先日、13th floorという映画を見た。
シノケンさんが勧めてくれた映画だ。
その映画を見てから、
更にこの世が恐ろしく感じた。
というか、私のこの「生」が足元から崩れていく感じがした。
私は本当に「生きて」いるのだろうか?
私は本当に「この世」に「存在」しているのだろうか?
考え得る2つの選択肢がある。
①私は、この世にログインしてきた
②私は、この世に作られたシュミレーションのひとつ(BOT)
このどちらにしても、結局恐ろしいんだ。
①の場合、
この世にログインしてきたことになる。
そうなれば、ログアウト後はどうなっているのか?
ログアウト後は、ドラえもんみたいな道具を使って遊んでいたもう1つ上の人格(ハイヤーセルフ)に統合されるだけなのか?
そうだとしても、そのもう1つ上の人格(ハイヤーセルフ)がログインされている存在である可能性はぬぐえない。
そうなると、マトリョーシカのように延々と続くわけだ。
インセプションという映画でも同じような恐怖を感じた。
終わりがないんだ。
終わりを見ない限り、終わりはないのと同じなのだから。
それは、とても怖いこと。
ある意味、「死」が希望となってくる。
②の場合、
私も、BOTであることになる。
なぜなら、ある意味この世に生きるということ自体がBOT行為なのだから。
自分に「意識」がもたらされているだけなのだ。
自分は人とは「違う」
自分はBOTじゃない、そう思っているだけのBOTということになる。
そして、私は前述のとおり、BOTでないことを証明することはできない。
これは絶対だ。
この「意識」はいったいどこからくるのだろう?
そして、いったいどこに向かっているのだろう?
そこに「意味」はあるのだろうか?
そこに「意味」はないのだろうか。
この世は夢うつつというわけだ。