Way to be HAPPY

Life is a Journey

摂食障害

ここ十数年悩まされてきた、それ。

食べて、吐くやつ。

人間は、食べるために生きている、
なのになんで吐くんだ?

そういう疑問しかなかった。

吐くなら、なぜ、食べる?

なぜ?

吐きたくないなら、拒食で悩めばいい。

そう思った私は、新宿のとあるクリニックに行った。
過食症が治ると聞いたから。

実際に行ってみれば、合法的に(当時は)出されていた薬(リタリン)を
スニッフ(鼻から吸う人々)しかいなかった。

それでも、スニッフを一度もしたことがないけれど、
出してもらったリタリンで、単位も卒業単位軽く超えるほど、
優秀な成績で取れたし、
過食嘔吐もそんなにしていなかった。

それに助けられていた時期があった。

でも、新宿のとあるクリニックが問題になってから、
摂食期障害には適用除外されてしまった。

そこからが私の悪夢だった。

吐かなかったから優秀な成績だったのか、
そのリタリンという薬のお陰だったのかはもう比べようもない。

私は、ないそれらの薬に憧れ続けた。

でも、結局は得られなかった。

最後に感じたのは、
薬なんてアテになるものか。
自分の能力だけで生きていくしかない、それだけ。

大麻だって、戦後違法になった。
本当に悪いものなら、なぜ何千年と日本に生えていた?
それは今でも疑問。

今は、きっと自分の本能と感性で生きていくとき。

人は変わる。

あなたもきっと変わる。

それを選び取れるのは自分だけ。

恐怖ってどこからくるのかな

田舎から大学に進学するために出てきた私。

本当は、ようやくあのうざい両親から離れられて、
ウキウキのウハウハの女子大生生活ができる♡と信じて止まなかった。

とりあえず、引っ越して3日めには発狂してたよね。
なぜ発狂してるかも分からずに、ものすごく泣きじゃくっていた10年前。
親という足かせが外れて、ひとりぼっちを感じていたからなのか。
はたまた、孤独に耐えきれなかったのか、よく分からない。

ウキウキのウハウハの女子大生生活なんてどこにもなかったのである。

親の呪縛を引きずりながら、自分の価値観さえわかっていない始末。
何がしたいかも分からず、誰が好きなのかも分からないまま、
食べるだけ食べて、吐くだけ吐いて。

本当に、暗黒時代だったなーと思う。

実家にいるときも、暗黒には変わりはないけれど、
ちょっと毛色の違う暗黒な感じ。

みんなこんなに辛いのか、そりゃ大変だなーと思っていたけど、
みんな意外とそうでもないみたいで。
友達が増えていくたびに気づいた。
みんな、意外とハッピーやんな?

であれば、なぜ?
どうして、少人数だけ?

そういう疑問がこういう世界に私を連れて行ったんだろうなと思う。

辛いの尺度がきっと違う。

例えば、炭鉱で働いているとする。
炭鉱でしか働いた記憶がないひとと、
自由な国で遊んで生きて暮らしていたひと。
はい、どちらが辛いでしょう?

答えは、どちらも辛い。以上。

でも、その言葉の振れ幅は果てしない。

なんでって聞かれても

先日、ヒプノ始めるからって、
同期に連絡をしてみた。

割と年上なのだけれど、
すごいいいおじさん。

私のことをずっとライバル視していて、
「同級生の優等生なレイちゃん」って言われていた。
そもそも同級ですらないが、きっと同期という意味だと思う。

ライバル視していたと本人は言うが、
嫌味とかはまっったくなく、今日もすごい気持ちのいい感じだった。
なぜなら、本人は今年からヒプノセラピーを離れ、webデザイナーとなったから。
あ、もし、そういうの必要な人いたらご連絡ください。
特にカウンセリング系得意って言ってはりました。

色々連絡をとって、
オススメのセミナーとか、講座とか教えてもらった。

で、最後に聞かれた。
「そんなに才能があったから独立するのはわかるけど、
どうして、今、なの?」と。

ひたすら私にジェラシーを感じ続けていた彼の疑問はかなりキタ。

でも、なんとも言えない。
ヒプノにかからない私を肯定できたから?
祝里さんが勧めてくれたから?
誰にももう雇われたくないから?

