Way to be HAPPY

Life is a Journey

暴発危機迫る

最近めっきり生きる気力がございません。
会社に行くまでは自己充足感ってやつ?満杯なのだけれど、
出社して数時間後、気づくと途中で叫びだしたくなってるよね。笑
満足はしていない。
でも、人ってたいていこうやって生きてるんでしょ?
こうやって自分を騙してごまかして生きてるんでしょ?
でも、そう思っても、もうちょっと限界がきている。
もはや、叫びたい。
叫びだしたい衝動との戦いの日々。
自分の中の暴発しそうなエネルギーとの戦い。
で、帰宅後過食嘔吐してそこらへんを回避。
こんな人生でいいのか私。
そういう感情が日に日に強くなっている。
かといって、さしてやりたいこともない。
どういう罰ゲームなんですかね、これは。
もはや喜劇からの、悲劇モード入っちゃいますがな。
自分をごまかしていると言ってしまえばそれまで。
でも、どうなにをごまかしているのかが分からない限り、それは回避不能な訳で。
辞めてしまえばいい、という問題でもなく。
辞めなければいいという問題でもなく。
いったい何が私のしたかったことなのかがもはや不明。
こんなんじゃどうしようもない。
生活もお金も身分も地位も保証されていた人間が、
そういう保証がなくなったら更にやれなくなるんじゃないか説出てきちゃうよね。
でも、そろそろ暴発間近。
どうにかこうにかして、どうにかこうにかせねばならぬ時が近づいているのはわかる。
で、私、一体なにをしたらええの。

洗脳

こんばんは。

心の遮音等級1級のレイでございます。

 

人生嫌すぎて現実逃避に横浜に行ってみたら、

山下公園で「あのーレンさんですか?」と話しかけられた私です。

惜しい・・・だが違った。

というか、レンって誰だよw

 

そんなこんなで、ただ今絶賛現実逃避中でございます。

たまには必要よね。

 

3日前。

かなり久しぶりにクレアボヤントのヨーコさんに会いに行った。

私は現状の人生になんの問題も感じていなくて、

1年以上もう行っていなかった。

 

というのが実は錯覚だったんじゃないか疑惑浮上。

ふいに仕事中彼女のことを思いだして、ブログをチェックしてみたら、

どうやら浅草のフェアに出展することが発覚。

いつも満員御礼だから、きっと今回もそうだろうなーと思ったけれど、

一応連絡してみた。

 

で、返ってきた返事がこれ。

あー来ると思ったんで、空けてありましたよー。

数時間前に思いついて連絡しただけなのに、いったいこの人何者?

ということを再確認。

 

ということで行ってきましたセッションに。

 

結果としては、まあここ最近私は感情も落ち着いてきたし、

もう大丈夫!と思っていた、それは錯覚でした。

というか、洗脳に近い状態で何も感じなくなっていたということのよう。

 

確かに、ありえないミスはするし、

現実味がまったくなかった。生きている感覚さえなかった。

でも、それが人生じゃん?って思ってた。

でも、それは大間違いだった。

ということに気づくのは、指摘されて初めて気づくんだよね。

 

ほとんど私という核はもはや残っていない状態。

エネルギー的に見たら、の話だそうなのだけれど。

とうことは、私がここ最近私だと思って生きてきた、その私はほとんど私ではない誰かだったということ。こんな恐ろしいことはないよね。

まさか自分がそうであると夢にも思わなかった。

 

でも、人間って気づいてからの反応は早いようで、

気づくまでが危なかったように思う。

一旦夢から覚めると、あーあれも、これも、それも、夢だったのねーと気づく感覚と似てる。

あーそれは、私の判断ではなかったのね、とか。

あーその感覚は違ったのね、とか。

最近直感がまったく働かなかったのも、それかーーとかね。

 

普通、一個の体には一個の人格というかエネルギーがあって、

本来ならそれは身体にあうた魂というかエネルギーが配置されているそうなのだけど、

最近の私はもはやキメラ状態で、1/4は本来の私なのだけど、残りは違うものひっつけちゃってる状態だったらしい。

 

