Way to be HAPPY

Life is a Journey

社畜と独立との狭間で 前編

今日はちょっとスピリチュアルなかなり衝撃なことが起こった。

そして、びっくりしたことよりも何よりも、超スッキリした。

 

実は、2016年がもうそろそろ終わろうとしている時にかる〜く計算をしてみたことろ、今年だけで、ざっと見積もって600万以上は使い果たした計算になった。

 

通帳の残高を足して、元より引き算して計算しただけなので、本当は家賃収入もそれ以外で入っていたはずだし、なんやらで一体実際にいくら使ったのかは不明である。

そして、突き詰めたくは、ない。

 

そして、問題なのは「何に」使ったのかであるが、そこらへんももう、終わったこととして闇に葬り去りたいところである。

 

そして、とうとう私の貯金がそろそろ100万円を切ろうとしていたのであった。

 

私は、恐ろしいほど焦った。

結婚中の、AEONの英会話に30万を支払うかどうかで悩んでいたころの可愛い私はもう離婚という事件を経て、跡形もなく消え去っていたのであった・・・

そういえば、昔から親にこう言われていたのを思い出した。

「あんたは、あればあるだけ使っちゃうからね!」

そう、その通りになりましたよお母さん。。。

 

そして、ここ数ヶ月は、ずっとお金の心配ばかりをしていた。

だからこそ、「いつか頼れる(はずの)有力候補たち」を残しておきたかったのだろうと今更ながら思う。

食いたくない飯を一緒に食べ、笑いたくない時に笑い、やりたくもないときにやってみたり、そういえば私は本当に必死だったんだと思う。

 

何も援助してもらっていないから、私はクリーンなのだと思っていた。

いや、むしろそう思いたかった。

 

しかし、実際は私は掛け捨ての「保険」をかけていただけだったのだろう。

掛け金の代わりにわたしの時間と、作り笑いと、たまに下の穴(笑)

 

金をもらってなければ、愛人でも売春でもないなんて、とんでもない嘘だった。

絶対に、その瞬間に私は魂を売っていただろうから。

しかも、満期の永遠にこない「保険」のために、ね。

そして、何より問題なのは、私が私自身にその嘘をついて、無理やり納得させてきてしまったということだった。

 

心というか、精神というか、そこらへんはもうズタボロの有様で、

変なプライドだけがかろうじて私を生きながらえさせているとしか思えなかった。

 

好きでもない男からの、「愛している」だの「君といるとホッとする」だのというまやかしの言葉を私は自分自身の評価基準にしてきてしまっていたのだ。

私は、他者の評価によってしか自分を評価できないようになっていたのだということに気づいたのは、かなり今更というタイミングだったように思う。

 

女は見た目だけじゃない、中身も大事だ。頭は特に。

なんて考えているくせに、結局見た目で自分を判断させて、一喜一憂。

本当に、情けないことをしてきたと思う。

 

昔、付き合っていた塾の先生(英語)にラブレターをせがんで、英語で書いてもらったことがある。

彼は、無理やり書かされた割に、しっかり書いてきてくれて、そこには、

「もし、君が事故にあって顔がぐちゃぐちゃになったとしても、私は君を愛すよ。」

と書いてあったのを不意に思い出した。

その時は、内心、(何言ってるんだろうこの人。私が事故にあって顔がぐちゃぐちゃになるわけないじゃない)って思っていた。

でも、それこそが愛だったのかな〜と今更になって気づく。

もはや、15年以上経っているし、先生はさっさと若い時に病気で亡くなってしまったのだけれど。

今なら分かる。

そして、2度と現れるかどうかもわからないそいういう相手を待ってみたい気もする。

 

時、既に遅しとはこのことをいうのだろうか。

 

ということで、私は、残りの残高が2桁になることを極端に恐れていたのだ。

しかも、現在絶賛無職謳歌中である身だし。

 

そして、ここ数ヶ月、残り少ない残高で起業をするか、起業したら支援するという殿方たちの餌に釣られ続けるか、それとも、派遣で腰掛けを泣きながらするか、更には、もはやがっつり営業職で正社員として働くか、という選択肢を日々堂々巡りする羽目になっていた。

そもそも、仕事はできるし、ゼロから億単位の収益を出す会社を作ってきたノウハウはあるし、正社員として働くべきだったのかもしれない。

それでも、どうしても、誰かに雇われるという、土日祝お休みです!みたいなシステムに組み込まれることが恐怖で恐怖で仕方なくて、結局のところ、いつも立ち往生みたいな感じになっていた。

 

じゃあ起業するかと言われたら、ネタや案はボロボロ思いつくのだけれども、じゃあイニシャルコストはどうするんだ?私、もはやこれ払えなくね?くらいになっているので、二進も三進もいかない。

でも、殿方たちには、頭を下げるなんてごめんだね状態で、常に膠着状態であった。

 

つづく

 

 

 

 

 