すごい考えてるんだけど、
なんとく私は誰かに何かを言われたからと言う、
そう言う甘えが自分にあるような気がして、自分がとても気に入らないの。

人がどう言った、誰がどう言ったとか、関係ない。
誰も私の行動の理由にはしたくない。
その人に責任を押し付けるような馬鹿な真似はしたくない。

そう思っていたから、やるのやだったんだろうなーーーー

なぜって、自分でやろうと思ってないから。

○○さんが私ができるって言ったから。

そうやってまた逃げるところだった。汚い私。

やるのは私。責任取るのも私。

もう、いまあるのはそれだけ。

年収という概念

ここ2つくらいの記事で、年収が取り上げられているにつけ、
私はいかに年収論者なのかを再確認させられているように思う。

人の魅力は年収じゃない。

それは、私のモットーだったはず。

でなければ、何もない人と結婚などしない。

何もない人と付き合ったりはしない。

でも、やはり判断基準をそこに求めてしまっているのだろう。

自分以外のくだらない誰かの意見を求めて。

本当にくだらない。

その呪縛から解かれる日はもう少しなのだろうか。¥

子の存在意義。あなたの存在意義。

はい。私の親友は、子供が欲しいのとスペックの高い男と結婚したいとのことで、
先日とうとう5年間の空白(努力とも言う)を経て、国際結婚をしました。

年収1500万円だったかな。
買った戸建は田園都市線の渋谷よりで6000万くらい?

でも、当人たちはまっっっっったく幸せそうじゃないんだ。
不思議でしょ?

最近理由が分かったのだけど、
どうやら男が浮気していた模様。

思うのだけれど、浮気は火遊びだから別にいい。
でも、浮気と思わせず本気とどちらにも思わせるのはなくない?

どっちなんだよ・・・ってなるよね。

まあそれが浮気の所以かもしれないんだけど。


いやーーー聞いていて、
まじどっちなんだよ!
ってツッコミしかない。

私の友達なのか、その異国のスペシャルボディの女なのか
はっきりしろし。

選択をしないこと、それは、すなわち
意地汚い、と私の中で変換されます。

いいよ、浮気したいならすればいい。
ただ、バレた時、即断できる決意を持ってしないような男は、
誰も要らないと思うよ。

ただの、ジャンクでしょ。
まあ、それを選んだお互いがジャンクなのだろうけど。

ということで、ちょっと浮気男に物申したい、今日この頃。

ちんこ切りたいって言ってたけど、
水を塞ぐか、井戸を塞ぐかは永遠の討論の対象でしょうね。

ただ、それだけ。

私はずっと母親の言う
「あなただけが頼りなの」
という言葉にやられていた。

取り敢えず、私が稼いで、
お母さんの面倒を見るんだ!
と思っていた。

だから、ノリではあったけど、
横浜の地主の息子と結婚して、
起業して、
皆が羨む収入を得るようになった。

26才で年収1200万。

でも、どうも納得がいかなかった。
これで、私は満足なの?
本当に幸せなの?
そういう疑問が日々私にのしかかってきた。

だから、離婚した。

自分の存在意義を奪われて、
女性としての尊厳も奪われて、
そんなの、全く生きてる意味ない。
って思ったから。

そこからの私は、
消えて行く貯金との戦い。
世の中の事務職の女性がどれだけ給料が低いかを実感させてくれた。

どうしてこんな給料で生きていられるのかがよくわからないのと、
どうしてこんな給料でそんなに仕事しちゃうの?ということが不思議だった。

こんなくそみたいな会社にあなたのエネルギーを費やす必要性がないくない?
ってずっと思っていた。

そして、私は耐えられなくなって、退職した。

もう思い切って、
自分がずっと疎んできたその能力を人のために使うことにした。
それは祝里さんが私に言ってくれたこと。
「あなたがこれまで生きづらかったその能力を使う時が来た」
って。(もうほとんど覚えてないけど、こんな感じだったよ)