温熱でも言われていたことを思い出した。

あんた、また変なの引っ付けてきたねーと。

2人いるうちの1人は敏感過ぎるからか、そういう人に会うと咳が止まらなくなってその場から瞬殺で居なくなるクセがある人で、そういうえばその時私に触れた直後咳き込んで二度と私には近づかなかったなーとか思い出した。

その別のもう1人の人が払ってくれたのかとばかり思っていたのだけど、どうもそうでもなかったらしい。

 

話は過去に戻る。

昔書いたブログに私がエイリアンと契約をしているから私のリーディングはもうしたくないと突き放した人がいる。

あれは彼女の勘違いと思っていたのだけれど、ここに来てどうやらつじつまが合ってきたのだと気づく。

私のエネルギーは私由来のものとそうでない何かが最初からくっついていて、それで一つのように生きてきた節がある。

所謂エネルギー的な二重人格のようなもの。

それが最近では、手に負えなくなって3/4にまで膨れ上がってる説が浮上。

だからこそ、ここ最近の私は、常々

わたしって誰なんだろう

という疑問が毎日湧いていた。

気力もなさすぎて普通の人にいつも大丈夫かと聞かれまくっていた。

でも、本人は何言ってんのこの人、と気付いて居なかった。

それを洗脳なのだと指摘されて、なんとなく腑に落ちた。

気づけば、わかる。教えてくれれば、わかる。

でも、それでも気づけない状態でいるときには何の疑問も湧かない。

それをきっと洗脳されている、というのだと思った。

 

さて、どうしようかね。

 

 

 

 

 

過食嘔吐撲滅計画

と、いうことで、過食嘔吐が著しく増加している私は、
使えるものはすべて使ってやろうという気になり、
数日間一緒に過ごしてほしいと彼に言ってみた。

頑なに結婚はおろか、同棲も連日泊まるのも嫌だと主張しまくっていた女が言い出したことに、
ひたすら驚いていたようだけど、快諾してくれた。

言った当人は、それからオロオロとあ〜やだなーなんであんなこと言っちまったんだろうと後悔の日々。

で、今日がスタートなのだけれど、
まあ、めっちゃ諦めがついた。過食嘔吐することに。

ある意味いい習慣変更計画になったと思う。

同棲とかは絶対に無理だと思うけど、数日ならきっと耐えられるはずである。

と書きながら気づいてしまった。

きっと、この数日計画が解消されたその日にまたやらかすのだと。

やっぱり自分でもう大丈夫だと思えないと、きっとこれはどうにもならないことなのかもしれない。

ああ、長いなこれからが・・・辛たんである。

最近気づいたのだけれど、私には人を好きだとか、愛するだとか、
そういう一切の感情が欠落しているのかもしれない。

一緒に居たいなどと思えないのは、彼がそれに足りる存在でないからなのか、
それとも、私は誰にもその手の感情を抱かないのか、それもまた謎。

吊るしあげ

えっと、再び過食が常習化してきているところです。
やっぱり習慣というものはなかなかどうして抗えないところは多分にある。
或る日突然治るとか、そういう類のものではないことを確認。
なぜなら、13年間続いた習慣ですからね!
という言い訳はさておき。

まあ、もう、本当にちょっと過食飽きてきたところはある。
この飽きるという感覚はすごい。今までまったくなかったから。
要は、ここ最近の私は暇だからなにかにかこつけて過食嘔吐をしていたという訳なのかもということ。
まあ、日々、抑えきれない感情や憤慨、じだんだ踏みたくなる癇癪との戦いとかあるけれど。

今日ももはや地団駄踏みたくなる衝動に駆られ、まあ駅を半泣きでひーひー言いながら帰ってきた。
もはや過呼吸「風」である。
私ってきっと過呼吸にはならないのね、でも、過呼吸「風」をやってみたい私がいた。