カミーノ巡礼 最終日

今は飛行機の中。

夢が終わってしまった。

私の心の休暇はもう終わりなのだ。

神様は最後に私に特別な素晴らしいプレゼントをくれた。

ミンと過ごした20日間は何にも変えられない特別な時間となった。

人生で初めて、人を愛したと感じた。

そして、その愛情は永くは続かなかった。

友人は、「愛は育むものだ」と言った。

本当にその通りだと思う。

20日間では、育めなかったのかもしれない。

それか、愛を育む気が私にはなかったのかもしれない。

そのどちらかなのかは今はまだ正直分からないけれど、

いつか、きっとわかる日が来るのだと思う。

私は日本へ帰る。

そして、日本に帰れば、この2ヶ月間のカミーノも、ミンのこともすべて夢であったように感じることであろう。

ヨーロッパで起きたすべてのことは、日本に帰れば、すべて現実味を失うのだ。

そんなことは正直分かりきっていた。

それが私の生き方であるから。

過ぎ去ったことはすべて、現実である今と切り離される。

思考の中でまた夢の世界を訪れることは出来る。

でも、夢の世界を現実に訪れない限り、それは一生夢でしかないのだ。

他の人の感じ方は知らないし、知りようがない。

その人に取って代わることはできないから。

それでも、私は私の感覚、感じ方を少なくとも今は愛している。

これでいいんだ。

これでいいんだ。

そう思っている。


今日は、朝方5時にミンに起こされて、バックパックの分別をして支度をしようと言われた。

私は、歯が痛くて痛くて、ペインキラーを2つも飲んだ。

そして、ミンはお腹が空いたと言った私に、韓国製の炸醤麺を即席ラーメンで器用に作って食べさせてくれた。

いつもいつもミンは私のために何かを作って用意してくれている。

私は、ミンと過ごし始めてから、食べ物に関しては何もしていない。

ただ、ミンが作ってくれる食べ物を食べさせてもらっている。

日本にいるときと反対である。

いや、正しくは、私の結婚生活の時と全く反対である。

離婚以降の男性たちはいつも私に蕎麦だのパスタだの何だかんだ作ってくれていた。

ミンは私のことをlazy(怠惰)girlだといつも言うけれど、まったくもってその通りだと思う。

相手がやらなければ、しょうがないので自分でやるけれども、相手が自ら進んでやってくれるとなると、私はまったくもって何かする気にはならない。

怠惰というよりも、相手次第なのである。

相手が私よりも怠惰だと判断すれば、私は怠惰をやめて、動き出すのだ。

相手が私よりもマメな人間だと判断するからこそ、怠惰になれる。

私はやっぱりそこでも、相手に合わせようとしてしまっているのかもしれない。

怠惰であることが特に私を心地よくさせることはない。

申し訳なさが増すだけだ。

なんだか、負債が日々溜まっていくような気がするので、あまり好きではない状態である。

それでも、相手が怠惰すぎて私が何かしてあげたとすると、それはそれで、相手がその負債を返さないことにイライラしてしまうので、どちらにせよ心理状態的にはまったくもってよろしくはない。

どちらにせよ内心イライラしてしまう私の考え方に問題があるのだと思う。

コミュニケーションは目下私の課題であるが、本当に難しい。

勉強よりも難しい。

習うより慣れろパターンはなかなかどうして、私にとっては難易度が高いのかもしれない。

そんなこんなで、炸醤麺を食べさせてもらって、私はシャワーを浴びて、支度をした。

そして、7時に出発した。

近くのマクドナルドに立ち寄って、カフェオレを2人で飲んだ。

1杯2.3ユーロ。

さすがパリである。日本よりも価格設定が高い。

そして、あまり美味しくはない。笑


それから40分ほどかけて、モンパルナス駅から空港まで電車で向かった。

空港に行くまでの片道切符を10ユーロで購入した。

ミンは、私を送った後、ホテルまで戻ってこなくてはならないので、ミンの帰りの分の切符も合わせて購入した。

合計30ユーロをカードで購入。

いつも思うのだけれど、どうしてもこういう時に気前良くしてしまうじぶんが恨めしい。

相手がお金に困っていると知るとついつい出してしまう癖が未だに抜けない。

私だって、もう社長夫人ではないし、お金持ちでもないのに、ね。

また稼げばいいやーとか訳の分からない将来への自信がそうさせるのか、只の浪費家なのか、もはやよくわからなくなってきている。

恐らく思いっきり後者であろうことは確かではあるけれど。

そして、お金を使えば使うほど、不安になってくる。

まさかの負のスパイラルである。

使えば使うほど、私は日本へと引き寄せられていく感覚を覚えるのであった。

私は、果たして日本以外の海外で、ヨーロッパで、スペインで、しかも地の果てと言われているフィニステーレで、生きていくことは出来るのであろうか。

そして、無事に空港に到着した。

二人で最後の1本のタバコを分け合って吸った。

きっとこれが私の最後のタバコとなるであろう。

ミンの最後のタバコになるかどうかは知らないけれど。

少なくとも、朝、マクドナルドでミンに言われたことは守ろうと思っている。

Don't be sick.
病気にならないこと。健康でいること。

Don't smoke.
タバコを吸わないこと。

Do exersize.
運動をすること。

Study English harder.
英語を勉強すること。

以上4つである。

ミンは思い出したように言い始めた。

それでも、私の心にはしっかり刻まれているし、忘れることはないと思う。

そして、しっかりそれらを守ろうと思っている。

私のために。


最後にミンと別れる時、ミンは意外とあっさりしていた。

私だけが、泣けないと思っていたのに、最後の最後で泣いた。

そして、バイバイ、とお別れをした。

ミンがどう感じているかは、私にはまったくもって読めなかった。

私は、ようやく一人になれて少しホッとしたのと、もうミンと会うことはないかもしれないという思いから、悲しくて、寂しくて、ミンの不在を非常に心細く思った。

出発まで、1時間ほどあったので、持ってきたパンを食べることにした。

ミンが私の為にスーパーで見つけ出してくれた「おばあさんブレッド」は、ミンが隣にいないと少しも美味しくなかった。

そして、私は定刻通り飛行機に乗り込み、飛行機は定刻通り出発した。

 

