Way to be HAPPY

Life is a Journey

カミーノ巡礼 39日目

どちらが現実なのか分からなくなってきた。

どちらも現実なのだろうけど、私にはもうこれが夢物語としか思えなくなってきた。

カミーノの途中で、しかもサンティアゴに到着するまでの最後の3日間で、突然出会い、恋に落ちる、だなんてまるでどこかの小説によくある夢物語。

日本に帰りたくない。

一度帰ってしまえば、きっと今この瞬間の物語はすべて夢だったのだと思うであろうことはわかりきっている。

日常に埋もれ、日々の生活に急かされ生きるだけ。

以前の私に戻ってしまうことだろう。

日本で私に会いたいと待ち構えている人々の要求に応え、そして私は私の
意志をまた失っていくのだろう。

私を求める人々の思念に突き動かされて生きる日々。

それにどれだけの価値があるだろう。

今というこの瞬間が一生続いてくれたら。

そう願わずにはいられない。

そして、この幸せな日々が長く続けば続くほど、日本に戻ってからの生活は辛いものになるであろうことはわかっている。

どうせ、戻らなければならないのであれば、この幸せな瞬間が終わりを告げることがわかっているのであれば、さっさと終わらせて逃げ出したい自分がいる。

これ以上、この現実と夢の板挟みのような状態には耐えられない。

彼は気づいていないけれど、私は彼の知らない時にこっそり泣いている。

もはや、どうしたら良いのかさっぱり分からないのだ。

彼を追いかけてNYに留学する?

私の強い意志さえあれば、それは可能だ。

時間も、お金も、申し分ない程持て余している。

それでも、きっと私はそうすることは出来ないであろう。

すべてに恵まれた今の日本での環境を手放す勇気が私にはあるのかどうか、まったくもって分からない。

今日、カフェで彼とコーヒーを飲んでいる時に、たまたま隣の席で一緒になって話した巡礼者が私たちのことを知ると、言った言葉が耳から離れない。

TIME WILL TELL.

時が来れば分かるでしょう。

確かにその通りだ。逆を言えば、その時が来るまで私たちは私たちの未来について知りようがないのだ。

つまり、その時をただただ待つしかないということ。

そして、私はいつもいつもその時が来るのを待っていられない性質なのだ。

今すぐ答えが知りたい。

時が来てからでは遅いのだ。

神様は私がすべてを捨てる勇気があるのかを日々試してくる。

そして、私はその試練に耐えることは出来ないだろう。

もう既にすべての決断という行為から逃げ出そうとしているのだから。

どこにもきっと答えなどない。

それでも、私は未だにその答えを求め、考え続けているのだ。

我ながらとても愚かであろうと思う。

 

 

カミーノ巡礼 38日目

※ずっと載せられなかった過去の日記。

ちなみにここからはカミーノでもなく、巡礼ですらなく、ただのわたしの恋愛日記やもしれない。

 