もうなんでもかんでも、すべてにおいて悔しい感情が噴き出してきた。
なぜ、私はここにいるのか、なぜ私はこんなつまらない人間と働いているのか、
なぜ、私はそこから一歩踏み出す勇気を行使することもせずただ安楽に逃げているのか、
で、結局仕事に憤っているのか。

今日は、もうどうしようもない凡ミスを犯したばかりだったからということもある。
というか、それでしかない。
送り先が2件あって、中身逆に送りつけたというくそみたいなミステイク。
自分でもびっくりするのだけれど、これ実は2回目。
どうしたら、そんなミスができるのか、もはや我ながら驚愕。
そんで、自己保身のため最近上司になった奴に本社に報告された挙句に、
社内allメールで槍玉にあげられるという始末www

みんなに嫌われている上司を私がどれだけフォローして、
みんなとの仲をつないでやったのかどうやらわかっていないらしい。
(3名ほど奴を名指しでやめていった事実は消せないからね)
というか、そういう気遣いをした事実も含めてもろもろ自分のすべてが嫌になった。

なんのためにやっていたのか、なんのためにやっているのか。
もう何もわからない。

handmaid's tale 侍女の物語

ここ最近、魔法系アニメとのサンドイッチで見ているのが、このドラマ。

原作がどうやら小説にてあったらしい。

腹ただしいことこの上なしな設定なのにも関わらず、ついつい見てしまうドラマ。

舞台はアメリカ。

子供ができなくなって、子供を埋める能力のある女性を拉致監禁(に近い)して、
とある宗教の名の下にレイプして、孕ませてオッケーという、
いかにも日本人が好きそうなAVみたいな設定の話。

というか、きっと世界中の男性がこの設定に萌えってするんだろうなと感じた。

見ていると、腸が煮えくりかえるほどにイラっとする。

でも見てしまう、なぜなんだ?とかなり疑問だった。

セリフの中で出てくる、Men don't changeがすべてを物語っていると感じた。

原作の作者についてよく知らないが、きっと女性なのだろう。

なぜこんなにも女性は虐げられなくてはならないのか、ひたすらに疑問だ。

レイプされるとか、されないとかはさておき、
むしろ精神的にレイプされているような気持ちになる日本の社会や会社。

恐らくそれはマウントしないと、自分の地位を確立できないというメンズの意識の賜物なのかもしれない。

人間は怖れる対象を虐げる。動物もそうかもしれない。数やそれに類するような状況が可能な時に。

だからこそ、私はこの日本で、女として生まれたことを恨んでいる節がある。

事務職は女性と未だに決まり切っている日本。(他国のことは知らん)