カミーノ巡礼 43日目

残すところあと1日。

ミンと過ごした日々は長いようで短かった。

出会ってから今日で20日目。

同じ血を分けた兄弟でも、両親でも、スッピンを見せれる親友でも、朝から晩まで24時間20日間も一緒に過ごすことはなかった。

そして、言葉の通じない海外に旅行というかなりストレスフルな環境での20日間を無事に2人で乗り切れたことを嬉しく思う。

最初は恋人、途中から兄弟、最後にはなんだか同志のような感じがする。

最初の恋人ラブラブシーズンが終わってしまったのを感じ取って、途中ではものすごく寂しかったけれど、今となってはそんな感情の変化もいい思い出へと変わった。

今日は、朝5時に起きて、5時半にアルベルゲを出発。

そして15分かけてサンジャンピエドポーの駅に着いた。

単純計算すればわかるのだけれど、5時45分には駅に着いてしまう。

電車が来るのは6時10分だ。

駅の屋舎は施錠されていて、中で待つことはできなかったので、小雨が降る寒い中25分ほど待つはめになった。

そして、5分経った時にようやくミンは認めた。

「オーケー。あのオーナーは正しかった。」

とボソッとこぼしたのであった。

昨日アルベルゲのオーナーに、「15分あれば駅につくんだからそんなに早く出なくてもいいんじゃないかい?」と言われていたにも関わらず、THE心配性のミンはまさかの5時半出発を決行したのだ。

そのとばっちりがこれである。

私も予定の時間より早めに行かないと落ち着かない性格ではあるが、ここまで強迫観念かのように早め早めに行こうとする人は初めて見た。

そして、結局現地で時間が来るのをひたすら待つ羽目になるのである。

おかげで電車等に乗り遅れることはないが、バスや電車が予定の時刻より遅れると目くじらを立てて怒りだす為、(え、だったらギリギリに来ればよくね?)と思ってしまう私なのであった。

そんなこんなで、サンジャンピエドポーを出発し、1時間ほど経過した後に、バイヨンヌ駅でパリ行きの電車へ乗り換えた。

寝不足だった私たちは即眠りに落ちたのであった。

ミンは腰が痛い痛いと一昨日から訴えていて、痛み止めを飲みまくっては、痛い痛いと唸っている。

さすがに腰となると、一体どうしたら良くなるのか全くもって分からない。

これだけ筋トレをして、いい体をしている人間が腰痛に悩まされるとは、なんだか不思議な感じであった。

てっきり筋トレをしっかりして、素晴らしい筋肉を持っているような人間は腰痛など無縁だと思っていたからだ。

筋肉があろうと無かろうと腰痛になる、ということが分かった。

いい勉強である。

にしても、私もインプラントを埋めた奥歯の部分がジンジンと痛み始めてきてしまって、2人ともここ数日痛みとの戦いが続いている。

神様がもしいるのだとしたら、非常に意地悪よね。

最後くらい楽しく終わらせてくれても良いものを。

と思ってしまう、心の狭い私でありました。

 

 

