to be HAPPY

Life is a Journey

なんでって聞かれても

先日、ヒプノ始めるからって、
同期に連絡をしてみた。

割と年上なのだけれど、
すごいいいおじさん。

私のことをずっとライバル視していて、
「同級生の優等生なレイちゃん」って言われていた。
そもそも同級ですらないが、きっと同期という意味だと思う。

ライバル視していたと本人は言うが、
嫌味とかはまっったくなく、今日もすごい気持ちのいい感じだった。
なぜなら、本人は今年からヒプノセラピーを離れ、webデザイナーとなったから。
あ、もし、そういうの必要な人いたらご連絡ください。
特にカウンセリング系得意って言ってはりました。

色々連絡をとって、
オススメのセミナーとか、講座とか教えてもらった。

で、最後に聞かれた。
「そんなに才能があったから独立するのはわかるけど、
どうして、今、なの?」と。

ひたすら私にジェラシーを感じ続けていた彼の疑問はかなりキタ。

でも、なんとも言えない。
ヒプノにかからない私を肯定できたから?
祝里さんが勧めてくれたから?
誰にももう雇われたくないから?

すごい考えてるんだけど、
なんとく私は誰かに何かを言われたからと言う、
そう言う甘えが自分にあるような気がして、自分がとても気に入らないの。

人がどう言った、誰がどう言ったとか、関係ない。
誰も私の行動の理由にはしたくない。
その人に責任を押し付けるような馬鹿な真似はしたくない。

そう思っていたから、やるのやだったんだろうなーーーー

なぜって、自分でやろうと思ってないから。

○○さんが私ができるって言ったから。

そうやってまた逃げるところだった。汚い私。

やるのは私。責任取るのも私。

もう、いまあるのはそれだけ。

年収という概念

ここ2つくらいの記事で、年収が取り上げられているにつけ、
私はいかに年収論者なのかを再確認させられているように思う。

人の魅力は年収じゃない。

それは、私のモットーだったはず。

でなければ、何もない人と結婚などしない。

何もない人と付き合ったりはしない。

でも、やはり判断基準をそこに求めてしまっているのだろう。

自分以外のくだらない誰かの意見を求めて。

本当にくだらない。

その呪縛から解かれる日はもう少しなのだろうか。¥

子の存在意義。あなたの存在意義。

はい。私の親友は、子供が欲しいのとスペックの高い男と結婚したいとのことで、
先日とうとう5年間の空白(努力とも言う)を経て、国際結婚をしました。

年収1500万円だったかな。
買った戸建は田園都市線の渋谷よりで6000万くらい?

でも、当人たちはまっっっっったく幸せそうじゃないんだ。
不思議でしょ?

最近理由が分かったのだけど、
どうやら男が浮気していた模様。

思うのだけれど、浮気は火遊びだから別にいい。
でも、浮気と思わせず本気とどちらにも思わせるのはなくない?