なぜ無能な奴らを私がサポートしてやらねばならないのかという気持ちに襲われる、雇われ社員状態の私は、
エブリデー殺意を抱いている始末。

そして、その殺意は巡り巡って自らに向かう。

こういう状況をどうにか打破したいのに、できない。

それは、自分が女性であることを利用しているからかもしれない。

女性だから事務職かと、そう思っていた自分の判断
ミスかもしれない。

だれか尊敬できる異性がいたら異なった結論になったのかもしれない。

ただ、穴に自分の逸物を突っ込んでひたすらによがっている、
でも、体勢的に自分の上側にいる奴らを私はひたすらに憎悪していたのかもしれない。

そういう経験が、感情が吹き出して仕方のない今日このごろ。

女は子供を作る機会ではないのだよ。

産みたい奴は産めばいい。
でも、産みたくなければ、産まなくてもよくね?と思う。

そういうことを考えさせられるような作品。

叫びと気づき

こえたい、越えたい、超えたい。

ここ最近私の心の叫び。

何をこえるのか、それは恐らく自分であり、世界であり、そして自分に戻ってくる。

自分の環境を自分の概念を、自分のすべてを超越したい、凌駕したい。

そういう欲求が湧き出てくる。

でも、その情熱を吐き出す術をまだ私は知らない。

だからこそ、ここ最近の私は物理的に吐き出しているのかもしれない。

過食症が治れば、過食症の人を救えるのだとただ単純に考えていた。

それはもしかしたら、大きな間違いだったのかもしれない。

過食症じゃない人が、過食症から救うことがあるということは、
それは必要条件ではないということ。

では、この経験をいかに昇華するか、という問題になってくる。

私は自らの経験にすべからく理由付けをしたいのだと思う。

そこに理由はあったのかも分からずに。

食事療法ですぐに治る人もいる、入院したって治らない人もいる。

ある一定の年齢になれば治る人もいる。

ひとつの症状をもってして、それがひとつの原因とは限らない。

そして、解決策はさらに枝分かれしていく。

私はどの枝を選びたいのか、そういうことだと思った。

雑草のように生えていく、分岐したものたち。

収束するのを待つ前に私はその枝をはし折らなければならないのかもしれない。

他人が提供するなにかではなく、自らの決断において。

誰かに、何かのメソッドに救ってもらおうだなんて考えは甘かったのかもしれない。

自らに覚悟ができていない状態で、何かに委ねようとする甘さ、それが露呈しただけ。

なにがいい、悪いじゃない。

人生は流されるものだと思っていた。

でも、本当は選び取る覚悟でないと生き抜けない、そういう設定のものかもしれない。

選び取る覚悟をもって流されるのはいい。

ただひたすらに流される、それは、命の消耗、ひいては無駄遣いと同じ。

アストロジー2

酔った勢いで。
というか書き起こしたいものは膨大にあるのに、やっぱり酔ったときにしかやらない。
・・・のはなぜなんだという最近の疑問。

ま、いっか。

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本質的な、核となる周波数は社長さんの周波数。リーダーシップ。
人に使われるより、自分がリーダーの役割という周波数をもっている。




なので、周りになんだこいつと思われることがある。
それを、生きてあげることができればいい。
そして、探求者でもある。
なので、いろいろな情報を得たり、学んだり、テーマを持って生まれて来ている。
それを深めるようなことも、本質的な波動でもっている。
なにか普遍的な叡智、宇宙的な叡智とか体系的な知識を得ていくと、
教えたりとか、教育していくとか、あるいはそういう立場的に上の立場というのを作っていくことができると、
どんな規模にしても、レベルにしても、そういうエネルギーに少しでも触れることができると魂はとても満足する。

このような周波数をもっている私が過去の記憶としてどんなものをインプットしてきたかというと・・・

1つは、独立・ベンチャーというエネルギーを生きている。
安定した生活で生きていても、どんどんセレブなエネルギーで日常から外れていくというパターンがある。
夢の実現をしていく。
独立心という社会に依存しない生き方をしたというエネルギーが入っているので、やはりこの人生でも自分の力で生きてみたいという思いが強い。
思い通りに生きて実現したというパターン。
でも、個人レベルの恋愛とかプライベートのことを楽しむことっていうのもやろうという意識もあった。
だけれども、高いアイデンティティーを社会の中で作っていた。
なので、そういうパワーをすごくもっている。
なにか、才能や能力を使って生きるということをやってた。
その才能というものを時間をかけて弟子入りしたりして作っていくことで、豊かさというものを学んでいた。
セレブな非日常を生きている感じ。
毎日パーティーとか。
そういう周波数をインプットされているので、もしかしたら仕事仕事仕事でも、ちょっと一日どっか旅行に行こうとかで、
そういう周波数をうまく使っていけるかも。

でも、人間関係についてかなり混乱したというのもある。
やはりベースがサイキックなので、もう感覚的に現実だけではない、相手の深層心理が見えてしまったりとか、
ネット社会で誹謗中傷で炎上するとか、そういう目に見えない世界で何が起きてるの?的なそういうところを見ていきましょうみたいな学びがあった。
そういうところで、混乱して、なんか気がついたら人間関係うまくいかないわ的なことが、なんでこうなるの?みたいなことがという、
うまくいかない感のような混乱をいかにクリアして、上の意識のレベル・波動にいくかがテーマでチャレンジしていた。