カミーノ巡礼 42日目

日に日に私たちの関係は悪化していった。

まるで恋愛小説の中の物語を早送りしているかのように。

すべての物事がものすごいスピードで次から次へと起こって行ったのだった。

私はもう正直日本に帰りたかった。

それでも、既に帰りの便を変更してしまっているので、それは難しい相談であった。

彼もNYに帰りたいとこぼすようになった。

一体私たちは何をしているんだろう…そのような感情が私を常に襲い続けた。

明日は大丈夫だろう。明日こそはもっと素晴らしい1日になるであろう。

そう願いながら一刻一刻を過ごしていた。

彼もきっと同じ気持ちだったはずである。

それでも、日に日に起きる事件は悪化していき、私たちはしばしば険悪なムードで一緒に過ごさなくてはならなくなった。

そして、二人とも二人で過ごす意義を見出せなくなっていった。
あも
まだ2人とも若すぎたのだと思う。

それは、年齢ではなく、精神的な問題であった。

私たちの抱えている問題はとても類似していて、議論の論点になるポイントも同じであった。

どう自分の中の感情と闘っていくのかということ。

私は、日々の我慢の積み重ねで疲れ果てていて、限界が来るともはや明るいムードを保てなくなる。

それどころか、ほとんど感情が顔や表現に出てしまう。

もはや隠せない限界値まで我慢の限界が達しているということである。

彼は彼で、自分の心の中にあるらいですが怒りと闘っていた。

感情を抑えることにストレスを感じているのであろう。

私が、怒りを見せる彼を見て悲しい気持ちになると言ってしまったせいで、彼は私の前では極力怒りを出さないように非常に努力していたからだ。

そして、その努力が彼のストレスとなっていた。

私たちはもはや一緒に過ごすことにある種の限界を感じていたのだと思う。

そして、お互いに二人の関係を長引かせたいが為に、ひたすらに隠そうと努力し続けていた。

この関係は永くは続かないと二人とも分かっていたのだと思う。

だからこそ、二人で叶いそうもない夢の話をひたすらにし続けていたのだ。

永くは続かない私たちの関係についてだ。

私だって、こんなこと思ってもみなかった。

ずっと一緒に生きていきたいと一度は思った相手だったからだ。

それでも、運命は私たちのの行く手、を阻み続けた。

これでもかという程に私たちを蹂躙し続けたのだ。
ちか
毎日起こる同じような種類の問題に私たちはもう耐えられなくなっていた。

カミーノ巡礼 41日目

何故だか分からないけれど、私たちは同じ手の形、同じ指の形、ほとんど同じ爪の形をしている。

遠く離れた国で生まれ育ち、言語もまったく違う環境で、血統もまったく違うというのに、ものすごく不思議なことだけれど、これは事実である。

そのことが何を意味しているのか、私にはまったく分からないけれど、もし運命論者がここに居て、私たちを見ていたとしたならば、
これを運命と言うのだろうと思う。

言ってみれば、私たちのこの一瞬一瞬の生は人生であり、運命である。

良い意味だけを指すのではなく、悪い意味をも併せ持つ運命。

それを一瞬一瞬私たちは生きているのだ。

結局、私は飛行機の旅程を延期することができなかった。

期日を延ばすには少しばかり遅すぎたのである。

もし、先月のうちに、彼と出会う前に飛行機を延期していたら。

そう思うとやるせなくなる。

だがしかし、それも運命なのだ。

すべては運命で、私たちは、自分の力だけでどうにか運命を動かせるのではないかと思いがちだけれど、それは大きな間違いで、それは不可能なことなのだ。

もし、運命を動かせたと思う時があるとすれば、それは運命が私たちを動かしている、それを私たちはかんちがいしているだけなのだ。

運命は動かせない。

ただ人はその間をひたすらもがき、足掻くことしか出来ない。

私たちは、ただひたすら運命の中で、日々を精一杯生き切ることしか出来ないのだ。

そして、それこそが人生なのだ。

運命に従い、それを全力で生きることこそ、私たちに唯一残された、幸せになる方法なのだと思う。

飛行機を延期出来ないと知った時、私は、この残りの4日間を精一杯彼と楽しもうと心に決めた。

本来予定していたはずの予算については忘れることにした。

いくらでもいい。いくらかかっても良いから、最高の瞬間を、最高の思い出を作ろうと決めた。

そして、同時に、私は彼と同じ左手の手首にタトゥーを入れることを決意した。

彼は、無理してそんなことしなくていいと言ったけれど、それはもはや無理なのではなくて、私の意志になっていた。

日本に帰ってからも、この瞬間をずっと忘れない為に、私にはどうしてもそれが必要だったのだ。

これを書いている今も、何故だか涙が止まらなくなってしまった。

泣いてなんかいられない。

だって、最後まで精一杯楽しもうと決めたんだから。

だから、もう最後の日までもう泣くのはやめる。

感傷的になることも、私たちの未来を考えることも、やめる。

Time will tell.

もう、待つことしか私には出来ない。

何がこれから起こるなんて今の時点では分かりようがないのだから。

心配したって、不安になったって、それはまったく意味のないことなのだ。

そして、人は何かを心配する瞬間、時を無駄使いしている。

何かを心配すること、憂いること、それは、人生を無駄に消費していることに他ならないのだ。

彼は、クロスのタトゥーを、私は彼が勧めてくれたスターのタトゥーを同じ場所に入れる。

そして、そのタトゥーはいかに遠く離れた場所に住もうと、きっと私たちをつないでくれることだろうと思う。

期待はしない。

でも、願いだけ込めて。

一生忘れ得ない思い出を象ったスターを。

もし、何か問題が起きて、もう2度と会えなくなったとしても、絶対に忘れたくはないから、このタトゥーは私にとっての北極星のようなものになるであろう。

人生で道を幾度見失っても、空を見上げれば導いてくれるポラリスのように、私は左手首を見るたびに思い出すであろう。

私だけの北極星。

それを私はカミーノで見つけたのだ。


カミーノに来る人々には必ずストーリーがある、と彼は言った。

そして、私もそのストーリーを持つ人間の1人だ。

そして、カミーノで自分のストーリーを見つけた。

人には必ずストーリーがある。

そして、そのストーリーは1つだけとは限らない。

木々の枝のように、幾つにも枝分かれして、枝が分かれれば分かれるほど、人は大きく成長していくのだと思う。

多くのストーリーは、多くの経験値を人々に与える。

そして、多くのストーリーを持つ人は、大木のような人間へと育っていくことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カミーノ巡礼 40日目