どっちなんだよ・・・ってなるよね。

まあそれが浮気の所以かもしれないんだけど。


いやーーー聞いていて、
まじどっちなんだよ!
ってツッコミしかない。

私の友達なのか、その異国のスペシャルボディの女なのか
はっきりしろし。

選択をしないこと、それは、すなわち
意地汚い、と私の中で変換されます。

いいよ、浮気したいならすればいい。
ただ、バレた時、即断できる決意を持ってしないような男は、
誰も要らないと思うよ。

ただの、ジャンクでしょ。
まあ、それを選んだお互いがジャンクなのだろうけど。

ということで、ちょっと浮気男に物申したい、今日この頃。

ちんこ切りたいって言ってたけど、
水を塞ぐか、井戸を塞ぐかは永遠の討論の対象でしょうね。

ただ、それだけ。

私はずっと母親の言う
「あなただけが頼りなの」
という言葉にやられていた。

取り敢えず、私が稼いで、
お母さんの面倒を見るんだ!
と思っていた。

だから、ノリではあったけど、
横浜の地主の息子と結婚して、
起業して、
皆が羨む収入を得るようになった。

26才で年収1200万。

でも、どうも納得がいかなかった。
これで、私は満足なの?
本当に幸せなの?
そういう疑問が日々私にのしかかってきた。

だから、離婚した。

自分の存在意義を奪われて、
女性としての尊厳も奪われて、
そんなの、全く生きてる意味ない。
って思ったから。

そこからの私は、
消えて行く貯金との戦い。
世の中の事務職の女性がどれだけ給料が低いかを実感させてくれた。

どうしてこんな給料で生きていられるのかがよくわからないのと、
どうしてこんな給料でそんなに仕事しちゃうの?ということが不思議だった。

こんなくそみたいな会社にあなたのエネルギーを費やす必要性がないくない?
ってずっと思っていた。

そして、私は耐えられなくなって、退職した。

もう思い切って、
自分がずっと疎んできたその能力を人のために使うことにした。
それは祝里さんが私に言ってくれたこと。
「あなたがこれまで生きづらかったその能力を使う時が来た」
って。(もうほとんど覚えてないけど、こんな感じだったよ)

それをできる人ができることをすればいい。

サラリーマンを苦なくできる人はそれをすればいい。
それができないんだったら、他の道を探せばいい。

ただ、それだけ。

ただ、それだけなんだね。

過去の思い出

この家に帰ってくると色々と思い出す。

おならをしてしまっただけで、いとこと兄貴に殺虫剤をかけられ、
病原菌扱いされたこと。

布団にサンドイッチみたいに挟まれて、
上から乗られて、ほとんど息ができなくて、
窒息しそうだったこと。

親や周りに可愛がられる反面、
兄弟やいとこから見えないところで、
嫌がらせを受けていた。
ほとんどイジメとも言えるものだね、今考えれば。

そういう人の汚い姿を見てきた。
だからこそ、人が怖かったのかもしれない。

純粋な子供が、本能的に私を排斥する感じ。
これはもう、如何しようも無い感覚だよね。
私がきっと脅威だったんだろうね。
本能だからきっとしょうがないと私は思っていた。

私が悪いのだと思っていた。
ずっと、ずっと。

でも、今思えば、別に私、悪くなくない?
って思い始めてる。

ただ、私がみんなからしたら魅力的だった。
大人からしたら天使みたいな子供だった。

それだけの話でしょう?

なぜ、私は私をここまで悪いと思っていたのか、
そういうことについて再考する時期なのかもしれない。

私は別に、悪くない。
よくもないけど、悪くはなかったんだ。

そう思えるだけで、もう救われている。

私は私。

誰にも何も言わせない。

過去の記憶の真実

子供とはいかに健気な生き物だろうかと思う。
それは私も例外ではなく。

自分が幼かった時の私はすごく健気だったのだな、
と今客観的に思う。
幼い子供は生き残るために同じ事も無意識に必死にしているのかもしれない。
大人になる時には全て忘却の彼方、最悪、記憶さえ改ざんしているだろう。
だって、そうでなければ生きてこれなかったから。

きっと、そこから何か学ぶために、私はその環境を望んで来たんだろうけど。
思い出すまで忘れている、日本語的にはそうだろうと思うけれど、
それってとても恐ろしい事でもあるのだなあと思う。

思い出すまで、忘れている。
そのことが。

私には、唇の右上に傷跡がある。
笑うと、えくぼみたいに出てくるそれは、
歯が貫通して穴を開けた傷跡だ。

幼い頃、ほとんと記憶にもなかった頃のこと。

私の記憶の中では、
お父さんに構って、構ってーーーとじゃれていて、
自分から机に顔をつっこんで顔に穴を開けたのだと思っていた。

でも、真実は違った。
それは、今日言われて発覚したことなんだけど。

親父が私をたかいたかいして、そのまま誤って私を落下させ、
唇の上の皮膚が貫通して血だらけになった私を放置した、ということだったみたい。

母親が発見するまで、私は血だらけのまま放置。
結局、病院に運び込んでくれたのも母親だったというなんとも切ない結末。

私はそれを認めたくなくて、自分から机に突っ込んだことにした。
自分の納得のいくように過去の記憶をすり替えていた。

お父さんは悪くない。
お父さんは私のことを愛してくれた。

そう思いたかったんだろうねー。

今、実家に帰ってきて姉の息子(2際)と対峙しているけれど、
やはり大人になってしまった私より、
子供の彼の方が純粋だし、感性が鋭い。
しかも、気を使わせないように、一番あいつは気を遣ってる。
というか、それが自然にできてしまう。
生ける天使。

