Way to be HAPPY

Life is a Journey

朝食始めました

その名の通り、朝食始めました。

だって、本に朝ごはん食べたら痩せるって書いてあったんだもの。

と、理由と詳しい説明については夜、酔っ払った時にでも。

 

と、いうことで。

現在地を知らずして、差分は取れぬ!

 

乗るのにかなり勇気を有した体重計。

てかもはや電池切れてました。

 

乗りましたよ。9月から一度も乗っていなかった体重計。

ボディートークで、体重じゃありませんよと言われて、本当はその時まだ怖くて怖くて仕方なかった私の体重。

 

見た瞬間、あ、私、変わったな。と気づく。

 

f:id:xphantasmagoriax:20180223090400p:image

 

今までだったらこのひたすらに増加した体重に朝から超絶不安MAX &ああもう消えていなくなりたい…になっていたはずである。

 

が、まったく動揺しなかった。

あーなるほどねー。くらい。笑

 

なぜならば、

筋肉量を見てみよ!

2キロも増えているではないか!

ということなのである。

 

だから、実質ぜんぜん太ってない。

(体脂肪も別に減ってないけど…ま、良しとしよう)

 

毎日50回スクワットを泥酔してる時以外はやっていたし、週一でやばい激しいジムに通い、

その結果が出たのである。

 

計らなきゃわからなかった!

これってすごい。

 

私の身体は私の努力に結果を出してくれるんだという信頼感。

 

ということで、今日から朝ごはん人体実験をスタートさせます。

その3

ついでに、頭で考えすぎとも言われた。

頭で考えすぎってどういうことなのかもはやわからない。

24時間、起きている時も、あまつさえ、寝ている時にでさえ考えすぎなのだそうだ。

もしこれをストップ出来るのならとっくにしているし、できないからこうなっちゃってこじらせているわけで。

いったいどうしたら良いのかもはやまったくわかりません。

私の幼子状態の自我は今、いったいどこでなにをしているのやら。

行方不明です。

私のやせ細った女性性もちょっと今部屋から出られないニート状態でして。

うずくまっておりますゆえ。

どうしてこうもこじらせるんだ、お前は!状態。

その2

というのも、友人がとある著名な手相の講座を受けに行ったことから始まった。

練習として使うので手相の写真を撮らせてほしい、とのことで、喜び勇んで撮ってもらった。

そこから始まった。

講座の中で、この手相の方は過去に性的虐待を受けていますね。

と言い切られた。(彼女もボディートークで私がそう言われたことを知っていたので驚愕したらしい)