今日は、9時に起床。

それからダラダラと支度をして、11時までごろごろしていた。


夜になって、さあ寝ようかという時に、ミンは、

「今まで言ってなかったけど、これが俺のストーリーだよ。」

と話し始めた。

ミンには、大好きなおばあさんがいる。

今では重度の痴呆症らしく、もはやミンが会いに行ってもミンだと判別がつかないらしい。

そして、3年前に、ちょうどおばあさんが病院に入院し始めたということで、NYから韓国におばあさんに会いに行ったそうだ。

そして、ついでだからと健康診断を受けた。

その際に、ステージ1の肝臓癌が見つかったそうだ。

そして、早期に発見出来た為、無事にすべての癌を摘出することができたという。

ミンは、おばあちゃんが俺を救ってくれたんだと言っていた。

そして、運命とは不思議なもので、悪いこともあれば、良いこともある。

すべては、円になっていて、人生においてそれは何度も繰り返されるのだと言う。

そのミンの大好きなおばあちゃんは本当の血の繋がったおばあさんではなかったそうだ。

話を聞いているうちに判明したのだが、ミンは7歳の時に日本人の母親に捨てられ、父親と一緒に韓国で過ごしていたと前に私に言っていた。

ということは、おそらくミンの父親はそれから韓国の女性と再婚をしたということだ。

そして、血の繋がっていないその継母の母親であるおばあちゃんだけは、みんながミンのことを嫌う中で、本当の孫のようにひたすらミンを愛してきてくれたという。

そんな愛するおばあちゃんが、痴呆症で入院したと聞き、ミンはひどくショックだったであろう。

それでも、そのおばあちゃんの入院という悲しい事実のおかげで自分は癌を発見することができた。だから、結果的には良かったのだとミンは結論付けた。

私は、話を聞いているうちに、どうしても涙をこらえきれなくて、泣き出してしまった。

まず、ミンが癌を患っていたという事実がショックであった。

そして、その癌は私の大好きな叔母の命を奪っていった。

だからこそ、ついつい重ね合わせてしまったのかもしれない。

そして、幼い頃に母親に去られ、そのあともおばあさんを除く多くの親類から嫌われて育ったというミンの心境を思うと、涙が止まらなくなった。

だからだったのか。

だから、ミンは癌になるまで、誰にも負けない、自分のベストを常に尽くし、いつも気を緩めることなく生きてきてしまったのか、と納得がいった。

ミンは癌が見つかってから、生き方を180度変えたという。

癌が見つかった時に、「人は明日死に得る」ということを鮮烈に感じたという。

そして、その明日死に得るという感覚はミンの生き方をを変えた。

明日死んでも悔いのないように、毎日をハッピーに、精一杯生きることにしたという。

私はきっとミンの癌は、身体からのメッセージだったのだと思った。

いろいろなものを犠牲にして、ベストを尽くさなければという強迫観念に突き動かされて生きている日々は、きっと身体を酷使することとなっていたのだと思ったからだ。

それからは、ミンは身体のことを第一に考え、水を毎日最低でも3リットルは飲み、消化器官を休める為に、月に1回は必ず断食をするようにしているという。

そして、お酒は楽しい時にしか飲まない。

辛い時、悲しい時には絶対に飲まないようにしているのだそうだ。

それだけ心がけているからか、ミンの身体はどこから見てもクリーンそのものだった。

南京中被害にあった跡を除いてだけれど。

そもそも、南京虫にミンだけあれだけ散々狙われたのも、もしかしたらミンの体がクリーンで、血が美味しかったからかもしれないなとこっそり思った私であった。

けれど、南京虫の話を持ち出すとミンはものすごい嫌な顔をするので、言わずにおいた。

少しだけミンのストーリーが分かって嬉しかった。

 

カミーノ巡礼 39日目

どちらが現実なのか分からなくなってきた。

どちらも現実なのだろうけど、私にはもうこれが夢物語としか思えなくなってきた。

カミーノの途中で、しかもサンティアゴに到着するまでの最後の3日間で、突然出会い、恋に落ちる、だなんてまるでどこかの小説によくある夢物語。

日本に帰りたくない。

一度帰ってしまえば、きっと今この瞬間の物語はすべて夢だったのだと思うであろうことはわかりきっている。

日常に埋もれ、日々の生活に急かされ生きるだけ。

以前の私に戻ってしまうことだろう。

日本で私に会いたいと待ち構えている人々の要求に応え、そして私は私の
意志をまた失っていくのだろう。

私を求める人々の思念に突き動かされて生きる日々。

それにどれだけの価値があるだろう。

今というこの瞬間が一生続いてくれたら。

そう願わずにはいられない。

そして、この幸せな日々が長く続けば続くほど、日本に戻ってからの生活は辛いものになるであろうことはわかっている。

どうせ、戻らなければならないのであれば、この幸せな瞬間が終わりを告げることがわかっているのであれば、さっさと終わらせて逃げ出したい自分がいる。

これ以上、この現実と夢の板挟みのような状態には耐えられない。

彼は気づいていないけれど、私は彼の知らない時にこっそり泣いている。

もはや、どうしたら良いのかさっぱり分からないのだ。

彼を追いかけてNYに留学する?