今日は、朝7時に起きた。

サンティアゴには、目的地に着いたということで安堵する人々が多く、2泊も3泊もしていく巡礼者が多い。

その為か朝早くに出発する人は少ない。

そして、物音がないおかげで私は朝まで一回も目覚めずに10時間も寝てしまったのだった。

寝ても寝ても疲れは一向に取れない。

そして、顔はむくみまくり、ものすごく眠い。

もしかしたら、原因は3日後に控えている生理かも知れないけれど。

今日は、朝ごはんをパラドール(国営のホテル。多くは古くからある伝統的な建物を改装して造られていることが多い)にて食べることにした。

S子さんが、パラドールにて巡礼者に、朝・昼・晩のご飯を10人限定で無料で食べさせてくれるということを教えてくれ、私を誘ってくれたのだ。

朝ごはんは9時からなのだが、多くの人が殺到する可能性がある為、1時間前に行った方がいいということを他の巡礼者が教えてくれたので、8時に現地に向かうことにした。

予想は的中して、まだ1時間前だというのに、既に3人ほど集まっていた。

それから待つこと一時間。

その間に、巡礼者の誰かが、クレデンシャルにラストスタンプ(到着したよスタンプ。事務所で押してくれる)が必要だということで、焦って走って行った。

そして、ようやくスタンプを押してもらい、巡礼証明書を受け取ることができたのだった。

巡礼証明書には2種類ある。

例のごとく、無料のものと有料(3ユーロ)のものだ。

無料のものは通常の証明書であり、
有料のものは、歩いた距離をも書いてくれるというものであった。

ちなみに、800kmと書かれると思いきや、若干少なかった。

どうやらサンジャンピエドポーから正確に測ると800kmに若干満たないらしい。

ちっ。

それでも、ここまでに様々な費用、時間、ありとあらゆるものを費やしてきた私としては、もちろん有料のものもオーダーしたのであった。

すべては記念であり、思い出の為であった。

そして、1時間待ってようやくパラドールの中に入れてもらうことができた。

パラドールの中には、巡礼者用に食事をサーブする部屋が用意されていて、通常のレストランとは違う場所に連れて行かれる。

そして、部屋に通され待つこと10分、カフェコンレチェとチュロス、クロワッサン、パンが山盛りになって届けられた。

それだけである。笑

さすがはパラドール、何か特別なものをサーブしてくれるのかと思いきや、そんなことはなく、ただただパンとクロワッサンとチュロスだけであった。

まあ、巡礼者だしね。

まあ、タダだしね。

文句は言えない。

そして、すべて美味しかった。

S子さんのおかげで普通では経験出来ない、素晴らしい経験をさせてもらったのであった。

それから、広場で2人で記念撮影をして、彼女は地の果てであるフィステーラへ旅立っていった。

私は、ミンが待っていると連絡してきたので、ミンが待っているアルベルゲに戻ることにした。


ミンがとあるアーティスティックなガイを見つけ出してきた。

ややボサボサ気味のブロンドロングヘアーに、よく日焼けした肌。

そして、全身くまなく鍛えられていて、とても美しい体つきをしている。

無駄な脂肪はどこにもついていない。

そして、身体には無数の傷跡。

いったい何者だろうと思う風貌の彼は私たちのような大きな大きなバックパックを地面に置いて、彼も地面に座っていた。

私たちが朝ごはんを食べている間に、彼を見つけたという。

きっと彼は素晴らしいパフォーマーに違いないとミンは言う。

そして、私を紹介してくれ、お互いに挨拶した。

私にはまだわからなかった。

彼が、本当に素晴らしいパフォーマーなのか、その時は。

そして、2人で服をすべて変える為に、街へとショッピングに出かけた。

スペインは日本でも有名なZARAというブランド発祥の地である。

もちろんサンティアゴにもZARAは存在し、安いからその場しのぎの服にちょうどいいとミンが勧めてくれたので、そこですべての服を買うことにした。

私自身はといえば、1週間以上前に南京中にやられたきりで、それ以上の被害はなく、ミンがくれた痒み止めの薬で随分良くなっていた。

もう、身体中で赤く主張していた噛まれ跡たちは大人しくなり、もはや南京中は私のそばに居ないのは確実だった。

だがしかし、南京中は血を吸いまくってお腹がいっぱいになると産卵に入るという。

そして、その卵たちは、約1週間から10日程で孵り、その暁には再び身体中が真っ赤に腫れ上がることになる。

私はそれを恐れていた。

でも、すべての服とバッグからなにから捨てる勇気は持ち合わせていなかったので、現状維持を決め込んでいた。

が、ミンはずっとこれからも一緒に居たいので、確実性を増すために、すべてを捨てて買い換えた方がいいと主張。

私は、断りきれずに、すべての洋服を購入することになった。

 

 