その場にいる全員を幸せな気持ちにするために、
やれることをしている、そんな感じ。

嫌な人は嫌みたいだけど。笑

私も昔、きっとそうだったのだろう。

そして、いつか、そういう天使とまた出会いたいと思う。

自分を思い出すために。

どうにかなるか

最近、よく思ってること、
それは、「どうにかなる」ということ。

今まで、どんな苦難があろうとも、
すげー借金背負ってたとしても、
どうにかなったよなーって考えるようになった。

不動産投資に手を染めていた時のローンの総額は1億800万だった。
でも、それら全てを買った時より高値で売っ払ってくれて、
手残りを残してくれたのが元旦那。

そりゃあ恨むに恨みきれん。
あの人は、決して悪気がある人ではなかった。
ただ、自分の感情をどうすればいいか分からなかっただけなんだと思う。
もう2度とごめんだけど。

その手残りもそろそろ尽きようとしている時。

でも、今私が思っていること、それは。
どうにかなる。
それだけしかない。

きっとどうにかなる。

昔、母親がよく言っていた。
「どうにかなるさー」って。

親父は自営業だったし、公共施設しかやらない建築士だったから、
不景気の煽りを直に受けていた真っ最中に、
母親が言っていた。笑

で、親父は「どうにかするのは、俺だろが!」ってよくキレていた。

でも、今なら、それをどうにかなるようにもってってたのは、
あのちょー楽観的な母親なんじゃねえのかって思ってる。

もはや、なんくるないさーの領域だよね。笑

私は母親がちょっと苦手だけれど、
あの人は、本当に家族に尽くしてくれた。
心から感謝している。

そんな母親に私のために苦言を呈してくれた、
私の第二の母親(本人曰く)のおばちゃんにも感謝している。
それから、母親のストーカー具合が減ったから。


今は亡き、おばちゃんのことを想う。

この世から、まずはこの日本から、
癌がなくなるよう、私は頑張るよ。

とりあえず、朝に一杯の味噌汁を奴に飲ませとくさ。

祝里さんの年末年始の特別ワーク

はい、昨日、祝里さん(元藤田さん)の年末年始の特別ワークに行ってまいりました。

年末年始のワークショップ初日が終わりました。 | ホリスティック・ウェブ

とっても濃ゆいワークだった。

彼が行くっていうものだから、2人で行ったのだけれど、
最初は、あやつの祝里さんを見つめる目が気に入らなかったよ。

でも、なんの前情報も与えないままに、テキトーに連れて行った私も悪いといえば悪かった。笑
途中から、祝里さんの話すことに反応し始めたから、しめた!!!という感じだったの内緒。

だって、所謂スピリチュアルスピリチュアルしているワークには、絶対私は他人を誘ったりしないもの。

祝里さんは私がスピリチュアル行脚していた中で、最も理論的で、最も実際的。
ふわふわした感じが全く無い。

ふわふわ感にお腹いっぱいになっていた私は祝里さんの説明が実は大好きだったりする。
千葉のねーさんは言われていることがよくわからないって言ってるけど、きっとそれは、
ワーク中で説明してくれた、「目」の人か「耳の人」か「身体感覚(触覚)」の人かの違いなのかな?
とも思った。
でも、ねーさんはわかってないって言ってるだけで、実はわかってるのだと思うけど。

祝里さんは、「耳」の人だって言ってたけれど、
「目の人」か「耳の人」か「身体感覚(触覚)の人」のどれもあるけれど、
そのうちで秀でてるのが「耳」ってだけの気がしてる。

兎にも角にも、それから、気持ちが楽になった。
今すぐ別れたいと思っていた気持ちが消えた。

ただ、彼と私は真逆に違うだけなんだなってことがわかったから。

面白いんだけど、マヤ暦でも真逆なの。
鏡の向こうKINっていうらしい。
それも、もう飽きちゃって全くやってないけど。

私と私の本質を繋いでくれている、いつもそう思ってセッションに行ってる。

気づけばそろそろもうすぐ2年になるなーーーー。

時が過ぎるのは早い。

食事日記 12月29日

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青梗菜の炒め物

玄米 150g

納豆

豆入り玉ねぎ味噌汁

大根の漬物

 

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おでん

(鰯のつみれ、こんにゃく、白滝、

卵焼き、卵、大根、はんぺん)

ビール1缶

ハイボール1杯

日本酒1合