私の強い意志さえあれば、それは可能だ。

時間も、お金も、申し分ない程持て余している。

それでも、きっと私はそうすることは出来ないであろう。

すべてに恵まれた今の日本での環境を手放す勇気が私にはあるのかどうか、まったくもって分からない。

今日、カフェで彼とコーヒーを飲んでいる時に、たまたま隣の席で一緒になって話した巡礼者が私たちのことを知ると、言った言葉が耳から離れない。

TIME WILL TELL.

時が来れば分かるでしょう。

確かにその通りだ。逆を言えば、その時が来るまで私たちは私たちの未来について知りようがないのだ。

つまり、その時をただただ待つしかないということ。

そして、私はいつもいつもその時が来るのを待っていられない性質なのだ。

今すぐ答えが知りたい。

時が来てからでは遅いのだ。

神様は私がすべてを捨てる勇気があるのかを日々試してくる。

そして、私はその試練に耐えることは出来ないだろう。

もう既にすべての決断という行為から逃げ出そうとしているのだから。

どこにもきっと答えなどない。

それでも、私は未だにその答えを求め、考え続けているのだ。

我ながらとても愚かであろうと思う。

 

 

カミーノ巡礼 38日目

※ずっと載せられなかった過去の日記。

ちなみにここからはカミーノでもなく、巡礼ですらなく、ただのわたしの恋愛日記やもしれない。

 