そして、彼女は誰とでもやってきたし、それは普通に何も感じないままにできます、まるで娼婦のように。

と、言われてさらに驚愕。

私は、もはやそれは娼婦を凌駕しているんじゃないかとさえ感じた。

だって、娼婦と違ってそこにお金という対価が介在しない、にも関わらずやっていたのだから。

なので、私には、ヒーリングとリーディングが必要なのだそうだ。

いま、ようやくまともになってきているのだと思っていただけに、まだか、、、まだなのか!
という感情がほとばしったのは言うまでもない。

彼女は1人の男じゃ満足しません、だから現在、恋愛において問題を抱えています、とまで言われていたそうな。

やるか、やらないか問題を解決したはずが、まったく進行しない私たちの関係。

私は他の男とやりたいと思っているのだろうか。

答えはノーである。というか、ノーでありたい。

最近はめっきり性欲も、それに伴う知的欲求(と言っちゃだめか)もない。

正直、それどころじゃありません状態に突入している。

本当に、そんな図鑑を集めている場合ではなくなってきているのだけれど。

私のよくわからない悩みはつきない。笑

性的虐待って何よ

今日のお題は「性的虐待」について。

本人、というか私にはまっっったくその記憶がない。

でも、数人から同じことを言い当てられると、ああ・・・まじか・・・ってなる。

ボディートークですでに言われていたことでもある。

言われたときに、なぜだか自分の性に対する感情とかそういうものの合点がいった。

思い出さなくても良いです、と言ってくれたので、さほど気にしてはいなかった。

なぜ、自分は誰とでも何も感じずやれるのか。

そんなことに疑問を持ったことはなかった。

ただ、そうであるのだなと思っていた。

でも、今更ながら考えてみると、やっぱりおかしい。

なぜ、誰とでもやれるのか。

普通の人は絶対にできないことを私は何も考えずにやってきていたのだろうか。

もはや、ポケモンゴーでキャラクターをひたすら集めている女子と一緒である。

ポケモン図鑑を網羅したいかのように、男性とのセックス図鑑を作りたかった。

ただ、ひたすらに、知ってみたかった。

正直、そこに罪悪感はなく、ただひたすらに、それを知りたかった。

本当に、それだけだった。今までは。

自分を認めてもらいたいがためにやることもあった。

でも、それ以上のアグレッシブさをもって、知りたいという欲求があった。

この人はどういう逸物を持っていて、どういうやり方をするのか、それを知りたかった。

知ってどうするというその先の設定は何もないにも関わらず、

図書館で調べ物をするがごとくに、それを知りたかった私がいた。

いったいそれはどういうことなのだろうと今更ながらに考えてしまう。

最後に愛は勝つって本当?

やばいよ、まだ寝れないから書いちゃうよ。

そもそも論、好きって何ですか問題に絶賛直面中ですよ。

さらに被せて言わせてもらえば、愛ってなんですか問題も出てきちゃうよ。

愛してる、なんて言われると背中がぞわっとすること事の上ない現象勃発しちゃうよ。

絶対聞いちゃうもの、「あなたにとって愛ってなんですか?」って。

本当にこじらせ女子全開だよね。

でも、言えばいいと思ってるでしょと思うし、むしろ、あれだよね、ドラマとかの見過ぎだよねとか思ってしまう。

I love you.はなんとなく受け止められるけれど、愛してる、は無理。

なんというか、英語の I love you のノリで日本語で愛してる言っちゃいましたみたいのが無理。

たぶんぜんぜん違うものなんだと思う。

もう月が綺麗ですねでいいですよねー状態。笑

愛してる、って言葉はちょっと違うように感じる。

だから違和感を感じるのかな。

好きならまだいい、愛してるはちょっと聞きたくないっす、、、みたいになる変な感覚がある。

胡散臭いというか、あなたのそれは愛してるに相応しませんみたいな感じになってしまう。

今日も満遍なくこじらせてます。笑

昔、お母さんに愛ってなに?って聞いたら、
「あなたのために死ねるってことだよ」と言われたからかな。

でも、それはあなたの母親だからだけどね、と言われたのを今でも覚えている。

私の母親じゃない相手に言われてももうなんか違うなーってなっちゃうのはそれのせいだろうか。

真剣に、あなたが死ぬくらいなら私が死ぬと言われた母親の目が今でも忘れられない。

ああ、これが愛というものですか、、、と子供ながらに感じた。

と書きながら涙目なう。

そう考えると愛ってなんなんだろうなーと。

自己愛ってなんなんだろう。

自分のためになら、自分は死ねるってこと?