私たちは霊的拡張という目的があって、その中にワンネスに戻ってくるので、その時に「わたし」というエゴという幻想が強いとみんなと分離してしまう。なのでそのエゴを壊してワンネスに向かうためのテーマ・チャレンジという設定が各々ある。

この時のエゴを壊すテーマが家族というのがテーマに出ていたので、嫌な人間関係なら切れるけど、家族ってなかなか切れない。
その中で、家族という絆というのはどういうことなのかを学ぶために、かなり家族とかからプレッシャーを受けたかもしれない。

その家族との関わりあるいは自分がベンチャーでやるにしても、はやり家族的なつながりの人たちという意味もある。
だから、人間関係の中でも家族というところに着目して学んだ経験がある。

そして、すごく変化があった人生だった。

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つづく
(あと1時間くらい残ってるのは内緒)

ハワイ島メンバー@ワークショップ

先日、件のボディートークの藤田さんのワークショップを
ワイ島メンバーのために開いてもらったときの話。

ちなみにハワイ島メンバーとは、2年ほど前、離婚後直後に、
よっしゃー人生変えたるわ!!と意気込んで、
(ついでに鬼婆みたいなヒプノセラピーの師匠から逃げ出すために)
参加した時にたまたまツアーで出会ったメンバーのことを言う。
有名かどうかは知らないがウィリアムレーネンさんという方のツアーだった。
参加者で知らないのは私だけという、なんでお前きちゃったん?からのスタート。笑
私のよくわからない直感はいつもとんでもないところで勝手に発揮されるようだ。

つまるところ、ハワイ島旅行を言い訳に勉強会やら次なるセミナーをブッチするために参加したのだ。
そして、結果、私は見事につるしあげられた。というのは置いておく。

と、そんな中で出会ったメンバーがぶっとびまくっていて、
一瞬普通のまともな人にしか見えない人たちなのに、
言ってること意味分からないし、会話してるのに会話になってないし、
っていうか、なにも話噛み合ってないしwww
それはそれは最高に面白かった・・・というところからすべてはスタートしたのである。

なぜか、それから定期的に有志メンバーと会合を重ね、
そのメンバーのうち1人からボディートークの藤田さんをご紹介してもらって、
通って半年(もうすぐ1年)たったころに、この話が持ち上がったという訳。

ちなみに、今回わたしが取り仕切る役に任命されたのだけれど、
人生で取り仕切るの嫌いな私は、ほぼこれが初めての経験。
(影の立役者なしに成し得なかったな・・・)

たまに影の立役者に噛みつきながらも、見事に先日実現したという・・・奇跡!!

というわけで、前置きが長くなりましたが、ハワイ島メンバーのためのワークショップがついに!!
行われたのである。

今回思ったことは、参加してない人にシェアするのめんどくさいし、やだなというまさかのオチ。

本当に楽しかったし、みんなの新しい一面を垣間見れたし、
自分にとっても、新しい感覚というか、経験というか、そういうものを感じられた素晴らしいワークショップだった。

でも、その内容については、語りたくないのが正直なところ。

仕事終わりの人もいた、旦那を置き去りにしてきた人もいた、
わざわざ桜餅を作ってきた挙句に、よくわからない場所で衝動買いしてきた人もいた。

それでも、その時間に、自分の時間を用意した。
その時間のために、すべてをかけて(?)きた人がいた。

そういう覚悟って、やっぱり参加した人だけの宝物だと思った。

みんなと一緒にワークをする喜びを感じさせてくれた藤田さんに心から感謝!