今日は、朝7時に起きた。

サンティアゴには、目的地に着いたということで安堵する人々が多く、2泊も3泊もしていく巡礼者が多い。

その為か朝早くに出発する人は少ない。

そして、物音がないおかげで私は朝まで一回も目覚めずに10時間も寝てしまったのだった。

寝ても寝ても疲れは一向に取れない。

そして、顔はむくみまくり、ものすごく眠い。

もしかしたら、原因は3日後に控えている生理かも知れないけれど。

今日は、朝ごはんをパラドール(国営のホテル。多くは古くからある伝統的な建物を改装して造られていることが多い)にて食べることにした。

S子さんが、パラドールにて巡礼者に、朝・昼・晩のご飯を10人限定で無料で食べさせてくれるということを教えてくれ、私を誘ってくれたのだ。

朝ごはんは9時からなのだが、多くの人が殺到する可能性がある為、1時間前に行った方がいいということを他の巡礼者が教えてくれたので、8時に現地に向かうことにした。

予想は的中して、まだ1時間前だというのに、既に3人ほど集まっていた。

それから待つこと一時間。

その間に、巡礼者の誰かが、クレデンシャルにラストスタンプ(到着したよスタンプ。事務所で押してくれる)が必要だということで、焦って走って行った。

そして、ようやくスタンプを押してもらい、巡礼証明書を受け取ることができたのだった。

巡礼証明書には2種類ある。

例のごとく、無料のものと有料(3ユーロ)のものだ。

無料のものは通常の証明書であり、
有料のものは、歩いた距離をも書いてくれるというものであった。

ちなみに、800kmと書かれると思いきや、若干少なかった。

どうやらサンジャンピエドポーから正確に測ると800kmに若干満たないらしい。

ちっ。

それでも、ここまでに様々な費用、時間、ありとあらゆるものを費やしてきた私としては、もちろん有料のものもオーダーしたのであった。

すべては記念であり、思い出の為であった。

そして、1時間待ってようやくパラドールの中に入れてもらうことができた。

パラドールの中には、巡礼者用に食事をサーブする部屋が用意されていて、通常のレストランとは違う場所に連れて行かれる。

そして、部屋に通され待つこと10分、カフェコンレチェとチュロス、クロワッサン、パンが山盛りになって届けられた。

それだけである。笑

さすがはパラドール、何か特別なものをサーブしてくれるのかと思いきや、そんなことはなく、ただただパンとクロワッサンとチュロスだけであった。

まあ、巡礼者だしね。

まあ、タダだしね。

文句は言えない。

そして、すべて美味しかった。

S子さんのおかげで普通では経験出来ない、素晴らしい経験をさせてもらったのであった。

それから、広場で2人で記念撮影をして、彼女は地の果てであるフィステーラへ旅立っていった。

私は、ミンが待っていると連絡してきたので、ミンが待っているアルベルゲに戻ることにした。


ミンがとあるアーティスティックなガイを見つけ出してきた。

ややボサボサ気味のブロンドロングヘアーに、よく日焼けした肌。

そして、全身くまなく鍛えられていて、とても美しい体つきをしている。

無駄な脂肪はどこにもついていない。

そして、身体には無数の傷跡。

いったい何者だろうと思う風貌の彼は私たちのような大きな大きなバックパックを地面に置いて、彼も地面に座っていた。

私たちが朝ごはんを食べている間に、彼を見つけたという。

きっと彼は素晴らしいパフォーマーに違いないとミンは言う。

そして、私を紹介してくれ、お互いに挨拶した。

私にはまだわからなかった。

彼が、本当に素晴らしいパフォーマーなのか、その時は。

そして、2人で服をすべて変える為に、街へとショッピングに出かけた。

スペインは日本でも有名なZARAというブランド発祥の地である。

もちろんサンティアゴにもZARAは存在し、安いからその場しのぎの服にちょうどいいとミンが勧めてくれたので、そこですべての服を買うことにした。

私自身はといえば、1週間以上前に南京中にやられたきりで、それ以上の被害はなく、ミンがくれた痒み止めの薬で随分良くなっていた。

もう、身体中で赤く主張していた噛まれ跡たちは大人しくなり、もはや南京中は私のそばに居ないのは確実だった。

だがしかし、南京中は血を吸いまくってお腹がいっぱいになると産卵に入るという。

そして、その卵たちは、約1週間から10日程で孵り、その暁には再び身体中が真っ赤に腫れ上がることになる。

私はそれを恐れていた。

でも、すべての服とバッグからなにから捨てる勇気は持ち合わせていなかったので、現状維持を決め込んでいた。

が、ミンはずっとこれからも一緒に居たいので、確実性を増すために、すべてを捨てて買い換えた方がいいと主張。

私は、断りきれずに、すべての洋服を購入することになった。

 

 

彼は気づいているだろうか。

今この瞬間にも私は彼を裏切り続けているということに。

そして、私は元夫をも裏切り続けている。

いったい私はどうしたらいいのか、どうすべきなのか、まったくもってわからない。

カミーノを終えれば、無事サンティアゴに到着すれば、それだけで自動的にすべての答えが出るのではないかと、「期待」していたのかも知れない。

そして、やはりその「期待」は裏切られた。

答えなど出ないし、未だに悩み続ける羽目になった。

むしろカミーノに来る前よりも悩みは深刻なものになっている。

カミーノに来る前は、元夫のことについてしか考えていなかった。

ほとんどそれが主な悩みであった。

ところが、今では、新しい問題が浮上している。

私はいったいどちらを選びたいのか、又は、どちらも選びたくないのか。

そして、その答えはきっとこれ以上歩いても歩いても見つかるものではないということも分かっている。

それでも、歩いている時だけは忘れられる。

それが為だけに私は歩き続けることを選択するやもしれない。


ミドルを探せ

彼は市街地の人通りの多い道を選んだ。

何度か場所を変更したあとの試みだったので、きっと彼はその場所に何か感じるものがあったのだと思う。

そして、おもむろに膝立ちになって座り込むと、物乞いのするように、路上を進む人々に向かって手を差し出し、そのまま静止した。

そして、左腕に仕込んでいたカッターを手に取ると、胸に書かれた文字の上からそのカッターでなぞるように刻んでいった。

人々は見て見ないふりをしながら道を通り過ぎていく。

そして、とある人々は立ち止まって彼を凝視している。

レストランの隣でパフォーマンスを始めてしまったので、レストランのウィターにやめてくれと訴えられる。

それでも、彼はやめはしなかった。

ひたすらに胸をカットし続けている。

そして、半分ほどカットし終えたところで、カッターを床に置き、踊りだした。

バレエのステップのような、不思議なステップ。

適当に踊っているようにも見えるが、それでも目が離せなくなる。

人々は更に立ち止まり、彼を見ていく。

人だかりが更に増えたところで、レストランのスタッフにより呼ばれたポリスが数人来た。

そして、彼のダンスを数分困った顔で睨みつけていた。

彼のダンスが一通り終わると、彼は事情聴取を受けることとなった。

パスポートを求められる。

ポリスは更に増え、6人ものポリスに取り囲まれることに。

ミンはそれでも撮影し続けた。

スペインの法律は知らないが、日本の法律では、彼の行為はどの法律にも触れていなかった。

それでも、やはり困った人々は警察を頼るのであろう。

めんどくさくなったら警察を呼べばいいのである。

それは、どこの国にいっても同じなのであろう。

そうして、パフォーマンスは終了となった。

最後の方は、警察の人々も彼と一緒に笑っていたので、きっと呼ばれたから来ちゃったという感じなのだろうと思った。

そして、パフォーマンスは無事に?終了した。

ウィリアム(パフォーマンスしている人)は、血を流しながら嬉しそうに笑っていた。

そして、私とミンは血を流したままの彼と握手をし、ハグをし、別れた。

別れ際に、ミンはローラの耳元で「ユーアーゴージャス」と囁いていた。

囁いていたというか、聞こえた。

ちょっと「なぬっ?」ってなってしまった私であるが、別に彼は私のものでもなんでもないと、自分をなだめすかした。

そのあと、ミンは2人で歩いている時に、何故彼女にゴージャスだと言ったのか説明してくれた。

ウィリアムは55歳で、サンティアゴで路上生活をしているが、英語しか話せない。

もし、ローラが彼の元を去ったとしたら、彼は彼のパフォーマンスについてスペイン語で説明してくれたり、彼を守ってくれる人はいなくなるであろう、とミンは話した。

だから、それでも彼の元を去らずに、ずっと側にいるローラはゴージャスだと言ったのだそうだ。

説明してくれたということは、私に聞こえていたということに気づいたのだろう。

どこまでも、敏感な人である。

だからこそ、気になって仕方ない。

彼は私の気持ちの変化にすぐ気付く。

どんな小さな変化にも気づかないということはない。

それは、とても居心地が良いということでもあるし、時にとても恐ろしくもある。

それを、ランチの際に話した。

筋トレとタンパク質量

半年間どんなに激しい筋トレをしようが、次の日(とその次の日も)筋肉痛に苛まれようが、まったく筋肉量が増えず、なんだかな〜と思っていたわたし。

 

