Way to be HAPPY

Life is a Journey

性的虐待2

最近はとても便利な世の中になったと思う。
リーディングも会社の会議だって、家にいながらPC覗くだけでできちゃうんだもんね。
飲み会だって家でPCと睨めっこでやっている人もいるらしい。
(WEB飲み会にはちょっと嫌疑的な私w)

PCの画面を通して久しぶりに会う彼女はちっとも変わってなかった。
3年ぶりくらいにお互いの顔を見たのだと思う。
彼女からすると私は、あの時よりもっと若く見えるらしく、
若くなったね!でも、より賢く見えるわ!と言ってくれて嬉しかった。
やっぱり何歳になっても若く見えるって言われるのは嬉しいものだ。
特に同性からだとより一層。

最初はまずオーラを見てもらった。
3年前もピンクと言われたけれど、今回もピンクだった。
そして、今は紫と濃い紫(赤紫?)も強く出ているとのこと。
私を助けてくれる存在がたくさんいるから、もっと彼らに話しかけて!
サポートを求めたら良いと教えてくれた。

そして、本題。
というかここまで来て、私は本当にその質問をしようかどうか迷っていた。
「私は本当に性的虐待を受けたことがあるのですか?」という質問だ。
その質問をするってことは、私の今までの行動や言動、全ての言い訳を探してるように自分には感じられるからだ。

私の過食嘔吐は、性的虐待のトラウマによるものです。(だから私は悪くありませんよ)
私の飲酒の問題は、性的虐待のトラウマによるものです。(だから私は悪くありませんよ)
そういう風に自分で言っているのではないかと思えるからだ。

でも、今思えばだけれど、それのどこが悪いというのだろう。
ずっと自分を責め続けるために、聞きたくなかっただけなのだと思った。
自分が悪くない、と言うことのどこが悪いのだろう?とリーディングを終えた今なら思える。

私の飲酒の問題、過食嘔吐の問題には、昔のトラウマが関係している。
と言われた時、ようやく聞くことができた。
「私は本当に性的虐待を受けたことがあるのですか?」

答えは、イエス
その状況や、何歳の時にされたのか、誰がしたのか、どうされたのか。
まで全て詳しく教えてくれた。

お父さんじゃなかった。本当に良かった。
身内でもなかった。本当に良かった。

お兄ちゃんの友達だった。私が当時6歳だったとしたら、14歳だろう。
背が高く、筋肉がある。そして、すごく性格が悪い人だと。
ちょうど誰の目にも届かないところで、それは起こったと。
身体を(個人的な部分まで)触られ、さらには自分のモノを出し、
フェラを強要した。

ってそれを説明するのも嫌だったと思うけど、とても詳しく話してくれた。
何故なら、それを知ることが感情の開放に必要なことだから。

本当にそこまでか?
と言うことまではちょっと聞けなかった。
その疑問に思った理由は、物心ついた時には私には処女膜はなかったから。
でも、言わないと言うことはきっとそこまでだったのだろう。
それ以上の行為を14歳がするとしたら、それは本当に犯罪行為だ。
(いや、フェラも犯罪行為なんだけど)

「彼に対して怒っても良い、恨んでも良いんだよ」と言ってくれた。
思い出せない相手を恨むのはとても難しいことなのだなと思った。
もう起きてしまったことを変えることはできないし、
もし起こらなかったら、と考えることももう無意味に思える。

その事件が起こるまでの私はとってもハッピーで面白くて、
常に人を笑顔にさせる存在だったのだそう。
その事件が起こってからはその幸せな部分を封印してしまったのだと。

それが起こる前と起こった後のあなたの写真を見てみると良い。
すごく良くわかるくらい表情が変わっているはずだから、と言われた。

そして何度も何度も繰り返し言ってくれた。
それはあなたのせいじゃない。あなたが悪かったんじゃない。
あなたにはなんの責任もない。
自分を責め続ける必要はない。
と。それを聞いて涙が止まらなかった。

私は自覚していなかった。
それでも、ずっと自分を理由も分からずに責め続けていた。
私なんていなくなってしまえば良い。
私は恥ずかしい存在だ。
これって生まれながらの性格だと思っていた。
でも、途中から植え付けられたものだった。

確かに、そこから私の過食が始まった。
そこから親が止めるまで食べ続け、親がお菓子を隠すようになった。
そこから私は太り出したのだ。
可愛くてはいけない。
醜くなければならない。
だから、太っていれば安心だ。
そう思っていたのかもしれない。

もう思い出せないけれど、昔の私は、天使のようだったと良く言われていた。
親の欲目、かと思っていたけれど、確かに私はどこに行っても、可愛がられていた。
知らない人が良くお菓子やおもちゃをくれた。(親が居るところでね)
私は自分が可愛いのを知っていたのだと思う。

だからこそ、それが原因でそうなったと思い、太れば(醜くなれば)もう同じことは起こらない。
と思っていたのかもしれない。

それが続き、小学6年になった頃に、モデル体系の姉に
「恥ずかしいから、街中で話しかけないで」
と言われ、デブはいけないことなんだと認識を書き換え、ダイエットに励む。
でも、潜在意識では痩せてはいけないと思っているから、なかなか痩せない。

そして、高校生の時に吐けば痩せると友達から聞いて、吐いたら痩せた。
経験が認識を強化し、そこから十数年吐き続けることになった。
そして、それでも自分の中で治りきらない感情が、24歳の時からの飲酒。
それが年々酷くなって今に至る。
ほとんどアルコール依存症だ。

すごいな。全てつながった。
自分が理解できていなかった部分がつながって、
今の自分に至ることが理解できた。

わかる(I see)ということがどれだけの感情の開放をもたらすのかということを体験した。
わかる(I understand) との違いをこの前アメリカ人に聞いていたけれど、
本当にこれは I see ! だった。

余談だけれど、アバターでも I see の意味のくだりがあったけど、
それと全く一緒なんだと思った。