それだとちょっと日本語崩壊してしまうような。

愛ってなんなんだろう、それが目下取り組むべき課題なのかもしれない。

あと性と金。

性については、現在模索中。。。

金についても、現在模索中。。。

そろそろ捜索願を出すかもしれない。

冷静とセックスの間

冷静と情熱の間をもじってみたかったけど、どうも納得のいかない出来になった。

11分間の前と後にすればよかったかな、でもこれ、パウロコエーリョ好きにしか伝わらないよな、
とか考えていたらすごい時間が経過していた。

そろそろ寝ないと。でも、これを書かないと今日は悶絶して寝れない。

今年の元旦からとある人と付き合ってみた。

最初は本当に付き合ってみた、レベルだったけど、
途中からとても楽しかったし、幸せな時間だった。

どれだけ話していても、話が尽きないし、
一緒に居て苦痛じゃない、神様からのプレセントかこれは、と思っていた。

やるまでは。

私の人生において、99%付き合う前に事をなしていることしかなかったので、
それはもう新鮮で新鮮で仕方がなかった。

生まれて初めての青春っていうものをひたすらに味わっていた。

やるまでは。

やって2日目。

気づいてしまった。
ああ、いつもこうやって終わりが来るんだな、というパターンに。

あの11分間にいったい何が起きているのだろうかと不思議でたまらない。

たった11分間(比喩ですよ)に、絶対的に何かが変化しているということに今日確信を得た。

別に、早漏だったとか短小だったとかそういう問題ではなく(違うよと相手のために言っておく:575)、
絶対になにかが起きているとしかいいようがない。

ただの摩擦運動としか思っていなかったそれにそんなに重きをおいていなかった。

にも関わらず、私はこの1ヶ月以上それを断固拒否していたのだ。

純粋ぶってとかそういうものではなく、ああ、これはやったらまずいやつだ、と感じていた。

やったら、終わるなにかがあるなと。

そして、それがなにか今日なんとなく分かった。

その行為を通して、相手との境界線が曖昧になるのだと分かった。

私の場合でしかないけれど、やるまでは、他人として尊重していたなにかが、
やった瞬間から知らないうちに消えていく。

推測でしかないけれど、私は相手を自分の一部だとみなし始めるのだと思う。

だから、傷つけてもいい。そう思っている自分に今日気づいてしまって驚愕した。

相手の粗探しを無意識にスタートさせていることに今日気づいた。

そして、自分から遠ざけようとする癖があることにも。

これは、思春期の時、私が母親にしていたことと似ている。

今となっては申し訳ないけれど、どんなに傷つけても平気な存在。

それでも、私のそばに居てくれる存在。

それが母親だった。

そして、それを今相手にしている。母親と混同しているのかもしれない。

私は昔に遡れば母親の一部だったからそう思っていたのかもしれない。

そう考えると、やるという行為は一時でも、私の一部と化すからなのか?とか考えてしまう。

自分と相手との境が見えなくなる。

それが怖くなった。

だから距離をおこうとしてしまうのか。だから、相手を傷つけようとしてしまうのか。

私は実は付き合う前から言っていたことがある。

やったら、いつか好きではなかったと気づく日が必ずくるから、やりたくないのだと。

その予言がすでに実現しようとしているのか、はたまたこれは思い込みなのか。

私の悶絶は結局これを書いてもつづくことに、今、気づく。

どうして、相手を傷つけたいという衝動にかられるのだろう。

そこになんの意味があるのだろう。

そんなことをしている自分に今日ももれなく自己嫌悪。

いったい私は何から自分を守ろうとしているのだろう。

自分をも傷つけるその行為を通して。

当麻と酒

当麻はGHQの統治後、法律で違法となったとか。
それまでは、普通に神社や野に生えていたとか。
まあ実は今でも北海道界隈では生えているろか。

当麻と酒の違い。

それは、法律という人間が作った縛りだけではないのかと。

とある記述では、当麻を食べると癌に侵されている患者に食欲がわくという。

昔は神聖なる植物であったはず。

要はその統治する人間(と利害関係者:主に政府)の問題なのかと。

その先にあるものを誰も知らない。

酒が合法で、当麻が違法だなんて、政治的要因しかないのね、きっと。

コース料理

過食症がどうにかなったら、人生が変わる、と信じていた。

甘かった。

こういう性格や考え方がそれを招いてしまっただけだという事実を突きつけられいる。

本当の課題はこれから取り組む事なのかもしれない。

もしかしたら、他の過食症の人は違うのかもしれないし、私と同じなのかもしれない。

本当はあんなに辛かった過食症も、コース料理でいったら前菜みたいなもので、
それから、じゃああなたはどうするんですか課題の方がメイン料理なのかもしれない。

私は、じゃあどうするのか。どうしたいのか。

そんなメインを求められいるような心境。

前菜終わりましたけど、どうします?みたいな。

パン食べてる場合じゃないみたいな。笑

肉にするのか、じゃあその肉はなんの肉なのか。

魚にするなら、じゃあその魚はなんにするか。

食べないという選択肢にするか。

選択肢が急激に増えたような感覚。

それって素晴らしいこと。

でも、その素晴らしさについていけない私がいる。

全部食べたいし、全部食べたくない。

問題はそこなのかと。