勝手に世の中の筋肉セオリーはわたしには通用しないのねってひとりごちていた。

そして、ここ1ヶ月、まったく運動も筋トレもせず、毎晩浴びるように酒を飲む始末w

 

だがしかし、わたしの考えはまったくもって違ったということが、今日判明した。

 

昨日はジムで久しぶりに筋トレをして、今日はものすごい筋肉痛に襲われることを予期していた。むしろ期待さえしていた。笑

 

だがしかし、ほとんど筋肉痛はなく、快調な感じで起床。

 

「ん・・・?(何が起こった?)」

 

よくよく考えてみれば、昨日はこれでもか!というくらい「タンパク質」を摂取していたのであった。

 

筋トレ後にいつものプロテインを豆乳でシャカシャカして、1杯。

(タンパク質約30g)

 

そして、いつもだったらそのままあとはまったくタンパク質を摂らないという状態であった。

 

わたしの体重は52キロなので、本来であれば、筋トレをせずとも最低でも52gはタンパク質を摂取する必要があるのにも関わらず、いつも無視して30gしか摂っていなかった。(しかも筋トレ後)

 

普段に至っては、20g摂れればいいくらいの食事内容で、ほとんどが糖質(炭水化物)でカロリーを摂取していたのだ。

 

先日、病院の血液検査でも、タンパク質摂取量が少なすぎるとご指摘を頂いていたところであった。

 

そして、昨日はたまたま筋トレあとに、ラム肉を200g鍋にぶち込んで食した。

 

ちなみに、ラム肉は、

ラム肉もも(羊肉もも) 217kcal 0.1g 19.1g 14.5g

タンパク質量が、100g当たり、19.1g

なのだ。

 

そして、わたしは200g食べたので、38.2gものタンパク質を摂っていたことになる。

 

先ほどのプロテインと足すと、68.2gである。

 

筋力トレーニングをした場合、体重×1.5gものタンパク質が必要ということなので、

わたしの場合は、78gになる。

 

目標摂取量に対して、68.2g / 78g = 87.5% の量を摂取できたため、

今回の筋肉痛は起こりにくかったのかと思われる。

 

そして、やはりある程度まで、タンパク質摂取量と筋肉の増加量には相関関係があるようなので、これからは、今までの(無駄だった)半年間を反省して、もりもりタンパク質を摂取していきたいところである。

 

 

異端者

誰とでもやれる。

でも、誰も本気で愛せない。

それって、誰とでもやっているからかもしれない。

と思って、誰とでもやらないようにしてみたけれど、結局何も変わらなかった。

わたしはきっと誰も愛せないのかもしれない。

 

美味しいものを食べたい、良いホテルに泊まりたい、海外旅行に行きたい。

すべてを叶えてくれる人が何人かいる。

お金を求めれば、くれるであろう。(絶対嫌だけど)

でも、それって、わたしが「対価」を支払っているということ。

誰かと会うたびに、自分というものがそぎ落とされていく気がする。

 

何を食べても、どんなに良い部屋で寝ても、海外に居ても、何も癒されない。

 

本当に好きな人と一緒に居たい。

それなのに、本当に好きになることは決してない。

 

ダイバーエージェントという映画を見た。

ストーリーの中では、本来、5つに分類されるべきはずなのに、

分類できない人間が出てきてしまう。

それが、異端者である。

そして、異端者は追放されるか、迫害されて、殺される運命にある。

もしかしたら、わたしの世界でも同じことが行われているのかもしれない。

「普通」でないと判断されれば、忌み嫌われ、社会に馴染めなくなっていく。

わたしがそうだ。

被害妄想だとばかり思ってきたけれど、ここまでくると確実に違うと言える。

勉強は出来る、暗記も得意、仕事もすぐに覚えるし、誰よりも早い。

仕事上でコミュニケーション能力が高いと思わせるのも得意だ。

見た目も申し分ない。(はずである)

英語も問題なく話せるし、社会におけるマナーや礼儀もすべて「暗記」した。

面接で落ちたことは一度もないし、試験は受ければほとんど受かる。

(受かるやつしか受けていないと言われればそれもそうだけど)

それなのに、どうしても最終的に社会からあぶれてしまう。

わたしの思考回路を理解できないと思った人間からわたしを見る目が変わる。

別にサイキックな能力があるわけでもないのに、相手が何を思っているのかすぐわかってしまう。

被害妄想かと思いきや、振り返ってみればほとんどが「当たり」であった。

当たってほしくないことがことごとく当たってしまう。

 

それでも、要所要所で同じ「異端者」に見出され、助けてもらって生きて来た。

自殺もできず、オーバードーズでも死ねず、ウィルスに侵されてもさっさと完治してしまった。

死ぬこともできず、かといって、「生きる」こともできていないという為体。

 

そして、更に辛いことには、わたしが愛せる「異端者」に未だに出会えていない。

 

どうして、普通の人間のように生きられないのか、

どうして、こんなにも生きにくいのか。

 

まったくもって理由がよく分からない。