それをできる人ができることをすればいい。

サラリーマンを苦なくできる人はそれをすればいい。
それができないんだったら、他の道を探せばいい。

ただ、それだけ。

ただ、それだけなんだね。

過去の思い出

この家に帰ってくると色々と思い出す。

おならをしてしまっただけで、いとこと兄貴に殺虫剤をかけられ、
病原菌扱いされたこと。

布団にサンドイッチみたいに挟まれて、
上から乗られて、ほとんど息ができなくて、
窒息しそうだったこと。

親や周りに可愛がられる反面、
兄弟やいとこから見えないところで、
嫌がらせを受けていた。
ほとんどイジメとも言えるものだね、今考えれば。

そういう人の汚い姿を見てきた。
だからこそ、人が怖かったのかもしれない。

純粋な子供が、本能的に私を排斥する感じ。
これはもう、如何しようも無い感覚だよね。
私がきっと脅威だったんだろうね。
本能だからきっとしょうがないと私は思っていた。

私が悪いのだと思っていた。
ずっと、ずっと。

でも、今思えば、別に私、悪くなくない?
って思い始めてる。

ただ、私がみんなからしたら魅力的だった。
大人からしたら天使みたいな子供だった。

それだけの話でしょう?

なぜ、私は私をここまで悪いと思っていたのか、
そういうことについて再考する時期なのかもしれない。

私は別に、悪くない。
よくもないけど、悪くはなかったんだ。

そう思えるだけで、もう救われている。

私は私。

誰にも何も言わせない。

過去の記憶の真実

子供とはいかに健気な生き物だろうかと思う。
それは私も例外ではなく。

自分が幼かった時の私はすごく健気だったのだな、
と今客観的に思う。
幼い子供は生き残るために同じ事も無意識に必死にしているのかもしれない。
大人になる時には全て忘却の彼方、最悪、記憶さえ改ざんしているだろう。
だって、そうでなければ生きてこれなかったから。

きっと、そこから何か学ぶために、私はその環境を望んで来たんだろうけど。
思い出すまで忘れている、日本語的にはそうだろうと思うけれど、
それってとても恐ろしい事でもあるのだなあと思う。

思い出すまで、忘れている。
そのことが。

私には、唇の右上に傷跡がある。
笑うと、えくぼみたいに出てくるそれは、
歯が貫通して穴を開けた傷跡だ。

幼い頃、ほとんと記憶にもなかった頃のこと。

私の記憶の中では、
お父さんに構って、構ってーーーとじゃれていて、
自分から机に顔をつっこんで顔に穴を開けたのだと思っていた。

でも、真実は違った。
それは、今日言われて発覚したことなんだけど。

親父が私をたかいたかいして、そのまま誤って私を落下させ、
唇の上の皮膚が貫通して血だらけになった私を放置した、ということだったみたい。

母親が発見するまで、私は血だらけのまま放置。
結局、病院に運び込んでくれたのも母親だったというなんとも切ない結末。

私はそれを認めたくなくて、自分から机に突っ込んだことにした。
自分の納得のいくように過去の記憶をすり替えていた。

お父さんは悪くない。
お父さんは私のことを愛してくれた。

そう思いたかったんだろうねー。

今、実家に帰ってきて姉の息子(2際)と対峙しているけれど、
やはり大人になってしまった私より、
子供の彼の方が純粋だし、感性が鋭い。
しかも、気を使わせないように、一番あいつは気を遣ってる。
というか、それが自然にできてしまう。
生ける天使。

その場にいる全員を幸せな気持ちにするために、
やれることをしている、そんな感じ。

嫌な人は嫌みたいだけど。笑

私も昔、きっとそうだったのだろう。

そして、いつか、そういう天使とまた出会いたいと思う。

自分を思い出すために。