彼は気づいているだろうか。

今この瞬間にも私は彼を裏切り続けているということに。

そして、私は元夫をも裏切り続けている。

いったい私はどうしたらいいのか、どうすべきなのか、まったくもってわからない。

カミーノを終えれば、無事サンティアゴに到着すれば、それだけで自動的にすべての答えが出るのではないかと、「期待」していたのかも知れない。

そして、やはりその「期待」は裏切られた。

答えなど出ないし、未だに悩み続ける羽目になった。

むしろカミーノに来る前よりも悩みは深刻なものになっている。

カミーノに来る前は、元夫のことについてしか考えていなかった。

ほとんどそれが主な悩みであった。

ところが、今では、新しい問題が浮上している。

私はいったいどちらを選びたいのか、又は、どちらも選びたくないのか。

そして、その答えはきっとこれ以上歩いても歩いても見つかるものではないということも分かっている。

それでも、歩いている時だけは忘れられる。

それが為だけに私は歩き続けることを選択するやもしれない。


ミドルを探せ

彼は市街地の人通りの多い道を選んだ。

何度か場所を変更したあとの試みだったので、きっと彼はその場所に何か感じるものがあったのだと思う。

そして、おもむろに膝立ちになって座り込むと、物乞いのするように、路上を進む人々に向かって手を差し出し、そのまま静止した。

そして、左腕に仕込んでいたカッターを手に取ると、胸に書かれた文字の上からそのカッターでなぞるように刻んでいった。

人々は見て見ないふりをしながら道を通り過ぎていく。

そして、とある人々は立ち止まって彼を凝視している。

レストランの隣でパフォーマンスを始めてしまったので、レストランのウィターにやめてくれと訴えられる。

それでも、彼はやめはしなかった。

ひたすらに胸をカットし続けている。

そして、半分ほどカットし終えたところで、カッターを床に置き、踊りだした。

バレエのステップのような、不思議なステップ。

適当に踊っているようにも見えるが、それでも目が離せなくなる。

人々は更に立ち止まり、彼を見ていく。

人だかりが更に増えたところで、レストランのスタッフにより呼ばれたポリスが数人来た。

そして、彼のダンスを数分困った顔で睨みつけていた。

彼のダンスが一通り終わると、彼は事情聴取を受けることとなった。

パスポートを求められる。

ポリスは更に増え、6人ものポリスに取り囲まれることに。

ミンはそれでも撮影し続けた。

スペインの法律は知らないが、日本の法律では、彼の行為はどの法律にも触れていなかった。

それでも、やはり困った人々は警察を頼るのであろう。

めんどくさくなったら警察を呼べばいいのである。

それは、どこの国にいっても同じなのであろう。

そうして、パフォーマンスは終了となった。

最後の方は、警察の人々も彼と一緒に笑っていたので、きっと呼ばれたから来ちゃったという感じなのだろうと思った。

そして、パフォーマンスは無事に?終了した。

ウィリアム(パフォーマンスしている人)は、血を流しながら嬉しそうに笑っていた。

そして、私とミンは血を流したままの彼と握手をし、ハグをし、別れた。

別れ際に、ミンはローラの耳元で「ユーアーゴージャス」と囁いていた。

囁いていたというか、聞こえた。

ちょっと「なぬっ?」ってなってしまった私であるが、別に彼は私のものでもなんでもないと、自分をなだめすかした。

そのあと、ミンは2人で歩いている時に、何故彼女にゴージャスだと言ったのか説明してくれた。

ウィリアムは55歳で、サンティアゴで路上生活をしているが、英語しか話せない。

もし、ローラが彼の元を去ったとしたら、彼は彼のパフォーマンスについてスペイン語で説明してくれたり、彼を守ってくれる人はいなくなるであろう、とミンは話した。

だから、それでも彼の元を去らずに、ずっと側にいるローラはゴージャスだと言ったのだそうだ。

説明してくれたということは、私に聞こえていたということに気づいたのだろう。

どこまでも、敏感な人である。

だからこそ、気になって仕方ない。

彼は私の気持ちの変化にすぐ気付く。

どんな小さな変化にも気づかないということはない。

それは、とても居心地が良いということでもあるし、時にとても恐ろしくもある。

それを、ランチの際に話した。

筋トレとタンパク質量

半年間どんなに激しい筋トレをしようが、次の日(とその次の日も)筋肉痛に苛まれようが、まったく筋肉量が増えず、なんだかな〜と思っていたわたし。

 

勝手に世の中の筋肉セオリーはわたしには通用しないのねってひとりごちていた。

そして、ここ1ヶ月、まったく運動も筋トレもせず、毎晩浴びるように酒を飲む始末w

 

だがしかし、わたしの考えはまったくもって違ったということが、今日判明した。

 

昨日はジムで久しぶりに筋トレをして、今日はものすごい筋肉痛に襲われることを予期していた。むしろ期待さえしていた。笑

 

だがしかし、ほとんど筋肉痛はなく、快調な感じで起床。

 

「ん・・・?(何が起こった?)」

 

よくよく考えてみれば、昨日はこれでもか!というくらい「タンパク質」を摂取していたのであった。

 

筋トレ後にいつものプロテインを豆乳でシャカシャカして、1杯。

(タンパク質約30g)

 

そして、いつもだったらそのままあとはまったくタンパク質を摂らないという状態であった。

 

わたしの体重は52キロなので、本来であれば、筋トレをせずとも最低でも52gはタンパク質を摂取する必要があるのにも関わらず、いつも無視して30gしか摂っていなかった。(しかも筋トレ後)

 

普段に至っては、20g摂れればいいくらいの食事内容で、ほとんどが糖質(炭水化物)でカロリーを摂取していたのだ。

 

