Way to be HAPPY

Life is a Journey

処女は中2の時に捨てた。役所の駐車場で。

なんてことはなかった。

同級生の誰よりも先に済まして見たかった。

でも、私はその時処女ですらなかった。

とっくのとうに奪われていたのだから。

あれから何度もそのことを考えた。

私が最初だと思っていた相手から、本当に処女?って聞かれたことを思い出した。

まあ屋外で初女を相手にやっちゃうような相手だから、その時は正直気にもしてはいなかった。

その時、血は全く出てなかった。ただ、痛いことは覚えているだけで。

幼少期の頃のことを思い出してきた。

私はそのシーンを膀胱炎で病院に行った時のことだと思っていた。

知り合いの医者に最近聞いてみたら、通常、膀胱炎で局部を診察することはないらしい。

私の記憶に残っているのは、膀胱炎で局部を診察されたと言うことだけ。

それは5歳の時の記憶。

児童虐待対応ハンドブックには、尿路感染症性的虐待を疑うと書いてあるようだ。

私が性的におかしいのは、その時に、膀胱炎でしかないのに、局部を弄られたからだと思っていた。

でも、よく考えればそこには母親がいた。

母親の同意なしに、局部を弄るだなんて変態行為はできないはずなのに、私は最近までそう思っていた。

母親に聞けば、きっとはぐらかすかもしれない。

覚えていないというかもしれない。

実際に、この前のリーディングでそれが起こる前と起こった後のあなたの写真を見てみればわかるから、
ご両親に送ってもらったらどう?と言うアドバイスを受けて、母親に依頼したところ、
様々な理由をつけて送ってこなかった。

それが、私の幼児虐待の疑いを更に濃厚にした。

一体私はなにをされたのだろう。

リーディングでは、フェラチオや局部を触られたことには言及されたけれど、
実際にレイプされたかまでは言われていない。

それでも、現に私に処女膜はなかった。
そして、小学生の頃、アンネフランクの日記に感化されて、自分の局部を鏡で観察したことがある。
そして、そこにペンを10本入れた。
サイズ感で言えば、日本人男性の勃起時平均は優に超えている。

しかし、何も起こらなかった。

今思い出している事実が全てを物語っているのだろう。

でも、そんな過去を最近実感した私はどうしたら良いのだろう。

セックスに関する負の感覚を、その事実を知ったからとて払拭できるのか?

私のセックスに関する黒歴史をそれは自分が性的虐待にあっていたからだと開き直れるのか?

私の過去の異常な行動や多重人格を全てそれのせいにすれば私の問題は解決するのか?

全て、答えは、否である。

私は、最近ずっと、何故この経験が私に必要だったのだろうか、
何故、このようなことが私に起きたのか、ということばかり考えている。

そこに意味がないだとしたら、
きっと私の人生にも、今までも、これからも、何の意味もないであろうと私が思うであろうことはわかり切っているからこそ、
私は、その意味を見出すことに躍起になっているのだろうと思う。