でも、ここには内容は書きたくない。(もったいないからね)

それを味わいたいなら、自分で、そこに至る道をどうにか見つけてくださいね、っていう話。

興味を持ったかたは、ご自分で検索ください。

という、まさかのオチ。笑

たまに私って本当に意地が悪いなと思う今日この頃。

アストロジー

最近、星やら宇宙やらなんやらのブームが再来。
前よりも強くなって戻ってきた。

そこで、1ヶ月以上前に受けた、ボディートークの藤田さんがブログに書いていて、
即申し込んだアストロジーのセッションを書き起こしてみた。

ほぼ2時間のセッションだったけれど、ここに書いているのは10分間くらいの内容。
(情報量が多くて私のタイプ力をもってしても、力尽きた)

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魂のキャラ

グループ・集団・仲間という波動をもっている
一緒におりてきた可能性があるので、この世界で出会う可能性がある
例えば仕事とか、シュミだったり、宗教だったりとか、
そういう関わりというものは現実的にすごく引き寄せる可能性がある
その中で、個人のこうしたら、ああしたらというのがあまり使えないんだという、
みんなと一緒にという、エゴを手放してみんなと一緒にという、
身を委ねるということがしやすい、
流れに任せます、とか放棄しやすい。
バランスを崩すと、自分の時間を削ってしまいがち。
なので、プライベートの自由さとか自分の権利と集団の信念というところで、
線引きが大変になる。エゴの処理が大変。
そこの線引きを学ぶ。
委ねるのはすぐにできる。
引き寄せがあるかも。

専門家。スペシャリストのエネルギーがある。
探求する役がある。ひとつの世界を高める。探究心を持っている。
何か専門的なところを魂はエネルギー的にもっている。
なにか興味があれば、深める方がエゴが魂と一致してくる。

もうひとつの側面は、サイキック。
霊能力がすごくある。直感だったりとか、意識しないと霊的なアタックや人の念をすごく受けるレベル。
3次元に生きるスタンスが3次元的というよりも、物質的というよりも、
霊能力というものをもう開発してきているので、よりそれをより調和的に開発すること。
自分の念を吟味しないと、人に対してそれを発揮してしまう。
パワーがあるので、使い方要注意。
その使い方を学ぶ。
こういうエネルギーをもっている人はテンションが高いので、すごい暴力性がある。パワフル。
DVとかモラハラパワハラを引き寄せやすい。
自分も強いから、戦いになる。
それで、分離したり分裂したりする。
本来は革命として使うエネルギーなので、ちょっとゴタゴタしてしまう。
そこの使い方をより高い所で発現すると、啓蒙としての役割となる。
そこまで、もっていけるかがポイント。

専門分野、プロフェッショナルな部分があるので、自分でもサポートして欲しいときは、
専門家を使うといい。手っ取り早い。
霊的成長の選択の仕方がなだらかな坂道というわけでもなく、急な坂道でもなく、垂直に行きたいというところがある。
はしごとかで。笑
だから、障害物競争を引き寄せる。
次、この障害どう、次、この可能性どう、と解決していくというチャレンジのやり方。
なので、ひとつひとつ確実に解決するというケース。
専門家とかそういうサポートを利用した方が、解決は早い。
上からもすごい導きがあるので、どんどんいくみたいなことになる。

ものすごい個性的な波動。
もう一般的な生き方とか、みんなと一緒にというよりも、独自のやり方や個性的な能力を伸ばすという方がいい。

でも、安定した生き方を求める。
個性的な生き方をしたい、でも安定したいというエゴの葛藤がある。
これは、周波数をうまく使っていくということもできるので、それで安定した生き方をしたらいい。

少しセレブな波動、ちょっと上流階級的な波動がある。
なので、セレブな人ってよく遊んでいるようだけれど、そういう日常と離れた感覚をすごくもっている。
実際そういう波動で、レジャーを楽しんでいますとか、ちょっと外資系でパーリーとかね、
そういうエネルギーを使っているけれど、そういう波動がある。
社会的にそのエネルギーを使うか、またはパートナーがそういう人だったりとか、
そういう波動を体現する可能性がある。
自分もそういう波動を高めていくことによって、実現していくというエネルギーをもっている。
そういう個性的な周波数がある。

本質的な、核となる周波数は社長さんの周波数。リーダーシップ。
人に使われるより、自分がリーダーという周波数をもっている。

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つづく