先日、病院の血液検査でも、タンパク質摂取量が少なすぎるとご指摘を頂いていたところであった。

 

そして、昨日はたまたま筋トレあとに、ラム肉を200g鍋にぶち込んで食した。

 

ちなみに、ラム肉は、

ラム肉もも(羊肉もも) 217kcal 0.1g 19.1g 14.5g

タンパク質量が、100g当たり、19.1g

なのだ。

 

そして、わたしは200g食べたので、38.2gものタンパク質を摂っていたことになる。

 

先ほどのプロテインと足すと、68.2gである。

 

筋力トレーニングをした場合、体重×1.5gものタンパク質が必要ということなので、

わたしの場合は、78gになる。

 

目標摂取量に対して、68.2g / 78g = 87.5% の量を摂取できたため、

今回の筋肉痛は起こりにくかったのかと思われる。

 

そして、やはりある程度まで、タンパク質摂取量と筋肉の増加量には相関関係があるようなので、これからは、今までの(無駄だった)半年間を反省して、もりもりタンパク質を摂取していきたいところである。

 

 

異端者

誰とでもやれる。

でも、誰も本気で愛せない。

それって、誰とでもやっているからかもしれない。

と思って、誰とでもやらないようにしてみたけれど、結局何も変わらなかった。

わたしはきっと誰も愛せないのかもしれない。

 

美味しいものを食べたい、良いホテルに泊まりたい、海外旅行に行きたい。

すべてを叶えてくれる人が何人かいる。

お金を求めれば、くれるであろう。(絶対嫌だけど)

でも、それって、わたしが「対価」を支払っているということ。

誰かと会うたびに、自分というものがそぎ落とされていく気がする。

 

何を食べても、どんなに良い部屋で寝ても、海外に居ても、何も癒されない。

 

本当に好きな人と一緒に居たい。

それなのに、本当に好きになることは決してない。

 

ダイバーエージェントという映画を見た。

ストーリーの中では、本来、5つに分類されるべきはずなのに、

分類できない人間が出てきてしまう。

それが、異端者である。

そして、異端者は追放されるか、迫害されて、殺される運命にある。

もしかしたら、わたしの世界でも同じことが行われているのかもしれない。

「普通」でないと判断されれば、忌み嫌われ、社会に馴染めなくなっていく。

わたしがそうだ。

被害妄想だとばかり思ってきたけれど、ここまでくると確実に違うと言える。

勉強は出来る、暗記も得意、仕事もすぐに覚えるし、誰よりも早い。

仕事上でコミュニケーション能力が高いと思わせるのも得意だ。

見た目も申し分ない。(はずである)

英語も問題なく話せるし、社会におけるマナーや礼儀もすべて「暗記」した。

面接で落ちたことは一度もないし、試験は受ければほとんど受かる。

(受かるやつしか受けていないと言われればそれもそうだけど)

それなのに、どうしても最終的に社会からあぶれてしまう。

わたしの思考回路を理解できないと思った人間からわたしを見る目が変わる。

別にサイキックな能力があるわけでもないのに、相手が何を思っているのかすぐわかってしまう。

被害妄想かと思いきや、振り返ってみればほとんどが「当たり」であった。

当たってほしくないことがことごとく当たってしまう。

 

それでも、要所要所で同じ「異端者」に見出され、助けてもらって生きて来た。

自殺もできず、オーバードーズでも死ねず、ウィルスに侵されてもさっさと完治してしまった。

死ぬこともできず、かといって、「生きる」こともできていないという為体。

 

そして、更に辛いことには、わたしが愛せる「異端者」に未だに出会えていない。

 

どうして、普通の人間のように生きられないのか、

どうして、こんなにも生きにくいのか。

 

まったくもって理由がよく分からない。

 

反省と後悔

反省はするけど、後悔はしない。

 

そのわたしの言葉にえらく感動していたとある経営者がいた。

 

反省と後悔は似ているようで全く違う。

 

反省は、「今」にフォーカスし、「過去」を活かすこと。

 

後悔は、「過去」にフォーカスし、「過去」に囚われること。

 

わたしの場合は、やってみてダメだったときに、「反省」を、やらずに逃げてしまった場合に、「後悔」をしやすいという経験則があるから、

「後悔」しないために、まずは何でも飛び込んでやってみることを大事にしている。

成功と幸せ

成功とは幸せになれる材料を数多くのうちから選べるようになるということだ。
だからとて人よりもたくさん選べるという訳でもないし、そして必ず幸せになれるというわけでもない。
幸せになる材料は見えない場所に落ちていて、成功していなくても見える人には見えるからだ。
それが見えなければいくら材料が揃っていても完成した料理にはならない。
幸せになるエッセンスは、目には見えないからだ。
人は幸せでない時に、幸せでない理由を求める。今、自分にないものに理由付けをするようになる。
成功したら幸せになれるという妄想は、成功していない多くの人々の欺瞞から生まれた。
成功してみたら分かるはずだ。
それが幸せに直結する可能性が如何に少ないかという現実に。

レストラン

彼と一緒にホテルのレストランに行くと、いつもマネージャーがヘコヘコ出てきて、良い席に連れて行ってくれる。

 

元夫と行った時には決して連れて行かれなかった席に。

 

積み重ねた信用と実力の違いなのかもしれないね。

ニューヨークやパリのレストランと同じ。

 

そして、必ずお土産をくれる。もちろんわたしの分も。

 

でも、決してわたしとは目を合わせない。

 

これは、毎回女が違っているからだし、わたしのことをもう二度と会わないと思っているからだと思う。

 

別にもう二度と会わないかもしれないけど、わたしを見てもバチは当たらないわよ。

 

そして、残念ながらまた会うのだよ、と思う。

SEXと金持ちと私

今日は昔の上司で独立後、大成功している方とお食事に行ってきた。

 

昔、上司だったときにやっていたことがある。そして、彼の盲目的な私への愛情表現に恐れを感じ、当時その上司とライバル関係(恋のw)にあった元旦那と結婚しちまったという経緯がある。

 

今日はさっさと帰るつもりで、下着はUNIQLO上下で揃えていた。笑

 

だがしかし、酔っ払った私はなんだか楽しくなってしまって、プラスアルファ満員電車が嫌すぎて、成金が大好きなエクシブ系列のホテルにご宿泊予定であった。

 

だが、うっかりやり始めてしまった時に気付いてしまった。

あ、また違うことをしてしまった…と。

 

そして、やり終えて爆睡している彼を置き去りに、さっさとタクシーで帰っている途中である。

 

次回があれば、是非学んで欲しい。

翌日帰る際のタクシー代は、翌日渡すべきであることを。

 

みんな、純粋で割と愛すべき人間だった人たちが、成功することによって何かが歪んできてしまっているように思う。

 

お金で私は買えないの。

ということを最近いろいろな殿方に示しているキャンペーンに突入した?のかもしれない。

 

途中で気づいた方は、ホテル抜きで、映画やら、差し障りのないランチに誘ってくれるようになった。

 

そういう態度は好ましいから、彼らは大事にしようと思っている。

 

昔は自信が無かったから安売りをしていた私だけれど、私はもう安売りなんてしない。

 

うっかりやっちまったけど、たまには若い奴とやってみたかったから、まあ、そこはよしとしよう。

 

私が欲しいなら、金じゃなく、純粋さを稼いで欲しい。

よしもとばななに出てくるような。

電車

お年寄りが電車で立っていたら優先席でなくても譲るのは「当たり前」

 

優先席にさっさと座って目の前のお年寄りを無視して動画を見ているおっさんは「恥さらし」

 

だよね。

近ごろの若者は、の代わりに言いたい。

 

近ごろのおっさんは。

意識のレベル

とあるサイトで、とある方にわたしの意識のレベルを見てもらった。

 

数値は、「671」

 

突出した、とても高いレベルなのだそうだ。

 

宇宙の魂を持つ子供たち「インディゴチルドレン」と同じなのだそう。

 

でも、もし、わたしがそうなら。

 

わたしには一体何ができるのであろうと、考えてしまう。

 

ある人にも言われた。

 

あなたはこれから人に教えていくのだと、ヒーラーになるのだと。

 

もし、わたしがそうなら。

 

わたしに何ができるのであろう。

 

今のわたしには何もできない。

 

わたしが、アフリカに井戸を掘りにいくのだと言ったら、

 

「そうではなくて、井戸を掘らせることのできる人間になりなさい。」

 

といってくれる人がいた。

 

つまりは、それだけの財力をつけろ、ということである。

 

そして、わたしがそうなるために援助はおしまない、とまで言ってくれた人がいる。

 

だからこそ、今、わたしは思う。

 

わたしのやばい過去に意味づけ出来るのは、このわたししかいない。

 

そして、それをするのは今でしかない。

 

だからこそ、わたしは絶対に、やりぬく、そして、やってやるということ。